評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
テレビの取材を受ける場合の基礎知識
先日、AIJ投資顧問の事件に絡んで、幾つかのテレビ番組でコメントしたら、twitterで、取材される時の状況はどのようなものかという質問を頂いた。読者の皆さんも、殆ど全ての方が、潜在的にはテレビに取材される側になる可能性がある。取材の概要と傾向と対策について、気付いたことをメモしておこう。
テレビに取材される場合は、先ず、生か収録かを意識することが重要だ。テレビに不慣れな場合は、生の場合により強いプレッシャーを感じるかも知れないが、取材される場合に要注意なのは、むしろVTR収録の場合だ。理由は、収録には編集が伴うからだ。収録の場合、自分が言いたいことや、自分の発言について補足したことが(本当はセットでないと誤解を招くのに)必ずしもオンエアで使われるとは限らない。
十年くらい前のことだが、あるキー局の女子アナと話をした時に、彼女が「私が取材を受ける側なら、後で編集される事前収録の取材は受けたくない」と言っていたことを思い出す。その時は、「生でなくて、収録の方が、失言を後から削除できるから安心なのに」、「取材する側の人なのに、テレビ局の行為に否定的なのか」と少々驚いたことを覚えているが、その後、当時の彼女の気持ちが良く分かるようになった。
取材を受ける側の理想としては、時間の余裕(少しでいいから)のある生出演ということになる(NHKの「ニュースウォッチ・ナイン」は丁寧な作りで、出演者としてはいい感じだった)。
VTR取材の場合、取材する側からカメラマンとインタビュアーがやって来ることもあるし、テレビ局に行って会議室(こちらの方が多い)かスタジオでインタビューを受けることもある。印象をいうと、テレ朝は局の会議室が多いし、フジテレビは取材にやって来ることが多いように思うが、私はどちらでもいい。通常は、局に行く場合は、テレビ局側が交通手段(の、少なくともコスト)を手配してくれる。
報道番組のオンエアで使われるコメントは、通常1、2分、長くても3、4分くらいであることが多い。しかし、通常、インタビューは、短くて10分、長いと30分くらいかかることが多い。そして、前述のように、使われるコメントは、話した側にとって不満足な部分であることが少なくない。
率直にいって、言いたいこと以外の発言をオンエアされたくないと思えば、自分の言いたいこと以外には一切何も答えないというくらいの覚悟が必要だ。但し、これは、よほど強い意思を持っているのでないと難しい。常人には不可能だろう。
たとえば、一生に一度だけテレビの取材を受ける機会で、不本意な伝わり方は絶対に嫌だという方は、収録の取材は受けない方がいい。テレビ局(が使っている人)は、初対面から信用できる相手ではない。
それでも私が収録の取材を受けるのは、(1)プラスになる内容がマイナスになる内容よりも多く伝わればそれでいいと割り切っているから、(2)雑誌やウェブなどで自分の意見を表明できる場があるから、という理由による。相手が悪意を持っている場合まで考えると、これでは油断しすぎなのかも知れないが、大体の相手は立場と能力の制約はあっても概ね善意の取材者であるし、現在の私の価値を貶めてもこれをメリットと感じる人はいないだろうという(少し残念な!)自己評価があるからだ。私が政治家でもやっているなら、あるいは所謂「有名人」なら、もう少し用心深くなければいけないだろう。
取材の謝礼が気になる読者がいらっしゃるかも知れない。
基本的には、取材を受ける立場では、「取材謝礼はゼロでもいい」と認識しておくべきだ。取材の内容によっては、謝礼を払うことと取材の目的の間にコンフリクトが生じる。取材は断る権利もあるし、だからこそ、受けるからにはそれなりに覚悟が必要だ(一応の原則論として)。
ただ、一般的な事項解説的取材では、解説に対して謝礼を払うのは自然だろうし、謝礼には、取材源が取材に使った時間と手間への対価という意味もある。
取材謝礼に公定相場がある訳ではないし、実のところ私も金額を確認しないことが殆どなのだが、10分~30分くらいの収録取材に応じて何分かオンエアされたといったケースでは、1万円~3万円くらいのものだろう(特別な情報提供の場合はもっと多いかも知れないが、それは稀だろう)。
タレントではない文化人(評論家、先生、作家、ビジネスマン、等。私もこの範疇)の場合、テレビ出演の謝礼には民放各局の間で「ゆるやかな談合価格」があり(NHKはもう少し安いと言われている)、局や番組の予算などで異なるが、ゲスト的な出演の場合「1時間テレビに映っていると5万円」というくらいのものだろう(但し、レギュラー出演で、MCなど重要な役割の場合、別建てになることはある)。私の場合、「報道ステーション」や「スーパーニュース」でVTR取材に答える謝礼は1回(たぶん)2万円くらいだろう。「とくダネ!」(フジテレビ、約2時間の生放送)のコメンテーターは1回、10万5千円(出演料+消費税で)だった。文化人のテレビ出演は、それ自体はそれほど儲かる仕事ではない。
準備や移動の時間と手間を考えると、テレビ出演自体は、それほど割のいいものではない。ビジネスとして考えると、たとえば評論家の場合、テレビで顔を売って、講演(テレビよりも時間あたりの収入がいい)で儲ける、というのが典型的なビジネスモデルだろう(私の場合、少々違っていて、経済的には随分非効率的だ)。
