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ゆんゆんコラム

日常の中のキラッの想いを
映画のワンシーンのように切りとって
あなたに伝えたい・・・

タイの洞窟閉じ込め問題と英語

2018年07月08日 | Weblog

2年ぶりのカムバックです!
昨年は、一度も更新していなかった自分の余裕の無さにビックリ。
久しぶりに書きたい衝動に駆られました。

タイの洞窟に、少年たち13人が閉じ込められている問題。。。
最初に発見された際、たどり着いたダイバーは、彼らに英語で
問いかけ、話しかけていました。

"How many?"
"Many many people will come to help you soon...."(うろ覚えですが)

あれは、タイ語ではありませんでした。
ということは、外国人のダイバーだったのでしょう。
少年たちは、その英語の問いかけを理解し、間髪入れず受け答え
していました。
発見された感動と共に、私はこのシーンがものすごく印象的で、
考えさせ
られました。

20年ほど前になりますが、タイを旅行で訪れたことがあります。
英語は、ほとんど通じませんでした。小さなガイドブックで暗記した、
にわか
タイ語で現地の人とやりとりしたのを記憶しています。

もちろん、あの頃とは学校教育も変わったかもしれません。
でも、少なくとも、英語を話す場面のほとんどない、タイ語だけで
生活して
いるタイの子どもたちが、あのような特殊な状況で、英語
での問いかけを
理解して、英語で受け答えしていたことに、軽い衝撃
を受けました。

もし、あれが日本の小学生たちだったらどうだったでしょう?
英語を習っている子どもたちでさえ、
"How many?"と聞かれて、とっさに
"Thirteen!"
と答えられる子たちがどれくらい、いるだろう。

少なくとも、私の教室では、
"When, Where, Who, Which, Why, How, How many,,,,"
などの疑問詞が、何度やっても本当に定着しません(><;;
二桁の数字も、いろいろな場面で何十回も繰り返しているはずなのに
こちらの口添え無しで、スラッと口にはできません。
教室の中という作られた空間の中で、いくらインプットを繰り返しても
それは、教室の外へ出れば抜け落ちてしまう「お稽古事」としての英語
でしかないのでは、という限界も感じています。

洞窟に閉じ込められた時、山や海で遭難した時、外国人の救助隊の英語
を聴き取って、
受け答えできるような、そんな子どもたちを育てられて
いないこと、
教室の外で、身を守るような英語教育ではないこと。。。
あの短いシーンで、日本の英語教育に欠けているものを突き付けられた
気がしていて、胸がざわついています。

試験のためでなく、成績のためでなく、いざという時に、命を守る
武器としての英語を、私は子どもたちに授けていきたい。
道は、まだまだ果てしなく遠いけれど。。。。


"How are you?"

2016年07月17日 | Weblog

小学生のレッスン冒頭のやりとり
How are you?

やっと、ルール違反がなくなり、子どもたちの返事が安定してきた。
何がルール違反かって?
それは、ネガな返事をすること。

実は、ネイティブにとっての"How are you?"には、深い問いかけの
意味などなく、「やあ!」くらいの軽いあいさつに過ぎなかったりする。
よく言われるのが、「聞いた相手は、あなたの胃の調子などに興味はない」
みたいなこと。
真面目な日本人は、紋きり型の
"I"m fine, thank you.  And you?"(学校教育の定番!)
または、
"I have a cold." (「風邪をひいています」)
みたいに、バカ正直に今の体調を答えてしまう。

小・中学生も例外ではない。
ほおっておくと、もう、全員が決まってネガな答えを返してくる。
その3大answer
"I'm tired.", "I"m sleepy.",  "I'm hungry."

中学生に至っては、ほぼ100%、"I'm tired."or "I'm sleepy."

