評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
財務省エリートと朝日新聞美人記者の不倫生活
「週刊現代」1月27日号の冒頭記事は「財務省エリートと朝日新聞美人記者の不倫生活」とのタイトルで、財務省主計官N氏(47歳。誌上は実名)と朝日新聞社発行の週刊誌「AERA」のA記者(記事上はA記者。朝日新聞の社員ではない)の不倫生活を報じたものだ。別に妻子のあるN氏が、Aさんと親しくしていて、Aさんの部屋に訪ねて泊まるような関係であることを、本人達にも取材して詳しく書いている。
この種の中年不倫自体は世間にありふれている。しかし、「週刊現代」の記事によると、A記者が連名筆者の「ボロボロ税調 本間で安倍が自滅する」という記事では、本間氏への審議会の旅費の二重払いなど内部者でなければ分からない情報が書かれているという。A記者が、N氏を取材源とする記事を書いている可能性が大きいと判断し、これは、かつての西山事件のような個人的な関係を利用した取材ではないか、という問題意識から、「週刊現代」は掲載に踏み切ったものだろう。
また、1月9日にA記者のアパートから午後1時半すぎに二人で出てきたところで、N氏とA記者は直接取材されており、N氏は「いろいろ彼女の取材のお手伝いをしているんです」(「週刊現代」記事による)と答えたのだから、編集部が上記のような判断をすることは、正当だと思う。もっとも、この状況がなぜ問題なのか、という理由を考えると、N氏の言い訳はいかにもまずい。「不倫」の言い訳をしたつもりなのだろうが、もっと大きな問題の言質を与えている。高級官僚は(すべて)頭がいい、なんていうのは、嘘だ。「危機管理、失敗」と言わざるを得ない。
尚、N氏はこの取材中に気分が悪くなって、一時的に気を失い、救急車で病院に運ばれたという。彼が今後失うもろもろのものを考えると、血の気が引く思いだったのだろうし、どうしていいか、分からなかったのだろう。他方、N氏にひきかえ、「調べてもらえば分かりますが、いろんな人が私の部屋には来るんですよ」と、答え始めるA記者の、妙に堂々としたというか、ある種ふてぶてしい受け答えも含めて、この記事はリアルで読み応えがある。(尚、この号には、私の「新聞の通信簿」の連載も載っているので、「この記事の後に」、お暇があったら、お読み下さい)
N氏の側で、大いに問題がある点については、議論の余地はあるまい。「週刊現代」の記事でも、N氏の奥様の父親であるS元大蔵事務次官のコメントとして「その女性記者との関係は公務員としても問題があると、かなり以前に私から注意したこともあるんだよ」と言われており、N氏には、弁解の余地は無さそうだ。
A記者のような、取材のやり方をどう考えるかについては、複数の意見があるかも知れない。私は、最終的には、本人がリスクとコストを承知でやるなら、OKだ、と思う。
取得方法が不当であっても、報ずるに値する情報というものはあるだろう。刑事罰を受けても、情報源の秘匿を通すことがあり得るように、枕営業(?)的に取った情報でも、それが事実で、報ずる価値があるという場合は、報じる方を望みたい。
但し、これは、「いいこと」と「わるいこと」を二つやる、ということであって、片方が「いいこと」になった(社会的に大きな意義のある報道が出来た)ということであっても、「わるいこと」の方が消える訳ではない。別の人が「わるいこと」を報ずるのも、第三者が当事者を非難するのも自由だし、そうなるかもしれないという覚悟を、報ずる側は持つべきだ。
情報提供者は罰せられることがあるだろうし、取材者自身も大いにダメージを負うことがあるだろう。今回の件では、たぶん、A記者は、「AERA」の契約(があるとしても)を打ち切られる公算が大きいし(この点の朝日新聞社の判断は、理由も含めて、大いに注目される)、他の媒体で記者をやることも(少なくともしばらくは)難しいだろう。例えばA記者が、フリーの記者なのだとすれば、直ちに「食うに困る」可能性はある。
今回の場合、N氏は官僚なので公人、A記者は私人、とのことで、「週刊現代」の記事は、N氏を実名フルネーム、A記者を匿名にしたのだろうが、ジャーナリスト及び報道関係者は、影響の大きさからいっても「公人」でいいのではないだろうか。日経社員のインサーダー取引の際もそうだった(確か、起訴されるまで匿名報道だった)が、今回の記事でも、ジャーナリストの取材のあり方にも問題がある、という認識なら、実名でよかったのではないだろうか。同じジャーナリストの不倫でも、たとえばテレビに出ていて名前が知れていれば(記事が売れるから?)実名で、知名度の低い記者なら匿名というのは、いかがなものか。今回の記事は、取材も、論点も適確だと思うが、この点だけは、どうも違和感がある。
ビジネスの世界でも、「女の武器」や「男の武器」(こちらの方は使用例は少ないかも知れないが、無いわけでもあるまい)を使うことはよくある。倫理的には好ましくないが、当人同士が納得している場合、「嫌いだ」とは言えても、不倫など違法が絡まない限り、完全に「悪い」とは言えない。
「女の武器」を利用して重用される社員や役員などが居て、当人達を除く会社全体がすっかり「興ざめ」し、雰囲気が悪くなることもよくあるし、枕営業で注文を取る証券セールスなどが、同業者(噂話の好きな業界の人なので、噂は直ぐに広まる)からも軽蔑されるようなこともあるが、最終的には、コストとベネフィットを天秤にかけた本人の判断の問題だろう。本人がそうするのも勝手だし、それを知った周囲が(違法にならない範囲で)「悪く言う」のも自由だろう。
思うに、オヤジのごますりにも、人間としてのプライドをかなぐり捨てたレベルのものが多々あり、これが、「女の武器」を使った社内枕営業よりも賤しいとはとても言えないと思う。まあ、いい勝負なのだ。
この種の問題は、多くの場合、枕営業なり、ごますりなり、を「受ける」側の態度と行動にあるのだろう。
一方、たとえば、筆者の「男の武器」に価値があるとも思えないが(対、女性、男性、何れも)、文字通りカラダを張ったり、自分が重要だと思うプライドを捨てたりせずに、生きてこれたのは、たまたま、運が良かったからだ、という面がある。
「お前は、家族を養うために、カラダを売れるか?」という問についても、真剣に考えてみるべきだろう。そう考えると、最近報じられる、困窮家庭での主婦売春などは、非難する気にはなれない。この場合、客は悪いのか? 「良い」とも言えないが、「悪い」とも、筆者には言えない。
一つのことに対して、異なった正解がある、と理解するよりは、状況が違うと別の問題になる、と理解するのがいいのだろうが、倫理の問題は複雑だ。
<追記: 朝日新聞「AERA」に、頭文字Aで始まる、朝日新聞社社員の女性記者がいらっしゃるらしいのですが、文中の「A記者」は、この方とは無関係です。誤解に基づく問い合わせが何件かあったとお聞きしましたので、注記しておきます。問題の女性記者のお名前の頭文字は「A」ではないそうです。 2月1日>
この種の中年不倫自体は世間にありふれている。しかし、「週刊現代」の記事によると、A記者が連名筆者の「ボロボロ税調 本間で安倍が自滅する」という記事では、本間氏への審議会の旅費の二重払いなど内部者でなければ分からない情報が書かれているという。A記者が、N氏を取材源とする記事を書いている可能性が大きいと判断し、これは、かつての西山事件のような個人的な関係を利用した取材ではないか、という問題意識から、「週刊現代」は掲載に踏み切ったものだろう。
また、1月9日にA記者のアパートから午後1時半すぎに二人で出てきたところで、N氏とA記者は直接取材されており、N氏は「いろいろ彼女の取材のお手伝いをしているんです」(「週刊現代」記事による)と答えたのだから、編集部が上記のような判断をすることは、正当だと思う。もっとも、この状況がなぜ問題なのか、という理由を考えると、N氏の言い訳はいかにもまずい。「不倫」の言い訳をしたつもりなのだろうが、もっと大きな問題の言質を与えている。高級官僚は(すべて)頭がいい、なんていうのは、嘘だ。「危機管理、失敗」と言わざるを得ない。
