評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
ゴーストライター
「『投資バカ』につける薬」(講談社)という本が出来上がった。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062820102/qid%3D1145518535/250-6775549-4639426
表紙はたいへん洒落たイラストで、これまでに出した本の中でも出色の出来映えだが、帯に比較的大きく私の顔写真があって、こいつこそが「投資バカ」だ、という佇まいの本になっている。書店で見ると恥ずかしかろうが、平積み期間は短いかも知れないから、恥ずかしい思いが出来る期間は「ありがたい」と思わねばならない。
ゴーストライターという仕事は、皆様、よくご存じだろう。この本は、「山崎元著」だが、他人が相当量の文章を書いたという意味では、「ゴーストライター」による、と分類して良いのかも知れない。ただし、後書きには本の成り立ち(私が話し、ライターがまとめ、後から私が手を入れた)とライターのお名前も書いてあるので、「ゴースト」=「幽霊」というのは適当でないかも知れない。
これから本を作る可能性のある方のために、工程を簡単にご紹介しておくと、先ず、ライター・編集者に対して主に私が内容を語るレクチャーというかインタビューというか、要は「話」の時間を、1回3時間くらい、4回取った。次に、1~2ヶ月で、ライターが文章をまとめてくれたので、これに対して、私が二度手を入れた。手を入れる期間は、それぞれ一週間くらいで、実質は、一回目が8-10時間、二回目が3-4時間くらいだ。それ以外に、挿入コラムや、前書き、後書きを自分で書いている。私が使った時間は、自分で書く場合の、たぶん三分の一くらいだろう。
手入れは、かなり徹底的にやったので、いわゆる「赤」が入っていないページは目次や章のトビラ以外にはたぶんないし、多くのページは真っ赤になった。1ページに十数行くらい加筆した箇所が十数カ所ある。今、できあがりの本を読み返すと、文章の癖はほぼ完全に私のものになっていると思う(文章鑑定力に自信はないが、何せ、私は本人だ)。もともとの文章は、かなり丁寧な話し言葉的書き言葉で、私の日頃の文章の癖とは違ったものだったので、好みに合わせて修正した。この出来上がりなら、「山崎元著」と言っても自分として違和感はない。
この種の作り方で書いた本は、もう一冊ある。倉田真由美さんとの共著の「ダメだ! この会社」(小学館)なのだが、この本についても、ライターのお名前は後書きに書いておいた。そういえば、amazonのこの本のレビューの中に「山崎元特有のもってまわったいやらしい文体も、他書ではイヤミたらしく感じるものだが、本書の場合はうまく機能している。」という評があった。「山崎元の文体は、山崎元以外が書いた方が機能する」のかも知れない。尚、私の本のレビューなどはまだマシな方であり(過分のお褒めと思う物もあるし)、本を書くと、この程度のことは言われるものなので、いちいち目くじらを立てないよう、あらかじめご注意申し上げておく。amazonのレビューに怒り心頭の評論家のコラムを読んだことがあるが、まあ怒っても仕方がないよ。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093875456/qid%3D1145520263/250-6775549-4639426
自分としては、他人が下書きした物も、自分が一から書いた物も、最終的に自分で赤を入れて、「山崎元著」で出すことを納得した場合は、自分の「著書」であると認識している。但し、痛くもない腹を探られるのは不本意だし、他人の代わりに文章を書くという仕事は非常に大変なものに違いなかろうと思うので、後書きに、「ライター」であることを明記して、ライターのお名前を書くことにしている。
