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リフレ派を批判した山崎元氏のその後

田中秀臣氏の「ノーガード経済論戦」というブログを読んでいたら、野口旭氏の新著「エコノミストたちの歪んだ水晶玉」に関する記事があって、この本には『声の出るゴキブリ』とリフレ派を批判した山崎元氏のその後」が出ているという記述があった。自分のこととあっては、なかなか興味深い。早速、書店に行って、その本を買ってみた。

尚、私が、野口旭氏にお会いしたのは、TV出演の際に一度だけであり、喧嘩したことがあるわけではないし、同氏に対して何ら悪感情は持っていない。また、田中秀臣氏とは残念ながらお会いしたことがないが、氏のご著書を編集した編集者(現在私の本を編集中)が「尊敬している」と言うので、一度お会いしてみたいものだと思っている。

該当ページを探すのに苦労したが、76ページから77ページにかけて、私がJMMに書いた記事の引用が二つある。

最初の引用はJMMの2005年7月11日号のもので、村上龍さんの「国民がもっとお金を使うようになると、日本経済は復活するのでしょうか」という問に対するものだという。

途中を省略して書くと次のようなことが書かれている。
「GDP統計で見た経済活動が活発化することを日本経済の復活と考えると、国民がもっとお金を使うこと、すなわち消費が拡大することは、日本経済の復活に直結するといっていいでしょう。・・・・・(失業率が高いことなどから生産要素の完全利用でないという現状認識)・・・・。つまり、経済活動の活発化を制約する要因は、供給よりも、需要の側にあるということなので、需要が増えることが『日本経済の復活』につながるという認識は間違いないと思います」

これに対して、野口氏は「つまり山崎氏は、リフレ派と同様に、これまでの低成長がサプライサイドの構造問題ではなくて総需要の不足によるものであり、その高失業率は構造的失業ではなく需要不足による失業であると認識しているのである」と述べて、「かつては」として、次の引用に続く。JMMの1999年9月20日号のものらしい。

「インフレ期待、ISバランス、需給ギャップ等々といったいい加減なマクロ概念だけで現実の経済に介入する意見をいおうとする『マクロ馬鹿』は”声の出るゴキブリ”のようなものであり、駆逐されるべきである」が引用されている。

続いて野口氏は、「と述べていた山崎氏の政策的立場が、リフレ派と根本的に相容れない物であったことは明白である。その山崎氏が、リフレ派と基本的に同様の診断を行っているという事実は、結局はリフレ派の見方がより真実に近かったことを裏付けるものであろう」

文章の綾とはいえ、私の「診断」がリフレ派の正しさの「裏付け」になるとは、過分の取り扱いとも言え、恐縮である。尚、野口氏のご見解及び「リフレ派」の考え方に対する、私の意見は、せっかく本を買ったことでもあり、この本を読んでから、別の機会にまた書くとして、「山崎元の認識」について、幾つか補足説明しておきたい。(意見を正確に伝える、というのは、なかなか難しい作業だと改めて思う)

① 国民がもっとお金を使う、つまり需要が増えると、GDPが増える、というのは設備・労働に関する制約がない限り、殆ど自明の事だ。Yes/Noの質問であれば、ハイエクに訊いても、マルクスに訊いても、これはYesとしか答えようがないと思う。ある意味では質問が悪いのだが、JMMでは、質問をきっかけとして、回答者が気を利かせて意味のあることを考えることになっている。質問としては、本来、「国民にもっとお金を使わせる方法はあるか?」とか「「・・・ということなら政府がお金を使うべきなのか?」といったものであれば、もっと論じやすかったのだろうと思う。

② 「失われた10年」以来の不況が、需要の不足を伴っていたという認識は正しいと、私は、かつても今もそう思う(この点は、たぶん、「リフレ派」と同じだろう)。だから、たとえば、日銀がベースマネーを供給しても、前向きの資金需要が乏しくて銀行貸し出しが伸びないのだから、マネーサプライが増えず、量的緩和によって、ただちにインフレを起こすことが出来なかったのだろう。尚、実験のしようがないから、単に私の印象論に過ぎないが、日銀が当時「物価上昇率0%以上を目指す」ではなくて、「2%インフレを目指す」と言っていたとしても、需要不足から銀行貸し出しが伸びない状況に大きな変化はなかっただろうと考えている。

③ 「供給に対して、需要が不足している」ということは、論理的に「供給サイドには問題がない」ということを常に意味する訳ではない。特別な意味を込めて「構造的な」と言いたい気持ちは私にはないが、企業も政府も、相当に非能率的だったと認識していたし、今でも多々問題はある(特に政府に)と思う。その後、企業(供給側)の改善が設備投資という需要をもたらして、景気を後押ししているように、供給側も景気に関係がある。但し、不況そのものは表面に表れる現象としてほぼ常に「需要不足」の形態を取るし、そこで何らかの需要追加があればGDPに対しては即効性があることは否定しない。

④ 経済の状況認識には大きな違いがないとしても、たぶん「リフレ派」の主張と、私の意見が大きく異なるのは、私は「総需要不足であっても、(お金の使い方にもよるが、概ね)政府が不足を埋めるべきではない」と考えている点だろう。総需要拡張的な政府の活動は、第一にこれがアンフェアな富の移転を大きく伴いやすいことと、第二に資源の有効な使用になっていない公算が大きいこと(たとえば何兆円もの有効かつ効率的な「投資」を毎年考える才覚が官僚にあるとは思えない)、の二点に問題がある。リフレ派が重視する「失業(の解消)」と、私が気にする「所有権のフェアネス、投資の効率性」の間にはトレードオフがあり、これをどう考えるかが問題である。(この点については、私自身も、経済倫理的な認識をもっと深めて、且つ整理した議論を行うべきだと考えている)

⑤ 私がマクロの見地から政府が需要を追加すべきだという意見(たぶん「リフレ派」の意見)に対して批判的なのは、これが、何にカネを使うのかという「何に」と、誰が損をして誰が得をする形で需要追加(或いは期待実質金利の大きな操作)を行うのかという「誰」と「損得」の問題に対して、無関心ないしは、あまりに楽観的に思えるからだ。結果として、「政府による総需要追加」という処方箋が、政府の非効率性や、政府と癒着した業者の儲けと業界を将来生活の糧に利用する公務員の存在などに加担しているのではないか、と思うのだ。冗談の通じにくそうな人達なので、リフレ派を敢えて再びゴキブリ呼ばわりする積もりはないのだが、マクロの集計量よりも「何に」お金、ひいては資源が使われて、「誰が」得をし、損をしているか、という「フェアネス」の問題に対してもう少し触覚ならぬアンテナを働かせるべきではないのだろうか。私も、もっと勉強が必要だが、「リフレ派」ともし議論をするとすれば、経済倫理の問題について論じてみたい。たぶんこの点を放置して、経済政策を論じても無駄である。

⑥ 現在の一応の景気回復状態は、政府の総需要追加政策によるものではなく、主として、(当初は主に)幸運な外需の拡大と、(最近は主に)民間企業の自発的努力によるものだと思う。また、需要と供給のバランスが取れてきたことと、貸し手・借り手共に体力が改善したことが、金融環境の改善につながり、物価上昇率のデフレ脱却につながってきた(今後は分からないが・・)。つまり、景気回復は民間によるものであって、政府・日銀のリフレ政策によるものではない、と思っている。

⑦ 先の該当ページで論じられている訳ではないが、野口氏は「清算主義」(詳しくは氏のご著書をご参照下さい)について詳しく論じて、批判している。私の意見は、清算主義的と取られることがしばしばあるが、私は、たとえば、銀行や重債務企業を、「助けるな!」と言っているのであって、「潰せ!」と言っているのではない(同時に、実体を隠すことを許すなとも言っているが)。これが清算主義に該当するのかどうかのご判断は読者にお任せする。尚、自主廃業時に山一證券に勤めていた者の感想としては、山一の「清算」は(私にとっては大変だったが)経済倫理上も、資源(特に人的資源)の社会的な利用効率の上でも、正しかったと思っている。



物を書いたり、公の場で話したりする機会があれば、何らかのリアクションがあってもおかしくない。とはいえ、自分の書いた物が他人の議論の対象になることがあという事実には、身の引き締まる思いがする。私も間違うことがあるし、批判は歓迎なのだが、それ以前に、自分の意図を正確に伝えることの難しさ・厳しさということに思い至る。

それにしても、野口旭先生は、1999年のJMMまでお持ちとは、物持ちがいい。私は、これまでに自分が書いたものですら、すっかり散逸しており、「ゴキブリ云々」も他人に指摘されてやっと思い出す始末だ。リフレ派の学説と共に、文書管理の態度も、野口先生に学んだ方が良さそうだ。

(尚、この記事は、田中秀臣氏の該当記事にトラックバックさせていただいています。充実した内容のブログなので、今後も読ませていただこうと思っています。もちろん、田中先生及び田中先生のブログの読者の、当ブログへのご来訪は歓迎いたします。コメントもあるので、どうぞ)
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はじめまして (飯田泰之)
2006-03-26 12:43:08
はじめまして.評論の世界は素人同然なのですが,山崎先生の論説はマーケット関係者の見解としてしばしば参考にさせていただいています.私も野口先生とはちがい物持ちが悪いので「声が出るゴキブリ」論の端緒となったJMMをもっていないので……主に本エントリの内容についてのコメントをさせていただければと思います.



②に関しては拙稿「継続的デフレ期待と信用乗数の低下」(『経済分析』177,内閣府経済社会総合研究所,pp172-186)で示したように,投資需要自体が期待インフレ率に有意な影響を受けるため,問題は「日本銀行は期待インフレ率を左右できたか否か」に集約されると思います.つまりは,日銀が「期待インフレ率を左右しなかった(から批判されてしかるべき)」なのか「それは不可能(だからしょうがなかった)」のかと言う点に対立は集約されるでしょう.で,前者の方が整合的であることについては野口・田中両先生の本などにも何回も登場するので繰り返しません.



