選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

06小林市長選

2006-04-16 | 大分・宮崎
 4月16日、小林市長選の無投票が決まった。

 旧小林市と須木村が合併、初代市長を決める選挙。

当選 堀泰一郎 無・新

 当選した堀は旧・小林市長。


06都城市長選

2006-02-05 | 大分・宮崎
 
 2月5日、都城市長選挙の投開票が行われた。
 旧都城市・山之口町・高城町・山田町・高崎町の合併による選挙であった。


=前回市長選=

 04年11月28日、都城市長選挙投開票が行われ、前県議の新人・長峰誠(35)が、42歳年上の、6選を目指した現職・岩橋辰也(77)を破った。

 長峰は全国最年少の市長となった。
 九州では幸山政史・熊本市長(39)、江口隆一・熊本県水俣市長(39)と共に3人目の30代市長となった。
 岩橋は九州最高齢の市長であった。

 岩橋は、JA都城を中心に800を超す企業・団体の推薦と保守系市議の大半の応援を得て、徹底した組織選挙を展開、市政継続を強調した
 盤石の体制であった。

 長峰は「多選批判と世代交代」・「市政刷新」を訴え、精力的な「草の根選挙」で勝利した。

【前回の開票結果】
 
当選  長峯 誠 323 無・新

落選  岩橋辰也 290 無・現

投票率58.53%

=構図=

 市長選には元県議・堀之内憲一氏と、旧都城市長・長峯誠の一騎打ち。

 堀之内は、新たな開発よりも既存商店街の活性化を優先する「コンパクトシティ」の実現を目指す。
 農家を中心に支持を広げる。
 前回長峯に破れた元都城市長・岩橋辰也の支援も受けた。

 長峯は、都城インターチェンジ周辺への企業誘致・雇用創出、行財政改革を提唱する。
 前回同様「若さ」を押し出して、改革の必要性を訴えた。

 
=開票結果=

当選  長峯 誠  675  無・新

落選  堀之内憲一 289  無・新

(投票率70.41%)

 合併まで旧都城市長を務めた長峯誠が、元県議の堀之内憲一を大差で破り当選、新市の初代市長となった。


=見解=

 長峯市長は、元参議院議員・長峯基を父に持つ。
 松下参議院議員、江藤拓衆議院議員とは盟友関係にある。
 (江藤は、自民党議員であり、様々な理由から表立って活動できない)
 長峯基と上杉の対立の原因には諸説あるが、年齢の近い長峯誠・松下新平と江藤拓との接近が、江藤隆美と対立関係にある上杉を刺激したとの説が有力である。
 
 「多選・高齢」現職が、長年培ってきた組織を率いて圧勝する。
 そのような構図が、保守王国・宮崎でも崩れつつある。 
 
 元自民系の若手が、自民本流にいる大物を、自民の一部も含めた大きな枠組みで倒す。
 組織力では、長峯陣営を、旧市長陣営がそれを圧倒していたのは明白である。
 構造自体は、松下の参院選と同じである。
 組織にとらわれ硬直化しないことを願いつつ、長峯市政に注目していきたい。

  
 また、宮崎県知事選において、出身地である都城で東躍進が伝えられる。
 激しい市長選が、既存組織外にいる市民の政治意識に火をつけた結果ではないだろうか? 
 前回市長選から投票率が大幅に上昇している。
 それにもかかわらず、堀之内の得票が岩橋の得票と変わらない。
 前回棄権した票は、長嶺に回った。
 
 延岡市長選と合わせて、東の躍進の一因に、市長選があったとみる。 

06延岡市長選

2006-01-29 | 大分・宮崎
  
1月29日に、延岡市長選挙の投開票が行われた。


 4選を目指した現職の桜井が公明・社民の推薦を得た。
 
 首藤は、民主の支援を受けて望んだ県議選で敗北。
 今回は、地元以外の出身者の市長が続く現状から、地元出身を強く打ち出した。
 
 戸田は、民主の市議会議員。 

=開票結果=

当選  首藤正治 237  無・新

落選  桜井哲雄 146  無・現 =公・社推薦
  
落選  戸田行徳 106  無・新

落選  小田忠良  90  無・新
  
落選  清水 光  63  無・新

(投票率60.25%)

