評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
筆坂秀世「日本共産党」に見る、人生の急所
筆坂秀世さんの「日本共産党」という本を読んだ。この小文では政治家としての彼や日本共産党を論じるわけではなく、一人の人の人生について感想を述べるだけなので、「さん」付けとする。
この本(新潮社新書)は、共産党の元幹部(ナンバー・フォーだったらしい)が党の実態を赤裸々に書いたということで話題の本だが、何となく気になって、買ってみた。共産党という政党については、また気が向いたら何か書くかも知れないが、この本で一番気になったのは、筆坂さんが、党幹部を降ろされて、最終的には離党に至ったきっけとなった、セクハラ事件の、事後処理についてだ。
ご本人の名誉に関わることなので、詳しくは、この本を読んでいただきたいと思うが、筆坂さんは、後に彼を訴える女性と秘書と三人で、カラオケボックスに行って、その女性と何度かダンスを踊り、デュエットなどを嗜む。その際に、肩に回した手が腰に降りた、ということで、これが、「党の大幹部にこういうことをされ大変なショックを受けた」というその女性の訴えにつながる。
セクハラに厳しい外資系の会社にお勤めの方などは、「筆坂さん、あなた、ガードが甘いよ」と言いたくなる展開だろうが、同書によれば、訴えを受けて、筆坂さんは大いに反省して党の処分に従う。
党幹部が彼に下したの処分は、最初は「警告」ということだったが、その後、「甘い処分ですますなら、世間に公表する」という、共産党内部に通じた者からのものらしきFAXが書記局に入って、これに慌てた共産党指導部は、急遽彼の処分を「警告」から「罷免」に変更する。
筆坂さんは、この問題をいわば自らの身から出たサビと受け止めて、従順に党の処分を受け入れるのだが、問題はここからだ。共産党は、筆坂さんに対して、個人として対外的に説明責任を果たすことを厳禁するのだ。表面的には、被害者の気持ちを慮ってとの説明だったが、脅しによって処分を変えたプロセスが露見することをおそれた党幹部の保身が本当の理由ではないか、というのが、同書での筆坂さんの推測だ。
ここで、彼は、「当時の私は精神的にも追いつめられ、そこまでの判断は出来なかった」といっているのだが、除名覚悟で、参議院議員として、同時に、筆坂さん個人として、対外的な説明を行うことを躊躇した。
思うに、この時、筆坂さんは、自分個人の置かれた立場・権利・義務といったことと、所属組織である共産党の利害、共産党幹部の利害、などの諸々を、客観的に較べることが出来なかったのだろう。比喩的に言うと、自分と組織との距離感と位置関係が分からなかった。
結果的に、その後、筆坂さんは共産党内で居場所が無く、「生ける屍」と自称するようなどん底の状態の下で、離党を決意するにいたる。第三者的には、後から離党するぐらいなら、あのとき、事実を全て公表した方が爽やかであったろうし、ひいては、共産党の為にも良かったろうに。。。
筆坂さんのケースのような当人の問題以外にも、不正な決算操作とか、法令に違反しそうな仕事の進め方とか、会社の不正の告発とか、個人の立場と価値観を大切にすべきか、組織に従うべきか、の選択を迫られるときが、運が悪いと、人生には時々ある。
こうした場合、「常に」、個人としての価値観とプライドを尊重することが大切なのだが、組織の中に強く組み込まれていると(マジメな人は、自分で自分を組み込んでいることが多いが)、こうした時に、適切な判断が出来ない。ここが急所なのだが、一頑張りができないで、プライド、ある意味では人生で一番大切なものを腐らせてしまうのだ。これでは、幸せになれるはずがない。
組織には、それ自体としての意思もないし、個人は、個人に対する義理はあるが、組織に対しては義理など無い。組織は、それぞれに、これを利用する「人」によって動かされているにすぎない。
「日本共産党」は、こうしたことをあらためて考えさせてくれる、妙に印象的な本だった。
それにしても、この組織は、アタマに「日本」と付けているだけあって、日本の、会社のようでもあり、学校のようでもあり、また、官庁のようでもあり、日本の組織のある種の特色を、純化させて肥大させたような形で保存している感がある。多くのビジネス・パーソンが、「おお、これは、わが社のことではないか!」と思って読める本である。