世の中には、本を書く以外にも忙しく、物理的にこんなに書けるはずがない、というペースで本を出される方もいるが、多くは、上記のような工程で作られたものだろう。単行本の打ち合わせや、雑誌の取材を受けながらの雑談で、「私は、○○さんのゴーストをしています(或いは、したことがあります)」と名乗るライターも少なくない。「ゴースト」を使った時には、ゴーストへの感謝も込めて、使ったと堂々と書けば良さそうなものだと思うが、どうなのか。ある程度以上の「量」を発信するためにはやむを得ないことだし、出来上がりに責任を持てばいいのだから、恥ずかしいことではあるまい。
但し、ゴーストを使うことが常に上手く行くとは限らない。内容がスッキリ理解できていないライターの場合や、論理展開の感覚がちがう人の場合、文章を直しながら、「これは無理だ」と思ったり、「申し訳ないけれども、ボツ」と決断したりしたことがある。後者についても、丸々一冊の原稿が出来てからボツにしたケースが記憶にある限りでも二回ある。
有名な「バカの壁」(養老孟司著、新潮新書)が、やはり養老先生以外の方が下書きしたようだから(本に書いてある)、セールス上は、ゴーストライターに書いて貰うのも悪くないのかも知れないが、作業中の気分としては、自分で書くのが無難ではある。ただし、その場合は、時間をどのように割り振るかに関して、ある種のプロジェクトマネジメントの技術と、もちろん自己管理が重要になる。
表紙はたいへん洒落たイラストで、これまでに出した本の中でも出色の出来映えだが、帯に比較的大きく私の顔写真があって、こいつこそが「投資バカ」だ、という佇まいの本になっている。書店で見ると恥ずかしかろうが、平積み期間は短いかも知れないから、恥ずかしい思いが出来る期間は「ありがたい」と思わねばならない。
ゴーストライターという仕事は、皆様、よくご存じだろう。この本は、「山崎元著」だが、他人が相当量の文章を書いたという意味では、「ゴーストライター」による、と分類して良いのかも知れない。ただし、後書きには本の成り立ち(私が話し、ライターがまとめ、後から私が手を入れた)とライターのお名前も書いてあるので、「ゴースト」=「幽霊」というのは適当でないかも知れない。
これから本を作る可能性のある方のために、工程を簡単にご紹介しておくと、先ず、ライター・編集者に対して主に私が内容を語るレクチャーというかインタビューというか、要は「話」の時間を、1回3時間くらい、4回取った。次に、1~2ヶ月で、ライターが文章をまとめてくれたので、これに対して、私が二度手を入れた。手を入れる期間は、それぞれ一週間くらいで、実質は、一回目が8-10時間、二回目が3-4時間くらいだ。それ以外に、挿入コラムや、前書き、後書きを自分で書いている。私が使った時間は、自分で書く場合の、たぶん三分の一くらいだろう。
手入れは、かなり徹底的にやったので、いわゆる「赤」が入っていないページは目次や章のトビラ以外にはたぶんないし、多くのページは真っ赤になった。1ページに十数行くらい加筆した箇所が十数カ所ある。今、できあがりの本を読み返すと、文章の癖はほぼ完全に私のものになっていると思う(文章鑑定力に自信はないが、何せ、私は本人だ)。もともとの文章は、かなり丁寧な話し言葉的書き言葉で、私の日頃の文章の癖とは違ったものだったので、好みに合わせて修正した。この出来上がりなら、「山崎元著」と言っても自分として違和感はない。
この種の作り方で書いた本は、もう一冊ある。倉田真由美さんとの共著の「ダメだ! この会社」(小学館)なのだが、この本についても、ライターのお名前は後書きに書いておいた。そういえば、amazonのこの本のレビューの中に「山崎元特有のもってまわったいやらしい文体も、他書ではイヤミたらしく感じるものだが、本書の場合はうまく機能している。」という評があった。「山崎元の文体は、山崎元以外が書いた方が機能する」のかも知れない。尚、私の本のレビューなどはまだマシな方であり(過分のお褒めと思う物もあるし)、本を書くと、この程度のことは言われるものなので、いちいち目くじらを立てないよう、あらかじめご注意申し上げておく。amazonのレビューに怒り心頭の評論家のコラムを読んだことがあるが、まあ怒っても仕方がないよ。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093875456/qid%3D1145520263/250-6775549-4639426