④の第二点は財政政策に関する命題です.私は財政政策による景気浮揚はアンフェアな利用云々はもちろんのこと,そもそも総需要拡大効果が薄いと考えているので(財政政策の不況レジーム)異見ありません.問題は第一点です.ご指摘の通り,物価変動は再分配効果を持ちます.デフレは現役から引退世代へ,企(起)業家から資金提供者へ,新産業から旧産業へ,不安定雇用労働者から安定雇用下の労働者へ……という再分配を生み出します.これをアンフェアでないと主張することはほとんど(のreasonableな公平性基準で)不可能でしょう.10年近くに及ぶこのようなアンフェアな再分配の逆回転のためにも低い率のインフレは歓迎されるべきだと考えます.さらに,インフレはデフレに比べてヘッジがしやすいため金融市場においては「なにもしない人→運用できる/それをだれかに委託する人」への再分配になります.



⑤についてはいわれ無き批判ではないかと思います.野口・田中両先生共に財政政策による解決を主張したことはないと記憶しています.したがって,少々斜に構えた見方をすると,官僚腐敗や金の使い途といった議論は「無関係の人の批判をして(あたかも議論の相手の非を指摘しているかのように)読者の印象を操作している」と感じられてしまいます.さらにフェアネスの問題についても両先生が無頓着というのはずいぶん乱暴な話だと思います(私が批判されるならまぁそうかなと思うことがありますが^^).再分配問題は,低率のインフレは経済によい影響をあたえることを理解した上で(これはいくらでも理論・実証がある),



・デフレの再分配とインフレの再分配の何れがフェアか

・生じてしまった再分配をカバーするのが容易なのはどっちか



という視点から捉え直すべきでしょう.



供給効率化政策・需要安定化政策・再分配三者の関係については,岩田規久男先生と私が執筆した『ゼミナール経済政策入門』(日本経済新聞社)でかなり明確にまとめたと考えています.ご一読いただければ幸いです.

 
 
 
声の出るゴキブリ (韓流好きなリフレ派)
2006-03-26 20:46:51
山崎さん、はじめまして。

ノーガード経済論戦をお読みいただきありがとうございます。あのブログは残念ながらこの三月末で依頼者(ライブドア)との契約が切れますので終了となります。ノーガードよりは雑駁な話題と断片的なコメントの集積ですが、以下のブログが私の個人ブログです。このブログの画面は、そのうち声の出るゴキブリが走り回るようにデザイン化されると思います(下のブログでもそのやりとりがあります)。個人的にはこちらの方がリアクションも多く、やる気も大きいものですのでご紹介まで。



http://reflation.bblog.jp

http://reflation.bblog.jp/entry/250935/



それと山崎さんによるとリフレ派は「冗談の通じにくそうな人達」とありますが、あのときの山崎さんの発言が冗談だったかどうかはさておき、リフレ派は一貫して山崎さんの声の出るゴキブリ発言を「ネタ」として扱ってきたことは確かなことです。山崎さんの「冗談」は冗談として通じなかったかもしれませんが、ご本人の意図を無視してこの言葉は、リフレ派の自称として「ネタ」としてネット世界で流通してきています。



例えば、はてなキーワードにも登録されていますし、そこのリンクにありますように、どこかの誰かが山崎さんの声ゴキ発言を保存しています。



http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%bc%a4%ce%bd%d0%a4%eb%a5%b4%a5%ad%a5%d6%a5%ea



http://web.archive.org/web/20031208114721/http://jmm.cogen.co.jp/jmmarchive/m028001.html



それだけこの言葉は山崎さんの意図を離れて一人歩きしています。この「ネタ」化がいつはじまったのか記憶がないのですが、私はこの言葉を愛用してまして、過去に黒木玄氏の掲示板でも以下のようなやりとりをしました。



http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/b.html

この掲示板のトップの言葉も参照。もちろん黒木さんがリフレ派。

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/b0042.html#b20020411185507

この前後でリフレ派の自称・他称が確定?



声の出るゴキブリが山崎さんの「冗談」という本来??の意図とは離れて一人歩きしたことを振り返ったら長くなりました。ちょっと映画『イーオンフラックス』を見にいくのでまた残りのコメントへのレスが後刻とさせていただきますm( )m



(補)ということで山崎さん、飯田さん、私三人含めてネタにマジレスかっこわるい路線で話している事実を噛みしめながら今後生きていかなければなりません……。











 
 
 
コメントありがとうございます (山崎元)
2006-03-26 21:47:43
飯田様、丁寧なコメントありがとうございます。



確かに、日銀は「期待インフレに働きかけるべきだったのか」、「働きかけることはうまくいかないから、いい加減な働きかけをしない方が良かったのか」については、見解が分かるポイントかと思います。



私は、需要が不足している状態で(つまり銀行貸し出しが減るような状態で)日銀が単独でインフレを起こすことは難しいと思うので、後者の見解に傾いていますが(野口氏の本の該当箇所にある通り需要不足が問題だという認識です)、前者の方が整合的とのご指摘なので、その点に関しては、野口氏あるいは田中氏の本をあらためて読んでみようと思います。



また、「リフレ派」が財政出動を主張していないとのご指摘についても、野口氏、田中氏の本と共に、御著書「ゼミナール経済政策入門」を拝読してみます。私は、財政政策、金融政策、いずれにあっても政策による富の再分配効果を極端に嫌う傾向がありますが、両者をもう少し丁寧に区別して論じる必要がありそうです。ご指摘ありがとうございます。



尚、財政政策による総需要拡大効果が乏しいという点についてはその通りだと思います。



デフレには望ましくない富の再配分効果があるというのも、その通りでしょう。ただ、原則論としては「物価上昇率=ゼロ」がいいような気がまだ致しますが、これは、私のアタマが古いのかも知れません。



また、実質利子率を大きく動かすような金融政策は、「それがゲームのルールだ」という認識を持って経済主体が行動すべきなのかも知れませんが、非常に大きくかつ急速な富の移転を伴います(たとえば1%の利子低下は年金債務の2割程度の増価をただちにもたらします)。金融政策にも、相当の弊害がある、という認識は必要なのだろうと思います。



最後に一点、まだよく分からなくて釈然としないのは「ゼロ金利政策」が有効であったのか否かです。短期金融市場に端的に見られるように、プラスの金利がないと、お金の流れは止まってしまいます。ごく低水準でもプラスの金利を維持し続けた方が、良かったのではないか、という仮説が正しいのか誤りなのかが、今一つクリアに分かりません。



上記の点なども考えつつ、久しぶりに、経済政策の本をぼちぼち読んでみようかと思っております。



飯田様には、繰り返しになりますが、丁寧なご指導に感謝します。早速御著書をアマゾンに発注いたします。
 
 
 
コメントありがとうございます・2 (山崎元)
2006-03-26 22:27:35
韓流好きなリフレ派さま



直々にコメントを頂戴し、恐縮至極です。

御個人ブログは早速「お気に入り」に登録させていただきました。時々拝見させていただきます。



それにしても「声の出るゴキブリ」という私の言葉が、まさにゴキブリのようにあちことを這いずり回っている事実には些か驚きました。また、恥ずかしくも懐かしい拙文のアーカイブの在処をご指摘頂き、ありがとうございます。



ただ、残念ながら思い出せないのは、私が「声の出るゴキブリ」といった言葉で誰をイメージしていたのか、です。この種の文章を書く時に、誰かを思い浮かべていないということはたぶんあり得ないのですが、この当時であれば、野村系の有名エコノミストのご両人のうちどちらかなのか、或いは、別の金融機関系のエコノミストなのか、誰かを思い浮かべていたのでしょうが、正確に思い出せません。何れにしても、野口氏の御著書でリフレ派に分類されている数人の方々を指すのではなさそうです。



もっとも「声の出るゴキブリ」はもう私の手を放れて一人歩きしているので、この表現が気に入った人が、これを自称・他称に用いることは一向に構いません(笑)。



飯田様のご指摘にもあるとおり、「リフレ派」を批判するにせよ、或いは親近感を抱くにせよ、まずは、私が、「リフレ派」の主張を正しく理解することが必要のようです。せっかく生じたご縁なので、少々勉強してみようと思います。



また、エントリーの本文にも書いたことですが、私の書き物や発言でおかしな点があれば、どしどしご指摘下さい。



これを機会に宜しくお願いいたします!
 
 
 
埋め草 (韓流好きなリフレ派)
2006-03-27 01:45:39
 飯田さんがすでにコメントを書いていただいていますし(そのすべての主張に賛成します、フリーライドできて幸運です! 笑)、山崎さんも野口・田中本(『構造改革論の誤解』)を参照していただけるとのこと(飯田さんが指摘していただきましたがほぼ山崎さんの疑問には答えています)ですので、僕はただの埋め草を書くことにします。



● 最初に、ネタの件ですが、「声の出るゴキブリ」は特定人物をさしているようには私は当時も今も読めませんでした。なぜなら、<「インフレ期待」、「ISバランス」、「需給ギャップ」、・・といったいい加減なマクロの概念だけで、現実の経済に介入する意見を言おうとする「マクロ馬鹿」の存在を、私は率直に言って不愉快に感じます。>

というインフレ期待、ISバランス、需給ギャップ、さらにクルーグマンの理論をフル装備しているのは、野口・田中本もそうですが、多くのリフレ派の文献も該当します。ですので、山崎さんは特定の人物に思いをめぐらす必要はある意味で時間の無駄かもしれず、お書きになったとおりに「マクロ馬鹿」=マクロ経済学の専門家、「マクロ馬鹿」の核としての「声の出るゴキブリ」=リフレ派、ということでかまわないのではないでしょうか? 



●山崎さんの主張の核はどうも政策による再分配効果がアンフェアであるということにつきるように思えますが、飯田さんも指摘しているように、失業者から安定的な雇用者への再分配が10数年継続している状況を正当化する倫理が思い当たらないのです。山崎さんは違うと邪推しますが、失業者の生活が不安定になって革命にでもいたれば、このような状況を「倫理21」爆 的に正当化できるかもしれませんが。または山崎さん個人の価値判断ならばいつでもどこでも可能です。ただ効率性基準と抵触すると思うのでorz。

生意気なようですが、アンフェアとか倫理とかこの際、持ち出すのはやめませんか?