もうこれは、どれだけ時代を経ても変わらない。
とても疲れた表情で口にして、尋ねてもいないのに、どんなに大変な
1日だったか、切々と解説してくれる。
無理もない。日本の子どもたちは、みなハードスケジュールで疲れているのだ。
が! ここで、"That's too bad." (それはお気の毒。/ 大変ね)
なんて同情をこめて返している場合でなない。
このままでは、ネイティブの問いかけにも、疲れた表情で答える習慣を
作ってしまう。

そこで、私の教室では、ネガな答えを返したらルール違反!と決めた。
tired, sleepy, hungry, thirsty, cold, hot,
angry(←たまにいる。母親に怒っている、とか)、すべてアウト!
代わりにポジな言葉のコレクションを増やした。
good, OK!, great!, super!,  happy, nice,  などなど。。。
しかも、誰かと同じ答えは使えない、という過酷な追加ルールまで設定した
ので、子ども
たちも必死。
そのうち、他の子とだぶらないように、あらゆる手を使い始めた。
"I'm super great!",  "I'm super happy.",  "I'm super happy great!"
など、言葉を重ねて面白がっている。
そして、やがてtired も sleepyも、すっかり姿を消した。

言葉は不思議だ。
ポジな言葉を競って口にする子どもたちの表情は、はじけんばかりに輝いている。
疲れもしんどさもイライラも、ぜ~んぶ帳消し。
そう、言葉が感情をつくるのだ。
それは、英語でも日本語でも関係なく、きっとユニバーサルな真理に違いない。
だから私のレッスンではこれからも、"I'm tired."は禁句にしよう!


代わってあげたかった!

2016年07月10日 | Weblog

命の重さに差などない、と思う。
それでも、時々、嘆かずにいられない。
また、尊い命が失われて、そして、自分は生きながらえている、と。

バングラデシュ、ダッカでの悲劇。
7人もの日本人が命を奪われた。
7人全員が、途上国の発展のために尽くし、寄り添い、情熱を注いでいる
優秀な人材だった。
この方たちが生存し続けることで、救われる国、国民、暮らしがいったい
どれだけあっただろう。
失われた命の損失の大きさに打ちひしがれている時、瀬戸内寂聴さんの
新聞連載コラムで、まさしく私の今の思いを代弁する一行に出会った。

「代わってあげたかった!」

新聞をくり返し読みながら、紙面の上に思わず涙をぼたぼた落としていた、
という寂聴さんの、心の叫びだった。
そして、それは私の叫びと同じだった。

寂聴さんは、「もはや94年も生きのびて、看るべきものは看つくしたし、
したいことも十分しつくした。今、殺されても、この犠牲者たちより悲痛
ではない。私の死を悲しんでくれるはずの人もすでにみんな死んでいる」
と続けて述べていらっしゃる。

私は寂聴さんに比べれば、まだ人生折り返し地点、若輩ものだし、したい
ことを十分しつくした、なんて決して言えない。
でも、独り身の私の命が今消えても、残されて泣く人の数は、この7人より
圧倒的に少ない。
自分の人生に価値がない、なんて思ってもいないけれど、少なくとも、この
7人の今後の人生に展開するはずずだった、とてつもなく貴重な貢献と
天秤にかけた時、生き続けるべきは、この人たちだった、と思わずに
いられない。

犠牲になった方々の人生は、みな濃くて熱くて、自分をかえりみず、誰かの
ために捧げていらした。まるで生き急がれるように・・・・。
一方、半径数キロの日常と、最少の人との関わりで生きている自分。
誰かのために役立っている、とか尽くしている、という実感などないまま、
ただ毎日をやり過ごして、のうのうと生きている自分の人生。
神様はアンフェアだ。

代わってあげたかった!
寂聴さんの叫びに自分の想いを重ねながら、どこにぶつけようもない
憤り、やるせ無さと闘っている。


銃規制問題と米国の愚かさ

2015年10月05日 | Weblog

ばかだな、と思う。

新聞の国際面で目にした小さな記事。

先日、アメリカ・オレゴン州の大学で起きた銃乱射事件後、地元の
銃販売店がライフル銃などを物色する人で混み合っていた、と伝え
ていた。

「自分の身は自分で守らなければ」・・・。
この国でたびたび起こる銃乱射事件の後、必ず聞かれる市民の
セリフを耳にするたび、ああ、またか、と思う。
今回の大学は、校内への銃持ち込みが禁止され、警備員も丸腰だった
ことから「教師や学生にも銃を持たせるべきだ」、という意見さえあがって
いるらしいから言葉を失う。
あまりに短絡的な思考に笑いさえ出る。

