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世界文化遺産高野町石道を歩く

空海の御母堂の眠る世界遺産慈尊院から空海の眠る奥の院御廟までの道を歩いた記録です。

第1回 空海御母堂の眠る慈尊院から丹生都比売神社へ その1  2014年9月11日

2014-11-06 23:32:15 | 世界遺産高野山町石道を歩く

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されてから 今年で10年になる。それを機に 今年は 「熊野参詣道小辺路」と「熊野参詣道中辺路」を歩いた。 



今度は約10年ぶりに同じく世界遺産の「高野山町石道」を再び歩いてみようと思った。 



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その1 慈尊院から丹生都比売神社へ



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ピンクのラインが予定のコース。九度山町内の町営無料駐車場から歩き出した。なお近くには道の駅九度山もあり、そこでも駐車できる。



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川沿いのきれいな駐車場。南海電鉄九度山駅から歩いて5分くらいだ。



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歩き出してしばらくすると古い町並みに入る。この街は真田幸村ゆかりの街で町中に「真田六文銭」の旗が立っている。



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レトロなお面を飾った不思議な家もある。



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この橋は「慈尊院橋」でこの向こうが世界遺産慈尊院だ。



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山門には大きく「世界遺産」とかかげてある。



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ここは空海の御母堂が、住んでいた場所だそうだ。空海が開いた高野山は女人禁制とした為、御母堂は息子空海に会いにいけず、ここで空海が山から下りてくるのを待ち続けたという。



あるときあまりの会いたさに 高野山への山道を歩いて会いに行こうとして途中で連れ戻されたという。空海はそれを聞いて「そんなに私に会いたいのなら、私は必ず月に九度、山から降りてきてお会いします」と言ったのが「九度山」の地名の始まりだとか。



御母堂は今もここに眠る。



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有吉佐和子の小説「紀ノ川」で有名になった「乳型」の奉納。



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沢山の「おっぱい」が奉納されている。



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慈尊院の境内奥に石段があり、ここを上ると丹生官省符神社がある。



石段途中の右に見えている石柱が町石だ。



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「百八十町」と読める。これはここから高野山壇上伽藍までの距離だ。180町ある事を示す。約18キロの道のりだ。



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古く大きな神門のような 拝殿のような建物だ。賽銭箱が正面に置いてあるから通り抜けは出来ない。



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拝殿から本殿を望む。神社の看板で主祭神 を見ると 四柱ありこれから行こうとしている 丹生都比売神社と全く同じだ。



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神社の横手から町石道へ出たら、「百七十九町」の町石がある。



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柿畑の中を登っていく。勾配はかなり急だ。



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ややこしい分岐があった。左の道に町石があるので そちらへ進むと少し登ったら行き止まりだった。10年前に歩いたときの記憶は無くなっていた。



よく見ると右手に看板があり、右の道へ進むように書いてあった。 



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新しくて広い道路を横断する。向側に町石が「おいでおいで」をするように立っている。



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なんとこの町石道に熊が出るらしい。わざわざ九度山町が張り紙をするくらいだから、目撃情報があるのだろう。



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きれいな竹薮の中の道を進む。



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やがて展望台に出た。足元の九度山の向こうの街は橋本市だ。紀ノ川は少しにごっている。



※和歌山県では紀ノ川だが、上流の奈良県では吉野川だ。



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二十五町くらい歩いたあたりから山道になる。



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「萱撒き石」と看板があった。昔空海がこのあたりを通りかかった時に、このあたりの集落のあまりの貧しさに 哀れんでこの石の上から萱の種を撒いたそうだ。



萱の実は油が取れて、現金収入になるし、萱の木は非常に硬く 大きくなれば建材や碁盤として高く売れるらしい。



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道は植林帯の中を進み、緩やかに登っている。相変わらずきれいな道だが標高は500メートルくらいまで登ってきている。



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石仏に沢山のお賽銭や供え物がしてある。さすがに祈りの道だ。



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崩れた道の補修も気を使っている。石材を小割するのにも 中辺路のように削岩機で穴を開けた跡は全く無い。歩いていても 気持がいい。



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石段が現れた。正面が明るくなってきた。峠は近そうだ。



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峠に着いた。「六本杉峠」だ。



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ここの分岐もややこしい。標識をいくつか読んでよく考える。



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丹生都比売神社への山道をどんどん下ると、田んぼに出た。



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田んぼの中の道をしばらく歩くと 鳥居が現れた。世界遺産の「丹生都比売神社」だ。