●それと飯田さんへのレスの年金債務の例は文脈が違うように思えます。リフレですので年金債務は改善します。また最後の短期金融市場ですが短資会社は困りますが(別に短資会社がなくても市場があればいいわけです)、ゼロ金利政策を日本風な表現でその政策効果の核を「時間軸効果」とすればこれも期待経路に働きかける政策で有効だったというのが日銀含めて多くの合意でしょう。ただ不十分すぎた、より効果が見込める政策(インタゲ他)にまったく否定的であること、さらにそもそものゼロ金利政策の期待効果にさえも日銀は懐疑的であり、これがコミットを弱めたということでしょう。その日銀のコミットを弱める際の常套句といいますか表現に、山崎さんがいわれたような短期金融市場への配慮がありましたね。
 
 
 
「埋め草」への返信 (山崎元)
2006-03-27 03:57:44
韓流の好きなリフレ派さま



ひきつづいての丁寧な書き込み・ご指導、ありがとうございます。



1)ゴキブリの本家の捜索は、これが誰であるかを特定することに、今の時点で意味があるとは思えないので、止めておきましょう。何となく偉い先生の名前を思い出しそうになってきましたが、思い出すのは止めておきます(笑)。



2)政府が再分配がアンフェアであるか否か、また政府が需要を追加する場合にこれが「何に」使われて、加えて、それは効率的なのか否かは、やはり重要なのではないか、と思います。



政府による再分配の全てを一律に否定することは現実的ではありませんし、デフレを放置することにデメリットがあるということも、理解するのですが、たとえば(リフレ派がそう主張しているとは断定しませんが)「デフレギャップを埋める政府支出」の必要性が主張される場合に、それが「何に」使われて、「誰の」得或いは損になるのか、という問題をセットで論じるのでないと、政策論としては不十分であるように思います。



また、私のフィールドが資産運用だから思うのかも知れませんが、ストックが巨大化した経済にあって、金利操作による損得の発生は莫大です。たとえば、実質金利を低く誘導することによって資産家は大儲けしますが、資産を持っていない階層は金利低下の恩恵を大きくは受けられません。



もちろん、経済の与件が変わっているのに何もしないことは、一つの極端な選択でもある訳ですが、景気対策に金融政策をどの程度使っていいのか、という視点は必要ではないでしょうか。



また、政策論としては、その政策が誰に損をさせて、誰に儲けさせるのか、ということについて、明確な意識が必要だと思います。損得を意識的に論じることは悪いことではないと思うのですが、いかがでしょうか。政策論における経済倫理について、現在の私は決定的な回答(=明快な判断基準)を持っている訳ではありませんが、いわゆる「マクロの話」では、この点が無視されがちなのが気掛かりです。むしろ、アンフェアとか倫理といった野暮な問題をもっと正面から取り上げるべきなのではないでしょうか(JMMの問題意識はこうした方向に近いと思います)。



さきほど、風呂に入りながら、野口氏の「・・・水晶玉」を読み始めたのですが、公的部門の改革に「リフレ派」が賛成であることや、小泉政権の改革は全く不十分なのだという認識をお持ちのことが分かり(私も全くそう思います)、であれば、尚のこと、「需要」の中身と「富の移転」の内容もセットで政策を論じるといいのではないか、と思いました。



3)年金債務は、確かに、リフレが成功した暁には実質的な軽減が起こりますが、その過程の金利低下局面では逆の現象が起こります。



たとえば日立製作所は単体で1兆円くらいの厚生年金基金を持っていましたが、長期金利が1%低下すると、この基金の年金債務の現在価値は1兆2千億円くらいになります。これに対して、資産の側は、よほど長期の債券ばかりを持っていないと債務の拡大に追いつきません。たとえば、日立の本業で2千億円の赤字といえば、半導体部門の大失敗でもないと起こらないくらいの事態です。もっとも、これは、日立に限らず、日本の企業が過大な確定給付年金制度を持っていたことにも問題があるのですが、景気対策のための金利操作がこのような作用をも持っていることは事実です。また、こちらの方はもっと同情の余地が少ないかも知れませんが、生命保険会社なども低金利政策の犠牲者だといえるでしょう。



4)ゼロ金利政策にさらに上乗せした量的緩和が長期金利に対する所謂「時間軸効果」を持っていたことは、これがどの程度どんなテンポで剥落するか否かが特に債券・株式市場で注目されている現在、市場関係者にもある程度のリアリティーをもって感じられます(ただし、長期金利の効果は、総需要に、従って物価に対してそれほど大きくはなく、「外需」の方が決定的だったように思いますが)。



「0%~2%・・・・」その他の日銀の「目安」がどの程度ブタ積みに代わるものなのかを、多くの市場関係者同様、私も考えているところです。



大筋は、「2%はおろか1%にもインフレ率はしばらく上昇しそうにないので、ゼロ金利ないし、実質マイナスゾーンでの超低金利は続くだろう」と考えており、これは向こう1,2年資産価格の高騰につながる可能性が大きいと思うのですが、植田和男氏が日経の「経済教室」にお書きになっておられたように、量的緩和政策の解除は時間軸政策の解除を含むのだ、という点が強調されて広まるようになると(日銀の政策委員の講演などでは、そちらの方向を強く滲ませようとしているように感じますが)、長期金利が先に上昇して、株価に相当なマイナス圧力をかける可能性がある、という点で、180度異なる効果になります。



しばらくは、長期金利の行方に気を揉むことになりそうです。

 
 
 
こちらこそ (飯田泰之)
2006-03-27 04:04:33
こちらこそ丁寧なリプライありがとうございます.



確かに田中さんが指摘するように「声が出るゴキブリ」はいわゆるリフレ派が好んで使う自称になっています.ちょっと自嘲的でそして1匹いたら30匹いるぞ!というところがいぃ感じなもんですから,僕も結構気に入っていたりします.



>日銀が単独でインフレを起こすこと

これについては,長期的な貨幣数量説の成立が出発点です.長期的に貨幣が中立でない(紙幣を刷ってもいつまでも物価が変わらない)としたならば,インフレ課税の弊害無しに貨幣発行益を享受できてしまう.極端に言えば札刷っていれば税金無しに国家が運営できてしまう……こんなことはありえない!したがって,前提となる「長期的に貨幣が中立でない」は偽.故に長期的に貨幣は中立です.すると将来金融政策は物価を変化させるのだから,将来の金融政策(緩和)について確実性の高い予想が可能なら現時点で物価は上昇しはじめるという話です.これは時々バーナンキの背理法と呼ばれます(出典は三木谷・ポーゼンの『日本の金融危機』).ここから,将来の金融政策姿勢について明確で拘束力のある宣言が行われたならば期待に働きかけることが可能というわけです.



>私は、財政政策、金融政策、いずれにあっても政策による

>富の再分配効果を極端に嫌う傾向があります

性分という点では,私は裁量性の高い……つまりは政治家や役人の胸先三寸で運用される政策を嫌う傾向があります.だから,財政政策・産業政策については強く批判していますし,金融政策についてもその時々の「総合的判断」で行うのではなく基準とルールに依拠して行われるべきだと考えています.



>原則論としては「物価上昇率=ゼロ」がいいような気が



これは確かにそうでしょう.しかし,デフレに一度突入してしまうとそこからの脱出は困難なので少し余裕をもったインフレ率が必要だと考えているわけです.CPIがかなり低く見積もっても0.3%の上方バイアスを持っている以上,0.3~0.5%で事実上の0インフレです,そこに糊代部分を考慮するとCPIで1%のインフレ率を目標の下限に据えるべきだと考えます.



一方,リフレーションプロセスでしばらくはやや高めのインフレが必要であるという見解もあります.これは,90年代に起きた再分配を逆転させるという発想です.これにはそのような所得再分配を正当化する公平性基準が要されるので意見が分かれても仕方がないかも知れません(ちなみに私は賛成派です).



後半は田中さんがコメントされているので今度は私の方がフリーライドしますw
 
 
 
バーナンキの背理法など (山崎元)
2006-03-27 05:08:26
飯田さま



またまた、丁寧なご指導ありがとうございます!



バーナンキの背理法なるものは初めて知りましたが、確かに、なかなか面白い論法で、勉強になります。



「長期」が具体的にどれくらいの期間を指すのか等、いろいろと突っ込んでみたい所のある議論ですが、特に気になるのは、貨幣発行益を誰のために且つ何に使うのか、という点です。



貨幣発行益をどんどん使うと、需要を追加することにもなるので、やがてはインフレを起こすことが出来るでしょうが、ここで「何に使うか」という内容(と効率性)が問題になるでしょうし、誰が損をし、得をするのかの問題が不可避的に大きく生じるように思います。(減税に使うのがフェアネスの観点では一番マシに思えますが、さて、それでいいのでしょうか)



また、ゼロ金利まで行ってしまうと、その後の量的緩和はほぼそっくりそのままブタ積みとなって、せいぜい時間軸効果の担保的な意味しか持たなかったように、通貨供給量を増やすことは、有効な資金需要が一緒にならないと、難しいのではないでしょうか。この点は、特に、海外の学者が(私のゼミの指導教官だった浜田宏一先生なども含めて)、ベースマネーを増やしさえすれば、通貨供給量が簡単に増えるように考える傾向があるように思えます。(こうした状況に陥ることが、デフレの大きな弊害の一つでもありますが)



さすがに最近は「ヘリコプターマネー」という話を真顔でする人はいないように思いますが、ヘリコプターがおカネをばらまく適切な方法があるのか、ということを疑問に思っておりました。



結局の所、外需と企業セクターのコスト構造の立ち直り(こちらは実物的要因です)、さらには不動産融資の拡大(ここには時間軸効果が効いていますね)などで、銀行貸し出しが拡大して、やっとやっと通貨供給量が拡大する状況が整ってきたのではないかと思えるのですが、どんなものでしょうか。



つまり、弊害を考えると、「中央銀行が単独でインフレを起こす」というのは、現実論として、なかなか難しいのではないか、というのが、少なくとも私がこれまで考えて来たことです。