尚、N氏はこの取材中に気分が悪くなって、一時的に気を失い、救急車で病院に運ばれたという。彼が今後失うもろもろのものを考えると、血の気が引く思いだったのだろうし、どうしていいか、分からなかったのだろう。他方、N氏にひきかえ、「調べてもらえば分かりますが、いろんな人が私の部屋には来るんですよ」と、答え始めるA記者の、妙に堂々としたというか、ある種ふてぶてしい受け答えも含めて、この記事はリアルで読み応えがある。(尚、この号には、私の「新聞の通信簿」の連載も載っているので、「この記事の後に」、お暇があったら、お読み下さい)
N氏の側で、大いに問題がある点については、議論の余地はあるまい。「週刊現代」の記事でも、N氏の奥様の父親であるS元大蔵事務次官のコメントとして「その女性記者との関係は公務員としても問題があると、かなり以前に私から注意したこともあるんだよ」と言われており、N氏には、弁解の余地は無さそうだ。
A記者のような、取材のやり方をどう考えるかについては、複数の意見があるかも知れない。私は、最終的には、本人がリスクとコストを承知でやるなら、OKだ、と思う。
取得方法が不当であっても、報ずるに値する情報というものはあるだろう。刑事罰を受けても、情報源の秘匿を通すことがあり得るように、枕営業(?)的に取った情報でも、それが事実で、報ずる価値があるという場合は、報じる方を望みたい。
但し、これは、「いいこと」と「わるいこと」を二つやる、ということであって、片方が「いいこと」になった(社会的に大きな意義のある報道が出来た)ということであっても、「わるいこと」の方が消える訳ではない。別の人が「わるいこと」を報ずるのも、第三者が当事者を非難するのも自由だし、そうなるかもしれないという覚悟を、報ずる側は持つべきだ。
情報提供者は罰せられることがあるだろうし、取材者自身も大いにダメージを負うことがあるだろう。今回の件では、たぶん、A記者は、「AERA」の契約(があるとしても)を打ち切られる公算が大きいし(この点の朝日新聞社の判断は、理由も含めて、大いに注目される)、他の媒体で記者をやることも(少なくともしばらくは)難しいだろう。例えばA記者が、フリーの記者なのだとすれば、直ちに「食うに困る」可能性はある。
今回の場合、N氏は官僚なので公人、A記者は私人、とのことで、「週刊現代」の記事は、N氏を実名フルネーム、A記者を匿名にしたのだろうが、ジャーナリスト及び報道関係者は、影響の大きさからいっても「公人」でいいのではないだろうか。日経社員のインサーダー取引の際もそうだった(確か、起訴されるまで匿名報道だった)が、今回の記事でも、ジャーナリストの取材のあり方にも問題がある、という認識なら、実名でよかったのではないだろうか。同じジャーナリストの不倫でも、たとえばテレビに出ていて名前が知れていれば(記事が売れるから?)実名で、知名度の低い記者なら匿名というのは、いかがなものか。今回の記事は、取材も、論点も適確だと思うが、この点だけは、どうも違和感がある。
ビジネスの世界でも、「女の武器」や「男の武器」(こちらの方は使用例は少ないかも知れないが、無いわけでもあるまい)を使うことはよくある。倫理的には好ましくないが、当人同士が納得している場合、「嫌いだ」とは言えても、不倫など違法が絡まない限り、完全に「悪い」とは言えない。
「女の武器」を利用して重用される社員や役員などが居て、当人達を除く会社全体がすっかり「興ざめ」し、雰囲気が悪くなることもよくあるし、枕営業で注文を取る証券セールスなどが、同業者(噂話の好きな業界の人なので、噂は直ぐに広まる)からも軽蔑されるようなこともあるが、最終的には、コストとベネフィットを天秤にかけた本人の判断の問題だろう。本人がそうするのも勝手だし、それを知った周囲が(違法にならない範囲で)「悪く言う」のも自由だろう。
思うに、オヤジのごますりにも、人間としてのプライドをかなぐり捨てたレベルのものが多々あり、これが、「女の武器」を使った社内枕営業よりも賤しいとはとても言えないと思う。まあ、いい勝負なのだ。
この種の問題は、多くの場合、枕営業なり、ごますりなり、を「受ける」側の態度と行動にあるのだろう。
一方、たとえば、筆者の「男の武器」に価値があるとも思えないが(対、女性、男性、何れも)、文字通りカラダを張ったり、自分が重要だと思うプライドを捨てたりせずに、生きてこれたのは、たまたま、運が良かったからだ、という面がある。
「お前は、家族を養うために、カラダを売れるか?」という問についても、真剣に考えてみるべきだろう。そう考えると、最近報じられる、困窮家庭での主婦売春などは、非難する気にはなれない。この場合、客は悪いのか? 「良い」とも言えないが、「悪い」とも、筆者には言えない。
一つのことに対して、異なった正解がある、と理解するよりは、状況が違うと別の問題になる、と理解するのがいいのだろうが、倫理の問題は複雑だ。
<追記: 朝日新聞「AERA」に、頭文字Aで始まる、朝日新聞社社員の女性記者がいらっしゃるらしいのですが、文中の「A記者」は、この方とは無関係です。誤解に基づく問い合わせが何件かあったとお聞きしましたので、注記しておきます。問題の女性記者のお名前の頭文字は「A」ではないそうです。 2月1日>
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« 「東洋経済」... | 朝起きたら、... » |
との、問いが結構「ずしん」と来たので、思い出しました。
たしか、インドの寒村だったかなぁ。
息子のために(確か進学のためだったかなぁ)、お金が必要だったある家で、
父親がしばらく行方不明になりました。
しばらくして、お金を持って帰ってきた父親は、
体調が悪いらしく、寝たきりとなり、程なくして、
亡くなりました。
父親の体には新しい大きな手術の跡があり、腎臓が片方無かったそうです。
よくある話ですね。しばらく前にテレビで放送したドキュメンタリーです。
家族のために、体を張ったのですね。
慢性的な失業状態を放置する国が悪いのか、利用する企業やそれを許す国、腎臓がほしい患者が悪いのか。
医療が悪いのか。父親が悪いのか。お金が必要だった息子が悪いのか。
たぶん、息子は自分のことが一生許せないでしょうし、自分の国も愛せなくなりそうです。ましてや
父親の臓器を売買した企業(国)および、医療、レシピエントを憎む可能性が大です(このレシピエントが、自分の腎臓の入手経路を知っていたかどうかは、関係なく)。
どうなんでしょ。私は、よくわかりません。
ただ、自分は、もしかしたら、無知で絶望していれば、この父親と同じ行動をとってしまうかも知れないなと、思いました。
インドの父親のケースについては、私は、この父親が、彼にとって一番良いことが出来たのなら、良かったのだ、とも思います。
息子の学費でなくて、命なら(たとえば重度の腎不全で)どうなのか、という問題もあり、この点について、意思決定する権利は、この父親本人にしかありませんし、息子の学費が大事だ、と彼が思ったのならそれは尊重してあげたいし、それが実現できたのは「良かった」といえるでしょう。
腎臓を買ってくれる人がいなければ、彼は、自分がその時点で一番やりたかったことが出来なかったのだから、臓器を売買した人や臓器を受け取った人が悪いとも言えません(好きかどうかは、また、別ですけど)。これは、市場至上主義者が言いそうな台詞ですが、真実の一部でしょう。
ただし、この父親が、別の稼ぎ方や、お金の工面の仕方、腎臓摘出後の健康状態、最終的に家族が喜ぶかどうか、等について、正しい情報を持っていなかったのなら、話は変わります。彼は、間違ったか、騙されたのですが、それでも、「その時点で、彼にとってそれが最善の選択であったかも知れない」ということは、尊重してあげたいような気がします。
ただ、社会のルールとして、臓器売買を合法かつ容易にすると、正しい情報が伝達されなくなる可能性が大きいので、臓器売買は禁止、というルール設定をする正当性も一つの可能性としてあります。
仮に、「自由意思を尊重する」としても、判断も含めて個々の人に提供されている情報が正しいのかどうか、正しい情報のためにどれだけコストが掛かるのか、ということを考えたときに、単純に無制限の自由がいい(ホワイトカラー・エグゼンプションの全面適用のように)、とも言えない場合が出てきますし、問題となる前提条件によって、適切なルール設定は変化するはずです。
