評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
子供の頃の思い出(1)【正しいいじめっ子の三箇条】
先週の「日刊現代」の「私の秘蔵写真」という連載にインタビューを載せて貰った。最近発見された、小学校入学前に写真館で撮った写真をお見なせしながら、あれこれ子供の頃の話をした(尚、記事中、小4で旭川から札幌に引っ越したことになっているが、これは、「4歳になる直前」の間違い。入学した小学校は札幌の平岸小学校)。
幼稚園中退であるという話や、小中学校時代は、学校になじめなくて自分としては「暗黒時代」だったという話や、それでも親にはかわいがられていたのだなと写真から分かる、というような取りとめのない話をした。
子供時代の話といえば、ここしばらく、「いじめ」に関する話題が多い。少し前、「朝日新聞」には、元いじめっ子(やいじめられっ子)からの、ありがたい談話がシリーズで掲載されていた。
私は、子供の頃、8割いじめっ子で、2割がいじめられっ子、とくらいの感じで暮らしていた。当時は、いじめという言葉はあまりポピュラーではなかったが、近所の子供や同級生をずいぶん泣かせた覚えがあるし、何度かは保健室に送ったり、父親と一緒にいじめた子供の家に謝りに行ったりしたことがある。他方、よく「仲間はずれ」の対象にはなったので、いじめられていないということでもない。
子供には、攻撃的な側面があるし、時には残酷でもある。決して、先天的に純真な訳でも、絆を愛する平和主義者なのでもない。度を超した「いじめ」は、親・警察・学校(責任の優先度はこの順だと思う)の責任で排除しなければならないが、喧嘩やいたずら、心を傷つける言葉、などを、全て排除することは不可能だと思う。また、これらを肯定・推奨する訳ではないが、子供時代の加害・被害の経験によって、物事の「加減」を覚えるという面もある。
とはいえ、被害側はたまらない感じがするはずだし、子供の頃から加減は大切だ。私は、現在、いじめられた側への有効なアドバイスを持っていないので(やっぱり、大勢としてはいじめっ子だったのだろう)、現役のいじめっ子に、誇りあるいじめっ子として胸を張るための、「正しいいじめっ子の三箇条」を述べてみたい。
【正しいいじめっ子の三箇条】
(1)連(つる)んで攻撃しない。
力とプライドのあるいじめっ子は、一人で仕事(喧嘩、いたずら、などの攻撃行為)をする。攻撃に、他人の力を借りるのは、格好の悪いことだと心得よ。
(2)自分よりも弱い者を攻撃しない。
明らかに弱い相手、降伏している相手を攻撃してはいけない。多くの場合、児童・生徒にとって、最適ないじめの対象は「強そうにしている先生」であると心得よ。
(3)しつこく攻撃しない。
物事一般にあって、「しつこい」事は美しくない。降伏した相手や、(他人が見ても)明白に弱っている相手を攻撃し続けてはいけない。
子供時代、そして大人になってからも、私が、これらを完璧に実践できたとはとても言えない。過去を振り返ると、心得通りに上手くできたケースと、反省点の残る「美しくない」ケースとが、共にぞろぞろある。
子供時代に先生との相性で多々苦労したと思う私としては、良い教師いじめの見本例などを語って、現役のいじめっ子に一自慢したいところでもあるのだが、相手の先生はまだご存命かも知れないし、「しつこい」のはいけないとの心得を立てたばかりなので、止めておく。
「正しいいじめっ子の三箇条」は、そのまま大人が守るべき心得でもあると思っている。
※「日刊現代」の記事中で述べた、小さい頃に私が登場した、北海道拓殖銀行のポスター(商品名は「すずらん定期」)が、その後に見つかった! 何れ、ご紹介しようと思う。なので、本エントリーのタイトルには「(1)」がついている。
幼稚園中退であるという話や、小中学校時代は、学校になじめなくて自分としては「暗黒時代」だったという話や、それでも親にはかわいがられていたのだなと写真から分かる、というような取りとめのない話をした。
子供時代の話といえば、ここしばらく、「いじめ」に関する話題が多い。少し前、「朝日新聞」には、元いじめっ子(やいじめられっ子)からの、ありがたい談話がシリーズで掲載されていた。