 若さと民間出身で市政刷新を掲げ、地元出身をアピールした首藤が当選した。
 市民の関心も高く投票率は前回を上回った。
 5氏乱立と市議補選もからんで、投票率は6割に戻した。
 
=見解=

 宮崎県知事選は、延岡での東有利が伝えられている。
 市長選での「個性」を選択が、延岡市民を東支持へ駆り立てているのだろうか?

05衆院選~宮崎  

2005-09-11 | 大分・宮崎
 2・3区では郵政法案に反対し非公認となった前職が自民公認を破り、議席を維持した。
 三選挙区に公認候補をそろえた民主は自民の牙城を突き崩せなかった。
 
【絶対得票率】
1区・中山(36) 2区・江藤(34) 3区・古川は(34.5)


【比例】
自民35-5 民主27.5+0.5 公明17.5-2 社民10.5 国民4.5 共産4

 郵政の影響による自民票の流出は、国民が吸収したようである。
 投票率の上昇によって公明は得票率を減らした。
 その分、民主・社民が微増したが、影響がは限定的になった。
 国民・亀井代表代行の盟友である江藤隆美の地元ということで、自民批判票は民主でなく、国民に流れたものと思われる。

【自民党宮崎県連】
 2区・江藤と3区・古川の前職2人への「県連推薦」の方針を事実上撤回した。
 しかし、同時に、県議ら党員が2人を「支援」するのは黙認する。
 党本部からの処分の可能性があるので十分留意とし、自己責任に委ねた。

【組織】
 大樹の宮崎支部は造反前職を全面支援し、自民公認の候補は応援しない。
 県医師連盟は、1区は自民・中山を推薦、2、3区は自主投票と決めた。
 県建設業政治連盟は自民公認3人を推薦。非公認は支持しない方針を決めた。
 県漁業協同組合連合会は公認3人を推薦。非公認2人も「支援」する。
 県中小企業政治連盟は2、3区は自主投票。
 全国林業政治連盟県支部は公認、非公認の5人全員を推薦する。
 注目の県内最大の政治団体・県農民連盟は、1区は自民・中山、2区は無所属・江藤、3区も無所属・古川を推薦すると発表した。
 しかし、2区では西都支部が自民・上杉、児湯支部が民主・黒木を地元候補として推薦することを認めた。
 残り4支部が江藤推薦となる。
 小選挙区となった衆院選で、同連盟が自民公認候補以外を推薦するのは初めて。
 同連盟に推薦願を出したのは1区の中山、2区の上杉・黒木・江藤、3区の古川・持永という合計6人
 
【1区】
 文部相・中山成彬がいる1区に、元自治相・元同党参院議員・上杉光弘が正式に立候補を表明した。
 上杉は無所属でも立つ構えで、自民党党県連は、上杉の比例転出に向けた調整を党本部に働き掛けた。
 上杉は会見で比例代表転出については柔軟に対応するという姿勢であった。
 その後、党本部の意向で上杉が2区に回ったため、対決は回避された。

 自民党が一本化に成功し、自民前職の文科相・中山成彬に、民主前職・米沢隆、社民新顔・鳥飼謙二、共産新顔・前屋敷恵美が挑む。
 野党3陣営は票を奪い合う格好で、中山に有利な構図となった。

 自民の友好団体は軒並み中山を推薦し、従来の組織票はまとまっている。
 前回衆院選で対応を保留にした公明も推薦する。
 中山は、前回届かなかった10万票突破を狙う。
 前内閣官房参与の妻恭子も選挙戦を支える。
 長期低落傾向にあった自民は、小泉というジョーカーを切ってきた。
 いまや自民の看板は「小泉改革」である。
 この中山は清和会所属で、小泉側近を自任する。
 当時は小泉内閣閣僚である。
 05衆院選は「小泉改革」の看板が一層光り輝いていた。