私だったら、息子の学費のために、自分の腎臓を売る勇気はおそらく無いと思います。たぶん仕事を増やして働くのでしょうが、それで過労死する可能性は無い、とは言えません。その場合には、奥谷禮子氏のような人に「自己責任ですよ」と笑われることになるのでしょう。
財務省と朝日をくっつけて、叩いてくる連中は多いでしょう。現代が結局そういう勢力にいい風を吹かせてやった、ということになっても、結果に過ぎないのでまあ、仕方ないことですかな。それにしても、朝日に美人記者なんかいるんですか? いるとしたら、結構萌えーじゃないでしょうか。
自分だけでは、なかなか答えがまとまりません。
奥谷禮子氏の「自己責任」という発言は、両者が等しい立場にあるもの同士でなければ成り立たない理論ですね。例えば、ボクシングではヘビー級の選手とライト級の選手が戦って死者が出たら、殺人となります。あるいは、プロの選手とアマの選手が戦った場合も同様です。
つまり、雇用主と労働者という両者には、「自己責任」という理論を当てはめてはならないと、考えます。
また、この方の考えは、グローバルスタンダードに対する考えを冒涜するものかと思います。
あくまでも、グローバルスタンドードとは、情報面で、開かれた社会にしましょうという話であり、強者が弱者を、滅ぼそうという考えではないと思います。
どのような武器でも、使うのは人間です、生かした使い方をしてほしいものです。
ほんとに、いつもありがとうございます。
また悩んだとき、伺うと思います。
もちろん、いやなときは無視していただいても、まったくかましません。
ブログという、開設者に対して、大変、負担を強いる媒体を利用させていただいているのですから、無視する権利は開設者にあると、思っております。
確かに、世論の潮目が変わりつつあるのかも知れませんね。「格差」が流行りだしてからでしょうか。
私は、ネットに関して、最終的に、情報発信者のトレースが出来るような仕組みが導入されても構わないと思いますが(どうせ、権力側は、今でも、盗聴その他が出来るわけですし)、意見の発信の仕方には、一段と気をつける必要がありそうですね。
尚、例のA記者は、朝日の社員ではないそうです。萌え損ないましたね。
>あ~まったりのんびり様
もっとも、「対等でなければダメ」ということを、保証してくれる人はどこにもいないし、他人はアテにできないのが、現実の辛いところです。だからこそ、倫理が大事なわけではありますが。
女の人も、お年を召したら「バアさん」になりますよね。
若い時分の容姿に引っかかって、オモチャのように利用される男の人は、本当にバカだなぁ…と思います。
それと、どんなに美人とお知り合いになったとしても、その人がオナラこいたり、あるいは、鼻クソをほじホジするのを見たら、途端に、醒めた気分になると思います。
まるで「西山事件」再来ですね。
しかし何て謂いましょうかね~
情はあったんでしょかね~、本当のさ~。
ただ、自分の出世のために相方を利用したいうことになると
いくらか人間として問題だらけかも?
まあ、エリート同士のゲームでしょ、こんなものは。
どうでもいい話ですが、わたくしにとっては。
勝手にやってくださいな。
↑「賎しくない」?
でもN氏はどうしようもないですね。金にしろ何にしろ誘惑に負けるのはどうしようもないです。
信念として漏らすなら別ですけど。
原則からいえば民主国家では国家の有する情報というのはすべからく国民の有する情報であって、ただ例外として(個人のプライバシーや防衛上の機密にほぼ限定される)機密にできることがあるっていうものです。なので『秘密』とできるのは所謂『実質秘』だけでしょう。これを『形式秘』(=政府が秘密と判断した秘密)とすると途端にすべて政府の犯罪は決して暴かれることがあり得なくなるわけで、、、政府ができない犯罪はあまりないことになる。
それが『秘密』に該当するとして、次にそれではその取材行為が『そそのかし』にあたるかが問題。だいたい取材というのは相手があってソイツから意見なり情報なりを引き出す行為なのだから、ヤバい情報を持っているかもしれない公務員にアプローチするだけで『国家情報漏えい唆し罪』に該当するようなことがあれば国民の知る権利もマスコミの取材の自由もヘッタクレもなくなる寸法。しかも政府が必死になって秘密なんだよと言えば言うほど国民には重要な情報だったりする。
だからこそ西山記者のケースでも最高裁は例の沖縄返還密約が『秘密』にあたることを認めつつも111条の適用については相当慎重に判示したですよ(実はただの政府のウソだったがそれはさおき)。つまり国公法には単に公務員に漏洩を『そそのかす』としか書いてないけど憲法に照らせば相当に違法性高い態様で執拗に粘っこく唆したのでなければ111条に当らない、としたわけです。つまり111条は“違法性の相当に高い、執拗な態様でそそのかす者は”と読め、としたわけです。要するに刑法35条の違法の相対性理論ですか。ここでも不倫なベッドが介在するからそそのかし行為の部分では(秘密の判断のところと違い)西山記者と同じですが、それでもここでA氏がどれほどNおじさんを執拗に誘惑(営業)したか、どれほどNおじさんの切実な不倫願望につけ込んだかが意外に見逃せない部分になるのではないでしょうか。というか立件されるかさえ疑問。
記事を読んでないのでよく知りませんが、山崎様のコメントには全面的に賛成です。こういう問題には床屋政談さんとか他にも詳しいかもしれない方がおられるとは思いますが念のため。
なおA氏の、N氏配偶者への債権侵害(N氏に向かって、他の女と不貞を働くなの請求権を侵害したとか)・不法行為による損害賠償請求権とか民事責任などを一切捨象すると、自分はある意味A氏は立派な営業ウーマンだと思う。決してエリートジャーナリストではここまでして“職務”に身を捧げないだろう。N氏配偶者には申し訳ないと思いながらも、動機がなんであれ身を粉にして取材した体当たり記者を粗末にしないで欲しいとアエラには申し上げたい。
まあ、人によって、感じ方はいろいろですが、美人のオナラなんていうのは、毎日でもいいくらい、なかなか良いものですよ(多分、ですけど)。第一、滅多に味わえるものではない! 本当に「美人」なら、簡単に「醒め」たりしませんから、嘘だと思ったら、試してみて下さい。
べつに、オナラをする方がいい訳ではありませんが、きっと、将来、オジサンの言っていることが分かると思います(笑)。
>Unknown
西山事件との類似性は、法律に疎い私には、正確なところが分かりませんが、N氏は、かなりマズそうですね。腐れ官僚にキツイ処罰を!と思う一方、しかし、それで彼の潜在力の良き目的への発揮も全て奪うべきだ、とも思えません。
「明らかに悪い」としえも、この種の「悪い人」を、どのくらい懲らしめるのがフェア或いは適当(最適?)なのかは、なかなか、難しい問題ですね。
>???のUnknownさま
もちろん、枕営業は十分「賤しい」のですが(その点は100%同意します)、明らかな嘘を言ってまでゴマスリをする男(女でも)よりも、明らかに賤しいといえる根拠は、無いように思います。
>のんきなとうさん様
うーん。サラリーマン・ジャーナリストがどのように理解しているかは分かりませんが、ジャーナリストという仕事は、ある意味で、倫理の境界に立たざるを得ない、高度なと言えば高度な、ヤクザなと言えばヤクザな仕事なのでしょうね。
そういう際どさを感じさせてくれる人には、滅多に会いませんが、本質的には、そんな仕事なのでしょう。
>Dialecticianさま
そうそう。ある意味では、A記者への対応は、朝日新聞の見識というか、度量が問われる、興味深い問題です。
「朝日は、フリー記者に枕営業取材をやらせるのか!」という非難もあり得るし、「朝日は取材にカラダを張ったジャーナリストを見捨てるようなメディアなのか!」という非難もあり得る訳で、どういうことになるのでしょうかね。
週刊現代当該号の広告が、外されることもなく
改訂された様子もなく、読売新聞掲載と同じ内容で
そのまま掲載されていたので
なぜだろう?朝日新聞社も度量を見せるのか
と思っていたら、
該当記者の方が正社員ではなかったので