私は、子供の頃、8割いじめっ子で、2割がいじめられっ子、とくらいの感じで暮らしていた。当時は、いじめという言葉はあまりポピュラーではなかったが、近所の子供や同級生をずいぶん泣かせた覚えがあるし、何度かは保健室に送ったり、父親と一緒にいじめた子供の家に謝りに行ったりしたことがある。他方、よく「仲間はずれ」の対象にはなったので、いじめられていないということでもない。
子供には、攻撃的な側面があるし、時には残酷でもある。決して、先天的に純真な訳でも、絆を愛する平和主義者なのでもない。度を超した「いじめ」は、親・警察・学校(責任の優先度はこの順だと思う)の責任で排除しなければならないが、喧嘩やいたずら、心を傷つける言葉、などを、全て排除することは不可能だと思う。また、これらを肯定・推奨する訳ではないが、子供時代の加害・被害の経験によって、物事の「加減」を覚えるという面もある。
とはいえ、被害側はたまらない感じがするはずだし、子供の頃から加減は大切だ。私は、現在、いじめられた側への有効なアドバイスを持っていないので(やっぱり、大勢としてはいじめっ子だったのだろう)、現役のいじめっ子に、誇りあるいじめっ子として胸を張るための、「正しいいじめっ子の三箇条」を述べてみたい。
【正しいいじめっ子の三箇条】
(1)連(つる)んで攻撃しない。
力とプライドのあるいじめっ子は、一人で仕事(喧嘩、いたずら、などの攻撃行為)をする。攻撃に、他人の力を借りるのは、格好の悪いことだと心得よ。
(2)自分よりも弱い者を攻撃しない。
明らかに弱い相手、降伏している相手を攻撃してはいけない。多くの場合、児童・生徒にとって、最適ないじめの対象は「強そうにしている先生」であると心得よ。
(3)しつこく攻撃しない。
物事一般にあって、「しつこい」事は美しくない。降伏した相手や、(他人が見ても)明白に弱っている相手を攻撃し続けてはいけない。
子供時代、そして大人になってからも、私が、これらを完璧に実践できたとはとても言えない。過去を振り返ると、心得通りに上手くできたケースと、反省点の残る「美しくない」ケースとが、共にぞろぞろある。
子供時代に先生との相性で多々苦労したと思う私としては、良い教師いじめの見本例などを語って、現役のいじめっ子に一自慢したいところでもあるのだが、相手の先生はまだご存命かも知れないし、「しつこい」のはいけないとの心得を立てたばかりなので、止めておく。
「正しいいじめっ子の三箇条」は、そのまま大人が守るべき心得でもあると思っている。
※「日刊現代」の記事中で述べた、小さい頃に私が登場した、北海道拓殖銀行のポスター(商品名は「すずらん定期」)が、その後に見つかった! 何れ、ご紹介しようと思う。なので、本エントリーのタイトルには「(1)」がついている。
コメント ( 23 ) | Trackback ( 0 )
« 【楽天証券”ホ... | 【ダイヤモン... » |
いじめは下、
連んで攻撃するのは下の下
弱いものいじめも下の下
しつこいのも下の下
「正しいいじめっ子の三箇条」
「誇りあるいじめっ子」
という言い方は、いかがなものでしょうか。
そもそも自分よりも強い人をやっつけるのは、"いじめ"ではない。
この3カ条はただの"正しいケンカの仕方"でしょう。
そういう表記であれば私も気持ちよく読めたのですが、あまりにもデリカシーのない言葉づかい、内容に書込みをせずにはいられませんでした。
いじめる対象や加減がどうあれ、私は「いじめは犯罪」だと考えています。
虐められた被害者にとって、その苦しみは虐められているその場の痛みだけではありません。
いじめがなくなった後になっても、「忌まわしい記憶」としてたびたび虐められた記憶がフラッシュバックし、大人になった後もその記憶に苦しみ続けます。
たった一度だけのいじめでも、場合によっては何十年も被害者を加害し続ける可能性があるのです。
私も、とおりすがりさんと同様に、この3箇条は「正しいケンカの仕方」という表現の方が合っていると思います。
繰り返しますが、大ファンである山崎さんには、決して「いじめ」を肯定してはいただきたくないものです。
本業の論理的な世界を飛び出して、情緒が支配する非論理の世界を論じる山崎さんの果敢な挑戦に
敬意を表します。
【「正しいいじめっ子の三箇条」は、そのまま大人が守るべき心得でもある】というご主張には
同感ですね。直接的にはモンスターペアレンツとその予備軍、間接的には老若男女を問わず