 冷戦終結以降、政界の流動化が進んだ。
 「政権交代」を旗印に、混沌とする政界の真ん中に米沢は居続けた。
 米沢は民社の大幹部として、流動化をつくった張本人の小沢一郎とは「湾岸戦争国会」以来の盟友関係にあった。
 2大政党実現の為、民由合併を最も声高に唱えた政治家の一人である。
 米沢は、宮崎旧1区で7回連続当選するなど、江藤(自)・大原(自)・松浦(社)を相手に戦ってきた大ベテランである。
 皮肉なことに、中選挙区時代に連続当選していた米沢は、自身が推進した小選挙区の導入以降、自民・中山に負け続けている。
 05衆院選の民主の大将・岡田克也も米沢と並ぶ熱心な2大政党論者である。
 「最後の選挙」と宣言した米沢は、「歴史的瞬間に立ち会う」と意気込み、戦いに出た。

 「小泉改革」中山VS「政権交代」米沢
 両党が掲げる一枚看板を代表する2人の真っ向対決とみられていた。

 しかし、突然の上杉の乱入である。
 上杉は場外の2区に消えたが、野党陣営は混沌としたままであった。
 民社・米沢にたいして、社会・松浦という有力議員がいた。
 両雄並び立たず、宮崎の労組は民社・社民に割れて、一枚岩ではないのだ。
 96衆院選では松浦が社民党公認で出馬し、米沢は落選、中山が小選挙区連続当選を続ける端緒をつくった経緯もある。
 連合宮崎は米沢・鳥飼を同列に推薦した。
 今回も、宮崎社民は候補者を立て、自・民対決に割って入る。

 さらに、民社・公明の関係の変化である。
 民社・公明両党は、立場の似通った中政党ということで良好な関係にあった。
 それは、自公・民主という構図になってからも細々と続いていた。
 しかし、今回、公明は初めて自民・中山に推薦を出した。
 だが、公明の票が中山に流れるかどうかは不透明である。
 
 中山・米沢という党主流の対決に、社民・連合が入り乱れて混沌とした状況での選挙戦となった。
  
中山 成彬 12万1千<自・前>(57)
米沢  隆  05万7千<民・前>(27)
鳥飼 謙二 02万6千<社・新> 
前屋敷恵美 00万9千<共・新> 

 中山は【東諸県】を中心に【宮崎】でも満遍なく支持を集め、自民支持層の約七割、推薦を受ける公明支持層の約八割に浸透した。
 郵政民営化賛成層や景気・雇用対策を重視する人たちから支持を得た。
 
 米沢は民主支持層の六割を固め、共産、社民支持層の一部にも浸透、【宮崎】で一定の足場を固めたが、中山には遠く及ばなかった。

 民社の雄・米沢は「政権交代」を実現できず、政界を去ることとなった。

【2区】
 2区は黒木健司が民主党公認で立候補した。
 03衆院選では、黒木・江藤拓の両者がに自民推薦・無所属で戦った。

江藤  拓  8万9千<無・新>
黒木 健司 7万9千<無・新>

 当選した江藤拓は追加公認され、敗れた黒木に次期公認はないものとみられた。
 次回は「自民党公認」の江藤との戦いになり、このままでは、さらに悪化する。
 黒木は新たな支持層獲得の為、自民党を離党し、民主党に公認申請した。
 民主への鞍替えで支持者離れも心配されたが、公示前の役員会には大半の幹部が顔をそろえ、選挙戦に向けて結束した。
 民主候補として、連合宮崎が推薦した。
 延岡市の旭化成労組をはじめとした県北・日向の2地区同盟59組合など、これまでにない幅広い支援が得られた。