銃を所持した教師が、ある日、同僚とのいざこざで怒りを爆発させて
銃で攻撃することがないと言えるだろうか。
何かのきっかけで正気を失った生徒が、ある日、たまたま所持していた
銃を教室で発砲しないと言えるだろうか。
ごく普通の市民が、銃を簡単に手にできる環境のために起こした惨劇を
いやと言うほど見てきたのに、犯罪を起こすのは特別な人間のみだと
思い込んでいる愚かさ。
護衛だろうが何だろうが、武器を手にすれば悲劇は起こる。
銃が野放しだからこそ、銃犯罪が後を絶たないのに・・・。
銃を辛抱強く規制していくことで、結果として、やがて銃で護身する
必要のない社会が築けるかもしれないのに・・・・。

これでもか、これでもか、というほど銃を使った惨劇が繰り返されても
この国の国民の大半は、
「やっぱり銃が簡単に手に入ることが問題なのだ!」
という銃規制の方向ではなく、
「それみろ!銃の犯罪から身を守るために、銃を所持する権利を守る
べきだ!」
という愚かな流れに必ず走る。

オバマ政権は、銃規制法案の成立を一貫して目指してきているが、
共和党の根強い反対で法案は成立しないまま、銃規制のメドは立って
いない。
20年以上前、留学生、服部くん射殺事件の後、ご両親が署名運動
などで奔走され、当時のクリントン大統領に直接働きかけて、銃規制の
重要法案、『プレイディ法』が可決された際は、トリ肌が立ったのを覚えて
いる。ああ、この国も、やっと目覚めてくれた、と。
しかし、その後、政権がブッシュ共和党政権に移行してから、この法案も
幻同然のものとなってしまった。
20年前と状況は何も変わっていない。
ご両親の働きかけは何だったのか。
服部くんのご両親も、空の上の服部くんも、この現状に失望いっぱいだろう。

アメリカは大好きな国だけど、銃規制に関しての報道に触れるたび、成熟
しないこの国の思想を嘆かずにいられない。


平和すぎる日本の無力

2015年02月09日 | Weblog

あの日の衝撃やショックを、日にちと共に少しずつ克服しつつあると思っていた。
でも、それは予期せずにやってくる。
思いがけず遭遇する後藤健二さんの写真や映像。
テレビで、ネットで、新聞で。。。。
その中で後藤健二さんは微笑んでいる。きれいな微笑み。純粋な人柄がにじみ出た
本当に優しい微笑み。穏やかな語り。見る人を癒す天性に満ちた、ゆっくりとした
温かい語り口。
もう会えない微笑みだと思うと、時を構わず涙があふれる。
後藤さんと面識があったわけではないのに、まるで身内や親しい友人を失ったかの
ような深い悲しみと、もう二度とこの人に会えないのだという喪失感にさい悩まされる。
そこに宿るのは「悲しい」の一言では表せない、もっと複雑な感情。
「助けてあげられなくてごめんなさい」という詫びる気持ち。
「なぜ?なぜ?どうして助けてあげられなかったの?」という怒りと問い。

自己責任だとか、テロに屈しないだとか、誰が悪いだの、誰の責任だの、そんなさまざま
な思惑や言動の前に、目の前で命の脅迫を受けている生身の人間を救ってあげる術を、
平和すぎる日本は持っていなかった。
突発的に殺害されたわけではなく、ある程度の期間、猶予が与えられていたのに。
その間、後藤さんたちは確かに生存していたというのに。
人質交換とか、身代金とか、ネットでの声明文とか。。。私たちにとっては、ハリウッド映画
や『踊る大捜査線』みたいな事件もののドラマの中でしか起こりえない出来事だった。
それが現実となった時、平和すぎるこの国が、どれだけ無力であるかを思い知らされた
断末魔の数日間だった。

私はハッキリ覚えている。
昨年、集団的自衛権に関する議論が国会で盛んに行われていた頃、
「自衛隊が武器を持つことで、イスラム過激派などのようなテロ集団にとっては、日本もアメ
リカと同じような敵国と見なされ、海外で働く多くの邦人に危険が及ぶことになりはしないか」。
野党の議員が安倍首相に、だいたいそのような内容の質問をぶつけた。
その時、安倍首相は力強い口調で答えた。
「海外にいる日本人は私が守ります。国民の命を守るのが私の義務です!」