先ほど「ゼミナール経済政策入門」をアマゾンに発注しました。なるべく先入観を持たずに勉強してみようと思っています。
 
 
 
Unknown (韓流好きなリフレ派)
2006-03-27 14:03:35
昼間に書き込みするといかにも大学教員が暇人かがわかるのでなるべく避けたいのですが 笑 時間があいてますのでささっと書き込ませてください。



山崎さんに倫理やフェアの放棄?をすすめたのは、政策評価の基準として公正判断を放棄しろという一般論として書いたわけではないんです。



いままでの山崎さんの書き込みから判断して、需要不足(失業)があり、需要不足を解決できる政策がある、ということですから、失業を放置して雇用安定者に長期間再配分をもたらしていることをアンフェアではないことを支持する公正基準がわからない、ということなんですよ(これをA事例としましょう)。またいま山崎さんがあげている資産価格の変動の歪みがマイルドインフレの下ないしその実現の過程で発生していたとしても、A事例を正当化するような山崎さんのお持ちの公正基準とどう関連するかもわかりません。わからないのは僕が無知な可能性もありますが、基準が不明確なように思えたのでその種の視座からの議論の放棄を僭越にもおすすめした次第です

m( @)m



それと年金債務の問題ですが、むしろ山崎さんの想定している事態はデフレ期待が長期継続するとした場合の状況であるように思えます。もしデフレ期待からインフレ期待に反転すれば、長期金利は(フィッシャー方程式の漸次成立にともなって)上昇していくと思われます。それと山崎さんのお書きになったこと自体は低金利政策=ゼロ境界下限がバインドしてしまったことによる年金債務の悪化の話であるように思えます。リフレ派の多くは(植田さんとは異なり)ゼロ金利維持による時間軸効果よりも政策レジームの転換(デフレ期待からインフレ期待への転換)を強烈にw推奨しています。もし山崎さんが低金利政策の継続という現状の微温的政策が年金債務の悪化をもたらすと指摘されるのでしたらぜひ政策レジーム転換=リフレ派になっていただくとすっきりした絵柄が描けると思います。



それと時間軸効果はいま書いたように効果はあっても微温的なもの(量的な推計は最近いろいろでてきてますね)であり、山崎さんの指摘される「外需」が貢献したこと、それに加えて「レジーム転換なき」(野口さんの水晶本では「不十分なレジーム転換」)為替介入が貢献したこと、ここらへんはリフレ派も支持していることだと思いますよ。問題はそれでもデフレとデフレ期待を安定的に払拭できていないということです。



それと長期金利の動向やゼロ金利維持の見通しに市場関係者の関心がいってしまうのはよくわかります。現状のような物価の中長期的な目安がただの政策委員の「理解」にしかすぎないでは市場の予想を不安定化してしまうでしょうね。

 そこで山崎さん、インタゲなんですよ。笑。



 お風呂に入りながらの読書は僕も数度挑戦してますが、なかなか快適なようでいて、実は読書量としては大したことがないですよね。一番読書がすすむのは電車の中でしょうか。「場」に応じた読書術の本はそういえばあまりないですね。
 
 
 
需要不足の対策について (山崎元)
2006-03-27 15:49:42
韓流の好きなリフレ派さま



昼間の書き込み、ありがとうございます。本物の先生にご指導いただき、恐縮です。



私は、大学の先生のような堂々たる空き時間を持っている訳ではないのですが、実質的に8割方自由業であるため、昼でも夜でも書き込みをすることが出来ます。〆切は自由にならないけれども(大小合わせて月に30本前後あります)、時間は自由になる、という身の上なのですが、一方では金融関係者でもあるわけで、株式市場が始まってから起き出して、食事を作り、パジャマのまま原稿を書くような生活をしていていいのだろうか、という幾分自責の念を感じる日々です。



さて、ご指摘の需要不足に関する価値判断の問題ですが、私は、①量的緩和がマネーサプライ増加&物価上昇につながらなかった原因は、②総需要の不足とこれに伴う信用の縮小が影響している(信用の収縮が総需要の不足にもつながっていますが)、と考えて来ましたが(だからインタゲに懐疑的でした)、③需要(或いは信用)の不足を政府部門で補うことはアンフェアな富の移転を多大に伴い、且つ非効率的な支出が増えるので、好ましくない、と考えています。



乱暴な言い方をすると、④民間はそのうち元気になるのだから、政府及び政府を利用する経済主体に余計なことをさせるな、という判断を持っています。すなわち、需要が増えたらいいなという現実はあっても、これを意図的に実現する適切な方法が無い、という立場です。これなら、賛否はともかくとして、私が考えていることは、分かって頂けるのではないでしょうか。



「何々派」を名乗るつもりは、ありませんが、リバタリアンの考え方に近いと思います。ロスバードのように、私的所有権が絶対的自然権だと考えるのがいいとまでは思いませんが、失業を減らすために、政府が支出を拡大したり、実質金利を大幅に変動させたりすることに対して警戒的です。



この文脈で私が答えるべきは、デフレのデメリットと、デフレを克服するための対策が持っている富の移転のフェアネス上の問題の大きさとの比較ということでしょうが、これは他の政策論にあっても意識化しなければならない問題でしょう。取り敢えずは、誰が損をして、誰が得をするのか、お金や資源が何に使われて、それがどの程度の無駄を含むものなのかを明確にしたい、と思っています。



また、絶対的な定義が出来る問題ではなく、程度の問題だとは思うのですが、「非自発的失業」という概念は曖昧だと考えています。労働者は条件を変えることによって職を得ることが出来るのであって、失業の多くは相当程度「自発的」なものではないでしょうか。(私は転職を12回と倒産を1回経験していますが、何れの場合も、自発的に就職先を見つけて働いています。まあ、自分の拙い経験を一般化するのは乱暴ですが)



倫理的な価値判断の基準をロールズの格差原理くらいまでもってくると、弱者に対する富の移転が正当化されそうですが、彼の第一原理にいう「基本的諸自由」と「侵すことのできない請求権」(「公正としての正義 再説」から)を十分尊重すると、政府の介入に対しては(特に生活保護のような単純な所得移転を除く政府の活動には)、警戒的であるべきではないでしょうか。



尚、インフレ期待がどのように可能であり、また、どの程度望ましいものかについては、もう一度考えてみようと思っています。



日銀の手足を縛って(たとえば名目GDPターゲットというような「トロイの木馬」を使って)、資産バブルを起こそうとしているように見える政府の一部には余り良い印象を持ちませんが、日銀に大きな裁量と行動の予測可能性の曖昧さを持たせるのがいいとも思えません。大雑把には「物価と、実質金利の安定」がいいように思うのですが、どのようなルールが現実的かを、改めて考えてみたいと思います。
 
 
 
山崎節健在ですね (韓リフ)
2006-03-27 23:14:33
 山崎さん、ようやく「マクロ馬鹿」とか「声の出るゴキブリ」と誹謗していた頃の山崎さんの本領発揮でよかったと思います。JMMのときの河野さんとの失業問答そのものですね。これについては私も『最後の「「冬ソナ」論」wという本でJMM批判的検証として書きましたのでここではあえてふれません。私のブログを検索されると「ネットの経済学改訂」というところにその元原稿もあります。



 ネット世界の深いところでは、山崎さんもリフレ派に転向??などという怪情報が流れたり、バーナンキ効果?が及んだか、などとどよめきがおきましたが、やはり山崎さんはこうこないといけません。公正基準(これは科学的?議論できるもの)以前に山崎さんの「政策介入はさけたい」、という信念が先にあるようで、あとの理論?はすべてそこに収束している感じがしました。



 それでいろいろ書きたいんですが、飯田さんの方の話題と完全にクロスしてますし、まずは飯田さんたちの新著をお読みいただくというのが正道のようですね。友人だからいうのではないですが、この本は非常にわかりやすくリフレ支持いかんにかかわらず経済学やる人の今後のスタンダードになると思います。論争になる点もありますがそれはむしろいい本の証拠としてのそれです。私も山崎さんの感想を知りたいのでどうかご高評ください。ではまた。
 
 
 
補足 (韓リフ)
2006-03-28 00:11:49
すみません、読書経験をお待ちしてます、でしめる予定でしたが、いくらなんでもこれは書いておかないと冬ソナ本や飯田さんたちの本に丸投げできませんから。



<④民間はそのうち元気になるのだから、政府及び政府を利用する経済主体に余計なことをさせるな、という判断を持っています>



ですが、そもそもの「声の出るゴキブリ」段階でももうすぐ回復という見通しを山崎さんはたてておられたようですが、それから数年停滞は継続しています。その前もいれると十数年ですからそうとう長い調整期間ですね。で、山崎さんの説明でも外需が大きいわけですから自律的な回復とはいえませんね。民間の自律的な回復はゼロ境界下限に直面している経済では非常に困難であり、その回復できない間に生じている社会的損失(人命含む)をその元凶になっている政策の失敗をややましな政策に変更することで回避することは、いま書いた実証的な問題(長期停滞からの自律的回復の否定)にくわえて科学的な倫理の問題としても正当性をみたすと私は考えています。



 この点は山崎さんがあげたロスバードやハイエクでもいいですがそれら私的所有権を強固に擁護する規範理論の多くは論理的なディレンマに陥っていることはよく指摘されています(一例は、稲葉振一郎『マルクスの使いみち』の中の説明がわかりやすいでしょう。ちなみにこの本の吉原案には私は否定的です)。おそらく経済社会は一種のキメラ的な要請をもっていて、自律的な秩序を重んじるルールと同時に社会的・個別的な合理性をみたすような設計主義をも必要としているのではないか、というのが私の考えです。



長く書きましたが、では失礼します。m(@)m
 
 
 
ご意見感謝します (山崎元)
2006-03-28 02:38:16
韓リフさま



ご意見感謝いたします(本当です!)。



先ず、飯田氏の新著を、先入観を持たずに拝読することについては、お約束します。いつまでに、ということをハッキリ言えない辺りが、日銀のようで情けないのですが、私は、経済について理解を深めたいと思っているので、的確なご意見を下さった(と、私が勝手に思っているだけですが)飯田さんの御著書を楽しみに拝読するつもりです。