少々いやな気持ちになりました。
同時に、本流ではなくてAERAだからいいか…
というのもあったのでしょうか。
AERAの組織の実態はわかりませんが
正社員ライターとの力関係で
いろいろご苦労もあり、
A氏はもしかすると意識的にか、無意識のうちか
無理されたのかもしれない
と、思うと、悲しい気持ちにもなります。
本当のことはわかりませんけど…。
日米企業社会じゃ競争至上主義、収益至上主義が跋扈しているけど、これは長い歴史の中でとられると”はしか”や”りんご病”みたいなものと思えてきます。
昔、学校は勉強が好きだけど出来ない子供のためにある。国家機構は無力だけど郷土愛に溢れた弱い人々を護るためにある。何処ででも生きていける有能(ずぶとく鈍い)連中は国籍を問わずにいる。彼等をのさばらせてしまうと、Winner takes allという結果を招くだけ。
現代社会では、仮に「企業」は潰れても「個人」は絶対に潰さないという仕組みが必要でしょうね。
いらっしゃいませ。
朝日としても、あれだけハッキリ事実を掴まれた記事では、抵抗のしようがないでしょうし、おっしゃるように、本流の管理職ではなく、契約ライター(たぶん)だから、ということもあったかも知れません。
「AERA」に限らず、雑誌では、契約ライターにしたり、スポットで使ったりと、外部のライターを使うケースは多いし、テレビでも、ディレクター、AD(アシスタント・ディレクター)など番組の制作スタッフの半分以上が局の社員以外、というケースも少なくありません。
これらは労働成果がはっきりしやすい職種ですが、同じ仕事をして、新聞社・テレビ局などの正社員の場合によっては半分くらいの収入で外部の人々が働いています。もちろん、残業は多く、結構肉体労働なのにエグゼンプション状態ですが、「同一労働、同一賃金」の原則が一番露骨に崩れているのがメディア業界かも知れません。
美人記者(ホントかな?記事中ここだけ根拠がない記述ですが)が本当にN氏に愛情を感じていたのだ、とすると、むしろ救われるような気がしますが、現在のN氏はたぶん自分のことで精一杯で、記者を助ける余力も度量もないのではないか、と思います。
>疾風さま
コメントありがとうございます。
私も、国の制度が、個人を単位として設計されて(世帯や会社単位ではなく)、弱い「個人」守る、ことに概ね賛成ですが、これを、誰のコストで誰が保証するのか、が問題ですね。
無い袖は振れないし、国に大きな権限を与えると、必ずこれを利用する人が居て、腐敗するし、むずかしい問題です。
>誰のコストで誰が保証するのか、が問題ですね。
基本的には成功者(金持ち)が社会に還元すべき、ということになるのでしょう。
しかし人間は仏教が言うまでもなく煩悩の塊なので
(御手洗とか奥山とか福井とか)社会に還元するより先に
自分に還元しようとします。
人間の欲望との両立が難しいですね。
成功者が社会に還元したくなるインセンティブがあればいいんですがね・・・
ところで
>無い袖は振れないし
国に限ってはあり得ないですよ。日銀の国債引受ってのがありますから。
まぁ親王金貨発行でも良いんですが。
マスコミがすでに何番目かの権力であるのは言うまでもない、からして、(虐げられている)市井の人間の敵はマスコミ人ということになるだろう。ジャーナリストごときに期待してはいかんのだ。が、それでも、なんとなく我々の声を代弁してくれるのでないか、という錯覚というかいくらかの希望は消えない。できれば派手に、悪党を切って捨ててほしい。
さて、ジャーナリストがジャーナリストたる、というのはどういうことなのだろう。テレ朝等でおなじみの三宅氏なんかも一応ジャーナリスト、だろう。ナベツネと飯食った、とかが自慢のジャーナリスト、我々の利益とどっかで重なってくれるのか、心許ない。マスコミの大部分が、日本経団連新聞に代表されるように体制と大企業の代弁者である場合、(我々の味方たる)まっとうなジャーナリストは何によってたつのか。一つは思想だろう。左翼なら、体制を批判転覆しようとする。だからして、反日とレッテルを貼られて街宣車に糾弾される。その他はなんだろう。宗教的倫理観だろう。目の前の体制と、帰依している宗教の教えが微妙に違う、軽い人間革命を起こさなければならない、てなとこだ。さらにあるかと言えば、愛国心というのがあるが、愛国心は、体制を愛することあるいは悪党の隠れ蓑、と考えた方がわかりやすいので省く。
まっとう、と書いたが、ジャーナリストがまっとうであるというのが、いまいちよくわからない。まっとうなジャーナリストたらしめるために、我々はどういうインセンティブを彼らに与えればいいのか。金ではないだろう。それなら資本家に負ける。では賞賛か。それもピンとこない。
畢竟ジャーナリストなど、全員極道でよいのだ。と無理から話をまとめて、問題を山さんに投げる。
まっとうなジャーナリストを育てるために我々がとりうる方法、彼の(ジャーナリストたる)良心を刺激する方法はあるか?
くだんの週刊誌記事を読むと、どうやら主計官氏はこの女性記者との不倫が既に2年前に騒ぎになっており、一度は縁を切ると一筆書いたものの、また関係が戻ってずるずる続いていたようです。
失神した主計官氏に比べて、女性記者はコメントを読むと何やら堂々と開き直っている気配が濃厚です。
そういう状況から勝手に類推すると、この女性記者は主計官氏に別に恋愛感情は持っておらず、とにかく肉体を武器に、彼を情報源としてしゃぶれるだけしゃぶろうと腹を括っていたのかも知れません。
片や主計官氏の方は、彼女を結構好きだったのか、あるいはSEXの魅力に抗えなかったのか、入れ込んでしまってきっぱりと別れられなかったようにお見受け致します。或いは、朝日新聞社の領収書でタダ酒やタダ飯にありつけたのも大きかったのでしょうか(イタリアンレストランで二人でワインを飲んでいたそうですし)。
とにもかくにも、ひ弱で情けない主計官氏に比べてこの女性記者はいいタマだわい、というのが私の勝手な感想です。
山崎さんのコメント中にもありましたが、
ジャーナリストは、世の中に伝えるべき事があれば、一般社会とはズレた行動様式ででも「獲って」伝える、そうすべき職種なのではないかと思います。
受け手の一般社会側も、それを自覚して、伝え手のジャーナリストに尊敬と蔑視の両方を持っていたほうが
いいし、自然なのではないでしょうか。
(もちろん、ジャーナリストがすべてそうだとは言いません。ネタ元の公憤的な内部告発や、合理的知見と公開情報からの鋭利な推論によって、調査して記事をものにする、ほとんど尊敬しかしようのない方もいるでしょう。たとえば年金問題での岩瀬達哉さんやダイオキシン騒動での日垣隆さんなどがそうでしょうか)
ただ、ジャーナリズムという表現行為には、人を直接傷つけたり、暴露で迷惑をこうむらせたり、嫌がる相手から情報を奪ったり、という局面があることは避けられないだろうと思うのです。
私は特に、ジャーナリズムに関わる「組織が」、カマトトぶった理想論に逃げると、何もしないことの言い訳や頑張る個人の足を引っ張ることにしかならない気がしています。
とはいえ、今回の件では不倫ウンヌンとは別に、もし本当に財務省N氏が部外秘の情報を女性に漏らしていたなら、公的な金融情報を色仕掛けで盗って不当に儲けようとする輩に出会っていた可能性もあったわけで、自覚の甘さに非難はまぬがれないでしょう。
A記者には、もしN氏への恋愛感情がなかったのなら(たかだか既出程度のネタをとるために)「そこまでするか」、
N氏への恋愛感情があったのなら「彼の出世は終わりだね」、
N氏への恋愛感情の有無が記者自身で判別できないのなら「ユルイなぁ」、
というのが私の下品な感想なのですが、
どうも自分も含めたこの社会は、そんなにお上品な貞操をした実態ではないよなぁという感覚もあります。
週刊現代側にも、財務省キャリアと朝日新聞記者の不倫スキャンダルという、劣情で売ろうとしている下品さは感じますしね。
ヘンな結論ですが、
そういう何が出てくるか分からない下品さ猥雑さ、その人間臭さが、嫌いになれないのが、なんだか困ったところです。
PS
で、この財務省N氏、の妻の父が元大蔵次官なんですね。閨閥というやつですか…。 なにか、このN氏にも同情というか、哀れみというか、感じませんか?