つらつら考えてみるに、テレビで露出することがメリットになる商売に関わっているのでない限り、ビジネス的には、テレビに出ることは、差し引きでそれほどメリットのあることではない。とはいえ、今のところテレビの情報伝達力は圧倒的だ。伝える価値のあることを発信しようとする人は、上手に付き合いながら、テレビを上手く利用して欲しい。
テレビに取材される場合は、先ず、生か収録かを意識することが重要だ。テレビに不慣れな場合は、生の場合により強いプレッシャーを感じるかも知れないが、取材される場合に要注意なのは、むしろVTR収録の場合だ。理由は、収録には編集が伴うからだ。収録の場合、自分が言いたいことや、自分の発言について補足したことが(本当はセットでないと誤解を招くのに)必ずしもオンエアで使われるとは限らない。
十年くらい前のことだが、あるキー局の女子アナと話をした時に、彼女が「私が取材を受ける側なら、後で編集される事前収録の取材は受けたくない」と言っていたことを思い出す。その時は、「生でなくて、収録の方が、失言を後から削除できるから安心なのに」、「取材する側の人なのに、テレビ局の行為に否定的なのか」と少々驚いたことを覚えているが、その後、当時の彼女の気持ちが良く分かるようになった。
取材を受ける側の理想としては、時間の余裕(少しでいいから)のある生出演ということになる(NHKの「ニュースウォッチ・ナイン」は丁寧な作りで、出演者としてはいい感じだった)。
VTR取材の場合、取材する側からカメラマンとインタビュアーがやって来ることもあるし、テレビ局に行って会議室(こちらの方が多い)かスタジオでインタビューを受けることもある。印象をいうと、テレ朝は局の会議室が多いし、フジテレビは取材にやって来ることが多いように思うが、私はどちらでもいい。通常は、局に行く場合は、テレビ局側が交通手段(の、少なくともコスト)を手配してくれる。
報道番組のオンエアで使われるコメントは、通常1、2分、長くても3、4分くらいであることが多い。しかし、通常、インタビューは、短くて10分、長いと30分くらいかかることが多い。そして、前述のように、使われるコメントは、話した側にとって不満足な部分であることが少なくない。
率直にいって、言いたいこと以外の発言をオンエアされたくないと思えば、自分の言いたいこと以外には一切何も答えないというくらいの覚悟が必要だ。但し、これは、よほど強い意思を持っているのでないと難しい。常人には不可能だろう。
たとえば、一生に一度だけテレビの取材を受ける機会で、不本意な伝わり方は絶対に嫌だという方は、収録の取材は受けない方がいい。テレビ局(が使っている人)は、初対面から信用できる相手ではない。
それでも私が収録の取材を受けるのは、(1)プラスになる内容がマイナスになる内容よりも多く伝わればそれでいいと割り切っているから、(2)雑誌やウェブなどで自分の意見を表明できる場があるから、という理由による。相手が悪意を持っている場合まで考えると、これでは油断しすぎなのかも知れないが、大体の相手は立場と能力の制約はあっても概ね善意の取材者であるし、現在の私の価値を貶めてもこれをメリットと感じる人はいないだろうという(少し残念な!)自己評価があるからだ。私が政治家でもやっているなら、あるいは所謂「有名人」なら、もう少し用心深くなければいけないだろう。
取材の謝礼が気になる読者がいらっしゃるかも知れない。
基本的には、取材を受ける立場では、「取材謝礼はゼロでもいい」と認識しておくべきだ。取材の内容によっては、謝礼を払うことと取材の目的の間にコンフリクトが生じる。取材は断る権利もあるし、だからこそ、受けるからにはそれなりに覚悟が必要だ(一応の原則論として)。
ただ、一般的な事項解説的取材では、解説に対して謝礼を払うのは自然だろうし、謝礼には、取材源が取材に使った時間と手間への対価という意味もある。
取材謝礼に公定相場がある訳ではないし、実のところ私も金額を確認しないことが殆どなのだが、10分~30分くらいの収録取材に応じて何分かオンエアされたといったケースでは、1万円~3万円くらいのものだろう(特別な情報提供の場合はもっと多いかも知れないが、それは稀だろう)。
タレントではない文化人(評論家、先生、作家、ビジネスマン、等。私もこの範疇)の場合、テレビ出演の謝礼には民放各局の間で「ゆるやかな談合価格」があり(NHKはもう少し安いと言われている)、局や番組の予算などで異なるが、ゲスト的な出演の場合「1時間テレビに映っていると5万円」というくらいのものだろう(但し、レギュラー出演で、MCなど重要な役割の場合、別建てになることはある)。私の場合、「報道ステーション」や「スーパーニュース」でVTR取材に答える謝礼は1回(たぶん)2万円くらいだろう。「とくダネ!」(フジテレビ、約2時間の生放送)のコメンテーターは1回、10万5千円(出演料+消費税で)だった。文化人のテレビ出演は、それ自体はそれほど儲かる仕事ではない。
準備や移動の時間と手間を考えると、テレビ出演自体は、それほど割のいいものではない。ビジネスとして考えると、たとえば評論家の場合、テレビで顔を売って、講演(テレビよりも時間あたりの収入がいい)で儲ける、というのが典型的なビジネスモデルだろう(私の場合、少々違っていて、経済的には随分非効率的だ)。
つらつら考えてみるに、テレビで露出することがメリットになる商売に関わっているのでない限り、ビジネス的には、テレビに出ることは、差し引きでそれほどメリットのあることではない。とはいえ、今のところテレビの情報伝達力は圧倒的だ。伝える価値のあることを発信しようとする人は、上手に付き合いながら、テレビを上手く利用して欲しい。
