2年ぶりのカムバックです!
昨年は、一度も更新していなかった自分の余裕の無さにビックリ。
久しぶりに書きたい衝動に駆られました。
タイの洞窟に、少年たち13人が閉じ込められている問題。。。
最初に発見された際、たどり着いたダイバーは、彼らに英語で
問いかけ、話しかけていました。
"How many?"
"Many many people will come to help you soon...."(うろ覚えですが)
あれは、タイ語ではありませんでした。
ということは、外国人のダイバーだったのでしょう。
少年たちは、その英語の問いかけを理解し、間髪入れず受け答え
していました。
発見された感動と共に、私はこのシーンがものすごく印象的で、
考えさせられました。
20年ほど前になりますが、タイを旅行で訪れたことがあります。
英語は、ほとんど通じませんでした。小さなガイドブックで暗記した、
にわかタイ語で現地の人とやりとりしたのを記憶しています。
もちろん、あの頃とは学校教育も変わったかもしれません。
でも、少なくとも、英語を話す場面のほとんどない、タイ語だけで
生活しているタイの子どもたちが、あのような特殊な状況で、英語
での問いかけを理解して、英語で受け答えしていたことに、軽い衝撃
を受けました。
もし、あれが日本の小学生たちだったらどうだったでしょう?
英語を習っている子どもたちでさえ、
"How many?"と聞かれて、とっさに
"Thirteen!"
と答えられる子たちがどれくらい、いるだろう。
少なくとも、私の教室では、
"When, Where, Who, Which, Why, How, How many,,,,"
などの疑問詞が、何度やっても本当に定着しません(><;;
二桁の数字も、いろいろな場面で何十回も繰り返しているはずなのに
こちらの口添え無しで、スラッと口にはできません。
教室の中という作られた空間の中で、いくらインプットを繰り返しても
それは、教室の外へ出れば抜け落ちてしまう「お稽古事」としての英語
でしかないのでは、という限界も感じています。
洞窟に閉じ込められた時、山や海で遭難した時、外国人の救助隊の英語
を聴き取って、受け答えできるような、そんな子どもたちを育てられて
いないこと、教室の外で、身を守るような英語教育ではないこと。。。
あの短いシーンで、日本の英語教育に欠けているものを突き付けられた
気がしていて、胸がざわついています。
試験のためでなく、成績のためでなく、いざという時に、命を守る
武器としての英語を、私は子どもたちに授けていきたい。
道は、まだまだ果てしなく遠いけれど。。。。