大変遅いですが、明けましてオメデトウございます。本年も楽しく刺激的なエントリーを楽しみにしております。
年末年始、完全に仕事と日本を離れ、電話もインターネットもいないところに隠遁していまして、1月2週目に日本に帰ってきましたら、日本ではあちこちで、人体がバラバラになっていたようで仰天しました。
モナや石原真理子事件や今回の不倫云々などしばしば軟らかく”形而下”な(この表現は私の父が作ったものなので日本語として実在するのかは知りません)をも取り上げるなど、山崎さんはいい具合に硬軟取り混ぜた議論提起をなさっているので、(そのどちらかと言えば軟加減が私は結構好きなんですよね)、この辺りで一度”結婚とは”という事象を取り上げていただけませんか?切り口としては、少子化、ということもあるでしょうし、ただ、私として期待するのは、もっとなんと言いますか人間の根源的な部分です。「ヤバい経済学=Freakonomics]の著者お兄さんにも是非分析してもらいたかったです。
私は未婚なので、「不倫」の蜜の味みたいなものは未経験でまったくウブだなあ、、、、とつくづくです。
では。
以上、付け足し文章です。
ふ
ジャーナリストという業は、少なくとも倫理の境界線上を歩く仕事でしょうし、もともとヤクザなものでしょうし、そうあることが健全だ、というようなものなのでしょう。
もっとも、こうしたジャーナリストのジレンマなど関係ない、高給サラリーマン・ジャーナリストが増えており、金(といっても、年収2千万少々の端金ですが)は、簡単に人を変えるなあ、と思う今日この頃です。
良い意味でヤクザなジャーナリストを育てるには、国民がこぞって、そうした人物と業績を褒めそやして、このヒーロー(ヒロイン)が良い気分と同時に、経済的な成功も獲得できるようにするしかありません。
では、それをどうやって始めるかというと、現実に良い対象がいないのであれば、小説なり、映画なりのフィクション世界で、成金ジャーナリズムを痛罵して、心の底からヤクザなジャーナリストであることを楽しむ(抑圧に裏打ちされた正義感は辛気くさいので)ヤクザで素敵なジャーナリスト像を確立することが効果的であるように思えます。
先ずは、評論家ではなくて、クリエーターの出番ではないでしょうか。
>猫だまし様
良し悪しは別として、この女性記者は逞しいですね。
主計官N氏は、個人的にはかなり気の毒な気もしますが、本当にA記者は、この人に惚れていたのでしょうか。
A記者にとっては、そんな区別は必要はないのでしょうが、気になりますね。
もっとも、世間的にはN氏はボロボロだとしても(特に今までとの落差が大きいし)、公務員であるN氏には、一生食い扶持が用意されるでしょうから、経済的には、大変なのは、A記者の方でしょうか。
それを思うと、一層、A記者の逞しさが際立ちます。
>床屋政談さま
社会正義は脇におくとして、N氏に対して、同情・哀れみは、大いに感ずるところです。
良し悪しは別として、中年男(N氏は私の一つ年下ですね)が女性(必ずしも「若い」とは限らない)の色香に迷う気持ちは良く分かりますし、制御が効かなくなる自分を許してしまうような気持ちにもなるのでしょう。公務員という彼の立場を除くと、一個人としての彼は、愛すべき馬鹿オヤジです。自分の仕事や立場よりも好きな女が居たのだから、阿呆だけれども、いい奴なのかも知れません。
仮に、個人的に付き合いがあれば、お酒でも飲みながら、今後の人生相談にでも乗っているところでしょう。こういう逆境の時に、話し相手(むしろ、話の聞き手でしょうか)になってあげるのが、友人というものでしょうし。
中年男の不倫というと、いつも思い出すのは、ご本人には申し訳ないのですが、将棋の中原誠十六世名人です。林葉直子氏との不倫問題は、彼にとって大きなダメージになったのでしょうが、彼は、それを後悔している様子も見せないし、淡々かつ堂々と、その後の人生を歩んでいるように見えます。もちろん、誰もが認める、並はずれた才能と実績があるわけですが、たいしたものです。
あのような外から見ると理想的な人格者(に、かつては、見えた)の様な方でも、ああした行動に走るというところがいかにも人間的だし、形勢を損じた将棋にもベストを尽くすとでもいうような、その後の振る舞いも立派だと思っています。大っぴらにされたエピソードは相当に格好が悪かったように思いますが、大人物は、気にしないのですね。
私は、あのエピソードを真似しようとは思いませんが、ある種の尊敬の念を持って、中原名人を応援しており、まだ現役を続けておられる大名人のタイトル戦への登場(あと少しなのですが)を心待ちにしています。
>ふ様
あけましておめでとうございます。
確かに、「結婚」は語るに足るテーマですね。一度書いてみよう思っています。
私は、最終的には結婚不要論者ですが、それでも結婚したいと思うことがあるのはなぜか(現実に結婚もしたし)という点を含めて考えてみないといけませんね。
内閣府発表の景気動向が後出しで下方修正されるなど、後出しじゃんけんは、相当強引な印象でした。
① 12月に見送ったこと ② 物価上昇が継続していること ③ 政府は景気が回復しているといい続けたこと。 ④ 上場企業の三分の一の利益が史上最高であること ⑤ 貿易黒字11月は1兆7000億水準と好調なこと ⑥ 都心の不動産が急上昇していること
⑦ 株式市場が好調 ⑧ M2+CDが増加していること
⑨ 金融業会は不良債権処理が一段落 ⑩ 円安が120円を超えたこと ⑪ 中国が相変わらず好調 ⑫ 昨年7月には実質的に金利引き上げ第一弾、、、等々の理由から正常な経済運営に戻る良いチャンスではなかったかと感じています。なんか、総裁が提案しないというのが、胡散臭い印象でした。
安部首相の欧州訪問以降、動きが急だったようですが、今朝までの朝日の報道、日経・産経の報道、毎日・読売の報道など???でした。
特に朝日が3時過ぎに流した「急激な円安」は、朝日の意地(やりすぎ?)を感じました。
政治家の政治資金利用法などとも交錯して、歯切れが悪かったですね。麻生・谷垣等の話も流れましたし、森の「参院選敗北でも続投」、、、なども???ですね。郵政造反議員問題以降、憲法改正など、自民党は相当に強引ですね。
枕営業は、営業する人のオプションでしょうが、それは読者が評価することと思います。
最初に、インドの腎臓売買の話が出ていたので、久方ぶりにコメントしました。個別の事情を知りませんが、インド的感覚では、当たり前かもしれません。文化的価値観が感じられました。その後、死亡するとは考えていなかった可能性が高いと思います。中国での臓器売買なども日本的価値観では考えられないのではないかと思います。インドでは、人間が簡単に死ぬし、人生の価値観に違いがあるのではないでしょうか。
子どもが学校に行きたいときに父親がどのように考えたか?とても、すごいことだと思います。
「結婚」という話題にも興味がありますが「子ども・家族」についても、よろしければ、ご掲載ください。
知合いに某大手メディア出身で近年独立起業に成功し現在リスク・コンサルタント会社をとても好調に経営している者がいます(既に高給であった前職時代よりも年収が現在進行形で増えているらしい)。
コンサルテーションの中身が何かと言うと、会社の危機(例:不祥事発覚)に際してのマスコミ対応講座を危機管理の有力手段として売り込んでいて、『引く手数多』とは正に現在の彼の置かれた状況のことで一回約3時間の模擬TVインタビュー用の照明やカメラ・マイクにフラッシュライト等々の資機材まで持ち込んでのロールプレイや講演が舞台装置だそうだ。
尤もこの商売の肝は、こうした仕掛けも大切な要素の一部だが、もっと大切な『売りのポイント』は彼の経歴と人脈と業界慣行習熟度合いと其の実践活用上の『息の合わせ方』なのだそうで、このコアコンピタンスこそが彼をして同業他社の追随を決して許さないまた顧客からの引き合いが引きも切らない源泉なのだそうだ。