コメント ( 38 ) | Trackback ( 0 )
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芸人も一部を除き、営業で食っているわけですから。
それから、取材しているディレクターのレベルが
低いのも問題です。
編集で悪意がなくても自分の理解出来るストーリーに
編集してしまうことになりがちです。
それにしてもAIJ事件はひどいですね。
社保庁OBの金融コンサルタントと天下りOBの連携ですか。
山崎さんにもどんどん追求してもらいたいものです。
読売:山崎正和氏「ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある」
2011年1月10日 読売新聞朝刊
日本の改新 識者に聞く 山崎正和氏
もう一つ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、「責任を持って情報を選択する編集」が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある。
俺はPCがいじれないのでピコピコPCいじってる奴らが超目障りだという所までは読めました。
“知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた”
これすごくないですか。
王侯貴族ですな。
下郎ども刀の錆にしてくれようと今にも言いそうな勢いです。
(1)1997年、私が山一証券の社員だった時、同社が自主廃業を発表しました。この際、ある民放テレビ局の取材を受けたのですが(顔を隠した映像です)、私の意図は、「週初に山一のとばしの報告を受けていた大蔵省が、東証での山一株の取引を止めなかったことは、証券局の市場監督として誤りだった。これによって、多くの投資家が損害を被った」ということを指摘したかったことにありました。30分~40分くらいVTRを回しながら、インタビューを受けたでしょうか。もちろん、この点を中心に話しました。これは、今でも重要なポイントの一つだったと思います。
しかし、オンエアでは、「ところで、山一社内の中高年の社員の様子はどうですか?」という問に答えた、どうでもいいやりとりが1,2分流れただけでした。
【教訓】カメラを回しながらこちらの意図(普通は多少の打ち合わせが事前にあって、こちらの話したいことは伝えてあります)と関係ない質問をしてくる場合、相手は、別のテーマのコメントが欲しいだけのことがある。心配な場合は、インタビューを一度止めるといい。収録なので、話し続ける必要はない。「テレビだから、話し続けなければ」と思うと、不本意なコメントになって、その部分が使われることがある。
【補足】事前の打ち合わせの際、取材を担当したディレクターが「視聴者は、ヤマザキさんが思っているよりもさらにバカだと思って下さい。難しい話はダメです」と言っていたのが印象的でした。ときに、自分が分からないテーマを避けるために「視聴者がバカであること」を言い訳にする取材者がいます。「おばあちゃんにも分かるような話で」といった言い方をする人にも要注意です。
(2)先日のテレ朝の「報道ステーション」でAIJ問題についてインタビューを受けた時には、テレ朝の会議室に出向いて、AIJの損失→基金の損→母体企業の穴埋め負担→最悪の場合母体企業の倒産も・・・、という順序で事件の直接的な影響を述べましたが、担当のインタビューアーは、「企業の倒産の可能性」に言及することを嫌い、この部分を「企業にも重い負担が」というくらいに訂正してコメントして欲しいと頼んできました。
事実からそれた話ではないので、この部分を訂正したコメントを収録し、その日には、そのコメントがオンエアされたのだろうと思います(この日は所用でオンエアを見ていません)。
ところが数日経つと、基金・企業の負担問題が持ち上がり、「先日のコメントのその部分を、今晩使わせて欲しい」という依頼が電話でありました。事態の推移は、私の思っていた方向だったということです。
【教訓】この例は、私としては当初取材を受けながら<不十分だなあ>とは思った訳ですが、<まあ、それでも、何も伝えないよりはいいだろう>と思って、取材側のリクエストにそのまま応えたのですが、収録でインタビューを受ける場合は、取材側が「こう言って欲しい」と内容や言い方を指定してくる場合があることに対して心の準備が必要です。
特に顔を出して答える場合は、不本意なコメントはその場で断る勇気と判断力が必要です。私は、「私の詳しくて正確な意見は別の場所で書けばいいから、まあいいや」ということもあって、上記のように応対しましたが、人によっては、「そこを言えないのなら、意味がない」と思われる場合もあるでしょう。
【補足】取材する側も生身のサラリーマンなので、これを言わせたいとか、こう言われては困る、といった判断があります。彼らの多くは(今回の取材者も同様ですが)、厳しい時間的制約の中で、善意を動機に取材の仕事をしている人達なので、協力できる所は協力し(たとえば、言い直ししてあげると、編集が楽になるはずです)、伝えるべき内容を、彼らと一緒に考えるので、というつもりで臨むといいでしょう。ともあれ、取材し、後から編集できる権限を持っている側が、何を意図しているのかを推測することが大切です。
いらっしゃいませ。
安くても(必ずしもそうとばかりは思いませんが)多くの人がテレビに出たがる理由は、テレビの広報効果が大きいからでしょう。有形無形にテレビに出た「有名」で得をする場合もあります。
>島川言成さま
おひさしぶりです!
