私は昭和19に応召して兵隊で仏印(現ベトナム)にいた。
終戦になり23年に復員した。
兵隊として捕虜として過ごした時代のことであり、正確さわ疑問だが…
現地の民家には便所がないのは、税金をとられるからと聞いた。
鉄道の枕木はレールは、レールと同じ鉄製である。
終戦後仏印にいて思ったのは
フランスの植民政策として可憐追求が激しく行われたのであろうと思った。
また、日本が満州国を作ったが、五族協和を称えていたこととの差異を思った。
同時に植民政策としてどちらが有利かも考えた。
フランスの可憐追求の植民政策も、日本の五族協和植民政策も、ともに終わりがあるものならば、果たしてどちらが有利であろうかと考えた。
今、日本は中国への侵略は無かったと称える人がいるのを聞き、改めて思い出した。
日本に侵略の意思があかったとしても、相手国の人たちに反日本の思いがあったと
思われる。
終戦の翌日には相手国民衆の反撃を受けている。鬱積した反抗が爆発したのであろう。
終戦になり23年に復員した。
兵隊として捕虜として過ごした時代のことであり、正確さわ疑問だが…
現地の民家には便所がないのは、税金をとられるからと聞いた。
鉄道の枕木はレールは、レールと同じ鉄製である。
終戦後仏印にいて思ったのは
フランスの植民政策として可憐追求が激しく行われたのであろうと思った。
また、日本が満州国を作ったが、五族協和を称えていたこととの差異を思った。
同時に植民政策としてどちらが有利かも考えた。
フランスの可憐追求の植民政策も、日本の五族協和植民政策も、ともに終わりがあるものならば、果たしてどちらが有利であろうかと考えた。
今、日本は中国への侵略は無かったと称える人がいるのを聞き、改めて思い出した。
日本に侵略の意思があかったとしても、相手国の人たちに反日本の思いがあったと
思われる。
終戦の翌日には相手国民衆の反撃を受けている。鬱積した反抗が爆発したのであろう。