重要な秘訣は何かと聴くに、明快な回答は躊躇し明かさないのだが、あれこれと話の断片を組み合わせて見ると、どうやらマスメディア広報筋の業界人仲間同士の古くからのお付き合い関係(時として互いの錯綜する利益を貸し借りで調整する力)が最も重要なタネのようだ。
つまりマスコミにどう対応するかのお客様自身の技術力獲得に加え、其れを裏からしっかりとサポートし得る彼の業界への働きかけ力と、同業者からの同様の働きかけへの応答力の微妙なバランス上に成立可能性がある報道管制(駆け引き突破)力こそがコア・コンピタンスだと思われる。
この種のコンサルでは通常二つのポイントが顧客の選別基準となる由。
(1)論理的な思考に基づく想定問答の作り込みの良さ、と
(2)ロープレ訓練段階での所作(発声方法から身のこなし方)指導の特徴付け。
ところが彼の場合(3)番目として前職での経歴から来る他者(他社)には無い『いかにも頼れそう感』が更に付加されており(売り込み営業ではこの第3の特徴をこそ懇切丁寧に説明すると思われる)彼の風采容貌や流石元一流ジャーナリスト(世間一般での通称)らしい押し出しの良さと相俟って静かなヒットを連発出来ているのだろうと思われる。(実際に報道差し止め成功事例があるかどうかは知らない)
この意味で先のAERA誌のA記者と相通じる処を見出す次第ですが、これは正にヤバい経済学として、本来こうあって欲しいという姿とは異なり世の現実のあり姿を映し出しているのだろう。
供給サイド(情報やサービスを提供する側の意味)の話としては『これがマアマア実態ですよね』で済まされるのでしょうが、翻って、受け手サイドとしてはどうなのでしょうか??を考えて仕舞うのです。
事が起こった場合にどうやって上手く対応したり報道するかよりも矢張り大切にしたいのは、どうしたら余計な事の発生を防げるか、無駄な事を起こさない生き方とは何なのか、なのではないだろうか、と考えるのは思考類型としてはマイノリティーに属するのであろうか??
発覚後の対策費と信用失墜のコストに比べれば発生防止への意志と努力は遥かに低いのだが、どうやら一流人と呼ばれる人々はえてしてこの辺りが実践出来ないものなのですね。
『道徳なき経済は犯罪である、経済なき道徳は寝言である』何とはなしにこの言葉が気に入っています。
「一流人と呼ばれる人」は確かに、脇が甘くなっていく傾向があるようです。成功体験を重ね、おだてられていくうちに、自分は特別だから大丈夫だ、というような気分になるのでしょうか。
「一流人」がだめなのか、「と呼ばれる」ことがダメなのか、と考えると、おそらくは、後者なのでしょう。耳に痛いことを言ってくれる人を周囲に置くことの大切さを感じます。
こんにちは。
うーーん。
お会いしたことがないし、
分からないのですが、
本当にこの方達は、
エリートであり、美人なのか?
まあ、どうでもいいことといえば、
どうでもいいことですが・・・・。
"エリート"
とはどの程度のものなのか?
ちょっと興味あります。年収、資格、経歴等々。
彼によると、あの「週刊現代」の記事に関して、ジャーナリスト仲間の間では(包括的な調査ではありませんので、その点、ご注意下さい)、「我々の仲間の、Aちゃんを『売る』なんて、ヒドイ」という感想が支配的だとのことでした。
ジャーナリストは、その仕事の性質上、世間の倫理の境界線にいる職業であり、お互いがお互いを批判し合う緊張感を持つことで、社会正義からの逸脱を防ぐことが出来る、というような職業ではないかと思います(「本来は」、ですが)。
お互いを甘やかし合うようになると、もうダメ、ということでしょうし、誰がそんなことを言っていたのか迄は聞いていませんが、最近頻繁に見る、「たるんだ」報道の背景を教えて貰ったような気がしました。
「選ばれた人」という原義通りのエリートに関しては、私は、今までに、その名に値する人間を、過去にも、現在にも、内外を問わず、一人も知りません。
世間では、官僚や商社マン、最近では外資系の証券マンにまで「エリート」と呼ぶことがありますが、こんな下らない称号は、いい年をしたオヤジが、痴漢でもして、それがばれたときに使われる、「皮肉」なのだと理解しておくのがいいのではないでしょうか。
誰かに「エリート」と呼ばれるようになった人物は、もう、決して尊敬などされていない、というのが、ありのままの現実でしょう。
たかだか自分の出た学校名とか所属するorした団体名をブランドと勘違いし、以ってエリートを自称したり、他の人からそう呼ばれて悦に入る人がいたらそれは間違い無く『一流のくだらない人間』でしょう。
本来の定義と実態が甚だしく乖離して仕舞っているのが近年の実態かと私は考えます。
思うに、百合さんは、たぶん、「下世話な意味でのエリート」の条件にご興味があったのですよね。
ちなみに、wikiを部分引用すると、こんなことが書いてあります。
=====================
<エリートと呼ばれる対象>
やや定義が曖昧で、人によって「エリート」に対するイメージは異なり、学歴や年収、能力などにおいて、平均的な水準を大きく上回っている状態、もしくはそういった状態にある人を指す場合も見られる。ただ原語の意味からすれば、些か誤用の感もある。
このようなイメージに於いては、有名大学卒などの学歴でエリートかどうかを判断することもあれば、キャリア官僚や弁護士、医師など、職業で判断することもある。ある組織・集団の中で、ごく少数の有能な人間だけを集めて「エリート集団、エリート部隊」などと呼ぶこともある。いずれにせよ、難関を潜り抜けて高度な教育を受け、また論理的に思考するよう訓練を受けているこれらの人々はエリートの範疇といえよう。
=====================
どうも、随分、学歴に偏ったエリート像です。たとえば、彼とご同窓の方には申し訳ないのですが、安倍首相は、エリートではない、ということになるのでしょうか。
何れにしても、お金だけでなるものではない、ということのようですが、エリートの条件は、今一つ良く分かりません。
まあ、いい学校を出ているお兄さんが居たら、「お兄さん、エリートですね!」とからかってみると、その人が自分自身について、どう思っているか、知る手掛かりになりそうな気がします。
しかし真のエリートとは何か、の議論は一考の価値がありそうですね。卑近な有用性では、自分の子供に、どんな大人になって欲しいと願うか、の尺度に使えるかもしれません。
カネか、正統性か、普遍性か、頭の良さか、権威・権力か、愛される対象か、弱者のために闘えるか等など多面的で個性の出る問題でしょうか。自分自身がどんな人間になりたいかというのはオヤジにもなるといろいろな制約・限界を思い知っているのでなかなか柔らか頭で発想しにくいのですが、自分の子供をどう導きたいかという段になるとかなり自由奔放になります(親の身勝手か)。
具体的個人名で比較した場合、例えばマザーテレサとバカブッシュとではマザーテレサが偉いとほぼ全員が思うでしょうが、尼さんと米国大統領職とを比較するととたんに難しい。口入れ屋で金持ちになるぐらいなら(その後たとえ経団連会長になろうとも)余っ程パチンコ屋で金持ちにでもなってもらいたいと思う。(竹中がパソナの顧問だかなんだかになるというぐらいだから口入れ屋起業→経団連会長というルートも将来ありえなくないだろう)