「V」はやはり気を遣いますね。また、「生」は必ず時間通りに終わるのも、有り難い点です。バラエティ番組などの収録では、オンエア時間の3倍くらいの時間がかかることはザラにあるので、時間の効率が悪い場合があります。
>西方珍奇さま
こんにちは。面白いものをご紹介下さって、どうもありがとうございます。
山崎正和氏は、「権威ある編集」のフィルターを経ない言論に我慢できないのでしょう。寡占に守られた既得権者として再販制度に守られた新聞に好意的なのは自然なことに思えます。
しかし、「責任ある編集」が、誰によって、いかになされるのか、について現実的な認識を欠いているのが彼の弱点のように思えます。記者クラブにぶら下がったサラリーマンが、どれほどのクオリティで、いかほどの責任を取るのでしょうか。こんなものを「権威」の源として頼らねばならないとすれば、彼の特権的な地位は風前の灯火と言うべきでしょう。
ラジオに出演される方がよろしいですよ。
テレビと違ってかなり深くまでしゃべれます。
あとおかしな聴取者があまりいない。
テレビと並行してラジオで言い足りなかったことを全てつまびらかにされるとわだかまりはちょっと減ると思います。
私は業界の人間ではないですがテレビとラジオは大分対象になる層が異なる気がいたします。
テレビのような何だか知らない間に窮地に陥る危険性がほとんどありません。
ラジオの失言でとんでもない目に遭ったのは羊水のあの人くらいですかね。
ほかはほとんどいません。あとあの件も話芸が芸人さん並みだったらラジオ番組内で叩かれるだけで外には出なかったでしょう。
音声メディアはいい意味でなあなあです。
あと受け手としてはデータが外に持ち出しやすいので
どんどん録音し後から外で聴くことができます。
動画は圧縮すればできますがながらが無理なのでやはり持ち出しまではちと手間ですね。
リアルタイムでも聴き逃しても手軽なのがラジオです。
という訳で
是非ラジオのレギュラーをご検討いただきたい。
喋り足りないという不完全燃焼はまずないでしょう。
それから結構黒い部分を出しても吸収してくれる鷹揚さがラジオのリスナーにはあります。
地方局の制作者側の実態とすれば…(田舎なのでキー局とはかなり違いますが)
まず、謝礼は払いません。ニュースなのでお金がありませんし、謝礼を払うことで相手の自由な発言を阻害するかも…ということで、よっぽど有名で高名なプロ評論家みたいな人以外は謝礼を払ったことはないです。そして、地方にいる限りはなかなかそういう機会はないです。
そして編集ですが、これが正直辛いところです。もう編集する時点で相手の意見を大なり小なりまとめたり、変えたり、制作者側の作為となる部分なので。
基本的には制作者側の意図があって、それに沿う答えを言ってもらい、そこだけ使わせてもらう…というのが実態です。ですので、私たちは事前にある程度、打ち合わせをして、相手の言いたいことと、自分の伝えたいことが合うかを吟味します。その上で正式にアポをとりますし、必ず取材の趣旨は伝えます。全体がどのくらいの時間の企画で、これから撮るインタビューがどのくらいの尺をとるのかもできるだけ説明します。ですので、あまり私は対象とトラブルになった記憶はないです。
ただ、地方局は取材をしたDがそのまま編集しますが、大きい局なんかだと、現場のDと本社で編集したり、構成したりする人が違う場合がありますから、そういった間違いは起こりやすいだろうなと勝手に想像します。
ちなみに、視聴者をバカだとは思ったことはありませんが、
「中学生にも理解できる言葉使いや内容で」と入社してまず、教わります。ま、あくまでも最初に言われるだけですが。
私たちは毎日毎日、いろんな方に取材やインタビューを協力していただいています。これを長く続けると、流れ作業のようになってしまい、相手の都合を忘れ、自分が仕事を終えやすいように、楽な編集、楽なつくりに陥って仕事しがちです。おごった言い方かもしれませんが、テレビという自分の仕事の影響の大きさを忘れて。
今回、改めて自分自身の襟を正したいと思いました。
実際に編集していて、いちばん申し訳ないと思うときがあります。
NHKは別ですが、テレビ側の都合で、つまり視聴者を飽きさせないためにはやはり、短く、キレのいい言葉がいい。使いやすい。いつも申し訳ないなと思うのはインタビューで、座ったままだったり、ほとんど動かずに長くしゃべられても、どんなにいいことを言っても「映像がつまらなくなる」と考えてしまいます。
インサートを入れたとしても、やはり30秒くらいが限界です。それより長くなると、映像に飽きて内容が頭に残らなくなってしまう、チャンネルを変えられてしまう…と勝手に考えて編集してしまいます。
理想は15秒くらいにまとめてもらうのが使いやすい…しかし、問題が複雑になればなるほど、そんな短時間ではまとめられないですよね。
だからテレビはああいった編集になってしまうのです。
これは、めちゃくちゃ見た目のいい人や、涙を流すなど、明らかに感情が伝わってくる鬼気迫る様子の人などは例外です。
確かに、ラジオはいいかも知れません。私は是非他人に見て貰いたいほどの顔をしている訳ではないので、たくさん話すことが出来る番組は魅力的です。残念ながら、これまでラジオの出演は数えるほどしかないのですが、チャンスがあればやってみたいと思います。
>某イチタさま
いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。取材する側の考えや苦労も分かって、読者にとって有益な情報になったことと思います。
話をする側でも、こんな調子で話していると画面もトーンも単調になるなあ、と思って気が散ることがあります。
事前に何をどう伝えるか、打ち合わせをして、取材する側とされる側とが目標について合意しておく作業が大切ですね。この部分を省略して、「さあ、取材です。喋って下さい。あとは、こちらで編集します」という勢いの取材者が多いのが少し気になる所です。出演側としては、大切に取材されているというよりは、単に素材として利用されているのだなあ、という気持ちになることがあります。私は、仕事だと割り切っているので、それでも構わないのですが、それでは編集が大変だろうし、編集が大変ということは、雑になる可能性もあるな、と心配することがあります。
