評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
故 米長邦雄氏に言えなかった一言
将棋の専門誌である「将棋世界」を買ってきた。特集は「さわやか流 米長邦雄、逝く」で、先般他界された米長邦雄前将棋連盟会長の追悼だ。多くの追悼文が載っていて、この「将棋世界」が手から離れない。私は、長年、米長ファンだったのだ。将棋部員だった大学生時代からのファンで、米長氏の著書は殆ど買って読んでいたと思う。
ただ、米長ファンだったが、贔屓の棋士として「一番」だったことはない。将棋部員だった頃も、今も、一将棋ファンとして理想の将棋は若い頃の中原名人の将棋だし(「中原誠実戦集」がバイブルだ)、米長氏と同世代では内藤國雄氏の華麗な将棋にあこがれた。米長氏は、いつも、二番目か、三番目に好きな棋士だった。
その後は拙著「ファンドマネジメント」でもお名前を出したくらい羽生善治氏の熱心なファンだったし、近年は森内名人の将棋と人柄が大好きだ。
贔屓の棋士はさておき、もう10年くらい前になるが、日経CNBCの番組で、私と森下千里さんが進行役で、一本30分のインタビュー番組を何本か撮ったことがあり、このときに、米長邦雄氏にゲストで来て貰った。米長氏を呼びたい、というのは私の希望であり、米長氏が相手のインタビューなら面白くなると確信していた。
収録当日、私は、何年も前に将棋連盟の売店で買った「名人 米長邦雄」と署名のある扇子(印刷のものだが)を持って行った。米長氏が49歳11ヶ月で名人になったときに、嬉しく思って、この扇子を愛用しようと考えて、数本(確か5本)まとめ買いした扇子の最後の一本だった。
インタビューの聞き手である私は、学生時代から米長氏の将棋を尊敬して見ていたこと、人生論も含めて著書を読んできたこと、晩年名人を取った時に大変嬉しかったことを述べて、「何本か買ったのですが、これが最後の一本です」といって、その扇子を見せた。
米長氏は、「おお、これは、これは」というくらいのことを言ったと思うがその後に、「これは、是非、森下さんに差し上げて下さい」と言った。森下千里さんは、「大切なものなのでしょうから、私、貰えません」と言ったのだが、私は「大切なものだからこそ、貰って下さい」と言って、米長氏の指示通りに森下さんに扇子を進呈した。
実は、このとき、米長氏に言えなかったことがある。
私が「名人 米長邦雄」の扇子を何本もまとめ買いしたのは、翌年の名人戦挑戦者が羽生善治氏だと予想して、「名人 米長邦雄」の扇子はもう買えなくなるだろうと思ったからだった。
その事情を言ってみようか、と1秒半くらい考えてみたのだが、私は言うのを止めた。
明らかに失礼だが、インタビューとしては、これに米長氏がどう返してくるかを聞いてみる価値があったと思う。的確に返したらゲストである米長氏が光るし、それが出来なくても、こちらでは何とかフォローできるだろうとは思っていた。また、後から考えるに、賢い米長氏のことだから、その場で怒って、気まずいだけになる、というようなことはなかっただろう。
しかし、棋士に限らず、勝負を職業とする人は自分への評価に大変敏感だ。社会人として、また、ある程度は将棋を知っているファンとして、これを言わなかったことは正しかったとようにも思う。
だが、何も言わなくても、米長氏は、私の米長氏に対する距離感を把握していたのかも知れない。
インタビューアーとして一歩踏み込むべきだったのか、それとも、人間としてそうしなかったことが正しかったのか、今でも、時々その時の状況を思い出すことがある。
「将棋世界」3月号表紙のモノクロ写真で爽やかに笑う米長氏は、その答えを教えてくれない。
ただ、米長ファンだったが、贔屓の棋士として「一番」だったことはない。将棋部員だった頃も、今も、一将棋ファンとして理想の将棋は若い頃の中原名人の将棋だし(「中原誠実戦集」がバイブルだ)、米長氏と同世代では内藤國雄氏の華麗な将棋にあこがれた。米長氏は、いつも、二番目か、三番目に好きな棋士だった。
その後は拙著「ファンドマネジメント」でもお名前を出したくらい羽生善治氏の熱心なファンだったし、近年は森内名人の将棋と人柄が大好きだ。
贔屓の棋士はさておき、もう10年くらい前になるが、日経CNBCの番組で、私と森下千里さんが進行役で、一本30分のインタビュー番組を何本か撮ったことがあり、このときに、米長邦雄氏にゲストで来て貰った。米長氏を呼びたい、というのは私の希望であり、米長氏が相手のインタビューなら面白くなると確信していた。
収録当日、私は、何年も前に将棋連盟の売店で買った「名人 米長邦雄」と署名のある扇子(印刷のものだが)を持って行った。米長氏が49歳11ヶ月で名人になったときに、嬉しく思って、この扇子を愛用しようと考えて、数本(確か5本)まとめ買いした扇子の最後の一本だった。
インタビューの聞き手である私は、学生時代から米長氏の将棋を尊敬して見ていたこと、人生論も含めて著書を読んできたこと、晩年名人を取った時に大変嬉しかったことを述べて、「何本か買ったのですが、これが最後の一本です」といって、その扇子を見せた。
米長氏は、「おお、これは、これは」というくらいのことを言ったと思うがその後に、「これは、是非、森下さんに差し上げて下さい」と言った。森下千里さんは、「大切なものなのでしょうから、私、貰えません」と言ったのだが、私は「大切なものだからこそ、貰って下さい」と言って、米長氏の指示通りに森下さんに扇子を進呈した。