自分としては、他人が下書きした物も、自分が一から書いた物も、最終的に自分で赤を入れて、「山崎元著」で出すことを納得した場合は、自分の「著書」であると認識している。但し、痛くもない腹を探られるのは不本意だし、他人の代わりに文章を書くという仕事は非常に大変なものに違いなかろうと思うので、後書きに、「ライター」であることを明記して、ライターのお名前を書くことにしている。
世の中には、本を書く以外にも忙しく、物理的にこんなに書けるはずがない、というペースで本を出される方もいるが、多くは、上記のような工程で作られたものだろう。単行本の打ち合わせや、雑誌の取材を受けながらの雑談で、「私は、○○さんのゴーストをしています(或いは、したことがあります)」と名乗るライターも少なくない。「ゴースト」を使った時には、ゴーストへの感謝も込めて、使ったと堂々と書けば良さそうなものだと思うが、どうなのか。ある程度以上の「量」を発信するためにはやむを得ないことだし、出来上がりに責任を持てばいいのだから、恥ずかしいことではあるまい。
但し、ゴーストを使うことが常に上手く行くとは限らない。内容がスッキリ理解できていないライターの場合や、論理展開の感覚がちがう人の場合、文章を直しながら、「これは無理だ」と思ったり、「申し訳ないけれども、ボツ」と決断したりしたことがある。後者についても、丸々一冊の原稿が出来てからボツにしたケースが記憶にある限りでも二回ある。
有名な「バカの壁」(養老孟司著、新潮新書)が、やはり養老先生以外の方が下書きしたようだから(本に書いてある)、セールス上は、ゴーストライターに書いて貰うのも悪くないのかも知れないが、作業中の気分としては、自分で書くのが無難ではある。ただし、その場合は、時間をどのように割り振るかに関して、ある種のプロジェクトマネジメントの技術と、もちろん自己管理が重要になる。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
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ご察しのとおりで、そのような方の書籍が話題になり、それなりに売れる限界はせいぜい10冊程度ではないかと感じております。もちろん刊行に至れば初刷り分の印税は支払われるので、ライター、編集プロダクション等の取り分を考慮しても、けっこう割のいい商売だとは思いますが(十数冊目でも書店に並べば当たる可能性もある)。
私はビジネス書の編集をしています。山崎さんのお話の内容がスッキリ理解でて、論理展開の感覚の合うライターを連れていけば、1冊お願いできますでしょうか。弱小出版社ですはありますが。
企画としては、「時代のせいにする暇があったら自分を磨くことを自覚しているR25世代に向けた、人生を楽しむために必要なこと」という具合で。
いかがでしょうか…。
(匿名で失礼しました)
もちろん、出版企画の持ち込みは、いつでも歓迎です。「自分を磨く」こと、「人生を楽しむ」ことは共に興味深いテーマです。
当面、新書で資産運用の本を書く予定ですが(これはライターを立てずに作ります)、ビジネス本であれば、ある程度並行的に作業できそうですね。
良いテーマが設定できたら、是非やりましょう。
その本、買います。なぜなら
①私(対年初比半減!)につける薬は濃いものでないと効かないので。
②山崎さんのファンだから。
(せこいので著者が好きでない場合、古本を買うようにしています)
いらっしゃいませ。
拙著をご購入下さるとのこと、ありがとうございます。前書きに大体の趣旨が書いてありますので、先ずは、書店で前書きをご一読下さい。場合によっては、前書きだけで「効く」と思います。