もっとも、事前の打ち合わせをやりすぎると、本番で(特に生出演の場合)コメントにフレッシュ感が無くなる場合もあるので、加減が難しい所ではあります。
山崎さんが興味を示しているということが伝われば話は早いと思いますよ。
業界の方はもう見てるかもしれませんね。
あと誤謬がありました。
こ●ださん以外で大惨事に見舞われた方いましたね。
北野誠さん、2回クラッシュしてますね。
でも20年超やって2回ですから事故率としてはちょって整備がいい加減な航空会社と謂ったところでしょうか。
しかも曲芸飛行ばっかりやってました。
むしろあれだけのことをやってのけた上での奇跡の生還率を誇るべきかもしれない。
これに比べたらテレビなんて怖い怖い。
あとは松本明子さんですね。
これも事故ではありません。自分で赤信号を渡ろうとしただけです。
山崎さんが心配なのは鉢呂議員が大臣の時に直撃を受けたようなあの類の揚げ足取りですよね。
ラジオではそういうことはありませんのでどうぞご安心を。
キー局の体質はもちろん全国の地方局に敷衍する次第です。
フジ系のテレビ屋は中央地方の区別を問わず上から下まで一人の例外もなくヲマンコ野郎と断ずる所以ですがマー店主は恥を欠かされた素人というポジションに置かれることはまずなかろうと思われますので関係ないといえば関係ないでしょうけども。
ココを読んでいる読者よ友よ、フジ系TVの画面に映ること自体、悪いことは言わないので全力で避けるべきだとご警告申し上げます。
某イチタ様の現状報告を拝見し
ちょっと考えを改めようと思ってしましたが
やっぱり無理です。
むしろ地方の方が正常なんでしょう。
キー局は瘴気が満ち満ちています。
DOL「それでも金融業界を目指す若者へhttp://diamond.jp/articles/-/16575」を拝読しました。
将来に期待と不安を抱く多くの若者に寄り添う山崎さんの姿勢が、行間に浮き彫りになっていて心が温まりました。
また、非常に含蓄に富んで優れた「金融業就職ガイドライン」だという思いが強かった。
例えば、引用【金融は危ないビジネス】は真に尖った適切なアドバイスだと思う。
また、【儲けることが心底から好き】というのも、私が嘗て部下達に「好きになれ!」と嗾(けしか)けたズバリの資質であり、全く同感です。蛇足を付せば、その際の私の対句は「カネを使うことは重要な作業だが、儲けることをより好きになる!」「カネ使いに品格を込める!(成金の真似はご法度!」でした(笑)。まあ、これは金融に限らず全てのビジネスピープルに届けたい処です。特に、へたれ経済からの脱却を主導し切れない(本来は雁行の先頭を行くべき)大企業経営者には。
一方で、私から一世代(正確には11年)下がった時代に証券会社業務に造詣の深い山崎さんと、一世代前に銀行の間接金融部門で金貸しをしていた私との違いも浮き彫りになっています。この観点では、山崎さんのアドバイスが、銀行の間接金融を想定すると、強調される度合いや重心が移動するかもしれません。
【金融マンの実質的な選手寿命が短い】は、細かなことは兎も角として、大きな傾向としては、金融業の中では市場部門や証券部門に強い傾向、逆に金貸し部門には総体的に弱い傾向だと思います。伝統的な間接金融では、経験の長さによって知見が蓄積されより高度で適切な判断を下す拠り所となる。リスク感覚も磨かれる。「かも知れない運転」の上級者になる(筈)(笑)。
【バランスシートの中に大きなリスクを抱えるビジネス】は、私の表現ではRiskTakeをより強調して「リスクをB/Sに取り込むことこそが、金融(金貸し)のビジネスモデルだ」になります。
また、【金融業界では顧客や株主にリスクを取らせて‥】には、金貸し部門に対して世間では批判や非難が絶えませんが(過剰なモノは須らく非難されるべきです)、経済合理性の範囲内で借り手に保証(その目的は金銭的補償よりは寧ろ、放漫経営など道義的な制約を目的にする場合もある)や担保を要求するのは適切な要求であって(と私は確信しています)、金融機関はその合理性の上に立って、尚且つ「二度とは返って来ないかも知れない現金を、借り手に渡す」ことで、リスクをB/Sに取り込んでいると。
金貸し畑の認識では、「金融は実体経済の黒子であり、主役ではない」。また、「金融事業自体が価値を生むものでもない。借り手企業や個人がその借入金で生み出した付加価値の一部を、利息その他の形で正当に申し受ける」。この認識でこそ、今は株式公開していない、今は公開する積りもない、今は公開できない中小企業の飛躍のための黒子役が務まるのだと。
更にこの延長線上には観念的な議論ではありますが重要な論点として、「健全な資本主義体制下に於ける、健全な金融機能」の観点で、「間接金融と証券発行市場(※注1)」vs「貸付債権や証券の流通市場(※注2)」の比較が予ねて興味深いと思っています。勿論、世事は須らく複雑で多様ですから、「一方が優れている、他方が劣っている」という短絡的な結論を求めるのは間違いである、という意味を含めて「観念的な議論」として。
(※注1)実体的な経済活動を担う企業や個人に、活動資金を直接的に提供する金融機能。
(※注2)上記の企業や個人との資本の出入りはなく、投資家の間だけで資金を遣り取りする金融機能。
草々
この記事ってどうなんですか?
外国株と国内株じゃ20代の若い人じゃなけりゃこんなにリスク(ボラティリティ)取れないんじゃないですか?
401kは年金運用を前提にしたものなので、短期的な元本割れってのはどうなんですかね?
年金はインフレとか物価上昇率とかがあるので、元本とか言っても始まらないんじゃないですか?
せめてこのぐらいは勉強してから401Kを語った方がいいんじゃないですか?
http://www.daiwa-am.co.jp/guide/term/ya/yuuko_1.html
結局ポートフォリオはどのぐらい月々積み立てられるか?
目標貯蓄額はどのくらいでどの程度運用のブレを許容できるかじゃないんでしょうか?
AIJの一件でも発覚しましたが制度上のみで保証された確定利回りは砂上の楼閣となることも。
きちんと金融の根本原理を説明してこそ、専門家なんじゃないでしょうか?