ちょっと前に盛んに議論された人身売買禁止法の制定が想定していたのは貧しい国からの“肉体”労働者の身も凍るような搾取状況への対応であった。“先進国”では唯一日本が自由な人身売買ができる国ということらしい。本来“美しい”国のはずなのに、だ。言い出したのは確かにアメリカだが、アメリカには言われたくないなどと開き直るのは完全に筋違いだろう。世間ではみんな多かれ少なかれ相互に人を利用するはずだが、直接的片面的に人の労働力をピンはね・ブローキングするというのは売春であれ組み立てラインであれ相当良心を鍛えておかないと難しいでしょう、きっと。ただ例えば禁酒法でヤクザが栄えたという因果関係なども明らかであり、また売る側の、対価を得て生存する権利もあり勿論需要も強く、禁止するのではなく行政の監督を強化すればいいはずだ。現に風俗営業関係はここ数年相当規制が厳しくなったと聞く。この点売春のブローカーも口入れ屋も人様の売買であることに変わりなく(そんなこといえば雇用行為自体が労働力を買い入れることじゃないか、と言われるかもしれないが、だからこそ労働基準法関連法令があるのだ)、そうであるのに口入れ屋(売春を除く)だけを自由にやらせろというのはいかにも不釣合いだろう。奥谷何某は置屋の女将、御手洗マンはポン引き・美人局の連絡協議会の委員長みたいの役のほうが適任ではないだろうか。労働力の売買は禁止はできない以上、その商売への規制は逆に強める必要があるのではないだろうか。金融庁の金融機関への監督の強さ以上に、厚労省の口入れ業者への監督規制の強さがあっていい。信用創造・決済秩序の重要性が高いからこそ規制が必要なのであって、労働力市場における口入れ屋の必要性が高まるのであれば高まるほど規制監督の強化も必要になるはずだ。元来性に寛容な歴史をもった国とはいえ、人の売買を生業とする者にはその一挙手一投足を見張るぐらいの監督があっていいだろう。
話は随分逸れたが、もっと逸れると今後一層外国人労働者の受け入れ問題が語られる情勢。いわゆる3Kみたいなのが想定されているでしょうが、ほかにやれる人がいないから日本に上陸させてあげる、みたいな高飛車な態度では全くダメでしょう、きっと。受け容れるのであれば、その根底において、制度上“原住民”と全く差別しないので来て頂けませんか、の態度が必須ではないか。家の近所に少し前まで一軒、ロシアンクラブみたいのがあったけど最近なくなりました。入管行政が厳しくなったためか、ロシアのGDPが上がってわざわざ日本くんだりまで出稼ぎに来るインセンティブがゼロになったのか知りませんが、きっとその両方ではないかな。他方、奥谷とか御手洗とかが幅を利かせ続け年金制度がどうの靖国がどうので孤立化しアメリカにもいいとこなしと見放され行政機構を愛せだのででは、失われた世代だけでなく、外に出て働けるものならドンドン日本を積極的に脱出する機転の利いたひとが増えるでしょう。大英帝国をみよ!イギリス人だって世界中に出稼ぎに出て久しい(尤も言語の優位性とか狩猟民族か農耕民族かの違いはありそうだ)。イギリス国内であれほどイスラム文化を受け入れていなければ(根強い差別感は勿論払拭されていないだろうが)これだけシタタカに世界中で生き抜けなかった(息抜けなかった)かもしれない。
話題が逸れたまんまでスミマセン、、、
そういえば親友の親族が最近、ゴールドマンの日本でのパートナーになったらしい。世界支配の仲良しクラブに仲間入りか。是非、混ぜてもらって不二家の空売り情報教えてもらいたかった~
結局、子供には、どんな大人になって欲しいか、と考えると、他人からたとえばエリートと見られるようにということよりも、楽しく、逞しく、本人が張り合いを持って生きて欲しい、という所に帰着します。
エリートの原義(「選ばれた」人)を考えると、結局、エリートは「なる」ものではないので、目標の対象にはなり得ない、ということでしょうし、従って、あまり興味の湧く対象でもない、ということなのではないでしょうか。
結局、真面目に考えると、何らかの皮肉とセットで、ということでしか、取り上げようのないもののようです。
ご無沙汰しております、オフ会の節はお世話様になりました、本当に楽しかったです改めて御礼申し上げます。 また後日お誘いしたく、宜しくお願い致します♪♪ それは別途・・・・・・。
ロバ耳ブログ大盛況に益々勢いがつきご同慶の至りですね。
が、書き込み箇所をしっかりと記録しておいて適時戻って来ないと人様から頂くレスに気付かずのリスクも一段と高まって来ました。
Diaさんの幅広い領域にわたる精緻かつ深い知識とご論考には何時も感動し、拝見しております。
ブログに集われる多くの方々のコメントからも多くを学び、考えを深めさせて頂いています。感謝、感謝。
さて本題の『エリート』論考です。
>ご自身が世間的に“エリート”な団体に属して・・・・>> 斯様な言われようには、私生来の軽薄さからついつい選ばれし人のコスプレ的気分に浸って仕舞いたくなる一面が刺激されて、踏ん反り返り過ぎて後ろ向きに転び後頭部を強打しそうです。 もし万が一にも通勤電車で痴漢逮捕され週刊誌にでも報じられる様なことが起きたら、その時は是非うんとこさ持ち上げて、そして思いっきり叩き落として下さい。山崎さんの仰るとおり近頃のエリートとはそんなものでしょうね。
多数で集団を形成すると、中には『優れた努力家で且つ慎ましさを持ち合わる方』も居られるのと同様に『自信過剰さ一流・周りの見えない馬鹿ちん』も居る訳で、どうでしょう残念ながら後者の方が多いor目立つのが現実なのかと思えます(大切にしたいのは勿論前者)。
但し不思議なもので特定の集団が一定線or以上の例えば経済的成果を挙げるとその正の効果でしょう周囲には多くの関係者・お取引先が形成されますよね。そう言う状態が一定の時間継続すると中には変な自信と自負心を持つ人や、それを妙に誉めそやす人も出て来る訳です。
動機は更なる果実を得たいから、豚(には申し訳ないが)もおだてりゃ木に登る、という具合です。
(今朝NHKインタビュー番組でお手洗いさんが『ビションびしょん』とか言ってたようです。)
そこで本当に自分が偉くなったと舞い上がって過剰な実力信仰に酔う輩も、また、酔わせる輩も必ず居る訳ですよね。 つまり相関関係と因果関係を取り違える奴、 『実るほど頭を垂れる稲穂』に『厚かましくも便乗し実りを自分の成果と軽い頭で勘違いするorそのように喧伝する輩とそれを便利に利用する輩』達です。(株主も下手をすると荷担する結果となる場合もありそうですから注意しよう)
近年のホワイトカラー成果主義の浸透とは無関係に昔からこうした輩は居るのですが、それが助長される傾向が強まったかなとは思います。
つまり自分はこの様な輩にはならない様に常々の心掛けが大切とは思っております。 詰まる処、肝心なのは人間ひとり一人のその時々の謙虚さ・慎重さ、そして自分自身に対する厳しさを持続出来るかどうかがとても大切なのでしょうね。
ある優秀な集団(本当?)に属しているから自動的に所属者全員が優れ者ではないのでしょうし、逆に優秀な人(!希少ですね)が属する集団が必ずしも素晴らしい組織足り得るかは疑問、と考えた時 例えば別エントリーでご指摘もある如く環境問題に対する自分の日々の無意識の行動を見詰め直してみると、人間がそれだけで地球上で『選ばれた優れた生き物』かどうかも怪しく思われます。 ましてや◆■会社社員とか○○人とかの言い回しにおいておや、ですね。
よって人生三分の一くらいは少し真面目に生きようと努力を肝に銘じています。
わあ、ハンドルネーム同様レス・コメントも何時も通り長過ぎになりました、御免なさい。
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少しお住まいからは遠くなりますが、お勧め出来そうなお寿司屋さんがありますのでもし宜しければこんどは其処で人間談義でもしませんか・・・・・。
いや~オフ会などというよりは、自分の理念先行・金融知識の浅はかさも省みず、勝手に“新しくてフェア”な金融業というアイデアにとりつかれて、勇み足を踏んでしまいました。今後ひとに相談するときはもっと自分自身で練って捏ね繰り回して練り上げておくように致します。
