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祖母、山崎ふさののこと

 以下は、たまたま思いついて書いた、私の祖母の話で、半ば私的なメモだ。一般性がある話ではないし、長文なので、読者は無理してお読みになるには及ばない。
 
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 母方の祖母の名は「山崎ふさの」という。いかにも古い名前だ。今年95歳くらいのはずで存命だ。生年は確か明治の最後の年だったか。ちなみに、私の両親は共に「山崎」姓だが、両家に血縁関係は全くない。
 今年に入って、二度、彼女のことを思い出した。
 一度目は、麻生前外務大臣の「アルツハイマーでも分かる」という失言があった時。彼女は、現在、アルツハイマーで都内の介護施設にいる。残念ながら、もう会話が成立しない。
 二度目は、ごく最近、カミュの「ペスト」の書評を書いた時だ。私は、中学校二年生の時に彼女の薦めで「ペスト」を読んだ。手元にある新潮文庫の本は昭和46年9月20日付けの第5刷だ。私は昭和33年生まれだから、確かに、中学校二年生だ。ちなみに、書評用に買い直して読んだ最近の新潮文庫は今年の4月30日付で66刷である。二冊を較べると、最近の新潮文庫は文字が大きく読みやすくなっている。そのかわり、後書きの最終ページで比較すると382ページだった本が476ページにもなっている。だが、この長さの本を一気に読むとなると、新しい本がいい。

 今にしてどうにも不思議なのは、なぜ当時の彼女が「ペスト」を読んでいたのか、そして、孫にこの本を薦めたのかだ。
 彼女は、北海道旭川市の農家の娘で、いわゆる女学校を出ているが、後に旭川で証券会社を作る夫に嫁ぎ、当時のことだから、ずっと専業主婦だった。彼女の夫は、人はいいが口の悪い人で、自分の妻を「私が泥田の中から抜擢した」と他人に紹介するのが常であった。他人に紹介するといっても、夫婦で外出するというような機会は殆ど無く、麻雀などで訪ねて来た客に、誰彼構わずそう言うのだ。後に聞くと、彼女は、性格のきつい人で、夫とも激しい喧嘩をしたことが何度もあったようだが、来客があった時は、100%女中のように働いていた。料理などに不手際のあることは我慢のならない完全主義者だった。
 昭和40年代くらいは、娯楽として小説を読むことが現在よりも盛んだった。私の母は、数十冊ある日本文学全集を読んでいたし、「文学界」といった月刊誌(まだあるのだろうか)を定期購読していた。祖母の手元にも同様のものがあったのかも知れない。しかし、「実存主義」などという言葉も聞いたことはなかったし、外国の作家の話を母や祖母がしているのを聞いた覚えはない。カミュはたぶん天性の小説家だから、「ペスト」も単に一つの物語として読むことは可能だし、実際、孫はそのように読んだのだが、今や中年になった孫が理屈っぽくなった頭で考えると、主題を読み解くには「不条理」と「実存」の概念程度の背景知識はあった方がよい。彼女がそのような教育を受けたとは考えにくいから、本を読んで独習していたのかも知れないが、いつも着物を着て前掛けをして働いていた姿からは想像しにくい。ただ、私は当時のことを知らないが、かつて実存主義がブームになったことがあったらしい。かつての思想のブームというものは、家にこもった婆さんも巻き込むようなものだったのかも知れない。
 もっとも、今にして思うと、教養の心があった人なのかも知れない。小中学校の頃、夏休み、冬休みに、当時札幌に住んでいた私は、よく旭川の母方の祖父母の家に一人で遊びに行っていたのだが、寝物語で祖母から聞く話の中には、兼好法師も出てきたし、「寿限無」「時蕎麦」など落語もずいぶん聞かせて貰った。もちろん、たんなる作り話もたくさんあった。
 だが、当時を思い出すと、当時株屋の社長だった祖父は離れた部屋で一人で寝ており、超早寝早起きの生活をしていた。祖父母夫婦の仲は長年よろしくなかったようだ。
 