この本(新潮社新書)は、共産党の元幹部(ナンバー・フォーだったらしい)が党の実態を赤裸々に書いたということで話題の本だが、何となく気になって、買ってみた。共産党という政党については、また気が向いたら何か書くかも知れないが、この本で一番気になったのは、筆坂さんが、党幹部を降ろされて、最終的には離党に至ったきっけとなった、セクハラ事件の、事後処理についてだ。
ご本人の名誉に関わることなので、詳しくは、この本を読んでいただきたいと思うが、筆坂さんは、後に彼を訴える女性と秘書と三人で、カラオケボックスに行って、その女性と何度かダンスを踊り、デュエットなどを嗜む。その際に、肩に回した手が腰に降りた、ということで、これが、「党の大幹部にこういうことをされ大変なショックを受けた」というその女性の訴えにつながる。
セクハラに厳しい外資系の会社にお勤めの方などは、「筆坂さん、あなた、ガードが甘いよ」と言いたくなる展開だろうが、同書によれば、訴えを受けて、筆坂さんは大いに反省して党の処分に従う。
党幹部が彼に下したの処分は、最初は「警告」ということだったが、その後、「甘い処分ですますなら、世間に公表する」という、共産党内部に通じた者からのものらしきFAXが書記局に入って、これに慌てた共産党指導部は、急遽彼の処分を「警告」から「罷免」に変更する。
筆坂さんは、この問題をいわば自らの身から出たサビと受け止めて、従順に党の処分を受け入れるのだが、問題はここからだ。共産党は、筆坂さんに対して、個人として対外的に説明責任を果たすことを厳禁するのだ。表面的には、被害者の気持ちを慮ってとの説明だったが、脅しによって処分を変えたプロセスが露見することをおそれた党幹部の保身が本当の理由ではないか、というのが、同書での筆坂さんの推測だ。
ここで、彼は、「当時の私は精神的にも追いつめられ、そこまでの判断は出来なかった」といっているのだが、除名覚悟で、参議院議員として、同時に、筆坂さん個人として、対外的な説明を行うことを躊躇した。
思うに、この時、筆坂さんは、自分個人の置かれた立場・権利・義務といったことと、所属組織である共産党の利害、共産党幹部の利害、などの諸々を、客観的に較べることが出来なかったのだろう。比喩的に言うと、自分と組織との距離感と位置関係が分からなかった。
結果的に、その後、筆坂さんは共産党内で居場所が無く、「生ける屍」と自称するようなどん底の状態の下で、離党を決意するにいたる。第三者的には、後から離党するぐらいなら、あのとき、事実を全て公表した方が爽やかであったろうし、ひいては、共産党の為にも良かったろうに。。。
筆坂さんのケースのような当人の問題以外にも、不正な決算操作とか、法令に違反しそうな仕事の進め方とか、会社の不正の告発とか、個人の立場と価値観を大切にすべきか、組織に従うべきか、の選択を迫られるときが、運が悪いと、人生には時々ある。
こうした場合、「常に」、個人としての価値観とプライドを尊重することが大切なのだが、組織の中に強く組み込まれていると(マジメな人は、自分で自分を組み込んでいることが多いが)、こうした時に、適切な判断が出来ない。ここが急所なのだが、一頑張りができないで、プライド、ある意味では人生で一番大切なものを腐らせてしまうのだ。これでは、幸せになれるはずがない。
組織には、それ自体としての意思もないし、個人は、個人に対する義理はあるが、組織に対しては義理など無い。組織は、それぞれに、これを利用する「人」によって動かされているにすぎない。
「日本共産党」は、こうしたことをあらためて考えさせてくれる、妙に印象的な本だった。
それにしても、この組織は、アタマに「日本」と付けているだけあって、日本の、会社のようでもあり、学校のようでもあり、また、官庁のようでもあり、日本の組織のある種の特色を、純化させて肥大させたような形で保存している感がある。多くのビジネス・パーソンが、「おお、これは、わが社のことではないか!」と思って読める本である。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
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>自分と組織との距離感と
>位置関係が分からなかった
これは組織で働く人なら誰でもヒヤリとする
言葉だと思います。
組織の一部でありながら
ある段階では組織と一線を画した、
個としての判断をする・・・。
分かっていても、いざ、という時
果たしてそれができるのか。
大事故の前にはいくつかのヒヤリと
たくさんのハットがある、などと
