RADIX-根源を求めて

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鯨法会をする街-山口県長門市仙崎-金子みすヾの詩・童謡の街

2012-06-27 15:12:33 | Weblog
この記事は3.11直後の金子みすヾブームの2年前の2009年9月に病明けに投稿したある意味生きていることを改めて感じているときに書いた記事です。生命と死と病に思い巡らせて書きました。






私の好きな金子みすヾの詩・童謡は広島大時代に大好物だった仙崎焼抜蒲鉾と鯨の街山口県長門市仙崎で作られた。

仙崎は日本海に面する静かな港町だ
 
好きなみすヾの詩を紹介する前に鯨法会と仙崎の街のことに触れたい。   

山口県長門市仙崎は、江戸時代に日本でも有数の捕鯨基地として栄えた港町だった。記録によれば、

1845年から1850年までの6年間で78頭もの鯨が捕れたという。

この町の向岸寺には1692年から明治年間まで、捕獲した鯨に人間と同じように法名をつけた鯨の

過去帳が残されている。

さらに、捕獲した鯨が胎児をもっていたときは、これらを埋葬して建てた鯨基が今も残って

いるという。

このような鯨基は仙崎の他に全国に50基を数える。

しかし、七十数頭もの鯨の胎児を埋葬したところは仙崎より他にない。

そして、仙崎では今も絶えることなく、鯨法会が行われている。

仏教信仰のあつい土地柄のためだろう。そんな街が金子みすヾの故郷仙崎である。



            「鯨法会」

           鯨法会は春のくれ、
           海にとびうおとれるころ。

           はまのお寺が鳴るかねが、
           ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

           村のりょうしがはおり着て、
           はまのお寺へいそぐとき、

           おきでくじらの子がひとり、
           その鳴るかねをききながら、

           死んだ父さま、母さまを、
           こいし、こいしとないてます。

           海のおもてを、かねの音は、
           海のどこまで、ひびくやら。

  
             お魚

           海の魚はかはいそう

           お米は人に作られる、
           牛は牧場で飼はれてる、
           鯉もお池で麩を貰ふ。

           けれども海のお魚は
           なんにも世話にならないし
           いたづら一つしないのに
           かうして私に食べられる。
           ほんとに魚はかはいさう。

             大漁

           朝焼け小焼だ
           大漁だ
           大羽鰮(いわし)の
           大漁だ。

           浜は祭りの
           ようだけど
           海のなかでは
           何万の
           鰮のとむらい
           するだろう


            私と小鳥と鈴と

           私が両手をひろげても、
           お空はちっとも飛べないが、
           飛べる小鳥は私のやうに、
           地面(じべた)を速くは走れない。

           私がからだをゆすっても、
           きれいな音は出ないけど、
           あの鳴る鈴は私のやうに、
           たくさんな唄は知らないよ。

           鈴と、小鳥と、それから私、
           みんなちがって、みんないい。


              土

           こッつん こッつん
           ぶたれる土は
           よいはたけになって
           よい麦生むよ。

           朝からばんまで
           ふまれる土は
           よいみちになって
           車を通すよ。

           ぶたれぬ土は
           ふまれぬ土は
           いらない土か。

           いえいえそれは
           名のない草の
           おやどをするよ。

  

            花のたましい

           散ったお花のたましいは、
           み仏さまの花ぞのに、
           ひとつ残らず生まれるの。

           だって、お花はやさしくて、
           おてんとさまが呼ぶときに、
           ぱっとひらいて、ほほえんで、
           蝶々にあまい蜜をやり、
           人にゃ匂いをみなくれて、

           風がおいでとよぶときに、
           やはりすなおについてゆき、

           なきがらさえも、ままごとの
           御飯になってくれるから。



死後、命はどこへ行くのだろうか。人・犬・猫・牛・馬・ブタ・鯨・魚。そして動物だけではなく、野 原に、庭に美しく清らかに咲き誇った花々のいのちはどこに行くのだろう。
 