首相は今、あの時の言葉の軽さを恥じているだろうか。
「国民」どころか、たった二人の命さえ守れなかった無力感に向き合っているだろうか。
もう二度と軽々しく口にしてほしくない。
「コクミンノイノチハ、ワタシガマモリマス」などというキレイごと。

ずっと『イスラム国』一色だったマスコミも、後藤さんが殺害された二日後には、そろって
もう別な脳天気な話題を報じていた。、まるで、舞台やショーの上映が終了して、次の催し
に関心が移ったかのように。一局として関連報道をする番組はなかった。
「あれは悲劇だったね。でも、もう終わったこと」という報道スタンスが伝わってくるようで、
何だかものすごくやるせなかった。

時間は決して戻せないし、後藤さんは二度と生きて帰って来てはくれないけれど、彼が
命と引き換えにこの国に投げかけた多くのことと、私たちはこれから向き合っていかなけれ
ばならないのだと思う。
それが、悲劇的な死を遂げた後藤さん、湯川さんへの鎮魂だと信じている。


社会から浮いている?

2015年01月11日 | Weblog

何だかなぁ~。
自分が社会から浮いている、というか違う次元で生きている、そんな感覚に
陥ることが増えてきた。

衝撃だったのは昨年の流行語大賞。
告白すると、発表の報道で実は初めて聞いた。あの「ダメよ~。ダメ、ダメ」。
これまでの人生でこんなことは初めてだった。
例年、流行語大賞や候補の言葉にはなじみがあったし、選ばれた言葉に沸いたり
納得したり。ちゃーんと話題についていっていた。
ところが昨年は、大賞発表の報道に「へ?」
言葉の仕掛け人のお二人も初めて見たし、今だにコンビ名は言えない。
別に、一年間、南極かどこかに出向いていて日本のことにうとかった、とかでも
ないし、ちゃーんと日本国民として普通に生活していたのに・・・。
生徒たちに、「流行ってたの?」と尋ねると、「超流行ってたじゃん」と口ぐちに
言う。発表で初めて知った、と告げると、異星人を見るかのような表情で、
「信じられん!」と口をそろえて感動されてしまった。

昨年末のカーラジオでも、同じような感覚を味わった。
「今年一年、人気のあったポップスの数々をお楽しみ下さい」と始まった番組に、
おっ!これは偶然いい番組にあたってラッキー!運転も軽やかだわ~、とウキウキ
したのもつかの間、流れる曲、流れる曲、全く耳慣れないものばかり!
とうとう、一曲もいっしょに口ずさめる歌には巡り合えず、また、何だかなぁ~。
私、ちゃんと日本にいたよね、この一年。
それなのに、ラジオから流れるチャカチャカした、ちょっとお子ちゃま風のポップス
のどれにもついていけなかった。

それだけ自分が年取ったってことかな。
結局、流行の言葉も音楽も、若者たちによる若者たちのためのものってこと?
いや、昭和の時代は違っていた。
音楽も流行りものも、年代を問わず話題にしたし、若者から年配の方まで共有
できるものがたくさんあった。
「流行」が、一部の年代のものでは決してなかった。
そんな昭和が妙に懐かしい、ちょっぴり平成の世から浮いている私です。


familyの変遷とレッスン

2014年07月13日 | Weblog

あちゃー、やってしまった。
それは、小学生クラスでのレッスンでのこと。
副教材で使用している、自己表現練習のためのテキスト。
新しい単元のテーマはfamily

How many people are there in your family?
(家族は何人いますか?)
There are 5 people in my family.
5人家族です)

CDといっしょに基本文型を何度か練習した後、答えのセンテンスを自分に
あてはめて口頭練習するために、それぞれに質問する。
"How many people are there in your family?
みんなは何人家族かな。
There are ~people in my family. で答えられるかな”