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その2 「丹生都比売神社から上古沢駅」へ続く



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第1回 空海御母堂の眠る慈尊院から丹生都比売神社へ その2 2014年9月11日

2014-11-06 23:31:39 | 世界遺産高野山町石道を歩く

その2 丹生都比売神社から二つ岩を経て上古沢駅へ 

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この鳥居を潜ると正面に大きな橋が見える。

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「輪橋」という名前の橋らしい。

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輪橋を超えて それに続く「禊橋(みそぎばし)」をわたると建物が見えてくる。

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本殿は修理中で素屋根とシートがかかっていて見えないが、第一殿から第四殿まで四棟あるらしい。

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第一殿 だけが修理が終わり 姿を現していた。熊野をはじめ 物部関係の神社の千木は横削ぎだが、ここの千木は立て削ぎで出雲式だ。

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この世界遺産の神社の縁起を読んで びっくりした。

第一殿に祀られている丹生都比売は稚日女尊(わかひるめのみこと)ともいい その昔紀の国に降臨されて農耕などを広められた神様と書いてある。

稚日女尊とは稚日女貴(わかひるめむち)とも呼ばれた ヒミコの娘のトヨのことである。徐福子孫の九州物部家のイニエ王は大和への第二次東征をすべく筑後から薩摩へ南下して地元の阿多津姫との間にイクメ御子をもうける。その後日向へ回り、宇佐の豊王国の豊玉姫(いわゆるヒミコ)を后にし、豊彦と豊姫をもうけて物部豊連合王国をつくる。

日向の地で若くして世を去ったイニエ王の意思を継ぎトヨタマヒメはイクメ王を先頭に第二次東征を決行するが 安芸の宮島で病に倒れて亡くなる。イクメ王は河内に上陸して生駒山を越えようとするが 物部第一次東征で大和に誕生した磯城王朝の反撃で足止めを食う。

トヨタマヒメの喪を終えてトヨタマヒメの息子と娘の豊彦と豊姫は生駒のイクメに合流して大和入りし物部王朝を打ち立てる。豊彦と豊姫は豊王国から来たので豊来入彦、豊来入姫といわれた。この紀の国の地を通ったであろう 稚日女貴とよばれた豊来入姫はその後桜井市の桧原神社で月読みの神を奉じて人気を得る。

丹生都比売はその稚日女貴、豊来入姫なのである。

後の三柱は後の世の権力者が勧請したものらしい。徐福(ニギハヤヒと和名を名乗る)のお后の宇佐宗像三姉妹の末姫、市杵島姫(いちきしまひめ)もあった。

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鏡池の向こうには先ほどの輪橋が見える。

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世界遺産を売りにしているので 大きな看板が出ている。この後この神社の向かい側の地元天野の地元産品販売所の休憩コーナーでお弁当を食べて再び歩き出す。

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しばらく田んぼ道を進むと やがて分岐が出てくる。ここから八町坂が始まり高野山町石道へ再び登るのだ。

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急な登り道が続く。

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やがて「二つ鳥居」に到着する・ここで町石道に再び戻ったのだ。この二つ鳥居は もともと空海が木造で作ったものだが 鎌倉時代に今の石造に作り変えられたのだという。

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町石道を九度山のほうに戻るとすぐ休憩所がある。

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休憩所から眺めると 先ほどの丹生都比売神社のある、天野地区が見える。

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町石道をしばらく引き返すと「古峠」に出た。ここが分岐点だ。

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古峠分岐表示を確かめてから、上古沢駅へ向けて山道を下り始めた。

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植林帯の中をジグザグに急降下する。

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やがて上古沢集落が見えてきた。

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またしても柿畑の中を通る。このあたりは柿の名産地なのだ。

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やがて足元から車の騒音が聞こえてきた。見下ろすと「カジカドライブイン」だ。橋本市から高野山へ高野山道路を通ると途中に昔からある みやげ物やさんだ。ここに出てくるのだ。

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はるか谷の向こう側に 上古沢の駅舎が見えてきた。ここと駅舎の間には深い谷があり、川の水音がしている。

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急降下で谷底へ降りて、橋を渡る。ここから再び登り返すのだ。

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急坂を登り返す。すごく急な坂道だ。しかも狭くて車が通れない。付近の家に住むお年寄りはどうしてらっしゃるのだろう。

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駅のホームから上古沢集落と 町石道の尾根を振り返る。あの奥の山の向こう側に「丹生都比売神社」があるのだ。あの山の向こう側から 山を越えて谷底へ降りてまた這い上がってきたのだ。こうしてみると なかなかタフなコースだったなあ。

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南海電車で九度山駅へ向かう。高野山から降りてきたので外人が多い。