 祖母の薦めで「ペスト」を読んだ孫の方は、カミュ、サルトル、カフカなどを芋づる式に読み始めて、人並みに読書をするようになった。ただ、日本文学を殆ど読まない状態で翻訳文学を思想とセットで読むようになったので、日本の文学を一段低いものと見なして全然読まなかったし、正直なところ少し軽蔑していた。小説は翻訳物ばかりを読んでいたし、小説よりも、背景にある思想の方に興味が向いて、哲学の本を読むようになった。サルトルの「存在と無」などを読んで、何ほどのことが分かったのかと思うのだが、ともかく、読書の傾向はそちら方面に向かった。もともと理屈っぽかったから、それで仕方が無かったのかも知れないが、子供の教育としては失敗だったろう。今、文章が上手くないのは、思春期の読書で良質の日本語をインプットしなかったせいだと思う。
 確か大学生の頃、ある日、母に「日本の文学も読んだ方がいいと思うか」と訊いた。母は「小説は、年を取って頭が悪くなってからでも読めるから、今は読むに及ばない」と言った。息子は好都合に安堵して、小難しい本と実用書ばかりを読んだのだった。

 祖母、山崎ふさのは、お世辞にも美人ではなかった。容姿は、今は右翼の論客となった元経済学者の西部邁氏を女にした感じといえば、我ながら、かなり正確な表現だ。また、私の記憶では、60歳を過ぎた頃から少しずつ足の具合が悪かった。
 彼女から直接話を聞いたわけではないが、彼女は、自分が美人ではないことをかなり残念に思っていたようだ。かつての美人女優、田中絹代さんが、確か「サンダカン八番娼館 望郷」だったと思うが、すっかりお婆さんの役で登場した時、「田中絹代もこうなるのだから、私も思い残すことはない。胸のつかえが取れたような感じだ」と語ったのを思い出す。田中絹代さんは、婆さん役でも一流だったようだが、婆さん役でも画面に出てくれたことに対しては大いに感謝したい。
 山崎ふさのの趣味は、お茶(表千家)とお花(池坊)、後年は短歌だった。お茶はそこそこ以上にやっていたようだ。孫もよく抹茶を飲まされた。私は、煎茶を飲むときは、湯の温度を下げてから淹れるが、これは彼女の教えだ。しかし、足の具合がいよいよ悪くなってからは、お茶から遠ざかった。
 最晩年の趣味の中心は短歌だった。「山崎ゆう子」というペンネームで「北海道新聞」によく投稿していた。具体的な作品は思い出せないのだが、若い娘が詠むような歌がいくつもあったように記憶している。短歌の世界では、別の人生を生きていたのだろう。

 政治的には、夫が証券会社の社長であるにもかかわらず、明確に社会党支持で反自民党だった。当時の北海道は社会党が自民党とほぼ互角の支持率を持っていた。彼女が、今の民主党を見たら何と思うだろうか。たぶん、小沢一郎氏を胡散臭く思うだろうし、一番情けなく思うのは、社会党が低落傾向にある時に党首に立たなかった横路孝弘氏に対してだろう。「甲斐性無し」と言うにちがいない。彼の父親は、北海道では有名な社会党の議員だったのだが。
 いずれにせよ、彼女は、中央からの補助金や公共事業費を目当てに自民党の候補者に投票する北海道の人間を心から軽蔑していた。彼女の夫もその中に入っていたかも知れない。
 その夫は、彼女が六〇歳くらいの時、経営していた会社が上手く行かなくなって、首をくくって自殺してしまった。
 その後は、私の母がいる札幌に出て来て一人暮らしをしたり、東京の息子の家で家事の手伝いをしたりしていた。息子、つまり私の母方の叔父は証券マンだったが、ロサンゼルスに勤務していたこともあり、この時は祖母も一緒だった。ロサンゼルスを着物で散歩していると、多くの人に声を掛けられて楽しかったらしい。英語で会話していたとは思えないが、外国暮らしは、気分が良かったようだ。
 何が彼女の適職だったかは分からないが、今の時代に生まれていれば、明らかに何か職業を持って働く人生が良かった人だと思う。大学まで行きたかったタイプだろうし、専業主婦は窮屈だっただろう。時代が合っていなかったのは、残念だった。