ところで、声の出るゴキブリの頃からの「調整」(別に成長が”当たり前”ではないので、調整という言葉は今一つの感があるのですが、慣例に従えば)については、確かにあの当時(1999年ですか)、ネットバブルのイケイケ・ムードもあって、もういい加減に景気はそこそこ良いレベルに戻るだろうという大雑把な気分を私も持っていました(嘘はありません)。



景気の見通しが外れることは珍しくありませんが、これが、いくつか見通しを外した内の一つであることについては、私も自覚しています。



ただ、その後の事実を見ると、あの頃の株価には無理があったし(これは2000年の初期に感じましたが)、ネット以外の大多数の企業も、顕著な経営構造の改善が出来ていたわけではないので、産業界に於ける「遅れた清算」は必要だったのだろうと思っています(企業は、通常、過去を「清算」しないと、なかなか変化できないものなのです)。



ただし、当時、リチャード・クー氏や河野龍太郎氏(懐かしい!)が主張していたような、政府による「需要の追加」は不適切だったと私は考えています。(河野龍太郎さんは、最近はどうされているのでしょうか。JMMに書くことはメリットがないとご判断されているのか、近年、JMMで見かけないのは、彼にとって目的合理的なのかも知れませんが、寂しいことです。たかだか証券会社のエコノミストが、そんなに忙しいこともあるまいにねぇ・・・)



月並みですが、当時、日本の民間セクターのバブル崩壊の傷は、借り手にも貸し手にも深かったので(半分はバブルの「望外の好調」がもたらした、新しい環境への適応の遅れだったと思いますが)、そのために「信用」が拡大しなかったのであって、これは仕方がなかった(その間に、インフレが実現しなかったことも含めて)と思い返しています。政策に出来ると期待できた「望ましい介入」が、殆ど何もなかったのではないか、というのが私の個人的な印象です。



こうした状況を克服できる優れた内容の需要の追加を構想できる「設計主義」が可能であれば(たとえば、官僚が民間人よりも有効な投資を考えることが出来れば)、それも悪くないと私は建前上は思うのですが、そのような事が官僚に可能だとは思っていないというのが本音です(数をこなすと、時にまぐれ当たりはあるでしょうが・・・)。



このような問題について考えていると、大昔のゼミの指導教官(現エール大学教授の浜田宏一先生でした)と我々学生のやりとりを思い出します。「政策に出来るかも知れないことがあるなら、それを試さないのは一種の敗北主義だ」と仰る指導教官と、「政策に何か気の利いたことが出来るなどと乏しい根拠で思う脳天気な考えこそ世界に対して僭越であり、害毒だ」と思うゼミ生(主に私ですが、他にも居た)とのやり取りを懐かしく思い出します。



当時(1980-1981)は、「ゼロ金利」の状況など、教師も生徒も共に想像出来ないので、「金融政策には”紐を押す”ようなことは出来ないので、財政政策が必要だ」と言う教官と、「そんな介入主義のインチキはよして、フリードマンのK%ルールでいいではないか」というマネーサプライのコントロールが割合容易に出来ると考えている(こちらはこちらで脳天気な)生徒の間に大きな溝があったのでした。



幸い、その後、政策によってではなく、(たぶん)外需の拡大その他の幸運と民間の努力によって、景気は現時点でそこそこの回復を見ているように思えますが、ハテ、これからも大丈夫なのでしょうか。日銀の一貫性や、まして面子などは、私にとって全くどうでもいい他人事なのですが、消費者物価指数の今後の推移については、どの程度の上昇が今の時点で期待できるものなのか、(特に、市場関係者としては)些か心配に思っています。

 
 
 
Unknown (韓リフ)
2006-03-28 04:02:12
すみませんが、二点ばかり以前から気になっていた点を補足の補足でw



 設計主義で公共事業や産業政策を僕は意味してませんし(一貫して金融政策しかふれておりません)、また今回の長期停滞で支持もしていないことはすでに飯田さんがフォローしていただいているとおりです。それはすでに了解ずみだと思っていましたが、山崎さんのレスにはしばしば公共事業支出の例がでてきますので、これはここをみている人にリフレ派の主張を誤解させかねないのでどうか自粛願います 笑。



それと山崎さんは「供給(企業)の設備投資」を今回の景気回復の一因としてみていますが、設備投資自身は総需要の要因と供給面の要因の両方でみることが可能でしょう。で、これも事実上経済論争の点では議論がほぼ決着していると思うのですが、『論争 日本の経済危機』での宮川vs野口論争があります(まあ、宮川先生は論破されたとは微塵もお考えではないでしょう)。総需要要因の拘束こそ停滞の主因であって、今回の外需ショック+為替介入=金融緩和効果でその拘束が緩んだということが自然なストーリで、仮に山崎さんのように設備投資の供給にかかわるなんらかの拘束が停滞の原因にかかわり、それがリストラによって改善したという自律回復ケースを想定すると非常に論理的・事実的・歴史的な矛盾を引き起こすことがわかります。世俗的には野口・田中本にも書いてありますが(簡単にいうと供給要因の改善がなぜ需要不足という山崎さんの診断と整合的になるのでしょうか、ということですね)。



それと浜田先生とゼミ生の意見対立も現代では誤解をもたらします。まず何が問題なのか、そしてそれに対する処方箋で有効であると理論的・実証的・歴史的に確認されているものがあるのか? 浜田先生とゼミ生たちの意見もこの具体的な文脈にそくさないでは意味はないでしょう。で、不良債権の存在が金融政策の効果を拘束するという山崎さんの指摘ですが、これも理論論争の場ではほぼ完全に収束しています。せいぜい「追い貸し仮説」が存命していますが、山崎の自説に近いと思われる「貸し渋り仮説」は完全に停滞説明仮説として成り立たないというのはおそらく合意です。前者の「追い貸し仮説」の方でもその含意のひとつは積極的な金融政策が必要である、ということと矛盾しません。これも飯田さんの論文やそれへのレフリーのコメントなどをすでに飯田さんが指摘しています。

ですので、僕なぞは何が停滞に金融政策が有効でない原因としてあるのか、よくわからないのです。また外需や時間軸効果(微弱な期待コントロール)が総需要を刺激していることを認めていらっしゃるのでそれも考えると、リフレ派の政策常とう手段として利用可能な政策(インタゲ、政府通貨発行益の利用など)はいろいろあるのですが、どうしてそれが浜田ゼミのかっての学生さんのように不可能でなおかつ敗北主義への抗弁程度にしかならないのかふたたび疑問の渦に投げ込まれます。



ちょっと補足まで。
 
 
 
Unknown (韓リフ)
2006-03-28 04:05:02
すみません。途中一箇所で、敬称が抜けてしまいました。悪意はないです、まじですw 失礼しました。
 
 
 
金融政策の有効性 (山崎元)
2006-03-28 05:06:44
韓リフさま



古い昔の浜田ゼミのエピソードは、人によって政策介入に対する先入観が異なること(先生と生徒でちがっていた)を思い出した補助的エピソードに過ぎませんが、私が誤解しているか、リフレ派が過剰に楽観的であるか、どちらかの問題は、主として金融政策の有効性なのだろうと思います。



私は、日銀による量的緩和がさほど有効でなかったことの原因を、①需要が不足する状態と、②信用の供給側がリスクを取りにくかった状態の下で、信用拡大(≒銀行貸し出し)が困難であったこととして理解しています(幾分はバランスシート不況説に近いでしょうか。もっとも、その対策としての財政出動には反対ですが)。



これを短期的に力づくで解消するためには、何らかの形で需要を(貸し手が、カネを貸せるような主体による需要を)を追加するか、又は「信用」を誰か(たぶん政府)が補完するしかありません(何れも望ましくないと思っているのですが)。



尚、不良債権の存在は、それがあっても、確実と思われる儲け口(融資案件)があれば、必ずしも信用拡大の制約条件にはならないと思いますが、現実問題としては、そもそも日本の金融機関は実力(審査能力)以上に融資を拡大していましたし、清算主義に対する怯えも現実に存在しており、信用拡大の制約要因になっていたように思います。これは、最近経営状態が改善した大手金融機関のお気楽な住宅ローンの拡大などを見ても明らかなように思います。



信用が拡大しない状況にあっては、量的緩和と共にインタゲを唱えてもその有効性を信じることが難しいと思うのですが、如何なものでしょうか。(それでも、リフレにレジーム転換するならば必然的に事態が改善するのか否かについては、しばし考えてみたいと思います)



韓リフさんの力点が、100%金融政策にあることに対して私が鈍感だったことは申し訳なく思うのですが、需要不足、或いは貸し手のリスク許容度が低い状態で、今回の外需のような僥倖を待たずに、金融政策だけで何とかなるとは思えなかったので、何らかの需要追加がセットであるかのような印象を持ったのでした。本当に、こうした状態にあって、金融政策が十分な効果を発揮するのでしょうか?



また、まだまだ不十分だとは思いますが、企業の経営状態改善が、有効な(カネを貸せるような相手への)資金需要に貢献したと考えることには、さほどの無理はないと思います。



企業の行動を考えるに、供給構造の改善(利益の出るコスト構造の確立)が世の中の潜在的需要への適応とその実現に結びつくことや、投資需要その他の(労働者の期待が改善すると消費にもプラスですね)新たな需要に結びつくと考えることは自然なように思います。つまり、供給要因の改善は、需要に対してプラスに働くと、私は素朴に考えています。



供給サイドには何の貢献もないという立場を敢えて取らなくてもいいように思うのですが、どうなのでしょうか。これは、不純な考えなのでしょうか?
 