言われていますが、こういう事象にも
当てはまるのかもしれませんね。
はじめまして。
大学の経済研究所に勤務していた昨年の夏、資料室で目にした週刊Dの記事で初めて山崎元さんの存在を知りました。「クォンツアナリストはブレイクできるか」というタイトルで、当時フィアンセの経歴にシニアクォンツアナリストというのがあったのと、写真の容貌が似ていたのとで興味半分に目を通してみたところ、読後の感想は「何となくこの人、嫌なやつ」でした。
ところが、今年になって「とくダネ!」で偶然にも山崎さんの生の声と姿を拝見してから、今までの印象が全く逆転してしまいました。シャープなイメージはそのままで、派手さはないけれど地に足のついたコメントを聞いて非常に感激しました。また、謙遜な物腰と、時々ふと顔を出す北海道なまり(...なのかどうかわかりませんが)が可愛いいとさえ思いました。(目上の人に向かって失礼とは存じますが)
さて、すっかりファンレターになってしまいまいたので、軌道修正致します。
私にはこの「筆坂さん」の当時の状況や心情と似た経験があります。(著書を読んでいないので直感としてですが)
相手は、彼のような巨大な組織ではありませんが、私にとっては充分に脅威でした。どんなに小さな規模でも会社などの「組織」は一個人にとって敵に回せば一変して脅威となるのではないかと思います。私の場合は、全くの無実であったわけですが、それにも関わらず自分自身の尊厳と価値感を再確認し回復するまでに一定の時間を要しました。周囲からすぐに出向いていって主張せよと強く後押しされましたが、私には容易なことではありませんでした。
まずストレスで心身が参ってしまいました。理由の一つに、相手の行動が予測不可能に思えたことがあります。相手が訴訟大好きのアメリカ人ということもあるのでしょうが。
もう一つは、あまりの突然の展開に論理ではわかっていても身動きがとれなかったこともあります。ちょうど、猛スピードで迫ってくる車の前の人間が、前にも後ろにも動けずに立ち尽くしてしまうのと同じです。
結果的に、1年近く過ぎた頃、全く別のルートで真犯人(?)が暴かれ、会社の方から私に謝罪と和解を求めてきました。
かつての職場では、必要以上に職場と自分を切り離してクールに振る舞っていた時期もありました。(例えば、慰安旅行には(仕事でないはずなので)一切参加しないとか:)
たぶん、先の会社は私にとって一番長く勤務した愛着のある場所でもあったので、自分では気を許していなかったつもりでも、その一線がいつの間にかあいまいになっていたのではないかと思います。
他には「会社はあなたに対して最終的な責任は負ってくれないのだから自分の身は自分で守らないと」などと受け売りの忠告をしていたのに(最終的には潔白が証明されても)自分こそ考えが甘かったと反省した出来事でした。
日本人は力関係の中でNoを言うのが苦手らしいですが、特に筆坂さんの場合は、主義主張を共有する人々との強い結びつきが却って境界線(バウンダリーズ)を弱めてしまったのかもしれないと思うのです。
二伸、
それはそうとして山崎さんのこのコメントを読むと、ただの頑固者とは違う、この柔軟で強靱な精神力はどこで培われたのだろうか?とそちらの方に関心を寄せました。
私も同じような印象でした。
日本共産党というより、「組織」というもの、勤務先などに置き換えて考えてみるとぴたりとはまってしまい、企業というところは日本共産党的なんだな、日本共産党という組織はものすごく「日本的」なんだなと思った次第です。
詳しくは、拙著「僕はこうやって11回転職に成功した」(文藝春秋)を見ていただくとありがたいのですが、私の場合、ある種のピンチとしては、会社の不正を内部告発して、会社と対立した時がありました。
この時は、「長いものに巻かれて」途中で止めるという選択肢もありましたが、組織を裏切るのは悪いことかも知れないが、当時の会社の悪事の方がもっと悪いことなので、この喧嘩は降りてはいけないと判断し、その後を続けて、結局のところ、その会社には居にくくなって、転職したことがあります。
一連の内部告の結果「得をした」とはとても言えませんが、自分流に「筋を通した」という満足感はありましたし、その後の人生にとっては、ベストではないまでも、大筋は、あれで良かったのかなと思っています。
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December 05, 2019