 しかし、黒木にとって誤算が相次ぐ。
 郵政騒動で、江藤が自民党を非公認となったのだ。
 「自民党公認」が離党しなければめぐってきていたのである。
 
 さらに、それどころでない不幸が黒木を襲う。
 1区からの立候補を表明していた元参院議員の上杉光弘に対して、自民党本部が2区での公認を発表したのだ。
 上杉はこれまで、無所属でも1区から出馬する考えを示していた。
 しかし、江藤拓に地元からの公認候補をぶつけたい党本部の意向で、上杉が「刺客」として2区に送り込まれてきたのだ。
 故郷の西都があり、固い支持者が多くて1区より有利と判断した上杉は「自民党公認」として2区での出馬を了承した。
   
 黒木にとって不幸なのは、上杉と黒木は支持層が重複するからである。
 上杉の参戦で03参院選で4万票余りを獲得した西都市、児湯郡の票が出身地の近い上杉との間で割れることは必死である。
 そして何よりも、黒木は上杉派なのである。
 宮崎の大物として上杉と江藤隆美は長年、反目し続けてきた。
 03衆院選2区は、上杉派の黒木と隆美の息子である拓という「代理戦争」の構図であったのだ。
 黒木にしてみれば、前方の敵である江藤との決戦の最中に、背後から機関銃掃射を受けたようなものである。
 地域的にも、派閥的にも、上杉の出馬は黒木にとって何らの利益がない。
 黒木は、03衆院選をはるかに下回る最低の環境での戦いとなった。

 また、上杉の出馬により、公明党は、江藤を推薦をせず、自主投票になった。

 上杉は、県政界への影響力と「自民公認」で支持団体を中心に巻き返しを図っている。 
 県建設業政治連盟などの推薦を得たが、業界は一枚岩にはならなかった。

 江藤は、郵政法案に反対したため前回と同じ無所属での出馬となった。
 前回あった「自民推薦」すら、今回はない。
 しかし、延岡市や日向市など、隆美の代からの地盤は固かった。
 また、県内最大の政治団体・県農民連盟が、2区内では、西都支部(4千戸)が上杉を、児湯支部(3千戸)が黒木を推薦するが、延岡など4支部(1万8千戸)が江藤を推薦した。

 長年続く「江藤VS上杉」の代理戦争の構図に加え、黒木の民主入りで、連合が参戦し、さらには郵政騒動で上杉本人までもが参戦、まさにバトルロイヤルの様相を呈した。

江藤   拓 10万2千<無・前>(47) 
上杉 光弘 06万2千<自・新>(29)
黒木 健司 05万2千<民・新>(24) 

 江藤は有権者の最も多い【延岡】、地元の【日向】、さらに【西臼杵】・【東臼杵】でリードした。
 自民や公明の他に民主支持者の一部などにも幅広く浸透した。
 郵政民営化反対の支持層を中心に賛成派にも浸透した。
 30から40代の男女、職業別では農林業・事務職の支持を受けた。
 
 黒木は地盤の【児湯】で勝利、【延岡】【西臼杵郡】でも健闘した。
 民主支持層の6割から支持を集め、共産、社民支持層にも一部食い込むなど、自民離党の効果は見られた。
 
 上杉は地元・西都市で二氏を引き離し、児湯郡でも黒木に肉薄した。
 自民支持層の4割を固めたが、【延岡】【日向】など、都市部で苦戦した。

 単純な足し算にはならないものの、地盤を同じくする県議時代の派閥の首領上杉の参戦が、反江藤票を2分、江藤を楽勝させてしまった。
 上杉は、自身の参戦が、仇敵・江藤隆美を高笑いさせる結果となったのである。

【3区】
 3区では03選挙に続き自民党の内紛構図が再燃することになった。
 03衆院選、3区は、持永和見と堀之内久男が衆院議員を引退。
 持永と、堀之内後継の古川が激しい公認争いを展開した。
 結局、2区と同様の無所属・自民推薦となり、当選した古川が、自民党に追加公認された。
 持永・堀之内の「代理戦争」という様相であった。

