三食昼寝つき

映画・ドラマ・本・ニュースなどで感じた事を、
「思うがまま、ありのまま」綴ります。

男のプライド 女の変化球

2006-04-15 19:20:32 | 読書感想文

相方と一緒に住むようになって改めて思ったことがある。

「男って、ホントプライドを支えに生きてるよね」 と。


100%の男がそうとは言わないけど、他人からの評価に敏感で、

常に自分を「上に上に」見せようとしている人が多いように思える。


「女にいらだつ男 男にあきれる女」 伊東明 著

という、心理学者の書いた本でそこらへんの事情が書いてあり、面白かった。


何故 男が高いお金を払ってホステスの女性と話をするのか?(風俗でなく)

それはホステスの会話が”賞賛・賛美”してくれるもので、

男のプライドを持ち上げてくれるものだからだそうだ。


男は物心つくようになると「人より上に立ちなさい 負けないようにしなさい」

というメッセージを親から暗黙のうちに伝えられながら育つので、

大人になっても他人より下位になることを「脅迫的に恐れる」ようになり、

批判されれば過剰に落ち込み、悲しみ、批判した人間を怒るなど攻撃的になる。


男の会話スタイルは「勝負型」で、どちらが上かを証明しようとするものらしい。

(ちなみに女の会話スタイルは「共感型」だそうだ すんごい納得



ウチの単純すぎる例で言えば、 「○○なんだって」 と相方が言った後、

私が 「知ってる 雑誌で見た」などと言うと、途端に不満そうな口ぶりになる。

(新しい情報は自分が先に知っていたいらしい)

私が「○○って凄いよね~」とテレビの中のお金持ちを見て言えば

「どうせこっちはしがないサラリーマンですよ」 などとしぼんだ声を出す。

(誰も、比べてないって!と目が点になる


正直めんどくさいなあと思うこともあるけれど、そこで批判に転じては

長引くしこっちの気分も悪いので、適当に「持ち上げる」と一応収まる。

やっぱりめんどくさい


だけど、この本によると、女も充分めんどくさい生き物のようだ

若い女、若くない女に関わらず、

「ねえ、ちょっとこの部屋暑くない?」

と、発言の最後に疑問符をつけて相手に問いかけることは多々あるように思う。


そしてそれは女にとって「暑いからクーラーでもつけようよ」同義語であるという。

自己主張したい時に疑問文を使うのは女の会話スタイルの特徴の一つらしい。


「人には優しく 皆と仲良く 思いやりのある子になりなさい」

などと他者との強調を子供の頃から暗黙のうちに親から伝えられた女は、

相手の気持ちを損ねるのを無意識に恐れてストレートな表現を和らげた表現

を使いやすいのだという。 (結論を相手に委ねる形で)


なので、 「ねえ、デザート食べたくない?」変化球で同意を求める女は、

「いや、デザートはいらない」直球でただ質問に答えた男に対し、

「どうして私の気持ちを判ってくれないの?」と不満を生む結果になるらしい。

(男からすれば、「食べたいならそう言えよ!」ってなもんかも)


私も恋愛の時には疑問文をやたら使っていたなあという感じがする。

結婚してからも、減りはしたけど疑問文はなくならない。

好き放題に生きてるようでも、なかなか直球ばかりは投げられない


だけど、プライドは高く、直球勝負な男にも、疑問文を使う場面はある。


「今度飲みに行かない? ウチに寄っていかない?」

などの、ナンパ・誘い・口説き などがそれらしい。


弱者を装い、決定権を女に委ね、断られたダメージを軽減しよう

という心理がそうさせているという。


どこまでもプライドが大事な男達なのだ

今が売り時?

2006-04-06 13:36:18 | 読書感想文

今さらながら、「蹴りたい背中」 綿矢りさ著 を読んだ。


言わずと知れた、綿矢りさが19才にして芥川賞を受賞した本。


図書館で  推定60代のオバサマ  が2冊あったウチの1冊を手に取り、

「あら、これ読んでみたかったのよ」

と10代が書いた本に興味深々で借りていったことがちょっと意外で、

つられて私も借りてしまったという成り行きはさておき


当時、綿矢りさと金原ひとみの10代2人芥川賞受賞で話題をさらったけど、

あまのじゃくな私は 「出版業界の戦略に乗ってたまるか!

