横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

怒りの処理

2016年08月20日 | Weblog
怒りにどういうイメージがあるでしょう

私の勤める保育園では0才1才ではなんにも考えず怒ればワー!っと泣く、悔しくて足をドンドン踏み鳴らす

床にひっくり返ってギャーギャー泣きわめく…まあ、思い通りに大人がしてくれないと止めないしつこく起こる子もいます。

それを見ながらおとなは「あ、○ちゃん怒った怒った!」と(o^-^o)ニコニコ

とりあえず発散するのを見守ったり
だっこで落ち着くなら抱きしめたり


幼い子は怒りたいから怒っていて
それが「ふさわしいか?悪いことか?」なんてジャッジしません。

だんだん成長してくるとしつけの中で「お口で、嫌だったと言ってごらん?」など、別の表現で気持ちを落ち着かせるように教わります。

怒りそのものには
悪いも善いもない。
怒りをきっかけに他者を傷つけるときなどにそれは問題になるのでしょう

ただ、真面目すぎる大人に自然な怒りの感情を罪として、取り扱われたり
抑圧しすぎると、自分や他者の怒りの感情を許せなくなり、いびつになることも多々あると思います。

唐突ですが「怒りはおならのようなもの」という表現がありました。

以下ブログ記事です。

http://s.ameblo.jp/natsu6me731pp/entry-11220017568.html?frm=theme



聖書には 詩篇56:7など『神よ彼らを投げつけてください』なんてすごい怒りをありのまま祈りでぶつけているところは多いです。

自分の怒りを ないものと封じ込めないで、神さまの前に注ぐ
あるいは信頼できる人に聞いてもらう

それはとても自然なこと

そうすることで逆に怒りから罪へ転がることから守られると思います


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100%信じている子

2016年08月19日 | Weblog
ある家庭に夫のDV問題があり
別居していました。その家庭で育った長男 彼は父親から何度もなぐられた経験もあります。

お母さんと三人の子供たちは別居しながらイエス様への信仰を持ったようです

その長男の 「なぜだか神様を疑ったことがないんだ」という言葉に
驚きました

以下ブログ記事です

http://s.ameblo.jp/natsu6me731pp/entry-10851709683.html?frm=theme

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終わりまで共にいる

2016年08月08日 | Weblog
ハーベストタイムのメッセージをシェアします。

人は多かれ少なかれ、周りの人につながりを持って行動し、発言して生きます。

生きていく上で家族、友人、社会の人との関係は大切ですね

強い繋がりをもっていた愛する人と離れなければいけない、そんなことが人生にはおきます。
どんなにすがりついても、離したくなくても手を離さなければいけない時がきます。

卒業、恋人との別れ、こどもの自立
退職、離別、死別……

いまずっと一緒だと思っている人とも離れることがあり実に多くの別れを経験します。

人生の最後まで 一緒なのは誰でしょう?
それは自分自身です。そして自分の命をずっと支えてくださる神様です。


http://seishonyumon.com/words/1077/


周りの人との関係だけに目をとらわれていると、いつのまにか神様に大切にされている自分を蔑ろにしたり、
見失うこともあります。

すると大切な人がいなくなったときに
なにもない、空っぽでどうしようもなく感じるかもしれません

普段から、『世の終わりまで共にいるよ』と神様に抱かれているわたし
の魂にかたりかけ、神様との絆を強くしていけると心強いですね
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障がいのために捨てられた赤ちゃんを養子にした両親

2016年08月06日 | Weblog
体にハンディーをおったこと子どものことを見て絶望する人もいれば
その子をかけがえのない宝とする人もいる。

以下の記事を読み心あつくなりました。
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障碍を理由に捨てられた新生児と、子供を事故で失った両親。彼らの深い愛情に言葉を失う。

http://spotlight-media.jp/article/230410844079980154?utm_source=line&utm_medium=social&utm_content=app&utm_campaign=line_share


(上のアドレスから記事に飛べない方のために概要を書きます)


西アフリカのリベリア共和国で生後4日目の男の赤ちゃんは耳口内臓器に重い障がいがあり、捨てられていました。

そこへ医療ボランティアとしてアメリカから来ていたキャシーは
赤ちゃんに一目惚れして
夫ダンと共に
息子として引き取りました。

名前はマシューと名付けられ養父母に大切に育てられました。

何度も手術を受け乗り越えて小学校の特別支援学級に通っているそうです。

ダンとキャシーは3年前、実の息子と娘を事故で一度になくし大きな悲しみを持っていたのです。

この親と子の絆は
人が 最悪と思われる運命を背負ったとしても、人生を呪いだと決めつけないで

愛はたしかに存在することを教えてくれる気がします。
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特に養父の言葉に心打たれました。
“He was born 5,000 miles away, but he’s my son,” 
(彼は8000キロ離れた場所で生まれたけど、でも私の息子なんだ)
“He’s part of me.”
(彼は私の一部なんだ)


聖書に、運命から見捨てられた悲惨な状態の人が神様に言っている言葉があります。

(イザヤ書63章16節)

ほんとうにあなたは私たちの父です
たとえアブラハム(わたしの親)が私たちを知らず
イスラエル(わたしのいる社会)が私たちを認めなくても

主よ、あなたは私たちの父です。

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人は
なんらかの病気、事故、リストラ、
経済的困窮などで自分は見捨てられていると感じる日があるかもしれません。

社会から疎まれ、実の親でさえ見捨てるような状況になったとしても

神様は私たちの父であり
体の一部のように労り愛情を注いでおられる方です。
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