 
 
不良債権ほか (韓リフ)
2006-03-28 09:24:03
山崎さん曰く、<日銀による量的緩和がさほど有効でなかったことの原因を、①需要が不足する状態と、②信用の供給側がリスクを取りにくかった状態の下で、信用拡大(≒銀行貸し出し)が困難であったこととして理解しています(幾分はバランスシート不況説に近いでしょうか>



繰り返しになりますが、この貸し渋り仮説は山崎さんの説明されたすべての論点を含めて、もうまともな経済学者でリフレ・反リフレ問わず誰も事実上主張していません。つまり棄却されたわけです。もし専門家でまだ主張する人がいれば新理論や新事実を発見したか、もしくは不勉強かのいずれでしょう。文献もあげましたので参照ください(『論争 日本経済の危機』、飯田さんの内閣府論文と小林慶一郎氏の同号論文世俗的には、『構造改革論の誤解』etc……)。



この一連の実証的・理論的研究の中でも強調されたところは、不良債権による貸し渋り仮説の可否にかかわらず、企業のキャッシュフローがデフレのもとで高水準に存在するのは、デフレ期待の蔓延にあるわけでして、インタゲをはじめとする期待に作用する政策は不良債権存在やそれによる信用制約の如何にかかわらず有効だということも実証・理論・歴史分析で立証されていることではないかと思います。



山崎さんが貸し渋り仮説を支持するには相当な理論的・実証的なディフェンスが必要ではないかな、と思います。



<供給要因の改善は、需要に対してプラスに働くと、私は素朴に考えています>



はい、この素朴な仮説もリフレ賛成・反対陣営ともに事実上いまや誰も支持していません。むしろ90年代において供給要因の改善があったにもかかわらず需要不足は拡大した、というのがJorgenson元橋らをはじめとした実証分析の貢献です。もちろん彼らは別にリフレ論者ではありません。反対論者の最後の砦ともいえる宮川先生も山崎さんの素朴な仮説は支持していません。これもすでにあげました参考文献をご覧下さい。啓蒙的な理解は『構造改革の誤解』、飯田さんの『経済学的思考の技術』などをご覧ください。



簡単にいいますと最近の経済論争の焦点は、山崎さんの主張<貸し渋り仮説や供給要因説>が破棄される一方で、日銀の政策の有効性や失敗があったとしてそれがどの程度のもの(植田和男氏の業績や日銀のペーパー,Bernanke、Eggerttsonらの論文)、あるいは増税論議に関連しての名目成長率論争などに変転していると思います。



 ですので、山崎さんがいろいろ言われていますが、ある意味で懐かしく、なおかつ周到に批判するにはすでに(率直な表現ですみませんが)退屈な話なのです。



この私のコメントにレスは不用です。もっと勉強してください、ということですので。
 
 
 
Unknown (飯田泰之)
2006-03-28 10:49:36
うわ.一日サボっただけですごいことに……

山崎さんは浜田ゼミ出身だったんですね.浜田先生が内閣府にいらっしゃるときはいろいろとお世話になり+様々なインスパイアをいただきました.



さて,設計主義についてですが,金融政策のルール化というのは最も典型的な反設計主義の発想です.その都度最適な政策運営が不可能だからルールを設定するわけですから.おそらく山崎さん,また多くの人の考え方は「無為自然な金融政策姿勢というものがあり,それ以外のことは介入主義的だ」というモノかと思います.しかし,これは基本的には誤りです.



不換紙幣制度という制度は徹底して人工的なシステムです.金本位制にしても(金貨本位制は議論が分かれるかも知れませんが)平価選択という点で人為を免れません.もし山崎さんが自由発行貨幣制度への移行を主張されるならば話は別ですが,そうでないならば公的な貨幣制度が「ある」ことが人為的なのです.



すると,人為的・人工的なシステムを運営するに当たって重要なのは裁量的な手法が行き過ぎにならないようにコントロールするにはどうしたらよいか?また,裁量的な政策運営をせざるを得ない状況に陥らないためにはどうしたらよいかというものになります.その答えの一つがルール化された政策運営なのです.これは法治主義を前提にしてどのように法律を制定するかという問題ににているかもしれません.



ここまでの議論について90年代の日本経済への適用については

浜田宏一・堀内昭義・内閣府編『論争日本の経済危機』(日本経済新聞社)

が両論併記の上でディスカッションをしているので参照いただければ幸いです.

 
 
 
追加 (飯田泰之)
2006-03-28 12:15:58
山崎さんのおおきなご懸念のひとつに貨幣発行益をどのように使うかというものがあるようです.これについては国債を償還すればよい(というか日銀か買い切れば事実上同じこと).そうすれば財政再建のための増税がさけれらます.山崎さんの話を伺うと,財政支出の問題点には非常にナーバスな一方(←これは私もそのとおりと思います),増税については比較的無頓着なように読めることがあるのですがそれは変な話です(←増税も公的な再分配の代表です).貨幣発行益で財政再建増税を回避し,または高橋洋一氏のように社会保障費負担軽減経由で一括固定型の減税をしてもよいし,賦課方式年金の是正に使っても良い.これらはいずれも,市場を通じた解決を支援するという意味で,山崎さんの問題意識にも非常に適合的なのではないかと思われます.
 
 
 
ご指導ありがとうございます! (山崎元)
2006-03-28 13:40:26
>韓リフさま



再び丁寧な書き込みありがとうございます。お時間がある、とのことでしたが、本職の先生にいろいろと教えていただいて、恐縮です。せっかくの機会なので、先ず御著書の「構造改革の誤解」その他を読ませていただくとして、現時点での私の理解を書いておきます。”懐かしく”かつ”退屈”な話で申し訳ありませんが、私に誤解があれば、その点の覚え書きにもなります。



1)貸し渋り仮説



私の言っていることは「貸し渋り仮説」と呼ばれるのですね。



その名前がいいかどうかは、さておくとして、金利がゼロまで来て、それでもインフレが起こるほどに十分にマネーサプライが増えなかったのは、銀行貸し出しの前年比マイナスに表れるように、「銀行の能力に対して有効な資金需要が無かったからだ」と私は考えておりました。これは、銀行の能力(審査能力でも、単なるリスクテイク能力でも)と資金需要の質と量(おしなべて優良企業はお金を借りませんでした)の両方による問題だったのだろうと考えています。



韓リフさんもお書きになっておられるように、企業はキャッシュフローを高水準で維持しましたが、その要因としてはご指摘のデフレ期待(というか現にデフレであったこと)もあったでしょうし、企業が自社の需要の先行きに自信が持てないこと、経済全体に大雑把にあてはめると、総需要の不足(及び不足期待)があったのだろうと思います。銀行は、彼らとして貸せる相手(トヨタとか、三菱商事とか)なら喜んでお金を貸したのでしょうが、企業側に資金需要が乏しかったということでしょう。つまり「借り渋り」も存在したということです。



需要に自信の持てない段階では、企業はキャッシュフローを投資せず、お金も借りないで、バランスシートの改善につとめたわけですが、その後、主として外需による需要の拡大から、現にデフレが存在していた時期にも連続最高益を更新し、積極的な経営に転じはじめました。



デフレ期待の存在もさることながら、自社製品への需要と、これはあまり格好のいい話ではありませんが、自社の業績の両方が改善したことで、企業は新規の投資に向かい、前向きの資金需要を持つようになりました。後者は、設備投資も、人員採用も、将来の需要見通しというよりは、足下の利益動向によって左右される日本企業の意思決定の特色です(半導体の設備投資や金融機関の人の採用などが、この傾向です)。もっとも、こうした経済評論調の気楽な”ストーリー”と実証研究、少なくともデータとの関連については、私も勉強の必要を自覚しております。



①需要があって→②貸し出しが伸びて→③マネーサプライが増えて→④物価が上昇し→⑤デフレ期待が払拭される、という流れが私の大まかな理解です(ルートAとしましょう)。①、②を経ずにインフレ期待が醸成されるというのは無理があるのではないでしょうか。中央銀行が株や土地などの資産を買い上げるような弊害の大きな荒技に出ない限り、このルートAが自然な推移であるように思います。



(①を政策的に追加することには概ね反対なので、政策的には、まあ、需要が回復するまでしばらく待とうよ、という態度になります。今回は、それで案外上手く行っている、ということではないでしょうか。この先は分かりませんが・・)



①ゼロ金利(にコミット)→②時間軸効果→③長期金利低下→④資産価格高騰→⑤需要回復/貸し出し拡大、という流れ(ルートBとしましょう。バブルの「B」でもありますね)もありそうですが、時間軸効果は、韓リフさんが「微温的」とお書きになっているくらいですから、強力なものではなかったのでしょうし、ここまでの現実の推移では、企業の業績改善が大きかったのだろうと考えています。



ルートAはちがう、ルートBは微温的で有効でない、とするなら、デフレの状況からインタゲを満たす状況に辿り着くにはどのようにすればいいのか、という点が疑問として残ります。これは、御著書「構造改革の誤解」に書かれているのでしょうか。何はともあれ、啓蒙書でもあるらしいので、拝読してみます。



2)供給要因改善の効果



そこで、供給要因です。



企業の業績改善(需要の増加による改善と、技術改善、コスト構造の合理化による改善の両方の効果がある)は、設備投資や賃上げ・採用増加(何れも業績改善から少々時間が掛かりますが)などを通じて、需要の増加に貢献すると、まだ私は素朴に考えていますし、これは、目下、現実に起こっていることではなかろうか(大量採用、賃上げなどはその表れではないでしょうか)、という認識を持っています。



「直接的には需要が足りない」ということと、「技術の改善などの供給側の改善が、需要の改善につながる」ということとは、論理的に矛盾しませんし、現実に共存可能ではないかと思います。



もっとも、韓リフさんのご指導によると、供給要因改善の需要への好影響は、今や誰も支持しない考えだということなので、啓蒙書と共に、少々実証研究も読んでみようかと思います。「供給要因の改善」をどう測って、これと需要との関係をどう捉えているか(企業の供給要因が改善していても、同時に総需要が減少することは十分あり得ますが、これは供給要因の改善が無効であることの証明にはならないでしょうし・・)、何れにしても、せっかく参考文献も教えていただいたので、少々勉強してみることにします。



「(退屈を我慢して、)周到に批判してみよ!」などという横暴なことを、私は申しませんので、どうぞご安心下さい。



あまり勤勉ではないので、いつと確約できませんが、ご紹介いただいた参考文献などを読んで、また、思ったことをこのブログや、リフレ派の先生方もお読みであるらしいJMMなどに(村上龍さんの質問にちょうど良い機会があればですが)書き込んでみたいと思っています。