401kは「全体の中の一部」として考えることが大事です。どれだけリスクを取るかを先ず考えて、次に、401kにどの部分を割り当てると得かを考える。
「年金だから特別」と考えているようでは、「金融の根本原理」が分かっていませんね。
まあ、こういう方がいるおかげで、初歩的な話が商売になるということなので、痛し痒しですが。
尚、拙文は、意味的に、元本に拘るな、と言うとります。国語も勉強されたらいいのではいでしょうか。
オーナー企業の相続について、
株式を売却しない限り税金掛けなくていいんじゃないですかね。
配当の分は所得税でしっかり網を張るとして。
経営するという意思がある限り株式を売却しなければ無税でよろしいと思います。
どんどん散逸して創業家の持分が減る
挙句機関投資家が所有してつまらん会社になってゆく。
流動性が増す、つまり固有株主が減る方が証券市場での価値は上がるのでしょうが
その会社固有の稼ぐ力はいろんな人手に渡ることでどうなっちゃうんでしょうか。
パロマみたいに外部の目が無くなるってデメリットもありますが
ああいう場合昔だったら銀行の担当者がしっかりせえとどやしつけたんじゃないですかね。
借財と資産がでかければ結局法定の監査はありますから外部の目が届かなくなるというデメリットは俄かに首肯しかねる。
あと未公開企業の株と社債の市場が貧弱ですね。
このカテゴリーに関してはもっと色々なことを仕掛けられる余地が東証にはあると思いますよ。
羽生善治に矢倉を勉強してから来いと言ってるようなもんだぞw
すごい奴がいたもんだwww
私は山崎さんの普段の主張を理解しておりますので、手数料に拘る理由も理解できますが。
ただ、普通の企業は沢山払って宣伝して貰っているので、そう考えると、宣伝して貰った上に、出演料も貰えるという良い話に思えます。
以前にいた会社の社長が、スマートフォンをいち早く全社導入して、日経の一面に大々的に載った時に、これだけのパブリシティを得るのは大変なことなのだ、(俺は)凄いだろう。と自慢していたのを思い出します。
テレビは生とVTRでは全く性質が違うというのは知りませんでした。目からウロコです。
確かに自分でも報告書等を書くときに、集めたネタの中の自分の都合のよい部分だけ抽出して纏めたりしますね。VTRはおそらくそういう感覚なのでしょう。
6割が元本割れの記事は、表題が良くないですね。
立て直す必要なんてないんですから。
現在元本割れってことは、安く積み立てるチャンスが
継続しているとも言えます。
1年ちょっと前に企業年金が401kに移行されたので、
私なんかインデックス(KOKUSAIとTOPICS)で配分してたら、利回り10%以上ですよ。
円安と株高で。
そういう人はあまりいないので6割が元本割れなんでしょうけど。
でもまだまだ定年が遠いのでもう少し円高が続いてほしい
(現在は元本割れしていて欲しい)
と思っているところです。
釈迦に説法というのを現代的に言うと
「羽生名誉NHK杯に矢倉を勉強しろ」
ですね。
DOL【消費税率引き上げ決定を前に】を拝読致しました。
前段の民主党幹部の評価は、的確であることは勿論、其れを超えて痛快!「善意の愉快犯」の本領発揮!という処でしょうか。
【彼(岡田さん)に、菅直人氏並みのずるさがあれば‥すでに首相の座に就いていたことだろう】という脈絡は同感ですが、其れだけでは、山崎さんの意に反して?菅某を褒めているの感なきにしも非ず(笑)。例えば、「ずるさ」にも卑しさと同居するものと無縁のものがあるなどを付言しないと‥、という感じがしました。
【前原氏が自分の手に負えない問題で見得を切るのは毎度のことで、見慣れたストーリー展開だ】には、成程!と溜飲を下げたことでした。
まあ、同じく「一般には矛盾と観えること」を言っても、仮に大政治家ならば大きな道理を以ってきっちりと両方の言葉に整合性を付けて、問題解決に道筋を付けられるのでしょうが、彼は未だその域にはないのでしょう。または、彼の矛盾発言の背景には、善く云えば「理想論の先走り」(善く云ってもこの程度(笑))、悪く云えば「小さな保身の意識」の所為、いずれにせよ芳しくはない(笑)。
後段の【今回は財務省が「本気」だ】が難題ですね。財務省を本気にさせた犯人は、間違いなく【臆面もなく「君子豹変」(いつ君子になられたのかは存知あげないが)】(あっはっはっ!)した野田さんだと思う。
A氏(または財務省)の【労働力人口が減りつつある日本が成長率を上げることは難しく、日銀がインフレを目指して目標を宣言しても、これを達成する手段がない】という見解には、「そうだろうなあ」という諦めにも似た感慨を抱きつつも、此処こそが最大の問題点、見解の分岐点だと思います。
彼らは飛び切り付きの優秀な頭脳を備え広深永に物事を観る能力を備えている筈ですが、実際には考慮するべき変数を異常に絞り込んで仕舞う傾向が強い。勿体無いことです。最早言うのも今更気恥ずかしくなりますが、「行政の縦割り」が財務官僚の視野従って責務を国家全体から狭浅短なものにして仕舞っているのでしょう。
肝心の政治を民主党津村啓介さんに代表させるのは間違いですが、彼の次のツイートには唖然とさせられて仕舞いました。
≪ともあれ民主党は、党として消費税増税を了承。法律(附則104条)に定められた日程の枠内で、一本の法律で5%の増税を決める歴史的な法案を決定した。「決められない政治」からの卒業である。≫
草々
又しても閑話休題、又しても長駄文、ご容赦下さいませ。
DOL【田中直紀氏と猫ひろし氏が教えてくれることhttp://diamond.jp/articles/-/16943】を拝読致しました。
痛快と同時に納得。山崎さんの「善意の愉快犯」の犯行!が冴え渡り、感服した次第です。
その感服の流れで長い前置きを申し上げれば‥、昨年来、自民党とみ党の幹部などが異口同音に「誰が遣るかではなく、何を遣るかが大切だ!」と繰り返しています。自民党の某氏には異議を唱えて「両方大切だが、国家の危機にある今は“誰が遣るか”がより重要だ。未熟歪の民主党の数多の悪しき所業が此れを実証している」と言っているのですが、なかなか軌道修正されない。
日本は今、その「誰」を民間からも非「ムラ人」を強力に募って増やす必要があると思います。此の脈絡は、蛇足に亘りますので以下省略(笑)。