命の繋がりの教育をする時現代では場の見学でさえ物議をかもし、理科の解剖実験すら残酷との指摘が後を絶たない。比較行動学の正高信男氏の著作の中で面白かったのは、「恐怖体験の記憶に沿って躾が可能だった構造が現代では変化して躾そのものがそのような構造のなかで無効になっていて、命の尊さが生きている実感にリンクするものではなくなり、観念的な言葉『命の尊さ』に代表される、スローガンによる教育に置き換えられている」と言う指摘です。(後半の観念以降は私なりの解釈)自己を守ろうという意識が命の大切さの気づきに繋がり、その延長上に近親者の命それがさらに同胞、人類、生きとし生けるものへと繋がっていたのです。
 また、生の一部であった死が周縁へと追いやられ、忌避する傾向すらある現代社会において死は生を限りなく肯定しそれを支えると言う当たり前の死生観が両者を対立的に捉える観念的なものにとって代わられている文明社会では生と安全・衛生・効率をリンクさせる傾向が甚だしく拡大しています。自らの命は、死産の多かった昔は生まれながらに亡くなった兄弟の命と関連され、また医療の未発達の当時、幼くして命を全うしたものの命と強く意識関連されていたものです。又、家畜を殺して肉を食べることが残酷と思う現代人は命そのものに対する尊厳の意識が希薄なのです。 
しかし、その事を『命の尊さ』という言葉を唱える事で隠蔽していることすら気づかない鈍感さに安住しているのだと思います。家畜を捌きながら、その死が自分の生を支え、食べると言う行為が死を生にリンクさせるものであることに気づかずにはいられなかった昔の人は懇ろに死をとむらったのでした。『命の尊さ』とはそのようなものです。今の私達が思い描くものとは隔たりがあるのですが、自分たちが不幸な人生を送っていることに気づかない所に私達の文明のどうしようもなさがあるのです。『命の尊さ』の教育とはお説教したり、道徳の授業を増やすことで解決すると思う方が圧倒的で、新聞の投書欄にステレオタイプの意見が並びます。しかし、私は本来『ゆとり教育』こそが『命の教育』の展開の場であったと考えていました。しかし現場の教師は揃いも揃って知恵の欠片も、本物の知性が欠如していて、挙句は学力不足の真犯人の扱いを受けるバッシングが愚かにも日本国中狂った様に展開されています。例えば、鳥山敏子氏は彼女の小学校の授業で家畜を飼育しそれを捌くという授業を展開していました。その作業を通して『生と死』、『命の尊さ』『食べる事と生きる事』、『生きとし生けるものの繋がり』等を学ぶのです。なぜ、第2、第3いやもっと多数のの鳥山先生が出て来ないのでしょうか?それ程、鳥山氏の行動は突飛で非常識なものでしょうか?残念ながら、残酷と考える人が多すぎるのです。それ程まで事態は深刻なのです。しかし、この残酷と言う感情が、実は様々な幼女殺し、年少者殺人の温床になっている事にお気づきでしょうか?上記の論旨展開でお分かりと思います。現代の日本人は命を尊いと思っていないのです。観念的に思おうとの振りをしているだけなのです。『自分たちは血を見るような残酷な場面は見たくない、誰かが家畜を殺してくれれば助かる、おいしい肉は食べたいから』これが本音だと思います。平均値の意見でしょう。だから、貴方たちに代わって殺人する人が存在してしまうのです。命の尊厳なんてだれも体を張って実戦していないのです、掛け声だけでしょう。

 様々な子殺し、親殺し、少年の犯罪が起こる度に『教育の荒廃』が声高に叫ばれますがピントはずれの意見です。寧ろ起きて当然の事が起きたのだと私は思います。愛知県の豊川で犯人はアスペの少年と報道された事件で彼は『人が死ぬとはどういう事なのか知りたかった』と動機を語っていました。『アスペの子だから犯罪が起こった』と言う指摘は半分はその通りだと思います。結論を速まらないで下さい。私が言いたいのは昔のような『死と生』に関する教育システムが在れば、誰よりも原理原則の理解に一途なアスペの子はそれ以外の子より理解が深くなり命と言うものを根源的に学べた筈だ。しかし、親をはじめ教育者(彼の父親は教師です)も大事なのは知識とばかりに、一番大切なものを彼に教えずに、観念的スローガンを教えるだけで、彼を上辺だけの知識の詰め込みに駆り立てたのです。「『命の尊さ』と言う言葉を彼は嫌と言うほど説教され、教えられたから起こった事件だ」との指摘がない事にかえって現代日本社会の恐ろしさ、不気味さを感じるのです。誰も『命の尊さ』を彼に真剣に教える人が居ないから起こった事件だと思います。自分で試して考えるしか手立ては無かったのでしょう。実に悲しい事実です。なぜ人を殺したり、命を粗末に扱ってはいけないのかをきっちりと説明する事が周囲の大人たちの責任だった筈です。
                

他の生物・存在と自分が切り離され独立したものではなく繋がり合って関係性のあるということを
道元は「他己」(たこ)と呼んでいます。それはもう一人の自己でもあるとの認識だと思います。
命を繋ぐことの意味を考えながら金子みすヾの詩の世界をご堪能下さい。


               
   
              星とたんぽぽ
                

            青いお空のそこふかく、
            海の小石のそのように、
            夜がくるまでしずんでる、
            昼のお星はめにみえぬ。
            見えぬけれどもあるんだよ、
            見えぬけれどもあるんだよ。

            ちってすがれたたんぽぽの、
            かわらのすきにだァまって、
            春のくるまでかくれてる、
            つよいその根はめにみえぬ。
            見えぬけれどもあるんだよ、
            見えぬけれどもあるんだよ

命の繋がりを考えながら……この文章を闘病明けの2ヶ月ぶりの投稿記事と致します。

2009/9/18(金) 午前 3:34


 転載元記事    http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/49110352.html


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