また気が向かれた時があれば、いつでもご遠慮なく、当ブログにお越し下さい。(経済以外の話も歓迎いたします)



>飯田さま



今回もまた、クリアなご指摘、ありがとうございます。飯田さんも本職の先生でいらっしゃるわけで、結果的にタダでご指導いただいた形になり、恐縮です。



確かに、金融制度自体が人為的・人工的なものですね。そこで何らかの基準に基づいてルールを設定しようという考え方は、個々の経済主体の所有権への政策的介入を、できるだけ小さく抑えたいと考える私の嗜好にも合致するように思います。ルールが明確であれば、期待が形成しやすいという点も、同様の観点から好都合でしょう。



さて、それではどのようなルールがいいかですが、昨日、アマゾンに注文した御著書がそろそろ着くでしょうから(大著らしいのが、楽しみでも、不安でもありますが)、これを拝読しながら考えてみることにします。



ご紹介いただいた浜田・堀内本も買ってみることにします。1月に何年ぶりかで浜田先生とお会いする機会があり(講義拝聴&会食)、大変懐かしかったので、その印象が残っているうちに読んでみます。



御著書の感想などもそのうちにUPしますので、また気の向かれた時にいつでもお越し下さい。
 
 
 
飯田様の「追加」へのレス (山崎元)
2006-03-28 19:57:30
飯田 様



私の書き込みと、飯田さんの「追加」の通貨発行益に関する話の書き込みが時間的に近かったようで、「追加」へのレスが出来ていないので、補足します。



通貨発行益の使い方については、ご指摘のような使い方であれば、概ね納得的だと思います。増税もまた、私的な所有権への公的な介入だというご指摘はその通りだと思います。



私は過去にJMMで何度か言ったか書いたかしたことがあると思いますが、基本的に、政府の支出は借り入れか増税かでファイナンスされ、最終的には、誰かの富を奪う形になるので、ともかく「財政支出」を抑える(少なくとも膨張させない)ことが肝心だと考えて来ました(官僚が嫌いなのです・・)。



また、増税に対して(財政支出に対してよりも)比較的寛容だったのは、財政赤字の規模を抑えることで、将来の極端なインフレなどのリスクを抑えることが「それ自体は、どちらかといえば、いいことだ」と思っていたからですが、具体的な税金を考えると、これが政府による個人の富の収奪であることは間違いなく、二つの害悪の比較に迷うところがありました。



結局、自信を持って言えるのは、財政支出の縮小こそが重要だということだけでした。



通貨発行益を財政赤字や社会保障に使うことが出来ると、支出に関する財政規律が緩むという反論が出そうですが、理屈の上では、支出に関する財政規律はそれ自体としてコントロールされるべきものなので、財政規律の弛緩を理由とした批判は、今の時点では野暮なので、止めておきます。(せっかくのアイデアですし。ただ、現実問題として、相当に心配ではありますが)







さて、いざとなると通貨発行益による需要創出が比較的弊害の小さい形で行えるとすると、私のリフレに対する忌避感は相当程度軽減されます。



ただ、たとえばインフレターゲットとこうした政策を組み合わせることを考えると、①ターゲットを達成するために、相当の(実質)金利の変動を起こすことがいいのかどうか(資産価格への影響は非常に大きいと考えられます。これに限らず、それぞれの政策にあって、資産価格への影響が大きな問題になりそうです)、②政府がマイルドなインフレ率で我慢するかどうかの心配、③インフレが十分に制御できるかどうか(超高金利の状況に陥るようなコストを払わずに済むか)、といったことが気になりますが、この辺りの問題も含めて、ご著書を拝読しながら、考えてみようと思います。



(たとえば、実質金利を概ね一定に保ち、景気に対しては余り介入しない(民間経済に任せる)、といった選択肢との得失を考えてみます)



「追加」のコメントも含めて、今回は、大変ためになりました!どうもありがとうございます。



P.S.

飯田さんのブログを拝読すると、「神亀」(←おいしいお酒ですね!)など、お酒に関する記述を見つけました。私は何でも飲むのですが、目下、アイレイ系のシングルモルトに凝っています。もちろん、韓リフさんも歓迎ですが、機会があれば、ご指導料代わりにBARにご案内します。場所は神保町なのでS大学のNさんもお近くですね。Nさんがご一緒でもOKです。
 
 
 
設計主義 (韓リフ)
2006-03-28 20:05:50
すみません、山崎さんではなく飯田さんの発言に対して確認したいんですが、設計主義というのは必ずしも介入主義というわけではなく、ハイエク的にいえば自生的な秩序と対照的な合理的な思いあがりからくる社会工学的な試み全般ではないかと思います。正直いえばここでハイエク研究者のフォローを求めたいところですがw、飯田さんは金融政策におけるルールを反設計主義と位置づけているのですが、確かにハイエクの立論では飯田さんのお書きになったような

<為的・人工的なシステムを運営するに当たって重要なのは裁量的な手法が行き過ぎにならないようにコントロールするにはどうしたらよいか?また,裁量的な政策運営をせざるを得ない状況に陥らないためにはどうしたらよいかというものになります.その答えの一つがルール化された政策運営なのです>

は自生的な秩序を損なわないルールの現実化として金融政策を考えることは可能かもしれません。



 しかし私はハイエク研究の一部(私が最近、読んだのでは松島敦茂先生の『功利主義は生き残るか』)が指摘しているように、そのような自生的な秩序を損なわないためのルール化の試み自体を基礎づける根拠がハイエクの自生的秩序に欠落していることがきがかりです。ハイエク的にいえばそれは慣習や伝統の進化によって根拠づけられますが、しかし金融政策のルールがそのような根拠によって成立しているとは私には思えません(ハイエクのディレンマという形容がされているようです)。結局、ルール化自体は設計主義的な考えに依存しなくてはいけないのではないか、という松嶋先生の(折衷的めいてますが)指摘に共感を抱くものです。



 山崎さんは気楽にこのように書き込みができる敵役ですので、これからもまれに書き込みをすると思いますが、大目にみていただければ幸いです。ではまた。
 
 
 
Unknown (飯田泰之)
2006-03-29 09:36:23
■田中さんとの議論の部分ですが,



>①需要があって→②貸し出しが伸びて

>→③マネーサプライが増えて→④物価が上昇し→⑤デフレ期待が払拭される



というのは確かに伝統的な経済学が想定する因果に近いかと思いますが,合理的期待の考え方が登場して以来は「どうもあやしい」考え方だと見なされています.というのも①~④の因果が分かっているなら①即⑤であるはずだからです.したがって,長期的に①を刺激する(または引締しない)ことがわかっているならば時間的順序としては②~④がなくてもよい.



この話はモデルの上ではみんな納得してたんですが,ホントに人はそこまで合理的なのかetc.含めて現実性が薄いとの批判がありました.これに対し,政策態度変更がいきなり期待インフレだけ上昇させたことを計量的に示したのが『昭和恐慌の研究』の6章です.



■設計主義

フリードマン万歳宣言(?)の時といぃ今回といい用語選択が不用意で申し訳ないですorz 学説史専門のかたなら誰でも知ってることなのかも知れません……知りませんでした.たしかにメカニズムデザインなんかも反介入のための制度設計という性質がありますね.



■P.S.

blogへのご来訪ありがとうございます……あのblogは経済の話と言うより僕の日記に近いものなのでお恥ずかしい限りです.私は味は分からねど何でも飲みますのでぜひお誘い下さい.
 
 
 
ゴキブリとコオロギ (山崎元)
2006-03-30 04:33:28
飯田 様



1) 物価上昇への波及経路に関する補足ありがとうございます。①~④の因果が分かっていて、①からいきなり⑤になる、という想定には、にわかには信じがたいものがあります。



一つには、多くの人々がこうした経路を常識として理解しているとは思えませんし、またこの経路が崩れないことに関するコンフィデンスをどうやって得るのか、という点にもゆらぎがありそうです。



もちろん、経営者の一言で、投資家が株価評価を一気に変えることがあるごとく、間の因果を飛び越えて結果が出ることはマーケットの世界では、よくあるのですが、「いつもそうなる」というものではありませんし、「専門家が参加する」とされる金融マーケットの世界の期待形成能力もたいしたものではありません。



それにしても、ファイナンスの研究の世界では、合理的期待、あるいは各種のアービトラージは、かつてのファイナンス理論(いわゆる「MPT」)が期待したものとは遙かにかけ離れて貧弱であるという研究が増えており、マクロ経済学の世界との方向性が逆で面白いですね。



ファイナンスの世界では、ローコストの裁定が明白に可能なケース(株式現物と株価指数先物・オプションのようなケース)以外は、裁定は非常に不完全で当てにならない、というのが概ね常識です。しかも、当初は、実証研究で、市場・人間の合理性からの逸脱をコレクションしてラベリングする(初期の行動ファイナンスがそうですね)にとどまっていた研究が、最近では、人間の脳の機能などに理由を求めて、「人間が合理的に行動できない理由」、「市場で裁定が働かない理由」を一種の必然に近い根拠付けで説明しようとしているように思います。



ところが変われば、流行の風向きがちがうのかも知れませんが、「ファイナンス」と「金融に近いマクロ」は本来、隣接するくらい近所なのに、面白いことですね。



2) 韓リフさんからのご注意があった、私の傾向についてちょっと補足しておきますが、確かに、私は、金融政策のみに力点のある政策的介入主義と、財政政策に力点のある介入主義者を、一緒くたにして批判する傾向があったと思います。



リフレ派のみなさんは今や「ゴキブリ」を自称されているようですから、これをそのまま比喩に使うと、いわば、ゴキブリとコオロギを一緒くたにして、忌み嫌っていたようなのです。主に「声」(政策による富の移転・私的利益の追求への加担)を出していたのはコオロギのようですが、茶色の虫たちを、まとめて「声の出るゴキブリ」と言っていたようです。



