平成23年度 比叡山中学校・高等学校 海外研修

ニュージーランド オークランド ホームステイ
現地での様子などをお伝えします。

私の1回目の引率 意見を言う重要性

2012年02月29日 17時34分07秒 | 日記
 国際交流委員長の高尾です。今日からは少し私の海外研修の引率経験について紹介させていただきます。
 私はこれまで、本学園の海外研修の引率を3回経験しています。本学園の海外研修は約20年の歴史の中で、世界情勢を考慮しながら行き先を変更してきましたが、実は私は3回の引率ですべて違う国を訪れています。1回目はアメリカ、2回目はオーストラリア、そして3回目はカナダでした。
 1回目の引率は1999年の夏休み。私もまだ27歳の若さでした。初めての引率だったため、本当に生徒と一緒に楽しんだことを覚えています。行き先はアメリカのシアトル郊外のモンテサノという街でした。モンテサノという街の名前が面白かったので、その由来を尋ねてみました。その地に住んでいた先住民の酋長の名前がモンテといい、そのモンテには美しい娘がいたそうですが、若い男たちがその娘と結婚させてほしいと次々にモンテに頼みに来たのですが、モンテは絶対に認めず、「ノー」と言い続けたそうです。モンテが、ノーと言う。モンテが、言う(セイ)、ノー。モンテセイノー。モンテサノ!なんですって。面白いですね。
 モンテサノは信号が一つしかない非常に小さな街で、その街の教会をstudy centerとして、約3週間滞在しました。私が滞在させていただいたご家庭は男性2人だけのご家庭で、その2人は兄弟や親戚ではありませんでした。しかも夜は1つのベッドで一緒に寝ていました…。いろんな価値観があるのだなと勉強になりました。もちろん私は元気で無事に帰ってきましたのでご安心を!
 食事に関しては、いろんな点で、やはり日本が世界一だと思いました。彼らは本当によく食べますし、カロリーが高そうなものばかり。もう少し健康のことを考えたらいいのに、と真剣に思いました。食事の後には大量のアイスクリームも…。忘れられないのは、ステイ先のジョージが言った言葉です。「I don't want you to be hungry.(俺はお前に空腹になって欲しくないのさ)」若かった私はまだ断ることを知らず、案の定、私はめちゃくちゃ太って帰ってきました。
 私のステイ先の男性2人は映画が大好きで、平日の夜も、休日も、よく映画を見に行きました。私も嫌いではありませんが、しかし皆さん、映画館で、1日に映画を2本、見ますか?あまりないのでは…。若かった私はまだ断ることを知らず、かなり辛かったのを覚えています。
 そうなのです。まったく悪気はないのですね。私を喜ばせようとしてくれているのです。それがわかるから、私も断ることができなかったわけですが…。ちゃんと自分の意見を言う必要性を学びました。
 さて、皆さんはニュージーランドでどんな経験をするのでしょうか。楽しみですね。
 くれぐれも、自分の意見はしっかり言いましょう!

 