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九度山駅に到着した。満開の花と、真田幸村の看板に出迎えられた。

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今日歩いたコースの実際の記録。

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高度と距離の記録。類型の高度差は700mで歩いた距離は約15kmだった。

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先日歩いた熊野古道中辺路の最終熊野灘コースの山中でひっそりと咲いていた蔓穂(つるぼ)は町石道の日当たりのよいあちこちで 満開だった。いろんな環境下で生きるやつだ。

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九度山から登り始めた山道の両側に 韮(にら)の花が群生して道の両側が真っ白になるほどだった。

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宮城野萩(みやぎのはぎ)が丹生都比売神社近くの山道にたくさん咲いていた。 三枚の細い葉が特徴で、普段丸葉萩を見慣れているから 新鮮だった。花も大きい。

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丹生都比売神社近く道の両側に ガガイモの花が咲き乱れていた。こんなにたくさん咲いているのを見たのは初めてだ。

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第2回 上古沢駅からゴールの壇上伽藍へ その1 2014年9月30日

2014-11-06 23:28:55 | 世界遺産高野山町石道を歩く

前回は町石道の古峠から、南海高野線上古沢駅へ引き上げたので、今回はその続きを歩く。 

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その1 上古沢駅から降る峠へ出て 矢立まで。 

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ピンクのラインが歩く予定のコース

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今日は一気にゴールまで歩く予定だ。

※地図は南海電鉄のハイキング地図よりコピーした

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前回と同様に九度山町の駐車場に車を止めて電車で上古沢へ。

ここでいきなり外国人(イタリア人らしき美人のお姉さん達)に町石道の方向と距離、所要時間を尋ねられた。私の下手な英語で一通り説明したが、はたして20キロの道を歩けるのかどうか。

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電車に乗り込む。車内も外国人が多い。

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上古沢で下りたのは私一人だった。

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駅から眺めた上古沢集落とその向こうに見える尾根は、町石道だ。一旦集落へ降りてから、あそこまでまた登るのだ。

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町石道への道しるべは、親切に標識が取り付けてあり、迷うことはない。

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大きな音がするので振り向くとちょうど橋下方面(左へ)へ電車が通過中だった。

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見覚えのある道をジグザグに急角度で登り、高度を上げる。約550メートルを一気に上るので かなりきつい。

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古峠に到着。駅から1時間半かかった。町石は124町だ。

ちなみにスタートの慈尊院が 180町でゴールの壇上伽藍根本大塔が1町。

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休憩所で一息入れる。

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この前尋ねた丹生都比売神社のある天野集落を見ていたら、この左手の「八丁坂」から一人の男性が上ってこられた。

聞くとその方は 南海電車紀伊細川で降りて町石道へ登り、丹生都比売神社へ行き また戻って来たという。今日の予定はこれで終わりなのでまた明日 続きを歩くという。

「これから電車の駅へ戻るのは 1時間半くらい時間がかかるので、それならその時間を歩けば 大門の近くまで行ってしまいますよ。ご一緒に歩きましょう」というと あっさり同意されて、ご一緒することになった。

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駅から山道を登る途中で道に落ちていた栗の実。おいしそうだから 持って帰ろう。

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二つ鳥居を過ぎる。

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白蛇の岩を過ぎるあたりから、ぼちぼちとんでもない風景が始まるのだ。

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世界遺産の町石道のすぐ下が なんとゴルフ場のなのだ。

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ティーグランドのすぐ横を通る。

(馬鹿じゃないの和歌山県は、世界遺産の参詣道をこんなことして)

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さきほどのティーグランドは たぶんフルバックなのだろう。レギュラーティーとレディスティーは この世界遺産の参詣道を歩きなさいと書いてある。やっぱ和歌山県は馬鹿ですよ。こんなことして。

こんなことしていて よくユネスコの世界遺産審査委員会に通ったなあ。

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町石道を歩いていくと ティーショットの最中だ。みんながこっちをじろりとにらむので 少し待ってやった。へたくそがチョロをうちOBになったので思わず笑いそうになったが 懸命にこらえた。

チョロが終わったので、再び歩き出しても「待っていただいてありがとうございました」の一言も無かったなあ、もちろんキャディーからも。

マナーも礼儀もわきまえない連中にとっては 「世界遺産の参詣道」なんてどうでもよいことなんだろう。だから和歌山県職員も程度が低いのだろうなあ。

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神田地蔵堂でハイカーが一人休憩していた。もちろんここもゴルフ場のすぐ際だ。