03衆院選
古川 禎久 11万9千<無・新>
持永 哲志 05万8千<無・新>

00衆院選
持永 和見 10万4千<自・前>
古川 禎久 07万9千<無・新>

 古川は、新進党・無所属で2度落選している。
 ようやく掴んだ「自民党公認」であったが、郵政騒動で失ってしまう。
 この3区にとって「自民党公認」は大事な金看板である。
 郵政法案に反対した古川への支援は、個人の自由意思に任せ、処分は一切しないと申し合わせた。
 しかし、今回、古川陣営に前回の選対中心メンバーだった自民県議の姿はない。
 それでも、県内最大の政治団体・県農民連盟は3区(2万6千戸)で古川の推薦を決めた。
、また、全国林業政治連盟県支部は古川、持永を推薦したが、地元3森林組合員(2万4千人)のなかには古川を評価する声が多い。
 金看板こそないものの、それに匹敵する、いやそれ以上の「農民連盟推薦」を得た古川に勝機は十分あった。

 「自民党公認」か「民主党公認」か、去就が注目されていた持永は、「自民党公認」での出馬を表明した。
 持永は、民主・岡田代表とは通産省時代の同僚で、出馬の打診を受けていた。
 だが、後援会関係者の反対、民主党県議の不在、有力労組の不在を理由に回答を留保していた。
 そこで降って湧いてきた「自民党公認」である。
 持永に、「民主党公認」を選ぶ理由などなかった。
 前回が完敗だったとはいえ、今回は金看板をぶら下げての勝負になる。
 
 さらに、自民党都城支部は、3区の党公認、持永・支援する方針を決めた。
 また、公明党は、衆院選の自民公認候補の第3次推薦を発表し、県内では3区持永の推薦が決まった。
 党本部も手厚く支援し、事務所開きや出陣式には首相から激励の手紙が届いた。
 岩永峯一農水相も来援し、農協OBや漁協組合員らに持永支持を呼びかけた。
 公明票への期待も大きく、「比例は公明党」で連携をアピールした。

 「民主公認」持永が消えた民主党は、それでも3区で公認候補を擁立した。
 外山は、民主党初めての3区公認候補であった。
 外山は、連合宮崎の推薦を受けたが、労組の対応には濃淡があり、全面的な支援にまで至らなかった。
 また、出身地が県南で、串間市出身の古川と地盤が重なる。

 中選挙区から続く自民の紛争に民主が介入という、3区も混沌とした政治情勢での選挙となった。

古川 禎久 10万3千<無・前>(49) 
持永 哲志 08万2千<自・新>(40)
外山  斎  02万2千<民・新>(11)
  
【都城】
古川2万9千 持永3万5千 外山7千

 大票田の都城では持永が勝利をおさめた。

 古川は、農林漁業者から圧倒的な支持を獲得し、小泉政権に批判的な社民、国民新党支持層に広く浸透した。
 分裂選挙となった自民支持層でも持永と互角以上に得票した。
 【南那珂】【西諸】で大きくリードした。
 
 公明の推薦を受けた持永は、公明支持層に浸透した。
 自民支持層で古川に食い込まれ、公認の効果はいまひとつに終わった。
 
 外山は、出身の【日南】でも古川に水をあけられた

 「郵政選挙」
 05衆院選であるが宮崎で、とりわけ2区・3区が「郵政選挙」であったとみる向きは少ない。
 全国的な「郵政選挙」というリングの外での殴りあい・掴み合い、何でもアリの場外乱闘という様相であった。

05えびの市長選

2005-03-12 | 大分・宮崎
 3月12日、えびの市長選の投開票が行われた。


当選 9075 宮崎道公  91 無・現

落選 6512 鬼川利男  65 無・新

(投票率80%)