10代が取ったって言えば買うと思ってんでしょ?」 


妙に頑なな態度で手に取ることさえしなかったんだけど、

「まあ、あれから何年も経ってるし、図書館で借りれたならいっか

と高飛車な態度はそのままに読み始めた。


結論から言って、綿矢りさは、 

「ちょっと文章が上手くてカワイイ女の子」ではなかった


レビューを見ると、賛否両論真っ二つ! 「素晴らしい! vs つまんねえ」

本の完成度やら文脈がどうやらの評価はプロにおまかせして、


少なくとも私は、表現力に新鮮な風を感じ、あっという間に完読した。



雑誌AERAによると、去年から今年にかけての各賞受賞者の中には
13歳の子も登場し、10代作家はもはや珍しくないようだ。


第42回文藝賞(河出書房新社)=三並夏(15歳)

第1回野生時代青春文学大賞(角川書店)=木堂椎(17歳)

第4回「このミステリーがすごい!」大賞(宝島社)
特別奨励賞=水田美意子(13歳)


この中の木堂君は、

大学を卒業するまでに作家になれなかったら、諦めようと思っていました」

と言っている。


今や、10代にとって作家とは、遠い未来になるものではなく、

若いウチになっておきたい」職業。


早いウチに自分の生き方を確立したいという姿勢は素晴らしいけど、

勝負は「10代作家」という冠が取れた後なんだろうな。


綿矢りさは、この3月に早稲田大学を卒業したようだ。

彼女も、これからが作家としての「本番」なのかもしれない。

蓮見圭一 「水曜の朝、午前三時」

2005-03-29 11:14:18 | 読書感想文
ネタバレバレ


私的本の面白度 ★★★★☆(5★満点)


<簡単なあらすじ>

1992年脳腫瘍の告知を受けた四条直美は、
危篤に陥る2週間前にニューヨーク在住の娘へ
4巻のカセットテープを送った。


そこには、がんセンターでの日々に加え、
幼少からの回顧録とも言うべき内容が吹き込まれていた-


祖父が「A級戦犯」という家庭に育った直美は、
両親の望む大学に進み、就職(出版社)をした。

許婚との縁談により、
「非難される要素がひとつもない生き方」
が用意されていたのだが、
「自由な時間が欲しい」
「何かしたい」
 
との思いが強まり、両親への「口実」として、
1970年開催の大阪万博
での通訳(コンパニオン)の仕事を見つけ、そして採用された。

両親の反対にも幾度かにわたる説得を続け、
「半年間、万博が終わるまで」
 という条件で、直美は「自由」を手に入れた。


万博の研修中、直美は臼井という男と出会う。
無愛想で、10カ国語以上の言葉を操る「秀才」で、
尚且つ、人を引寄せる不思議な魅力を持ちながらも
決して人に心を開かない
そんな臼井に、直美は惹かれる。

他に恋人のいた臼井だったが、ある交通事故が原因で
恋人とは別れ、万博の仕事も辞めてしまう。

臼井の事が諦められない直美は、臼井の家を訊ね、
やがて2人は付き合うようになるが、
臼井と別れた恋人によって知らされた事実に、
直美は自ら臼井の元を去ってしまうのだが-



<感想>

直美の娘、葉子の夫である「僕」 が直美に関しての「語り手」となり、
回顧録は直美の言葉でひたすら読み上げられていくという物語。


私が生まれる前の話が多かったので時代的背景は想像でしか判らないけれど、
当時の「万博」がいかに人々の心を高ぶらせるものであったかは、
実際に行った私の両親から聞いた事がある。
その万博の「コンパニオン」 といえば、
もう「アイドル」並だったのだろう。
物語の直美は、観客から写真を撮られるのはもちろん、「サイン」をねだられる。

臼井という「背が高く、人目を引く秀才。しかも人を寄せつけない」男は、
確かにモテるだろうなといった印象を受ける。(タイプじゃないけど
私、あなたの事が知りたいの!
ねえ、私にだけは心を開いて!
ってなモンだろうか。

物語の中にはっきりと差別的な発言が、出てきた時、
驚きと共に、その意外な展開に唖然とした。
(登場人物は差別じゃないといい訳してたけど)

こんなん書いちゃって、批判は出ないの?
と、物語とは言え心配になったけど、
当時、今よりも差別意識が強かった
だろうというのは容易に想像出来るし、
免れない現実として、
そこにあったのだろうと、思い直した。


私が特に好きなのがラストシーン

小料理屋のカウンターで語られる、気の利いたセリフ
で終わるラストには、
ひとりの女を愛した過去を懐かしみ、
振り返りながらも「今」を生きる男が描かれている。


もしも、あの時、別の人生を選んでいたら

誰もが一度は思うだろう気持ちを1冊に綴ったような、そんな物語だった。

「This is Paris」 ミロスラフ・サセック

2005-03-21 00:11:31 | 読書感想文
私的絵本の面白度
★★★★★(5★満点)


とりあえず、一目ぼれして、買った絵本だ。


まず、セサックの絵がキュートだというのもあるけれど、
ノートルダム寺院・凱旋門・ルーブル美術館などの「パリの観光地」を案内する
というガイトプラス、町の人々の暮らしぶりが、
たっぷり水分を含ませた水彩絵の具で鮮やかに描かれている。