 近年は、定年退職した息子の家に身を寄せていたが、アルツハイマー症が進行して、近くの介護施設に移っていた。私は昨年、母と一緒に何年かぶりに彼女を訪ねたが、もう会話が成立しないし、身の回りのことも何も出来ない。今、幸せなのか、不幸せなのかは分からない。ただ、脳の本を読むと、脳という臓器は非常に柔軟に好都合に出来ていて、たとえば健康人から見ると何とも不幸せな重い障害を持っていても、障害を持った本人の脳は十分に幸せを感じることがある、というようなものであるらしい。
 彼女の初孫であり、大いに面倒を見て貰った私としては、もう少し早くに彼女を訪ねて、いろいろと話をしておくのだったと後悔しているが、彼女が少しでも幸せを感じながら、一日でも長く生きて欲しいものだと思っている。
 最近、彼女によく作って貰った「芋餅」(じゃがいもをすり鉢ですりつぶして餅状にして作る)を子供と作るようになった。
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コメント
 
 
 
文体について語るとき わしの語ること (作業員)
2007-11-17 18:16:58
読むというほど、小説など読んでないんだが、最近。小説の話を少しすると。小朝の言った、「宮本輝の恋文」、が、「連城三紀彦の恋文と宮本の錦繍」をごっちゃにしたもの、であることは、すでに多くの人が指摘しているみたい。だし。
山さんの連れでない方の、文豪村上の「マラソンがどうした」という本の題が、「愛について語るときに 我々の語ること」とかぶっている作為について、どうよ? という話もすでに語り尽くされたようだ。ちなみに、わしの記憶では、語るとき、で、「に」はなかったんだが、あったようだ。ない方がいい。

文体とは、山さんの連れの方の文豪村上がわざわざイタリアで揃えてこなくとも日本で買えるようになったアルマーニの背広のようなものではなく、はぐにはげない皮膚のようなものだ、というようなことを言ったのは、開高だった。だからどうした、と言われれば、わしとして語ることは、それぐらいしかない、ちゅうことだ。

で、語録をつくるぐらいには、山さんの文章を読んだわしは、山さんが、ものすごく文章が下手な人、だとは思っていない。JMMでも、文章がひっかかった記憶はほとんどない。たぶん、縦書きと、意識のムラ、のせいだと思う。あと、酒だろう。
丸山健二が、一日に二時間しか執筆しない理由が、そろそろ山さんには分かってきたのではないだろうか、酒を飲まない理由も。店主の近著のなかには、すらすらとよどみない部分が、ちゃんとある。問題はそのあたりだろう。ながいものは、疲れる。緊張は続かない。年はとる。酒は頭を悪くする。丸山おそるべし。
余談だが、丸山の「三角の山」に、畏怖するほどのなにかを感じるんだがなあ、わしは。三角かよ!とか、青い定規か!とかつっこめない、すごみだな、日本語の。ま、そんなとこで、風呂屋じゃ。
 
 
 
Unknown (リックの店)
2007-11-18 07:41:45
最後の一行でジーンときて、鼻の奥がむずがゆくなりました。ここに書かれていることを膨らませて?(北海道の近代史の一面や地方証券会社の盛衰も含め)小説にされては如何ですか。私はこの文章を読んで、山口瞳氏の「血族」を思い出しました。
 
 
 
Unknown (通りすがり)
2007-11-19 07:12:36
私も、ときどき芋餅を作ります。私の場合は、先にジャガイモを蒸かすか茹でるかしてから、潰しています。
 
 
 
Unknown (UNKNOWN)
2007-11-19 09:10:11
人に歴史あり、ですね。

山崎さんには小説家としての一面もあったとは知りませんでした。

>実存主義

JMMの不確実性をめぐる論考を拝見して、ちらっと実存主義を連想していたことがあるのですが、実存主義と株式投資は、不条理なものという共通点がありそうですね。

不条理だからといって何かをアテにしていい世界ではないし、確実なものを抵当に入れて賭ける自由?を余儀なくされているという意味においては、おそらくは飛躍しすぎでしょうが、そのようにも思えます。

>今、文章が上手くないのは、思春期の読書で良質の日本語をインプットしなかったせいだと思う。

個人的には、山崎さんの文章は、それほど読みにくいとも思えないのですが、私も日本文学を避けたクチなので、そのこともあって、無意識に翻訳体に慣らされてしまっているのかもしれません。