大人全般に対する警告(訓え)でもある。続編での展開を楽しみにします。
永きに亘って【美しくない大人】が学校で会社内で低俗TV番組で広く社会で美しくない教育を
施して来たのだから、「美しい、美しくない」を区別できない子供が増えるのも当然かも知れません。
此処にも「もう一つの想定外」があるのかも知れない。
【大人が守るべき心得】を当の大人が知らない又は等閑視しているのが今の日本の世情ではないかと。
【美しくない大人】は何日の世にもいるのですが、今の日本には増え過ぎだと。
今更言っても詮無きこと乍ら、問題の所在は今の親世代の大人だけではなく、今の親世代の親世代、
更に上の親世代から十年刻みで下って観ると、各地の教育委員会の面々の顔や行動を想い浮かべる
までもなく、今の日本の政治のへたれ加減も経済のへたれ加減も社会が募らせるイライラも理解出来
なくもない。
大人向けには「美しい、美しくない」と云うよりも、「美学」という表現が馴染むでしょうが(笑)。
コミュニティが子供教育に当るべきだと云う正しい議論もありますが、其の際にも大人に向けて
「櫂より始めよ!」と諭すことが肝心かも知れません。
兎に角、教育の建て直しには高邁な叡智と長大な年月と厖大な労力が不可欠ですが、政治も行政も
事件の隠蔽と場当たり的な彌縫策を繰り返しているだけでは‥、以下省略。
草々
私は、言葉は、明らかに不適切な場合(明白な差別語など)を除いて、個々の言葉はなるべく自由に使って、良し悪しは文脈全体で判断すればいいと思っていますが、「いじめ」という言葉には、人によっては言葉自体に対する反感ないし拒否反応があるのでしょう。この面では、論ずるのが難しいテーマではあります。
「いじめ」という言葉を広く使うために敢えて論陣を張る情熱はありませんが、「ただしい喧嘩」のような意味で「正しい、いじめ」が存在することを示せたら、「いじめ」を「喧嘩」と言い換えてもダメなことが分かって頂けるのではないでしょうか。
たとえば、(1)正しくないことをしている教師を見て、(2)学生(たとえば中学生)が、(3)言葉のみを使って満座の中で恥をかかせて、(4)数年先まで心に残るようなダメージを与えるとします。(5)「自分で勝てると思っているリスクのない相手を精神的に攻撃することを、いじめという」と暫定的に定義するとして、(6)立場の上でも肉体的にも教師の方が強い場合、彼を攻撃した学生は「奴をいじめた」と(相手を見下しつつ)思っているでしょうが、その行為自体は正しいような気がします。
自分には事前に勝敗が見えているのですから、喧嘩というのとは、ニュアンスがちがいます。指導や抗議というよりは、相手に対する攻撃意識はハッキリしています。やり過ぎると犯罪かも知れませんが、使うのは言葉で、言うのは正論だけです。
少なくとも、「いじめ」にも程度の問題があり、程度の違いは重要です。私は、「良いいじめっ子」、「マシないじめっ子」、「悪いいじめっ子」等、いろいろないじめっ子が現実にいると思いますし、彼らの程度を区別することが重要だと思います。
「いじめ」という言葉自体に嫌悪感のある方は、上記の例を想定しても「正しい、いじめ」の存在に賛成しないでしょうが、どうしても嫌なら何か別の単語を充てたらいいでしょう。
もちろん、世の中の多くの「いじめ」が陰湿で犯罪的な行為であることには深く同意します(たいていは、連んで、弱い者を、しつこく攻撃する行為ですが)。
また、世の中には自分が「いじめっ子」の側だと自覚している子供がたくさん居るはずですが、彼(彼女)らには、たとえば「正しい喧嘩の仕方」ではメッセージが届きません。主観的に「いじめ」と思っている行為にも、程度の差があると知らせることが大事です。
もちろん今回のケースがこれに当てはまるかどうかは別です。
ただ、山崎さんの返答を拝見し、"言葉の定義の違い"というには、山崎さんの"いじめ"という言葉に対する語感が、かなり世間とずれているように感じました。
もちろんこれが私の主観でしかないことは認めます。
世間一般では、"自分より強い者"を、"1回きり"攻撃することを"いじめ"とは呼びません。
会社の上司に理路整然と反論してやりこめる、教師をやりこめる、自分より腕っぷしが強い相手をやっつけた・・・・これを"いじめ"と呼ぶ人がいるでしょうか?