余白にチョコチョコっと書かれている文章も、ユーモアたっぷりで、
「プププ」と吹き出してしまうようなものが多い。

初版は何と1959年らしいので、
情報の古さは否めないけれど、
最後に現在のパリとの比較がちゃんと書かれてあるし、
それよりも何より、絵を見ているととにかくパリに行きたい病
にかかってしまう。(今、まだ重症

あらすじがあるような本ではないので説明が難しいけれど、
とにかく眺めているだけで幸せを感じられる本だ。

本屋で立ち読み(本屋さん、ゴメン)するだけでも
充分楽しい絵本だと思う。

他にも「サンフランシスコ」「ロンドン」「ニューヨーク」
が発売されているらしい。

私的には、ニューヨーク
が次に読んでみたい。

というか、出来れば全部欲しい


大人買い願望が高まりつつある、今日この頃だ。


梨木香歩 「西の魔女が死んだ」

2005-03-03 18:30:44 | 読書感想文
ネタバレバレ

私的、本の面白度 5点満点 ★★★★★(5点)


「新潮文庫 読者WEBアンケート 第一位 ! 」
「最後の3ページ、涙があふれて止まりません」

の帯につられ、またもや買ってしまった文庫。
「本当に泣かせてくれるんでしょうね?」
と、半信半疑で読み始めた。

物語は、中学生の女の子「まい」が学校生活に悩んだ末不登校になり、
初夏のひと月あまりを「西の魔女」こと母方の祖母の元で一緒に過ごす
日々を中心に描かれている。

この「西の魔女」が、余りある優しさの中に厳しさを滲ませ、
「まい」と接する姿がとてもいい。

説教をするのではなく、ただ昔から続けてきた暮らし

「朝早く起きて仕事(家事)をし、朝ごはんを食べ、
たらいに洗濯物を入れて足で踏みながら洗濯をし、
お湯を沸かしたナベでクロスやビンを煮沸して、ビンの中には手作りの
ジャムを入れたり、飼っているニワトリが生んだ卵を収穫し、
庭で摘んできたハーブでお茶を飲む」

を一緒に行う事により、「生きていく上で大切な事」を、「西の魔女」は、
「まい」に教え、「まい」は次第に心の平安を取り戻してゆく。

ひと月後、結局、父親と母親と一緒に、新しい土地で暮らす事になり、
「まい」は「西の魔女」の元を去る事になる。

些細なすれ違いから、その別れは後味の悪いモノになり、
心にひっかかってはいたけれど、新しい学校で友達も出来、
日常に追われるうちにあっという間に2年が過ぎ、
そして「西の魔女」危篤の知らせが入る。


ラスト3ページ、確かに泣けた
号泣の一歩手前といってもいい
次から次へと涙があふれ、すぐさまティッシュペーパーに手をのばした

私が「まい」のようにどちらかと言えば不器用で、
中学時代クラスメートから孤立した経験があるせいか、
とてつもなく感情移入して読んでしまった。

「西の魔女」が言い聞かせる言葉は、
私(一応、大人)が読んでも納得させられるものが多く、
「汚れきった魂(?)」が洗われた感じだ。

小さい頃、祖父母にあんなに可愛がってもらって遊びに行けば
帰るのを嫌がっていたのに、大人になるにつれ行く機会はグッと減り、
接し方も遠慮がちになってしまっていた。
なのに、私の結婚を心から喜び、「おめでとう」と晴れやかな顔で言って
くれた祖父母。
それらがグワーっと心に押し寄せて、
「ああ、もうこりゃたまらん!!」
になってしまった。

本の帯には騙される事も多い(期待ハズレ)けど、
この本は、私的には泣ける話NO.1にしてもいいんじゃないだろうかと思う。

「読者が選んだ本は信用出来る」

のかもしれない

三崎亜紀 「となり町戦争」

2005-02-26 12:19:25 | 読書感想文
ネタバレバレ



私的、本の面白度 
5点満点 ★★★☆☆(3点)


「第17回小説すばる新人賞受賞作」
「五木寛之氏、井上ひさし氏、高橋源一郎氏絶賛」
「私達が本当に戦争を否定できるかを問う衝撃作」

を見れば、購買意欲もそそられるというモノ(出版業界の思うツボ)
タイトルの面白さも手伝って、
そそくさと本屋のカウンターへ向かった本だ。

となり町との戦争を知らせる広報誌が家に送られてきた事に始まって、
半年間の期間限定で、静かに「戦争」は幕を開ける。
そもそも、広報誌で戦争の開始を知らせるという、簡単さ(?)に、
どうしても違和感を感じてしまいながらも、読み進める。