短期留学の思い出

2012年02月28日 17時39分52秒 | 日記
 国際交流委員長の高尾陽平です。せっかく開設されたブログなので、私のこれまでの経験をいくつか少し紹介させていただこうと思います。
 私は若い頃に約1ヶ月間、オーストラリアに短期留学をしました。ブリスベンにあるクインズランド大学で、アジア各国からの留学生たちとともに、英語の教え方について学ぶという内容でした。私にとっては初めてのホームステイでしたが、非常に多くのことを学んだ、有意義な時間だったことを覚えています。そのときの経験が、現在国際交流委員長として海外研修等の企画や運営にあたる原点になっています。
 私を受け入れてくれたご家庭は、なんと日本人の受け入れは15人目でした。「陽平」は2人目でした。家に到着し、家の中を案内してもらうと、日本人形や扇子等、それまでの留学生たちからのお土産だと考えられるものが家中に置かれていました。事前にそういうこともあると聞いていたので、私は、いろんな使い方が可能な風呂敷を買っていました。テーブルクロスにしてもいいし、壁に飾ってもいいし、スカーフ的に首に巻いてもいい、とホストマザーに話すと、非常に喜んでくれました。
 そのご家庭には子供たちが3人いました。長女のハンナは中学生で、地域の体操クラブに入っていて、いつも遅く帰って来ました。次女のジュリアは小学校高学年でしたが、すでに両耳にピアスをしていて、文化の違いに驚きました。長男のポールは小学校低学年で、一番よく一緒に遊びました。ある日リビングでポールが宿題をしていたので、どんな宿題なのかと聞いてみると、学校の日本語の授業で昔話の「雪女」の話を聞いて、雪女の絵を描いてくることが宿題なのだというのです。絵を見てみると、まあ、すごい。巨大な雪女が口から火を吐いて、高層ビルを踏みつぶしながら暴れてるのです。私は、このまま放っておいてはいけないと思い、雪女の話を思い出しながら、ポールにゆっくりと話して聞かせました。しかし結局彼の絵は、口から吐く火がなくなっただけで、あまり変わりませんでしたが。
 またそのご家庭には、台湾からの留学生もいました。ハロルドと名乗っていましたが、彼は私に大学への行き方や大学内の施設についていろいろ教えてくれ、非常にありがたく感じました。彼の話す英語はお世辞にも上手とはいえませんでしたが、とにかくよく話す、よく話す!日本人は間違いを恐れてあまり話さないと言われますが、彼のように、間違いを恐れずにどんどん話すべきなのだということを学びました。確かにそうです。たくさんシュートを打つ練習をして、たくさんシュートをはずす経験もしなければ、シュートはうまくなりませんね。
 ナイフとフォークの正しい使い方を学んだのも、このホームステイのおかげでした。最初は何も考えずに適当にナイフ1本で食事をしていましたが、家族の作法を見ているうちにだんだん恥ずかしくなり(だれもそんな適当な食べ方はしていないのです)、さりげなく家族の作法を見て覚え、徐々に自然に食事ができるようになりました。
 また、こんなこともありました。タクシーに乗ろうとしたとき、日本と同じように後部座席に乗ろうと待っていると、いつまで待ってもドアが開きません。「どうなっているんだ」とムッとしていると、「オーストラリアでは助手席に乗るものだ」と言われました。結局助手席に乗り、目的地に着くまでずっとドライバーと話していました。日本でそんなことをしたら…少し変わった人ですよね。
 帰国する日、ハンナやジュリアはあっさりと「バーイ」というだけだったのに、ポールは家の前で「帰るなー」と言いながら私に抱きついて泣いてくれたことも忘れられません。
 あれからもう20年近く。ポールももう30歳手前のはず。どうしているんでしょうか。またいつか訪れてみたいと思いながら、まだその思いは叶えられていませんが。
 きっと生徒の皆さんも、この海外研修でこのようないろんな経験をするでしょう。それらはすべて、良いことも悪いことも含めて、すばらしい人生の宝物になりますよ。

 

結団式が行われました

2012年02月25日 12時12分35秒 | 日記
 2月25日(土)午前10時より、比叡山高校視聴覚室において、結団式が行われました。
 松村校長の挨拶の後、高尾国際交流委員長からこれまでの事前学習について報告。
 そして参加生徒による英語でのスピーチ。今年は単なる自己紹介ではなく、自分の好きなことについてそれぞれスピーチをしました。趣味の話や、家族の話に、将来の夢。とてもよいスピーチばかりで、非常に楽しめました。生徒の皆さんにとってもとてもいい経験になったことでしょう。よくがんばりました。
 その後、出発や帰国の連絡、現地滞在中の行程や持ち物等についての注意事項の後、いよいよホストファミリーの発表。年齢の近い子供たちがいるご家庭や、ペットが非常に多くいるご家庭など様々で、みなさんさらに期待が高まっている様子でした。
 そして最後に代表生徒が挨拶。水田教頭から延暦寺のお守りが記念品として授与されました。
 出発まであと約2週間。さらにいい準備をして研修に備えてほしいと思います。