いじめの三箇条と書かれてますが、
"自分よりも弱いもの"を、"しつこく"攻撃することは、いじめの定義に入っていると私は思います。
生徒か教師を吊るし上げた例ですが、これが一回きりであり、暴力や脅迫を用いないのなら、これを"いじめ"と呼ぶのは不自然に感じられます。
"いじめの程度を区別することが重要である"という点にはまったく賛成できますが、「良いいじめっ子」という言い方は矛盾を感じます。これも結局言葉の定義の問題ですけど、極端に言えば「善良な悪人」に近い論理矛盾を感じます。
いじめっ子にも「下」と「下の下」の区別があることはその通りだと思います。
山崎さんの"いじめ"集合には、
・会社の上司に理路整然と反論してやりこめる
・教師をやりこめる
・自分より腕っぷしが強い相手をやっつける
が含まれてしまいそうですが、これに同意してくれる人があまりにも少ない場合は、"定義の問題"ではなく、"間違い"です。
再度のコメントありがとうございます。
>山崎さんの"いじめ"集合には、
>
>・会社の上司に理路整然と反論してやりこめる
>・教師をやりこめる
>・自分より腕っぷしが強い相手をやっつける
確かに、上記は私の「いじめ」の範疇に入る場合があります。単発でなくて、複数回にわたることもありますし、時にやりすぎになることもあるわけですが、勝てることがハッキリしている確信の下に攻撃するのは「いじめ」です。まあ、最近話題の学校の「いじめ」とは違うかも知れませんが、境界は曖昧です。
まだご立腹のようですから(大胆にも同意者の多寡に対して”間違い”などと言いたがっているようなので)、もう少し私の立場をご説明しましょう。(「反論」「論破」しようなどとは思っていないので、気楽に、読んで下さい)
囲碁で自分の勢力圏にある相手の石を攻めて損な形を強いることを「イジメる」と言いますが、「自分が勝てるという見込みの下に、相手を攻撃する行為」は私にとってイジメの範囲内と感じます。
たとえば、菅直人前首相に国会で乗数の認識を問うた、林芳正参議院議員の質問は、ある段階以降ほとんど(たぶん本人の感覚の中でも少し)「イジメ」の域に入るのではないかと思いますが、総合的には「悪くないイジメ」だったと思います。
「総理は立場が上なのだから、あれはイジメではない」というのは、人間について表層的な見方ではないかと思います。林議員には、政治的利害だけでない、ナマの攻撃性があったと思いますが、どうだろう?
「いじめ」という単語の使用自体にあまりに強く反応するのは、時に有益でないと思いますが、どうでしょうか。「全てのいじめが、悪であり下だ」と決めつける言説は理解や表現の幅を狭めますし、本当に悪質ないじめを軽減する上でも逆効果だと思います。
一方、繰り返しになりますが、最近報道されているような事件化したような学校のいじめには、何の言い訳も、同情の余地もないと思います(ここは、意見が一致すると思いますが)。教師以前に、親と警察の責任問題です。
もちろん、私は、コメント欄をオープンにしてブログをやっているわけですから、私と異なる意見や感覚のカキコミを排除しようとは思っていません。物の言い方、のスタイルに多様性があることも理解しようとしているつもりです。ご意見はありがたくお聞きします。
コメントありがとうございます。
別にご立腹ではありません。ブログのエントリーは読んでいて不快でしたが、山崎様のコメントを読んで、語感が私と大幅にずれているのだなと感じました。
言葉の定義は、厳密な自然科学を除いては、"同意者の多寡"で正誤が決まるものと私は考えます。境界はあいまいですが。"明日"のことを"向こう3日間"という意味で用いることは誤りですが、これには"大多数の人がそういう使い方をしないから"という理由以外にありません。
文の真理値は、部分的であれ、文を構成する単語の定義に大きく依存するので、文の真理値も、言葉の定義に対する同意者の多寡で決まる場合があります。
山崎様が、「一般的な使い方とは違うが、自分は"いじめ"をこう定義して言説を展開する」というのであればそれはそれでありなのですが、
"勝てることがハッキリしている確信の下に攻撃するのは「いじめ」です"
という言い方に、どれだけの日本人が同意してくれるのか疑問です。
たとえば、法律に詳しいAさんが、久々に自分が保有する土地に行ってみると、知らないおじさんが勝手に畑をつくっていた。
「俺が耕したんだから、もう俺の土地だ。法的に所有権は俺にある!」
とそのおじさんは主張します。法律に詳しいAさんは、そのおじさんを理路整然と、勝ちを確信しながら論破して完膚無きまでにやりこめます。
山崎様の定義によれば、これも"いじめ"の範疇に入ることになりそうですが、これを"いじめ"と呼ぶ日本人はほとんどいないでしょう。
山崎さんが、これを"いじめ"だ、と主張した場合、山崎さんの"いじめ"定義が、99%の日本人とずれていた場合、この主張は"誤り"ということにならないでしょうか?