ちなみに、コオロギの親分については、JMMの対談に登場したマクロ経済学の大家などが念頭に浮かびます。彼は、対談の際に、「やっぱり、財政は効くんですよ」と仰り、私が「いったい何にカネを使うのですか。有効な投資がそんなに簡単に見つかるのですか?」と問うと、たいした例が挙がらず、「ネットによる救急病院の管理システムのようなものは役に立つ」といった地味な例が出てきたのを思い出します。



確かにコオロギは葉っぱを分かり易い形でばりばり食うので、私の観点からは、害虫認定がし易い。ゴキブリも仮に為替介入(←私はこれがまた大嫌いなのです)に積極的であったりすると、害虫なのか、とは思うわけですが、先ずは、基本文献を幾つか拝見してから、考えます。



3)「何でも飲む」というのは、ご指導を乞うにはありがたいので、後日ご連絡しますね。blogにメールすればよろしいでしょうか。ここのところ、夜の「News GyaO」に出る日が多いこともあり、少し先の日程になりそうですが、その方が、私が多少は本を読めるでしょうから、好都合だと思います。よろしくお願いいたします。



4)御著書「ゼミナール経済政策入門」が手元に届きました。売りになる読み所(特にマーケット関係者向けの)などあれば、ご教示下さい。そちら方面で紹介してみます。
 
 
 
Unknown (飯田泰之)
2006-03-30 12:30:14
アノマリーの研究は面白いですね.割引の方法に関する研究などが盛んに行われているようです.ただし,その研究の中心は「そのような裁定不成立がどのような効用関数に基礎づけられるか」というものです.つまりは,通常想定する目的関数では裁定不成立だけど,それはそれで合理的な理由があるのだというもの……そのひとつが



>最近では、人間の脳の機能などに理由を求めて



という話になります.脳がどうのというのは僕はどうでもよい話だと思っていまして,状況を合理的に説明する目的関数を捜し,それが他の状況においても整合性を持つか(これを実験で確かめたり)という部分が分かれば経済学としては十分だと思います.



で,こういうのを取り入れたマクロモデルというのをやっている人もいるみたいですが,合理的期待と排他的な内容と感じたことはないです.秋に行動ファイナンスのカンファレンスに出たあとでBenzion氏と飲んでいろいろ話したのですが,その時の話としても根本的に設定を変えるというより補完的な設定という印象を受けました.



ごく乱暴に言ってしまえば,裁定理論と近視眼的行動の加重平均をとるとわりと現実説明力が高い+明確なレジームチェンジのあったときには裁定理論の係数は高くなるというのが僕の印象です.マクロでこういう研究に近いのがHybrid型フィリップス曲線とそのパラメター可変性の話です.ここは意外と大きな鉱脈だと思っているのでいまほじくり中です(笑)



P.S.

メールはblogのプロフにあるものでO.K.です.いずれ機会がありましたらお目にかかれればと思います.

 
 
 
バーナンキの背理と政府債務 (比ヤング)
2006-06-15 18:19:46
飯田泰之先生のコメント

>長期的に貨幣が中立でない(紙幣を刷っても

>いつまでも物価が変わらない)としたならば,

>インフレ課税の弊害無しに貨幣発行益を享受

>できてしまう.極端に言えば札刷っていれば

>税金無しに国家が運営できてしまう



ここで飯田泰之先生が説明されいる政府発行の

貨幣の中には「国債」も含まれると思います。

もちろん、国債を発行しても、市中から集めた

現金を政府が使わなければ、政府による貨幣の

追加発行には当たりませんが、使うために発行

するのですし、現にそうしています



そこで疑問があります。現在のところ、日本は

政府の借金がかなり嵩んでいますが、なかなか

インフレにならないのはどうしてなのでしょう
 
 
 
政府債務とインフレ (山崎元)
2006-06-16 01:03:37
比ヤングさま



詳しくは飯田先生のブログ(http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/)でもおたずねになってお聞きいただくとして、一般常識的に言って、国債そのものは、換金性は高いものの「資産」であり、支払い手段になる「貨幣」ではありません。



たとえば日銀が国債を買い入れて「預金」を民間銀行に放出してはじめて、国債は貨幣に変身します。



しかし、民間銀行の日銀当座預金にベースマネーがあっても、民間銀行が貸せるような資金需要があって、銀行貸し出しが伸びないと、市中のマネーは増えません。



私は、銀行が貸せないのだから(むしろ多く貸しすぎていたくらいだったのだから)日銀の金融緩和でマネーを増やしてインフレにすることは出来なかった、という議論をしていたわけですが、これに対して、飯田先生は、国(=日銀のオーナー)が通貨発行益を使って税金を増やさずに需要を追加すれば、財政的な中立を比較的守りつつ、金融政策だけで、インフレを起こすことは理論的には出来ますよ、と教えて下さったわけです。



現実にそこまでやるのがいいかどうかは議論のあるところでしょうが、飯田先生の教えて下さった政策は、「デフレが問題だ!」ということにプライオリティーがある場合には、私も、一つの選択肢としてあり得ると思っています。



ただし、現実には、そういうことはなかったので、外需もあったにせよ、民間主導でで景気が回復するまで、銀行貸し出しは増えなかったし、インフレにもならなかった、ということなのだろうと理解しています。
 
 
 
Unknown (比ヤング)
2006-06-18 18:17:44
山崎元様



ご返答、ありがとうございます。山崎さんが

上の返答の後半で書いて下さったことは既に

山崎さんがコメントされているのである程度

理解しているつもりです。



以下は、あくまで理論的な疑問になってます

ので、飯田泰之先生に尋ねるのが適当と思い

ますが少し書きます。



国債は支払い手段としては今のところ使われ

ていないというのは、その通りだ、と思うの

ですが、信用という点では、デフレであれば

現金とほとんど変わらないと思います。仮に

決済手段として現金が不足していたとしても、

国債が豊富にあれば、その信用をコテにして

決済手段として利用できる「現金モドキ」を

作り出すのは可能であり、市中にある国債が

現金(あるいは日銀への貯金)に変わったと

しても、



【政府の信用】/【政府発行の名目債務】



という「1円当たりの価値」が変化するのだ

ろうかという疑問です。そもそもバーナンキ

背理の理屈を考えみると、この分母の「名目

債務」が増えるのでインフレが起る、という

話になってるように思います。



国債発行と引き換えに政府が実物資産などの

保有を増やすと分子が増えてしまうのでその

場合には変化しない、ということか、と思い

ます。



以上をよく考えると、デフレそのものは何ら

問題ではなく、「デフレ課税」が問題だ、と

いうことなのかもしれませんが。
 
 
 
政府インフレ率? (宣伝)
2006-12-16 22:56:53
http://blogs.yahoo.co.jp/fumadayo/8836336.html
 
 
 
ホンネの投資教室の記事について (ペリカン)
2009-08-24 23:45:14
山崎さんはホンネの投資教室の記事にて、期待リターンは日本株・海外株ともにリスクプレミアムから一律6%と仮定して、リスクについては過去のデータから割り出しています。リスクは過去のデータから割り出しているのに、リターンは過去のデータから割り出さないのはなぜですか?この考え方の根拠はどういったものでしょうか?またリスクが日本株・海外株で異なっているのにリスクプレミアムを1律6%とするのは無理があるように思うのですが…
 
 
 
脱字はそのままで (本庄利朗)
2011-08-14 13:30:19
この程度の時数の文章に脱字があり、それが何年も放置されていることに筆者の無神経ぶりが見て取れる。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2011-08-15 04:35:26
本庄 利朗 様

コメントありがとうございます。

頂いたコメントの文字数の中にある「時数」を笑ったりはしませんので、どうぞ、お幸せにお暮らし下さい。
 
 
 
リフレ派はいずこ! (かくせいⅢ)
2011-08-15 22:59:42
このエントリーがあるのを知りませんでした。

アメリカのQE2で結論が出たように思うのですが如何でしょうか。

矢張り店主の主張どおり、日銀は資金需要まで生み出すのは不可能なのだから、デフレの原因を日銀に押し付けるリフレ派には無理が有ったという事でしょうね。

田中氏が凝り固まるのは、ブログを読んでいたのでよく理解できるのですが、フレキシブルに見える飯田氏が、何故日銀が犯人だと言い続けたか、分かりません。

多分ご存じないコメディアン、チャーリー浜のギャグで一言、(リフレ派)「いずこへ!」
 
 
 
金融緩和の余地はまだある (山崎元)
2011-08-16 02:31:05
ゼロ金利まで来ると日銀の資金供給はブタ積みになるだけなので、金融緩和は無効、というのが、かつての私の主張ですが、日銀がリスクを取ったり、財政的な措置を組み合わせると、追加的な緩和は可能だと現在は考えています。

たとえば、ベーシックインカムに対して日銀引き受けを組み合わせると、まあまあフェアなバラマキと、インフレ期待につながる追加緩和は可能ですし、これ以外にも、「多少は効果があるはずだ」という方法は存在します。日本は、外国との対比の上でも、もう少し金融緩和をやった方がいいと思います。

ただ、「信用」(=借金。信用創造)というものがこれだけ拡大した経済では、政府と中央銀行の政策だけでは、なかなか思うように物価と景気をコントロールできない、というのが、たぶん、現実です。

「QE2」は無駄ではなかったけれども(米国はまだデフレではないし)、これだけでは不十分なくらい、民間の信用収縮はダイナミックなのだ、という辺りが妥当な現状認識だろうと思います。米国は、不良債権処理をまだ十分に行っていないので、民間の信用収縮が止まりません。

魔法のような劇的効果はありませんが、日本は、まだまだ「非伝統的」金融緩和政策を行うべきです。デフレで且つ低金利なので、弊害を恐れるのはまだまだ先であるべきでしょう。

「非伝統」の部分は、いろいろな意見がありますが、減税ないし、フェアなバラマキ、あるいはコンセンサスの取れる財政支出(復興資金など)を使うのがべすとだという点で、私の意見は少数派だろうと思います(日銀にも、財務省にもウケが悪いので、専業のエコノミストは主張しにくい意見でしょう)。
 
 
 
のリングに上がっても (High-tech Kids Shoes)
2020-11-27 21:31:46
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