扨て、P.F.ドラッカーさんの「人は自分の強みを生かすことで成果をあげよ」という訓えは、その限りに於いて当然乍ら正しい。然し、山崎さんはご承知の上の解説なのでしょうが、彼は別の処では、「人も事業も社会に貢献するべきだ」という趣旨も強調されている。「猫氏の職業人生戦略や行動はビジネスパーソンにとって大いに参考になる」ことには一部に同感ですが、然し同時に、極めて希薄な社会貢献の香りを含めて「まるでユニフォームを着替えるように国籍を変える」戦術は一般的に深い部分で、今後の本人のアイデンティティや誇りを大きく傷付けると思います。戦術を間違えれば、戦略が叶わないばかりか大きな代償を払うことになると。猫氏個人の心配は余りしませんが‥。
また、予て【野田首相に対して問責決議案を出せばいい】のに何故出さないのだ!?と不思議に思っていましたので、【やる気も度胸も政治的な勝負勘もない自民党執行部にも、時の政権を批判し攻撃しているというアリバイは必要だ】とのご指摘には大きく膝を打った次第です。
共に「身分高き者」として国家と国民に対し重い責務を負っている者達(※注)が、与党が未熟歪で、最大野党がアリバイ造りに血道を上げるのでは、此の国の政治が混迷し、経済が20年以上を喪うのも、蓋し宜なる哉だと。此の脈絡でも、冒頭に戻って、「“誰が遣るか”がより重要だ!」という判断になる筈だと。
(※注)「身分高き者」は、新渡戸稲造さん著「武士道」の「身分高き者が負う責務」を無断で!(笑)拝借しているものです。政治に限らず経済特に大企業の社長にも社会特に種々の団体理事長にも他人のカネを巨額に預かる金融関係者(AIJ浅川某にはその認識さえないでしょうね)が、今こそ肝に据えるべき貴重な日本の訓えだと。
草々
【田中直紀氏と猫ひろし氏が教えてくれること】
を拝読いたしました。
田中直紀氏に関しては、真紀子さんのだんなだと言うだけで世の亭主族はみんな尊敬出来るという話があって、
きっと国会で責められるくらいはなんともないんでしょう。
猫ひろし氏に関しては、この記事の意見とはちょっと違う感想がありまして、ある種のイノベーションを感じております。
それは、例えば安い労働力の国で生産して先進国で販売するビジネスモデルのように新しい日本人の生きる道を指し示しているんじゃないだろうかというような。
教訓としては、自分の得意な部分を最大限活かす道がまだまだあるんですよというようなことです。
運・鈍・根というのは好きな言葉なんですけどね。
【ある種のイノベーション‥得意な部分を最大限活かす道がまだまだある】⇒全く同感です。其処にこそ智慧を発揮する余地があると。
私の前稿の趣旨は、≪国籍という重いものを「まるでユニフォームを着替えるように変える」戦術は、遣り過ぎだ≫です。「過ぎたるは及ばざるが如し」、物事は須らく程度問題だと。
草々
あれは、本来のジャーナリズムとは一切関係のない哀れなゴミです。
なにを勘違いしてるか知りませんが、自分たちが日本の世界の「主張」を確保してると思ってるようです。
その酷い典型が、「犬HKとAKAHI」
この政治部のウンコどもには、呆れてモノ胃炎
最低なものですわ
山崎兄貴も、変に利用されないように気をつけてくださいね。
【田中直紀氏と猫ひろし氏が教えてくれること】
を拝読いたしました。’
と書きましたが、誤読していたようです。
ななめ読みはいけませんね。
違う意見を述べたつもりでしたが、あんまり違わないような気がしてきました。
日本国籍の価値もだんだん下がって来たように思います。
1)日本の安全神話の崩壊(世界で一番危険な国かも)
2)年金の収支がマイナスに
3)デフレと税金UPで可処分所得が年々ダウン
猫さんもカンボジア国籍を持っててよかったという時代が来なければいいんですけど。
又しても閑話休題、又しても長駄文、ご容赦下さいませ。
DOL【「鉄板!生活」のマネー・プランニング】を拝読致しました。
【「エルメスを着た豚よりも、ユニクロを着たカモシカ」の方が‥魅力的だろう】には大笑いし同感し膝を叩きました(笑)。
「善意の愉快犯」のこの言に、柳井正さんも「ユニクロ理念が理解されている!」と喜んでいるに違いないと。彼の理念は元々「(豚でなければ)ユニクロを着ればカモシカになれる」とかなんとか、そのようなことだったと記憶します。
軽口は兎も角として、【書いている本人もつまらないくらい当たり前の話だった】とお思いになるのは、高齢者の最大の不確定要素と最大のリスク要因を抱えたままで、止むなく議論を「マネー・プランニング」に絞り込んでおられるからだと思います。
最近でこそ遺言やエンディングノートの作成が喧伝され推奨されつつあり、人間にとって「生物にとって絶対・必然である“死”」が身近になりつつあるようですが、その時機(時期と機会)が未だ最大の不確定要素でありリスク要因として残されている。平均寿命がどんどん延び残存期間の終期がどんどん先送りになってきたのですから、カネの計画が定まらず将来不安が解消されないのは、蓋し宜なる哉だと。
不謹慎を顧みず「陰でこそこそと」申し上げれば、高齢化最先進国である日本の高齢者が自らの自発的意思を以って深い人生哲学を紡ぎ、「生物としての死」を待つのではなく尊厳も美学もある「人間の死」を希求すれば、人生の不確定要素は無くなりはしないが、将来リスクは余程に小さくなり将来不安も余程に小さくなると思います。
山崎さんの「書き甲斐」を求めて、「全くあらぬ領域」に迷い込んで仕舞いました(笑)。ご海容の程をお願い致します。
草々
日経【ニッポンの企業力:旧態に隠れた新市場 コスト革命 成長の壁破るhttp://goo.gl/lzN2W 】
感銘を受ける程に好い記事ですは、一寸大袈裟(笑)。まあ、私の持論と重なる部分がある、という理由かも知れません(笑)。
然し、ユニクロ、セブン&アイHD、イオン、ニトリHD、しまむら、エービーシー・マートなど記事に居並ぶプレーヤー達の元気印には、電機量販業者が皆無だと指摘されていれば、大袈裟でなくなった。
21世紀に経済に夢と活気を与えるという観点では、ネット販売を含めて今の電機量販業者は、(まあ、内部的には様々な挑戦はあるのでしょうが私の経験を含めて大きく眺めれば、)品質に安心感のあるNB商品の仕入れ価格を「買い叩くこと」だけが利益の源泉という単純なビジネスモデルでしかない。付加価値は小さく単純な価格破壊という20世紀的モデルだと。
商品企画力と強い挑戦心を武器にすれば21世紀型ビジネスの地平を拓くことが出来る。其処に新しい電機流通業の成長領域が生まれ、「茹でガエル」状態の電機各社の覚醒を促す。日本得意の「ものづくり」が一息つける。更に、多様な智慧を利かせ挑戦を繰り返せば、日本経済も電機産業も蘇る(筈)。同じく「筈」と云っても、此の場合は前提条件が多く実現には大きな困難を伴いますが、強い挑戦心と多様な智慧があれば「出来ないこと」ではない。強い挑戦心と多様な智慧があれば、夢や希望が生まれます。
逆に、否なら否。‥‥!(=沈黙!)