「いじめ」という言葉自体に嫌悪感はありませんし、おっしゃりたいこともわかるのですが、前置きなしに"いじめ"という言葉を独特な意味で使われているように感じたため、違和感を覚えました。
一度ご家族や友人にでも、山崎様の"いじめ"という言葉の定義について聞いてみてはいかがでしょうか?いつも適切な言葉をつかう山崎様が、この定義に結構自信を持っていらっしゃるようなので、私自身もほんの少しだけ自信がなくなってきました^^
さて、尻にこびりついてとれない何物かがあるように、耳について離れない曲というのはあるもので。わしは何故か、岩崎宏美の、すみれ色の涙が、むかーしから耳についたままで、不意に口ずさんでしまったりもするのである。すみれってすみれってブルーな恋人どうしがキスしってキスしって、な歌なわけであるが。いじめはあれだ、こねだ木村太郎が珍しくまともなことを言っていたけれど、加害者は基地外、という見方も確かにあるにはあるのである。ただ、いじめっこイーコール犯罪者、も、いじめっこイーコール患者、というのもまた短絡にすぎる話であり、被害者の救済と、加害者の更生にやはり魂の救済、いじめって実にデリケートなお話であつてして、ベスト、な解決とならば、それはもう、子供なら子供の中で、古き良き時代のようにいわゆる自治的な解決が図れればよい、わけではあるのだが、その古き良き時代とやらには、もろ黒人差別、や、もろ差別、などがはびこっていた事実もあったりこして、いじめって、とってもブルーブルーブルーな話であると改めて思うのであり、とりあえず、いじめっこといじめられっこは仲良く手をつないで、ややブルージーにすみれ色の涙を合唱してみてはどうか、と半分本気で思う日曜日でありました。
大人の世界にもいじめはある、というのもまた、まつたくそのとおりのお話で。佐高信師匠的に言えば、俺たちの憲法は工場の前で立ちすくんでしまっている、なんつーこまっしゃくれたお話になるのである。多くの人は、キャノンによって虐げられている偽装請負労働者を見て見ぬふりをするわけだし、ワタミのように死ぬまで人をこきつかう企業も野放しのまま、いまなおバイトは請負だと言い張るすき家でわしは今日も朝飯。さらには、暴排の店というだけで九州のオネーチャンは切り裂かれ、ギロッポンで酒を飲んでいるだけで鉄パイプでフクロにされてあの世逝き、の人も成仏できぬまま。都知事の仕事は領土問題解決などではなく、都内でいじめにあっているしとを片っ端から救済することではないのか、などというマットーなお話がとおる社会なら、そもそも、子供の世界に陰湿ないじめがはびこりもしないだろう、と思うのである。クソウヨ首長が日教組をいじめ、日教組が民間校長をいじめるこの世の中で、工場なりムショなりの塀の中から校門の向こうの子供に言えることといえば、大人に期待するな、ぐらいのものであつたりこして。などと、小学三年のときに、人をいじめるのにもほどがあると怒られて、校長室で一人さみしく授業を受けたわしがどうこう言う話題でもなかったような気もするが、人をクソションベンで笑ったことは、断じてない、いや、あったかもしれない、大人には期待しないほうが本当にいいかもしんない、ブルーなお子たちよ、自らを恃みただ生き延びてくれ、合掌。
私の前回コメントの「大人の美学」には遠大な時間が掛かるので、もう少し手っ取り早い方法を
考えました(笑)。
相手が情緒的または衝動的に動く子供なので、子供に人気のタレントやアニメキャラクターに
「いじめ、なんてカッコ悪いよ!」「私はキライだな!」とTVに流し、携帯アプリに紛れ込ませ、
学校にポスターを張り出す策は如何ですか?