長期投資はリスクを下げない、にちょっと疑問を持ちました。株式は通常はリスクプレミアムを乗せられているはずです。それなら個々の銘柄ではともかく、割安で十分分散されたポートフォリオであれば、長期では全体のリターンはプラスになる確率が高まり、リターンのばらつきも小さくなりそうな気がしますがいかがでしょうか?それが、投資信託をすすめる人たちの主張だと思っていました。
また、個別銘柄への分散投資が最もコストがかからないということですが、あの本ではどのように投資すればよいのかまでは書かれていません。このままでは、ちょっと不親切では?次は個人投資家向けのまじめな株の本の出版を是非、お願いします。
いらっしゃいませ。拙著をお読みいただいたようで、ありがとうございます。
さて、ご疑問を抱かれた、長期投資とリスクの関係は、理解が混乱しやすくて、スッキリとした意見の一致を見にくいテーマです。
確かにご指摘のように、株式などのリスク資産は、長期で持つほど、元本割れしにくくなりますが、これは、リスクのせいではなくて、期待リターンがプラスであるためです。ただ、長期に投資するほど、おカネを使うのを我慢しているわけですし、その間リスクを負担している訳ですから、「元本割れしない」というだけでは不十分でしょう。投資家が必要とする富の水準も上昇しているはずです。
リスクを何で測るかが問題ですが、最終的な投資家の価値判断(=「効用」の決定)は、運用資産の額で行われると考えるのが、まあ、妥当でしょう。この場合、運用資産額が取り得る範囲は、時間が経過するほど上下に拡がります。ここで、富の額のバラツキを「リスク」と考えると、リスクは時間と共に拡大します(例えば、保険は、長期の方が保険料が高いですね)。しかし、富の期待値の方も時間と共に向上しており、ここで面倒なこと(=時系列リターンの自己相関など)を考えなければ、リスクとリターンの価値判断を一定とするとき、運用期間の長短は、適切なリスクの量に影響しない、という結論が得られます。通常の投資家としては、これが妥当な考え方だろうと思います。
ところが、長期運用するとリスクが小さく見えやすいことを使って、投信業界などは(日米とも)、顧客(=カモ)たちに、長期運用すると、リスクが縮小するから、大きな投資リスクを取ることが出来る、という嘘を教えて、投信を(変額の個人年金保険など、もっと劣悪な商品もそうですが)売っている、というのが、運用業界の困った実態です。
尚、どのように投資したらいいかを書いていないのは少々不親切だったかも知れませんが、具体的な運用方法は、たとえば「お金がふやす本当の常識」(日経ビジネス人文庫)に書いてあります。税込みで700円くらいの本ですが、後半の何章かを立ち読みすれば、お分かり頂けると思います。
また、「個人投資家向けのまじめな株の本」は、年内刊行を目指して、執筆に取りかかります(新書の予定です)。待っていてください!
お答えいただきありがとうございます。なんとなく分かった気がします。つまるところ、投信はいんちきなな説明で営業しているということですよね。
"リスク”は難しい(あいまいな?)言葉ですね。経済学ではバラツキですが、日常生活では元本割れの可能性の方が実感に近い言葉です。
ところで、投資銀行に勤めている友人がいるのですが、彼は貯金は全て定期預金にしているそうです。投信は、自分の会社のも補助が出るわけではないので入っていないそうです。彼は、将来、運用の担当になるかもしれないといっていましたが・・・これでは、投信に入る気は起きませんよね。(機関投資家はみなさんこのような感じなのでしょうか?)
山崎さんがお書きになった本は、「お金がふやす本当の常識」はもちろん、「ファンドマネジメント」も拝読しました。(後者は専門的でしたので、完全に理解できたわけではないのですけれども。)次の株の本も楽しみにしていますので、よろしくお願いします。
著書に名前貸しをしていた養老孟司氏が言っていたように
出版社が企画して、ゴーストライターが書き、
養老孟司氏の秘書が校正して
最後に養老孟司氏が判子押したというのは有名ですね。
もっとも、今時の有名人の著書はみんな同じようなものかもしれないが
これで印税のボロもうけしているのを聞くと
なんだかなーーーーって感じでしたね。