草々
DOL【東証の「リアルタイム(RT)株価オープン化」は何をもたらすか?http://diamond.jp/articles/-/17360】を
拝読しました。DOLという場所柄、山崎さんが対象とされる読者も目的もありますので除外されたのだと思いますが、
RT株価オープン化には「透明で解り易い情報時代の幕開け」という切り口があると思います。
この切り口では、勝者は「インターネットそのもの」になる。
今もネットはPC基幹ソフトをMicrosoftに略々独占されていることAmongOthers、もあり未だに大きな技術的制約を抱えているため利便性が大きく損なわれている。要は、非常に使い勝手が悪い。
然し、現実のネット利用者が感じる支障は、技術的な使い勝手の悪さ以外に「情報の風通しの悪さ」もあった。
即ち、20世紀的で人為的で古い思惑が利益機会を囲い込み、情報の流通に制約を加えて利便性を阻害していた。
RT株価オープン化はその人為的な障害を取り除き、情報の風通しを良くすると期待します。
今現在の技術であっても提供できるネットが、「より良い風通しを得る」環境が一つ改善されたと。
結果として、人々はネット時代のリアルタイム情報や利便性を低コスト(または無償)で享受できる。
同時に人々が、「20世紀的で意図的な障害」の所為で様々な不便と無用のコスト負担を強いて来たかを実感できる。
情報の透明性や情報障壁の撤廃を求める声は、「(山崎さんの結語)これをきっかけとして、投資情報サービス全体が
レベルアップすることを期待したい」に留まらず、投資情報分野から政治にも行政にも企業経営にも真に「野火の如く
燃え広がる(笑)」のではないかと。
以上は飽くまで、「ことの切っ掛け」であって、実際に「野火」になるには紆余曲折があり時日が掛かるのでしょうが。
実際に「野火」になった時の、最終的な勝者は「全てのネット・ユーザー」と「環境としての21世紀」なのでしょう。
草々
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日本にもこういう的確で優れた論説が生まれてはいるのですが、絶対的には少数で、肝心の未熟歪政権には届かず、嘗ての財務省A氏などに無視されている状態には、地団駄を踏む想いです。
仮に「成長市場主義」が単純な回帰では(大きな脈絡ではこの失礼な推測は行間で否定されていますが)戴けないと思いますが、経済の役割の本質が「国民生活に平穏を齎すことだ」と喝破すれば、「経済成長は(生活以外の)七難を隠す」の視角は真に核心を突いていると思います。
多種多様な事情や要因が絡まり合う複雑な現実世界では、理想郷は夢物語でしかない。現実世界での政治には、七難でも八難でも隠して(※注)「小さくても平穏な生活」国民の眼を振り向ける賢明さが不可欠ですね。その上で、生み出した時間的観念的な余裕を使って、順を追って残る大問題を解決して行けば善い、‥というか其れしかないのだろうと思います。
(※注)今の未熟歪政権のように騙しや絵空事や「画(だけの)餅」ではいけないが。
私は続編には、経済産業経営の現場に立って、其処に巣食っている日本病の根因を暴き出すか?その根因の摘出方法と共に、経済成長の為に必要な道筋を描くことが出来るか?に注目します。
私見でのキーワードは、今更乍ら「Boldな挑戦心の復活」と「Commodity産業からProduct産業へ」です(照れ笑)。
草々
また、日本は相変わらずデフレだけども、グルーグマンの言うヘリコプターマネーが利かないとういうのも、10年前かわ分かっていたことだよね。そもそも少子化の日本で、資産価格が上がると思うのが不思議な話だし。(成長率が低い為に、円高でデフレになるというのは、普通に分かるはずだと思うのだけど)。ヘリコプターマネーみたいなとんでも理論には、頭がクラクラします。
頭が悪いのはグルーグマンに限らないと思うのですが、彼らと歩調を合わせるにはどうすればいいのでしょうか?秘訣を教えてください。
思い出の場所を自転車で回っているテレビが有りますが
もっと経済の活性化に繋がると思います。
全国のB級観光地を巡る旅をテレビで流してほしい!!