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右手はまだゴルフ場である。30町以上ゴルフ場が続く。

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終には防護ネットで 世界遺産の参詣道の巡礼者を保護する場所に出た。

「ゴルフボールに注意」と書いてある。やはり和歌山県は馬鹿だ。どうしてこんなことを許可するのだろう。コース設計のときに 最低20~30メートル道から離してコースを作れば済む話なのになあ。

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笠木峠で上古沢駅への道が分岐する。こちらの山道を駅から登ってくれば先ほどのゴルフ場の中を通らなくてもいいのだ。

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この63町石を見る頃から車の音が聞こえてきた。道路が近いのだ。

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道路が左手の道の下に見えてきた。

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61町石で道路に出そうだ。

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その2へ(壇上伽藍へ) 続く

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第2回 上古沢駅からゴールの壇上伽藍へ その2 2014年9月30日

2014-11-06 23:25:44 | 世界遺産高野山町石道を歩く

その2 矢立から大門を経てゴールの壇上伽藍へ 

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山から下りてきたら 国道に出たところに「60町石」が立っている。

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このあたりの地名は「矢立」と言う地名で、国道を横切ってこの山道へ入っていく。ちょうどこの角に「矢立茶屋」の建物があり、沢山ベンチが置いてあり、「ご自由にお使いください」と書いてあったので お昼ごはんを食べた。

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この方がとちゅうから同行している方で、私がお弁当を食べている間 先行して歩かれて、私が後で追いつくことになった。

この方は甲斐の国から来られて、四国88箇所のお遍路さんを完走し、お大師さんに結願報告をしに、町石道を歩かれているのだ。

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押し上げ岩を通過する。

昔はこの表参道は女人禁制だったが、空海の御母堂が息子に会いたさのあまりこの道を歩いて高野山へ向かっていたら このあたりで突然の雷雨となり、空海がこの岩を持ち上げて母親をかくまったという。

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再び国道を横切って向こうの山道へ入る。

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なんとこのあたりは熊出没情報があるというので、リュックから熊よけベルと鈴を取り出して取り付けた。

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三度国道に近ずくが、今度は渡らずに そのまま下へ歩いていく。間違えそうだ。

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町石道はスタートしてしばらくは 柿畑など 見て歩いても楽しいが 大半の道は 杉ヒノキの植林帯で 見通しは悪く面白みが全く無い。自然の森ならいろいろと歩いていても楽しいが、この町石の数字が減るのだけが 目的地に近づいている証拠だ。

先ほどのゴルフ場の中を歩くのも、この道があまりにも単調なので和歌山県が気を使って、参詣道に変化と 娯楽性を出す為に あえてゴルフ場の中を歩くようにしたのかもしれない。

それにしても 参詣道の両側数十メートルは 自然の森を何故残せなかったのか。林野行政の失敗なのか 和歌山県の無知のせいなのか。

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木の橋が何箇所が連続して現れると 大門はもうすぐだ。

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急坂のジグザグ道を上り詰めると、向こうに道路が見えてきた。

さあ、いよいよ高野山だ。

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大門到着だ。残念ながら修理の為足場を組み立て中だ。

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足場の組み立てをしている方にお願いして、「阿形像」を拝ませていただいた。

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大門を潜らせてもらう。その奥には「六町石」があった。あと600メートルだ。

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街中の池にはまだ睡蓮が咲いていた。ここは標高900メートルの山上なので今頃睡蓮が咲くのだろう。

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街中を歩いていく。道路わきにさりげなく 町石が立っている。

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壇上伽藍の策に木製の案内看板が立っている。「一町石はこの奥」と書いてある。

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壇上伽藍の林の中に 一町石があった。ゴールに到着だ。

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金堂の周りにも 工事用の仮囲いがあり 中は覗けない。ちょうど「大門発高野山駅行き」のバスがやってきた。バスの本数は少ないので、あわてて飛び乗った。ドイツ人らしいグループが「駅へ行くのか」と聞くのでそうだと答えると みんなで乗り込んできた。

甲斐の国からこられた巡礼の方を 町石道の途中で私が追い越したが、その方は大門で間に合ってバスに乗っていた。

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ケーブルカーで 「高野山駅」から「極楽橋」へ向かう。

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先ほどバスで一緒だった外人グループも、乗り込んだ。

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朝スタートした「上古沢駅」で 対向列車すれ違い待ちのため長いこと停車していた。あの見えている山並みへ この駅から1時間半かかって行ったのだ。遠いのでそのくらい時間がかかるのだろうなあ。