 現職・宮崎が予想を超える勝利。
 宮崎は、反松形・反持永。

05西都市長選

2005-01-16 | 大分・宮崎
1月16日、西都市長選挙(宮崎県)開票結果 投票率76.73%

 元社民党県議の現職・日野光幸市長と元自民党県議・橋田和実との一騎打ち。

当選 12826 橋田和実 無・新

落選  8858 日野光幸 無・現 =自・民・社推薦

 橋田は、自民公認で望んだ県議選で、上杉派の現職・新人に敗れ落選。
 宮崎自民は、今回、現職を推薦した。
 しかし、結果は予想外な大差になった。

04参院選~宮崎  

2004-07-11 | 大分・宮崎
【敵討ち】
 上杉は、01年の参院選において現職参院議員だった長峯に対し、小斉平敏文・現参院議員を担ぎ、自民の公認を奪い選挙戦を制した。
 04参院選に出馬した松下は長峯の元秘書であった。
 松下の参院選出馬は、師長峯の「敵討ち」であった。
 松下は「反上杉派」を否定し、「県民党」の立場を強調したが、しかし、それだけでないことは、誰の目からも明らかだった。
 松下は参院選出馬の為、県議を辞職し、自民を離党する。
 松下はバッチを失った長峯と二人三脚で、「打倒上杉」に打って出たのである。
 宮崎自民は元参院議員長峯基に対し、松下支援をやめるように勧告した。
 長峯は勧告を無視し、宮崎自民から除名の処分を受けることとなった。

01参院選
小斉平 敏文 19万9千 <自・新>
  東 治男  17万2千<無・新>
 長峯 基   15万5千<無・前>


自民党公認で各種団体の推薦を着々と重ねる上杉光弘に対し、元県議・松下新平は「草の根選挙」で挑んだ。
 この04参院選の背景には、長年の対立構図、保守分裂選挙となった03衆院選・03知事選、そして01参院選があった。

松下 新平 27万7千<無・新>(48.5)
上杉 光弘 26万1千<自・現>(45.5)
馬場 洋光 03万4千<共・新>(6)

 民主の支援を受けた無所属新人・松下新平が、公明推薦の自民現職・上杉光弘を破り、初当選した。
 宮崎選挙区での自民公認の敗北は、上杉が無所属で初当選した86年以来18年ぶり。
 投票率は62・14%。

  また、県内では主流だった業界や団体を動員する組織型選挙が、かつての集票力を発揮できなくなっていることも浮き彫りになった。
 参院選宮崎選挙区で接戦を制し初当選した松下新平は、無所属のまま民主系会派などに所属しながら国政活動に挑む意向を示した。
 自民党、民主党などには入らない。民主党系の会派に所属する。
 ただ、政界再編があれば、新党結成に動くことも示唆した。


 松下はもともと自民であることから、自民票の一部が流れた。
 自民支持層の34%が松下に投票し、自民票はかなり切り崩された。
 松下を支援して自民を除名された長峯基元参院議員、江藤隆美元衆院議員・前回知事選で上杉派が推した安藤知事に敗れた牧野の支持者が、水面下で反上杉に動いたもようだ。

 また、上杉を推薦した公明も、県内で比例票を伸ばせなかった。
 公明支持層の28%が松下に投票、宮崎では自公協力は限定的なものになった。

 松下は、年代別では20、30、50代、性別では男性の支持を集めた。
 上杉は、高齢者、農林漁業者の支持が高かったが、及ばなかった。

【世代交代】 
 宮崎を代表する大物が相次いで引退、2区、3区で次代を担う若手議員同士の争いが繰り広げられた03衆院選は、宮崎政界に世代交代の波を起こしていた。
 松下30代、対する上杉は60代である。
 上杉は「実績」を強調する一方で、若者を中心とした後援会組織を編成した。
 しかしながら、03衆院選から続く世代交代の波に抗うことはできなかった。
 若年層で松下にリードされ、挽回することはできなかった。
 草の根選挙の若い松下が、自治相まで務めた実力者の上杉を破ったことで、県政界で昨年の知事選、衆院選から続く世代交代と変革の流れが、一層加速する。
  