エリート論については、世の中には他人を殺すぐらいなら自分が犠牲になるとか、そこまで極端な場面でなくても、ヒトさまの為になるような仕事がしたいと思う人は沢山いると思いますが、ある意味それだけでその人はエリートの素地があるのではないかと思うわけです。
官僚は戦前においては“天皇の使用人”でしたが、今は一応国民の使用人に変わったはず。実体はそれには程遠いかもしれませんが。うちの近所にキャリア組みのデカイ官舎があって、やはり近所の住宅街の真ん中に人気ラーメン店があり週末の昼には行列ができるほど人気なのですが、ある日自分も並んで待っていると列の隣人はキャリア官舎に住む親子でした。“エリート”のお父さんは小学生らしき男の子にとにかく一所懸命勉強しておとうみたいに東大行って役人になれ、と諭しているわけですね、ラーメン待ってるときに。で、子供がそんな頑張ってなにがいいの?みたいに言うとそのキャリア官僚曰く、例えばうちの家はあんなに豪華で広いけど家賃はもうタダみたいなもんだぞ、そんな生活が保障されてるのは役人だからこそなんだぞ!と諭してました(自分もラーメン待ってて暇なので聞こえてしまっただけですが)。さすが日本きってのエリート官僚、的を外さないな、と感心したものです。(そのすぐ後に官舎売却計画が発表になりましたがその官舎は対象外のようです)
寿司、いいですねぇ~お言葉だけでも有難いです。
安くて旨い寿司屋に行くととたんに大食漢に豹変して話は疎かになり勝ちな自分ではありますが寿司屋政談(なんてコトバあるかな)・人間談義でもさせて下さい。
>ただ、ビジネス・モデルの実態は、何やら、税務署上がりの税理士さんに似ていなくもないですね。>>
確かにビジネス・モデルとしての類似点はありそうですが、コンサルタントとしての賞味期限は結構短く終わるのではと私は見ています。
何故ならば本来起こしては拙い事態の根本原因や背景に迫る緊張に決定的に欠けていて、寧ろ不祥事の発生がメシの種では、果たす社会的機能が認められないと思うのですが、これは好き嫌いの類なのでしょうか、考えるとしたらまあ時間がある時にでもしてみます。
いやあ~、力んでそれ程の腹の据わりも無い私こそ貸し金の趣意書などとぶち上げただけで申し訳無くもお恥かしい限りです。
但し、人生70までとしてもこれからの15年(or75なら20年)に向けて、今年就活を始める予定の長男と同じ出発点に立ちながら、必死の道探しです。
この間長男とは飯屋さんで『俺の到達点がお前の出発点だ、おとうより優れている可能性もあるぞ、おとうの二の舞いだけはしないように心掛けていれば良い』と言って山崎さんの人生相談の本と神の心理学を渡しておきました。
『おとうのようになれ』vs『おとうのようにはなるな』、この差が大きそうですね。
おとうは貸し金になるのと聴かれましたので、仮に成れても息子に貸すかは判らないと言っておきました。
息子達はロバ耳も常に見ているようですし、Diaさんのこともお話しをさせて頂いております。
いずれ謦咳に触れさせて頂く機会を賜れれば幸甚です。
エリート論で盛り上がっているところを失礼いたします。
実は私、とある縁でこのN主計官の結婚披露宴に出席いたしました。17年前のことです。
印象的だったのは、「エリート臭」ふんぷんなその会の雰囲気です。
なにしろ、新郎と新婦の父親が大蔵省(当時)ということで、出席者の8割近くが大蔵関係者だったのではないでしょうか?
後にも先にもあのような異様な雰囲気の結婚披露宴に出たことはありません。
なにより不気味だったのは、その異様な雰囲気に誰も気が付いていないようだったことです(中には私と同じように感じた人もいたと思いたいですが)。
まあ、「エリート」と呼ばれる人は、こういう人たちなんだなあ、といい勉強にはなりました。
ところで、このN主計官は今後どうなるのでしょうか?
首にはならないにしても、このまま出世街道を何事も無かったように進んで行かれるのでしょうか?
それとも、次官の道はもう閉ざされてしまったのでしょうか?
あの日のひな壇の彼の姿を思い出す一方で、そのことが気にかかっています。
N主計官は、さすがに、これで表街道を出世することは無理でしょうが、それでも、自分から辞めずにいると、生活に困ることは絶対無いでしょう。これは、民間会社では考えられないくらいの優遇であり、堅固すぎる身分保証です。
まあ、それにしても、あの記事にあった程度の「直撃取材」に失神するようでは、エリートの名が泣きます。
いやはや主計官はエリートとしては鍛え方が決定的に不足です。
福井総裁・宮内会長・御手洗会長を見て下さい、彼らこそは筋金入りの本格エリートです。
何があろうと『自認しない』し『辞任しない』ど根性は特別に厳選された人達しか持ち得ない能力でしょうから。
なかんずく福井総裁に至っては金融政策を自分の地位保全と引き換えるなんて選ばれた人にして初めて可能な曲芸です。
「AERA」編集部には、頭文字が「A」ではじまる女性記者(朝日新聞社の正社員様とのことですが)が、いらっしゃるらしく、弊ブログの記事を見た第三者から、「問題のA記者とは、あなたのことか?」と誤解されたことが何度かあったらしく、人づてに、そうした事情をお聞きしました。どうも、ご迷惑をお掛けしたようです。
そこで、文中のA記者は、実際には、「A」という頭文字ではない、という注記を、エントリーの末尾に付け足しておきました。
考えてみると、そのように誤解される、ということは、この迷惑を被った「Aさん」は「美人記者」なのかもしれません!?
この辺りは、重要なポイントかも知れませんが、文中の「A記者」についても、私は、事実確認をしていないので、悪しからず、ご了承下さい。
「仕事のタブー300連発!」拝読させて頂きました。
ささやかな経験談:
上着のポケットに丁度うまく入るサイズなので私の主たる読書タイムの通勤電車で読ませて頂いたのですが、これから読まれる方々にはご自宅で読まれることをお勧め致します。
ニヤリとする程度ならまだしも思わず声を出して笑って仕舞うことがあり、周囲から奇異な視線を送られることがありました。
活用方法・私案:
今年4月にはれて社会人になる(晴天持ち越しの)長男の親しい同級生の方々に漏れなく贈呈致す予定です。
諸点:
1)諸データ ①発行所株式会社幻冬舎 ②初版発行平成19年1月15日 ③副題「コレやったら出世はムリ」、「職場の地雷からあなたを救う本!」
2)幻冬舎の伊藤えりか様、ライターの佐藤留美様にも盛大なる拍手を長男とともにお送り致したく。
3)30年前にこう言うアドバイスを親切にしてくれる人がいたら踏まずに済む地雷原が多くありました。
あるべき姿からではなく、現実の姿から学ぶことの大切さを再認識した次第です。
『今年のベスト読書』とすべきか? どちらにエントリーとすべきか? 迷いましたがエリート繋がりで此方に致しました。
お久しぶりです。南米からです。先週末、アジの開きを作ってみました。カンカン照りのなかバルコニーで干すのです。上手に出来ました。
さて、推薦読書情報ありがとうございました。帰国時早速買って読んでみます。
幻冬舎、相変わらず頑張ってますね。でも、時々「トンデモ」本も出してますよね(笑)。
ご無沙汰致しておりました。
そうでしたか今はまた南米に戻られたのですか。
干物に出来るアジが獲れる環境の場所がどちらかを想像すると、何とはなしに(勝手ですが)楽しい気分になります。
が、日本を離れていて、書籍の入手方法に就いて考え距離の大きさを思って仕舞った経験を振返ると、新刊本のお話は悪かったかなと心配します。 でもご帰国の予定もおありとお聞きして少し安心しました。
食物、書籍、文化や芸術と、おおよそのものが揃う現在の日本の大都市の物の豊富さに比較的容易に(金銭の備えがあれば)手に届く環境であればこそ、出来事・人々の心のありようの反映である諸々の事件には多くを考えさせられても居ます。
各地でのご経験からのお話をまた是非お聞かせ下さいね。