>政治的には、夫が証券会社の社長であるにもかかわらず、明確に社会党支持で反自民党だった。

山崎さんが反骨精神旺盛なのは、血筋なのかもしれないですね。

 
 
 
芋餅 (山崎元)
2007-11-19 09:51:57
通りすがり様

もちろん、おっしゃるように、茹でるか、蒸かすかしてから、すり鉢に入れて作業に掛かります。茹でるなら15分~20分(大きな塊の場合)、あるいは電子レンジなら1000Wで5~6分でいいようです。山崎ふさのの流儀では、暖かいうちに少々のバターを混ぜ、少し温度が下がってから砂糖を加えて、気長にすりつぶして、餅状になったら、木べらに醤油を垂らして、すり鉢から取り出します。手間が掛かりますが、小さな子供と遊びながら作るには、かえって好都合です。
 
 
 
山崎元 得体不明は 私もよ(笑う芸能怪) (笑子)
2007-11-20 20:41:44
…楽しくない人生はない!と

信玄か孔子か誰かが!



〇ロバの耳 裸以外は 耳せんか(ロバ)



○駅前で 外人ウロウロ 予備校も(ロバ)
 
 
 
いい話を伺いました。 (のんきなとうさん)
2007-11-24 13:49:36
久しぶりにこの欄を拝見し良いお話を伺いました。おばあさまの見識と山崎様の思いにジーンとしました。
人生過ぎ行くものですね。年を取るとつくづく思わされます。
 
 
 
実存… (ミラ)
2007-11-25 01:18:21
お久しぶりです。山崎さん。お元気かな。楽天ショッピングは楽しく買わせて頂いております。ふささま、品のあるお名前だと感じます。山崎さんが、これ程の長文を書くなんて珍しく感じられます。日本文学頭がわるくなってから読む、は、山崎さんらしく、シーン的に噴き出してしまう台詞ですね。まぁそうだと私も思いますが。芥川がイケメンじゃなかったら私もまず読んだだろうか、と、思いますし。古典から変わらなく、広範囲で恋愛的な事がやたらと扱われている気もしますし。やはり。…。私も興味が薄いという感じに、関係のない人には関係ないみたいに、他の外国の文学とはちょっと違う感じもしますよね。何の話題か少し忘れましたが。あの作家は、実存主義だね、など、先日も、私もそのキーワードを、生活のあいだで聞ききまして、英国人の方などは一冊の感想をさっぱり片付けているなぁ…という感じで。サルトル読んで…山崎さんの何が分かったのか、何が分かってるのか?とかこっちが聞きたくなる知的ぶりも青年にはありますね。。定義、?でも、山崎さんのこんな事に接しながら私は考えた、みたいに、こんな風に生きていかなければ解らないことの方が多いような気がします。経験値。世の中がぼんやり見えたと、もし書いたら、それが真実だと思いますね。真実味があるというか。寒くなりましたね。ふささまも風邪をひかないようにいのります。山崎さんも。クリスマスセールは私は買いませんよ。クリスマスどうでもよいので。なんてね。
 
 
 
反抗も革命も (トシ)
2007-11-25 21:48:54
学者でも教師でもない祖母とカミュは不思議な取り合わせですね。ノーベル賞受賞のとき日本でブームでもあったのでしょうか。西部邁(この人も北海道出身)の「大衆への反逆」所収のサルトル評で、若いころの酒場での勢いでの発言としながら、「カミュの繊細さは彼の顔を見ればあきらか・・、それに比べサルトルは・・とういうような品位にもとる発言をしたこともある」というようなのがありました。その意味で、西部似の祖母が孫に薦めるのは、私にとってはサルトルでもなく、カフカでもなく、カミュがぴったりですが・・。
それにしても修辞過多ではない山崎さんの文章が余計に哀切です。しかも、その文体の「起源」が文章に含まれているような構造になっている。そして、偶然に一致する母方祖母と孫の姓、存命でありながら語らうことのできない祖母と孫。私は30代ですが4名の祖父母はすでに他界し、訳あって両親、妻子とも別居して独りで生活しており、週末にこの文章を読んで血族ということが頭から離れず、コメントしました。

 
 