【小泉効果】 
 01参院選は、小泉・真紀子ブームで自民党は、結党以来最大の追い風を受けて選挙戦を進め、全国的に圧勝した。
 それから3年、宮崎の小泉内閣支持率は28%、01参院選で記録した55%のほぼ半分である。
 「不支持」が22ポイント増の29%で、「支持」を上回った。。
 男性では「不支持」が37%で、「支持」の24%を大きく上回った。
 女性では「支持」が31%、「不支持」が23%であった。

 年代別では、20・30・40代と60代で不支持が多く、60代では不支持が36%に達した。
 50代と70代以上は支持の方が多く、70代以上は48%の高支持率だった。

 「不支持」が突出しているのはサラリーマンが多い事務・技術職である。
 農林漁業や商工・サービス業では、「支持」がやや多かった。

 支持率は与党の自民支持層・53%、公明支持層・48%で高い。
 民主支持層では、「不支持」が77%、社共支持層でも「不支持」が60%。
 また、無党派層も「不支持」が32・5%で「支持」を上回る。
 与党支持層以外は小泉内閣を支持しない傾向がくっきり出た。

【知事】
 上杉陣営には、安藤知事の姿もあった。
 安藤知事は03知事選で、上杉派の支持も得て、元県出納長牧野俊雄を破った。
 安藤知事は「参院選は中立」と繰り返すが、事実上は上杉を支援した。
 安藤の都城地区後援会は、独自に上杉推薦を決めた。
 
【組織】
 上杉は、県内最大の政治団体である県農民連盟や、建設業団体など県内の3800団体の推薦を受けた。
 これらは、古くから自民を支えてきた基盤である。
 
 連合宮崎は松下の「支援」を決めた。
 松下に、自民の反上杉派・連合・民主・社民の票が集結すれば、勝利が近づく。
 しかし、「革新色」が強まれば、「自民公認」の上杉に票が逃げる。
 両者の均衡にあるのが、「支援」なのだ。
 連合の支持は、様子見の反上杉派を動かす効果もある。
 03知事選では連合宮崎が「推薦」した元県出納長牧野が落選した。
 「推薦」なら保守票が逃げると判断し、「支援」にとどめた。

 しかし、連合の支援も団体ごとに温度差がある。
 旧民社・民主系団体が積極的なのに対し、社民系は傍観の構えだ。
 「反自民・非共産・反利権」の理念を基本にして、それぞれの立場で支援した。

 連合が松下を支持した要因は、03知事選にある。
 連合が牧野、上杉派が安藤現知事を支援し、激しく争ったのである。
 連合の「反自民」は従来から基本スタンスだったが、より強い「反上杉」が醸成されていたのである。

【応援団】
 松下の出陣式で、元参院議員の長峯基、東治男が党派を超えた支持を訴えた。
 さらに選挙期間中、横浜の中田宏市長が応援に駆け付けた。

 立候補に意欲を見せていた東治男は、立候補を見送り、松下の支援に回った。
 東は01参院選、連合側から要請を受け、民主、社民が推薦して無所属で立候補し、長峯を超える次点の票を獲得した。
 今回も、連合に支援を求めたが、「推薦は困難」と伝えられていた。
 東は「非自民が一つになれない」と立候補を見送る理由を述べた。
 同時に、連合の結論が早ければ、単独立候補の可能性もあったことを示唆した。
 東・長峯の2位3位連合が松下を推すことになったのである。
 東は07参院選を目標に活動を続ける。
   
 上杉は、自民党県連の定期大会で声を張り上げた。
 会場には、安藤知事と県内3衆院議員全員が顔をそろえ、あいさつした。
 上杉を前に、2区選出の江藤拓、3区の古川禎久は 全面支援を誓った。
 しかし、2人には温度差があると見られた。
 03衆院選2区、上杉と長年対立関係にあった江藤隆美が引退し、長男の拓と上杉派の元県議黒木健司が、共に自民の推薦を受け戦ったのである。
 9千票差で江藤が2区を制し、追加公認された。
 知名度のなかった松下に関心を抱く江藤支持者も少なくなかったのである。
 結果的に、江藤派および支持者の「反上杉」感情が松下に勝利をもたらすこととなった。
 推薦する公明党県本部の長友安弘代表も「全力で支援する」と叫んだ。
 堀之内久男・自民党県連会長は「今回は自民党は一本。分裂していない」「新しければいいというわけでなく、経験・実績を評価するのも大事」と呼び掛けた。