順番に子どもたちが、たどたどしく家族の人数を紹介していく。
4の男の子Rくんの順番がきた時、少し迷ったようにして答えたセンテンス、
"There are 2 people in my family."
を聞いてドキっ。
「しまった!」と思った瞬間、向かいの席の小5の子がすかさず
「お父さん、いないの?」と露骨に質問する。
「うん、ず~っと前、ぼくがね、1歳くらいの頃にね、離婚したの」
「へぇ~」
固まっている私をよそに、子どもたちはあっけらかーんとやりとりしている。
クラス全員が、ちょっとだけ聞いてはいけないことを聞いてしまったような、
何とも言えない表情でRくんに注目している。
「へへっ」と苦笑いするRくんに、私は「ごめんなさいっ!」と心の中で手を
合わせていた。

不覚だった。家族構成など、デリケートな話題の場合、クラスに一人でも
母子家庭や父子家庭の子どもがいる場合、子どもたち一人一人に答えさせたり
はしないように配慮してきた。
でも、入会約1年になるRくんが母子家庭であることは、自分の認識不足だった。
入会申込書も、最近は母親の方の名前と携帯電話、メルアドなどを記入していた
だいている。以前に比べて家庭環境が複雑になってきたことと、連絡を取り合う
のは圧倒的に母親の方だから、だ。
「保護者」という欄に迷わず父親の名前を書いていただいていたのは、もう何年
くらい前までだったろう。

このクラスで、前記の質問を迷わずできたのは、このクラスは大丈夫、という自分
の思い込みがあった。
実は少し前、Rくんとの会話で父親の存在に探りを入れたことがあったのだ。
その時の会話でRくんは確か、父親がいる素振りを見せていた。
あの時、子どもなりにがんばって演技していたんだ、と自分の浅はかさを悔いた。

10数年前までは、何も考えることなく当たり前のように導入できていたQ&A
考えてみたら、こういう表現を学習すること自体、もう時代にそぐわないのかも
しれない。
fatherがいてmotherがいて、brothersister。
そうじゃない家族もあるんだよ、と教えるのも、もしかしたら私たち英語講師
の役割なのかもしれない、なんて考えさせられたRくん事件だった。


犬派をうらやましく思う瞬間

2014年06月29日 | Weblog

生粋の猫派の私が、犬派の人にジェラシーを感じる瞬間。
それは、昨日のニュース報道のような一コマに触れた時。

金沢と秋田で、それぞれクマに襲われた飼い主を、飼い犬が反撃して
クマを撃退し、飼い主の命を救ったという。
金沢は60代の男性。秋田は5歳の男の子。
両方共、普段は「臆病」な犬たちだったらしく、「そんな勇敢な一面があったとは
驚きでした」と、コメントする家人の表情と同じくらい、アップで画面いっぱいに
映る犬たちも誇らしげで、輝いていた。

な~んて感動的なエピソード!
テレビ画面に物を投げつけたくなる、どっかの都議会ニュースみたいな
腹ただしい報道続きだっただけに、久しぶりに自然と目を細めて笑顔になれる
ニュースに出会えて、愛らしいワンちゃんたちにお礼を言いたいくらいだった。

思わず、傍らで伸びきって昼寝している飼い猫を見た。
猫はムリだよな~。地球がひっくり返っても、クマに反撃なんて、ありえない
だろうなぁ~。
襲われている私を置いて、すっごい勢いで走って逃げるんだろうなぁ。
あまりの恐怖に、もう永遠に戻ってこないかもなぁ。
それとも、とりあえず「シャーッ!!!」と、カラ威嚇でもしてくれるかなぁ。
いやいや、ありえない!
超がつくくらい臆病猫のこの子には、無理無理;;;

命を守ってくれるペット。
飼い猫への愛おしさは1gも変わらないけど、犬派の人を心底うらやましい
と思った、妄想のひとときだった。


カエル以下の親たち

2014年06月22日 | Weblog

その子の魂は、ずっとずっと声なき声を発し続けていただろう。
「僕は、ここにいるよ。誰か、気付いて!」と。

5歳で亡くなり、7年後の今、神奈川県厚木市のアパートで、白骨遺体
で発見された理玖君。発見された日は、生きていれば13歳の誕生日
だったという。
衝撃的だった。
この世に生を受けて、その命が絶たれたことを、誰一人悲しんでも
泣いても悼んでももらえなかった子どもが存在した、ということが。
これほどの悲劇を聞いたことがない。
どんな悲惨な死でも、その死を嘆き悲しみ涙する、残された人がいる。