 
芋餅談義 (なじゃ)
2007-12-03 00:02:53
こんにちは、
「会社は2年で辞めていい」を昨日拝読させていただき、
最近は著者に感想を送らせていただくよう努めているのでその前に山崎様のブログを探し出し、拝見させていたところ芋餅の話題が・・。
私も札幌出身、現在東京在住の者です。(ついでですが、楽天証券と競合している某ネット証券会社に勤めております。)
本については、ご教授いただいた自分会社を極めたいと思います。
で、芋餅ですが、砂糖入れるんですね・・。もしかして、お赤飯は甘納豆で炊いていませんでしたか?我が家は北海道出身者の割には砂糖の使用量少ないのですが、白飯に砂糖をかけて食べていたという祖父の好みを一番濃く受け継いだ旭川在住の叔父の一家は納豆にも砂糖をかけてます。茶碗蒸しはカスタードプリン級。
我が家はカボチャ餅も作りますが、山崎様のお宅はいかがですか?丸く成形してバターで焼くと美味しいです。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-12-03 01:03:26
なじゃ様

ざっと40年前の記憶になりますが、祖母ふさのは、砂糖を少し入れると、粘りが出やすくなると言っていたような覚えがあります。バターと違って、多少温度が下がってから入れたような記憶もありますが、ハッキリしません。

何れかの機会に、何通りか試して、データを採って、最適を求めてみたいと思っています。

そういえば、先日やったときには、2歳の息子はすり鉢を押さえてよく協力しましたが、1歳の娘は、「やってみる?」と言ったとたんに、すり鉢に足を突っ込んで来て、熱かったのと、怒られたので、しばらく拗ねてしまいました。もっとも、出来上がりを一番よく食べたのはこの子でした。

カボチャ餅も美味しそうですね。近々試してみたいと思います。



ネット証券は「次の手」が必要になっていて、難しい環境ですね。「金融財政事情」の11.19日号の特集を見て、どこも大変なのだなあ、と思った次第です。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-12-20 01:12:57
「ペスト」の書評は「週刊新潮」12月20日号の136ページに載っています。
 
 
 
お悔やみ申し上げます (サイレントじゃないマジョリティー)
2010-03-11 20:37:22
山崎様

こんばんは。ご無沙汰いたしております。
今日はじめられたというtwitterでお祖母様のご他界になられたことを知りました。

ご愁傷様で御座います。 山崎さんとご家族、ご親族の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。

ふさの様の思いでを語られるこのエントリーは、母のことでいろいろと迷ったり悩みに突き当たった折に何度か読み返させて頂いておりました。
孫にあたられる山崎さんのおばあ様への何とも温かみに満ちた語りに、何故かこう助けられたような感じの勇気みたいなものを頂いたとても印象深いエントリーの一つです。

山崎さんはじめご家族皆様のお心の中に永久に生き続けらるお祖母様にご冥福をお祈り申し上げます。

またお子様達と芋餅を作って差し上げて下さい。

合掌
 
 
 
replica handbags (knockoff handbags)
2011-11-21 18:22:13
ボクも山崎さんの結論には全く同感です。議論ができないリーダーを二人(ここ最近ずっと?)続けて選ぶ日本ってどうなんでしょう。
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。ryhedrg
 
 
 
マオ (knockoff handbags)
2012-02-06 22:47:10
ボクも山崎さんの結論には全く同感です。議論ができないリーダーを二人(ここ最近ずっと?)続けて選ぶ日本ってどうなんでしょう。
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。yfkyy
 
 
 
大女優 田中絹代 (謎の三文字☆村石太&ウーマンリブ)
2012-05-22 21:05:31
田中絹代 サンダカンで プログ 検索中です。
この映画まだ 見ていませんけれど
ラストシーンを 違う方のプログで 読んでしまいました。悲しい話ですね。戦争 嫌ですね。今 動画でサンダカン~映画予告編を見ようと思ったら 私の パソコンでは 視聴できませんでした。動画 栗原小巻 田中絹代(サンダカン八番娼館 望郷 別れの場面1974 を 視聴しました。昔 タオル ハンカチをプレゼントするのが流行ったのを 思い出しました。晩年の田中絹代さんが 声をあげて泣くシーン すごいですね。栗原小巻さん 綺麗ですね。映画同好会(名前検討中
 
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