【公明】
 自民党現職の上杉光弘と松下の2人から推薦願を受けた公明党県本部。
 上杉推薦の決定を発表した。
 長友安弘代表は「連立重視、即戦力、公明党の政策への理解」を理由に挙げた。 「選挙区は自民候補、比例は公明」とする戦術だ。
 参院選比例区で、03衆院選比例(11万1千票)を上回る11万5千票の獲得を目標にしていた。
 目標達成には、保守の取り込みが不可欠である。
 上杉との選挙協力で、長友代表は公明比例票獲得を期待した。
 
【民主】
 「民主不在」の選挙区は全国で宮崎だけ。
 同党宮崎県連は連合宮崎とともに、松下を支援した。
 松下は「当選しても、今の自民党には復党しない」と表明し、民主党が応援しやすい環境を整えていた。
 01参院選は、対立が続く民主、社民の両党県連が、連合のもと初めて手を組んだ選挙だった。
 しかし自民分裂にも関わらず、野党が勝利をおさめることはできなかった。
 04参院選も自民が分裂したからといって、独自候補を立てれば勝てるというものでもない。
 宮崎では、社民党支持労組との分裂などで民主党の基盤は弱い。
 93年から続く政界再編でも、自民党を離党する国会議員がおらず、自民王国が揺らいでいない。
 民主党国会議員は、03衆院比例区で復活当選した米沢隆がいるが、選挙区選出は5人とも自民。
 03総選挙では、宮崎2区と3区で自民がそれぞれ2人を推薦、民主は争いにも加わることができなかった。
 県議会の勢力も自民32人、社民5人で、民主は3人にとどまっている。
 民主が自民の一角を崩すには、県議選での躍進が必要条件になる。

【社民】
 改選の福島党首は、宮崎の出身である。
 投手は落とせないと、比例区に力を入れていた。
 選挙区では民主党が松下支援に積極的に動いた反面、社民党県は「比例区重視」で松下支援の動きはなかった。
 社民では、党内に自民出身の松下へのアレルギーが強く存在したのである。



【宮崎】
 松下が、上杉に2万4千差をつけての勝利であった。
 宮崎市は、上杉に近いとはいえない中山の地盤。
 また津村市長、当時現役だった米沢の民社地盤。
 松下支援に積極的だった民社の票が松下に流れたものと思われる。

【延岡】
 松下が1万2千差で勝利した。
 旭化成の労組が松下支援に積極的に動いた効果が出た。
 また、延岡は反上杉派の首領である江藤隆美の地盤でもある。
 自民分裂、民主の支援をしっかり票に結びつけた形だ。

【西都】
 上杉の出身地であり、松下に勝利した。

【日向】
 松下が接戦を制した。
 ここも江藤地盤で、反上杉票が松下に乗った形だ。

【都城】
 松下2万9千(50)上杉2万5千(43)

 都城は、長峯の地盤。
 強固な保守地盤の3区にあっても、長峯が推す松下が勝利をおさめた。

 参考;01参院選
 長峯2万9千(48)小斉平1万5千(25)東1万3千(21.5)

 参考;98参院選
 上杉3万1千(61) 

http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/mpsdata/web/364/sanngiinn.pdf

 上杉は、西都市、児湯郡六町など県内のほぼ三分の二の三十市町村を制した。
 しかし、市部の不振が響いて議席を失った。。
 松下は民主・反上杉派をテコに、郡部で差を1万2千に縮め、市部で逆転した。


http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/miyazaki/kiji/#rensai