理玖くんは、わずか3歳の頃から、電気の止まった一人きりの軟禁状態
の和室で、コンビニのおにぎりとパンとペットボトルの飲み物を与えられて、
2トントラック2台分のゴミといっしょに生きながらえていたという。
真っ暗な部屋で一人きり、どんなに怖く、どんなに泣き叫んだことだろう。
目張りされた6畳の部屋で、エアコン無しで過ごした2度の夏は、どんなに
悲惨で生き地獄だったことだろう。
あまりに残酷過ぎて、理玖くんが味わった苦しみを、想像することすら自分
の経験値の中ではできない。

衰弱していく理玖くんに向き合うのが怖くなって逃げ出した、という父親は
その後新たにできた、という恋人と、心から笑うことがあったのだろうか。
自分だけお腹いっぱい食べる食事は、おいしかっただろうか。
その死を報道で初めて知ったという母親は、置いて出た子どもの安否を、
7年間もどうやったら無関心でいられたのだろうか。

その後も同じような、耳をふさぎたくなる、幼い子どもが犠牲になる事件が
相次いでいる。
「朝起きたら次男が死んでいた」
「遺体は服を着せたまま山中に捨てた」
「数日ぶりに帰宅したら、乳児が死んでいた」

そんな時、NHKの『ダーゥインが来た!』の父の日特集で、アフリカウシガエル
のパパの子育てシーンを見た。
日照りで水がどんどん蒸発しかけ、危機を迎えた子どもたち(オタマジャクシ)
のいる小さな水たまりに、大きな池から水を引くために、必死に必死に土を
掘って水路を作っていく。
ジリジリと照り付ける太陽に、パパカエル自身、力尽きそうになりながら、
最後まであきらめることなく、ひたすら土を掘り続ける。
そして、ついに水路開通!息も絶え絶えだったオタマジャクシたちが、再び
勢いよく泳ぎ始める。
感動のあまり、テレビの画面に思わず拍手した!

命を賭けて本能から我が子を守ろうとするカエルにも、人間は遠く及ばなく
なってしまった。カエル以下の親たち・・・・。
私たちは、もうカエルを下等生物とは呼べない。
退化した人間たちの犯す嘆かわしい罪が、これから先もあとどれくらい
繰り返されるのだろう。


地球が絶対、変!

2014年06月01日 | Weblog

あれ?絶対変だ。
テレビのニュースが盛んに注意を促している。

「こまめに水分をとりましょう」
「無理をせずに、適度に休憩を!」

これって、例年は暑さも盛りの真夏の警告だったはず。
カレンダーはまだ5月、6月だというのに、今年はもう既に、
熱中症報道がヤンヤン聞こえてくる。

運動会、体育祭の練習や本番で、熱中症で生徒たちが
救急搬送されるのも、これまでは決まって夏休み明けの
9月、10月のニュース報道だった。
秋の運動会は残暑が酷だから、と春の実施に変更した学校
もあると、以前聞いたことがある。
こうなったら、そのうち真冬の運動会が普通になる日がくる
かもしれない。

絶対、変だ!地球が絶対おかしい!
先月半ばまで「寒い春」だった。
いつまでも羽毛布団が手放せなかった。
衣替えがいつになく遅くなった。
同じ月に、今度は熱中症を引き起こす異常な暑さの急襲。

子どもの頃、5月はちゃんと5月らしくて、春から少しずつ
少しずつ初夏に向かっていった。
気候はちゃんと、カレンダーに寄り添って展開していた。

このままいくと、今年の夏はどうなってしまうのだろう。
もしかしたら、40度超えも普通になってしまうかもしれない;;;
日本全国、みな毎日、発熱状態。
もうろうとしながら、道行く人々の映像が目に浮かぶ。
そして、ニュースが警告する。

「みなさん、溶けて蒸発してしまわないように、くれぐれもご注意を!」