主人公が戦争を「実感」できないままに戦争は続き、死者まで出て、
戦争が続くにつれて着実に死者は増えるのに、
不思議な事にニュース(テレビ・ラジオ・新聞共に)
では戦争について伝えない。
「となり町戦争係」という、ナンだかこれまたお手軽なネーミングの
お役所の一係で、数人で戦争を総括しているというのも、
ちょっとありえそうにない。

主人公は「偵察業務従事者」に「任命」され、
となり町の様子を「偵察」するようになるのだが、
かといって普通に仕事(主人公は会社員)をこなし、
偵察といっても車で通勤途中にとなり町の様子を淡々と
書いて郵送するというモノ。

その後、「特別偵察業務従事者」に任命された主人公は、
スパイみたいな形で、お役所のお姉さんと書類上夫婦となり
(そこはお役所のやる事なので何とか都合がつくらしい
となり町で暮らすようになる。

その後、主人公はとなり町の攻撃を逃れる為、手助けされながら
必死に逃亡するのだが、結局「敵」の姿は見ていない。
というか、小説には「戦闘シーン」は出てこない。
ただただ死者だけがジワジワ増えていくのだ。

その時点でも、主人公は戦争を実感できないままでいる。
そして、戦争の「期限」が来ると、「終戦」を迎え、
となり町とは、同じ「戦争」を遂行したもの同士ということで
、何事もなかったかのように、それぞれの町で、
「新しい町づくり」にとりかかる。

う~ん、改めて、凄い発想だ。
本に出てくる年号が「成和」だからもうこれは、
一見、今この日本にある町を書いているように見えて、
実は全く違う次元の町同士の話と思った方が、混乱が少ない気がした。

もう、「こんな役所、ありえない!」
「こんな訳判らない戦争で人が沢山死ぬのに、マスコミはどうした!」
「どうして小学生が軍事訓練をするの?」
などと突っ込みを入れていれはどうにも話が進まないのだ。

「リアルに感じられない戦争」を表現したかったから、
こういう設定が出来上がったんだろうけど、
今、現在行われている世界の「意味不明な」戦争を皮肉っているのか?
もっと深い意味があるんじゃないかと考えながら読んでみたんだけど、
戦争なのにあまりに淡々と日々は過ぎていくのに戸惑い、
主人公が戦争の意味を感じられなかったように、
私もこの本の中の「戦争の意味」は理解出来なかった。
残念!

読み終わったばかりで混乱が続いている私だけど、
もう一度読んだら、何か見えてくるかな?と思わせる本ではあった。
最後まで一気に読ませたし、理解は出来なくても、引き込まれた。

確かに、「衝撃作!」なのかもしれない


江国香織 「赤い長靴」

2005-01-29 16:50:53 | 読書感想文
ネタバレバレ

私的、本の面白度 5点満点 ★★★★☆(4点)

「話が通じない夫」
というフレーズに、私の母親の言葉を思い出した。
「お父さんと話しても話が通じないのよ。キャッチボールが出来ない人なのよね」

この話の主人公である結婚10年目の夫婦は、仲が悪いワケではなく、
妻は質問に答えをまともに返さない夫を、呆れ、悲しいと思いながらも何故か笑う。
悲しいのに笑う妻の「泣く事と笑う事は似ている」というセリフに、
よりいっそうの深い悲しみを感じてしまった。
そしてそんな感情を感じながらも、決して別れようとはしない。
「相手がいなくても生きていける」「私といない方があの人は幸せ」と思いながら。

お互い、相手の事を愛していないワケではないけれど、
相手がいない時や相手の持ち物を触る時に、よりその人を愛しいと思う。
二人の時間を10年間過ごす内に、妻は「夫といる以外の、かつて自分にとって
大切だったはずの友人や外での時間が怖い」と思うようになる。

相方がいない時、例えば、洗濯物を畳んでいる時だとか、靴を磨いている時だとかに
より相方の事を思うというのは、判る気がする。
私も幸せを感じる時を振り返る時、案外1人でいる時の事が多い。

子供がおらず、毎日夫とだけ正面から向かわざるを得ない日々が続くと、
こういう風な考えが浮かんでくるのかと、物語ながら薄ら怖いような。
これからもこの夫婦は、相変わらず妻は言葉の通じなさに悲しみ、時には怒りながら
笑い、そして夫婦生活を続けていくに違いない。
「あの人がいなくても生きていける」と言いながら、きっとこの二人はもうひとりでは
生きていけないのだ。

起伏が激しいワケでもなく淡々と進みながら心情を繊細に描く「江国ワールド」炸裂。
結婚生活がまだ短い私に、「夫婦って何?」と考えさせてくれる本だった。