実は、このとき、米長氏に言えなかったことがある。
私が「名人 米長邦雄」の扇子を何本もまとめ買いしたのは、翌年の名人戦挑戦者が羽生善治氏だと予想して、「名人 米長邦雄」の扇子はもう買えなくなるだろうと思ったからだった。
その事情を言ってみようか、と1秒半くらい考えてみたのだが、私は言うのを止めた。
明らかに失礼だが、インタビューとしては、これに米長氏がどう返してくるかを聞いてみる価値があったと思う。的確に返したらゲストである米長氏が光るし、それが出来なくても、こちらでは何とかフォローできるだろうとは思っていた。また、後から考えるに、賢い米長氏のことだから、その場で怒って、気まずいだけになる、というようなことはなかっただろう。
しかし、棋士に限らず、勝負を職業とする人は自分への評価に大変敏感だ。社会人として、また、ある程度は将棋を知っているファンとして、これを言わなかったことは正しかったとようにも思う。
だが、何も言わなくても、米長氏は、私の米長氏に対する距離感を把握していたのかも知れない。
インタビューアーとして一歩踏み込むべきだったのか、それとも、人間としてそうしなかったことが正しかったのか、今でも、時々その時の状況を思い出すことがある。
「将棋世界」3月号表紙のモノクロ写真で爽やかに笑う米長氏は、その答えを教えてくれない。
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でも何時もDOLと講談社現代ビジネス、そして楽天の投資教室と此処を巡回しております。 JMMとロバ耳の頻度が下がって仕舞ったことは残念な感じも残るのですが、夫々への役割配分の様なものを自分なりに思い定めながら楽しませて頂いております。特に前2者での相変わらずのエッジの利いた切れの鋭さと視点・思考軸の素晴らしさには益々惚れ惚れしながら、時に考え切れていなかった課題への自分の新たな視座を頂いております。 便利屋葬儀委員長とかの比喩も最高に楽しい♪♪♪ JMM新装開店版もどんな雰囲気へと進化するのか、期待を持って楽しみにしているところです。
さて本件に就いて一言献上申し上げます。
○結論:
番組中のインタビューに構想された一言は、言われなかった事が正しいと私は思います。
○理由:
何故か? それは質問の核心が山崎さん個人の将棋とそして米長ファンとしての私的な興味に発するものだからです。 他方番組キャスターとしての山崎さんお立場は、日経CNBCの趣旨、証券投資を通して見る社会への思考軸の提供、と言う金融経済にベースを置く当事者、日経・金融業界・投資家・業界識者、が各界の著名人との会話の中での経験談も通して、勘所への多様性に富む視座を提供すると言う、公的なものだから、です。米長さんも確か証券投資にも勝負師として熱心な方であったかと記憶します。
○補足:
(1)公私の境、と言うのは実は非常に曖昧な一面もありますから、キャスターの個人的興味を踏まえてのゲストへの問い掛けも、当然許される場合もある、とは思います。しかし名人署名入り扇子購入は山崎さん一個人・私人としての金融マンとは別の勝負師(若しくは勝負好き)としての勘勝負の楽しみであった事。
(2)米長氏はご自身が元名人・将棋連盟重鎮(会長はその後でしかた?)という最高位の人・若しくはその経験者として金融経済界に勝負師視点を提供する事に意義を感じられてのインタビュー引受けであったと思われる事。
(3)番組視聴者は必ずしも将棋にも将棋界にも通じている人ばかりではない事。
(4)とすると、もしこの一言に依って万一にも米長氏が動揺若しくは不快又は怒りの感情を持たれ、番組の趣旨とはかけ離れた所へと、出演者ではなくて、視聴者の方の興味が誘導される結果にでもなった場合は、折角の山崎流の非常に面白い視点から当てられたであろう米長世界観への光とその反射が視聴者の心の一部では、品位の一段も二段も落ちた処で雑像を形成して仕舞う要らぬリスクを背負う羽目にもなったのではと危惧する事。
(5)かの一言を山崎さんがその場で心深く呑み込まれた事によって、結果、米長さんは将棋界の、山崎さんは金融界の案内人としての品位を正しく維持若しくは増進された事になったのではないでしょうか。
将棋世界の表紙での米長氏の笑みも若しかしたら、山崎さんに対する感謝の気持ちの表れかも知れません、そんな気がします。 さて山崎さんの心の中での米長さんの微笑みがどんな感じに移ろうものか、何となく心楽しさを湧かせてきます。
米長の将棋は矢倉戦法しか買えませんでした。
当て馬で出た大将戦で38銀型
スズメ刺しで快勝したのは、いい思い出です。
名人位就位パーティーの席上で
「来年はこの男が名人を獲ります」と羽生さんを指さしてスピーチしていたのです。
伸び盛りの天才といわれた羽生さんと50歳の棋士とでは冷静に見て来年は名人位にいないことはわかっていたでしょう。
翌年の名人戦では羽生さんにストレート負けせず2勝したことを本当に喜んでおられたので山崎さんの質問はして決して失礼ではないとは思いますが「そんなこたぁわかっている」とは思うかも知れません。
実は米長会長は羽生さんのファンではなかったか、と私は思っています。
事あるごとに「羽生は強いねえ~」と言っていましたし。プロの中には隠れ羽生ファンは多いと思うのです。「あんな将棋を指してみたい」というあこがれがあるのでしょう。もちろん勝負に生きるプロがそんなことを公言はしませんが(加藤九段は結構わかりやすいですが)