甲斐の国から来られた巡礼者とは、九度山の駅で別れた。その方は九度山役場に駐車していて、今夜は「道の駅九度山」で泊り、明日は「高野三山女人道」を歩くそうだ。

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実際に歩いた記録。ゴルフ場の中を歩いたのがよく分かる。

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登った標高差は約850メートル、歩行距離は約17キロ、所要時間は6時間で そのうち30分のお昼休みを含む。

上古沢駅から降る峠までの急坂と大門直下の急坂がよく分かる。

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第3回紅葉の道を歩く その1極楽橋から京大坂道、女人道で大門へ 2014年11月4日

2014-11-06 21:31:17 | 世界遺産高野山町石道を歩く

紅葉にもえる高野山を歩いた。今回は極楽橋から大門へ歩き、その後町石道で壇上伽藍根本大塔のゴールへ。更に町石道を辿り、空海の眠る弘法大師御廟まで歩く。 

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その1 極楽橋から京大坂道で女人堂へ、更に高野七口女人道で大門へ 

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01

極楽橋から女人堂までが「京大坂道」で、女人堂から大門までが「高野七口女人道」である。

江戸時代までは高野山山上域と表参道の「町石道」は女人禁制だったので、その他の参詣道は七つあったそうである。それぞれの参詣道を登り詰めた所には それぞれ「女人堂」があり、女性はそこで祈りをささげたという。

現在女人堂が残っているのは、京大坂道の終点の女人堂だけである。

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1

今回は九度山町役場に駐車して 電車で極楽橋へ。

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2

南海電車は満員で、半分くらいは外人観光客だ。みなさん電車を降りてそのままケーブルカーへ移動するが、私は改札を出て山道へ。

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3

駅を出てここをユーターンして渡り廊下の下を潜る。

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4

しばらく歩くと「極楽橋」が見えてきた。

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5

お坊さんにご挨拶してから 橋を渡る。

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6

振り返ると回り野山は紅葉が始まっている。この先が楽しみだ。

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7

山道は歩道ブロックが敷き詰めてあり、歩きやすい。この県道は大正期に整備されたそうだ。

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8

山道は所々に眺めの良い場所があり、山の紅葉が楽しめる。

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9

明るい道を紅葉を楽しみながら歩く。

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10

左分岐の道が昔の「不動坂道」らしいが、「熊が出ます」と繰り返し警告してあるので、山道はを歩くのは気味が悪いので あわてて熊よけの鈴とベルを付ける。

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11

橋を渡るとお堂が見える。「清不動堂」だ。

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12

熊に注意の標識は繰り返し出てくる。

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13

少し昔の「京大坂道」を歩いてみた。

いかにも熊が出そうな自然樹林帯の笹薮地帯だ。

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14

ここで山道は右からの舗装道と合流する。

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15

このあたりは、花折坂というらしい。古めかしい石仏があった。祈りの道だ。

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16

周りの山は自然の森で紅葉がきれいだ。

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17

紅葉を見ながらどんどん登っていく。

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18

やがてバス道に出た。南海バス専用道路だ。右は駅だが車両や人は入れないので左へ進む。

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19

すぐに女人堂に到着した。中では沢山の女性がお祈りしていた。

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20

女人堂の前の大きな仏像に 山道の安全をお祈りした。

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21

ここからは左の山道の「高野七口女人道」を登る。

昔あった七つの参詣道の終点の各女人堂を結ぶ道だ。

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22

女人道にも「熊に注意」の看板が繰り返し出てくる。

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23

すぐに弁天岳到着だ。

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24

右の休憩所でお弁当を頂いた。

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再び歩き出すと、女人道から大きな塔が見える。

あれが壇上伽藍の根本大塔で町石道のゴールなのだろう。

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女人道には所々に眺めの良いポイントがある。これは西側の山並みだ。

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27

この道は高野山に入れなかった 信心深い女性たちの祈りの道らしく、みちのあちこちに 石仏や祠がある。

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昔ここで休憩した「お弁当広場」も健在だった。

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29

鳥居の続く道をどんどん降りていく。

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30

下から沢山の人たちが登ってきた。道が狭いので脇に寄ってやり過ごす。

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31

外国人(もちろんヨーロッパ人である)の団体ツアーで口々に「アリガトウ、コンニチワ、」と声をかけられた。

マナーの悪い朝鮮半島からの観光客は絶対にお礼を言わないし、支那人は こんな山奥に来ない。 もっとも日本人でも こちらから挨拶をしても知らん顔して不機嫌な顔をして黙って通り過ぎるような気分悪いやつは 最近多いけど。

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その2へ続く。(奥の院弘法大師御廟へ)

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