例えば、AKB48やXXやYYやZZ‥(私には具体的に名指しが出来ないが(笑))。
論理的で冷静な「正しいいじめっ子の三箇条」も好いが、子供には即効効き目があるような気がする。
タレントやアニメキャラクターは社会貢献活動として、ギャラは無料にして貰う。
代わりに、彼らは「社会に貢献しているタレント・キャラクター」のブランド価値が手に出来る。
日頃は子供を相手にカネを稼いでいるプロダクションなど大人達も、そろそろ社会貢献を意識して
活動するのも好いだろうと。⇒私の思考は、矢っ張り、大人の教育に戻って行く(笑)。
山崎さんには此のブログ板を掲載されたのも何かの縁なので、お手数でしょうが‥(笑)、
秋元康さん辺りなら単なるエンターテインメントだけではなく社会貢献性の事業には魅力を感じると
思うのですがねえ?
草々
そうしたら、店主の投稿に対するコメントを見て、あ~時代の雰囲気はマスコミの洗脳(多分、いわゆるサヨク的思想の浸透)が効いているなと思った次第である。
暴力団排除条例のイカサマが理解できない連中が、いじめを教師、あるいは警察が学校から排除すれば世の中にいじめが無くなると信じているらしい。
新聞で著名な教育評論家が、教師は医者で、いじめを見つけて排除する処方を書くには、診察に相当する作業が大事だなんて書いていたが、病人が病気から回復する根本は、医者ではなくて、人間の免疫力以外にない。薬は、免疫力が働ける程度までに病根を弱らせるだけの機能で、免疫力のない人は、どんな名医でも回復させられないのは自明だ。
いじめに対する免疫力は、いじめに対する反撃力で、これがない子が、いじめを受ける。(いじめ側は、少なくとも店主の述べておられる任侠心など持ち合わせず、楽にいじめる子を選択している)いじめる側も、反撃する連中には手間がかかるから対象として選ばないのだ。
だから、いじめを受けている子に、柔道なり空手なりボクシングを教えれば、免疫力がつくわけで、それに加えて、刃向う気力を植え付けることだ。私が、いじめられっ子の親なら、すぐに町道場に通わせる。勉強より、何より、身の安全を確保するスキルを習得させるのが肝要ではないか。
いじめは、学校だけでなく、町内会でも、職場でも、あらゆるグループに存在する。自分の不満を他人をいたぶることで憂さ晴らしをする人間は、世界中にざらにいるのだ。
ところが、いじめる人間を排除したら、過ごし易い世界になるとアホのような純な心で夢想する。ここまで言えばわかるであろう。今、中、韓、ロのやってることは、国の間での「いじめ」なんだ。この排除は、国際的な暴力機関もないのだから国の免疫力の向上以外にない。
この原理の分らない「9条」を金科玉条に崇拝する連中が跋扈する限りは、いじめ人を排除するような、砂から砂を選ぶ無為の作業を続けることを選択するだろう。その結果はこの国の亡びしかない。何よりも、いじめられる側の免疫力の向上だが、この指摘が皆無なのが今の日本で、平和ボケなんだろう。
いじめ対策に秋元康を関わらせるのは、何でもかんでも憲法九条のせいにするのに等しくおろ、おろ、おりこうさんのする事です。
ご反応有り難うございました。
シンドラーさんが信頼を寄せられている(?)「池田信りん」さんを私は存じ上げませんが、
全くの「見当違いなご意見か」(※注)と思います。
今は“いじめ”を無くすこと(蛇足を敢えて付せば、これは修辞に過ぎず現実は“少なくする”に
過ぎない)が重要なのであって、秋元某が仮にご指摘の通り「自分だけ利ざや」を獲得するのが
間違いないとしても(後述でこの仮定を否定します)、それは枝葉の副作用に過ぎない。
新しいこと特に社会に影響を及ぼすための諸々をやるには副作用は必然であって、此処がコトの
軽重を比較衡量し優先度を決定するに広深永な視座と判断力を要求される処かと。
単なる「おろ、おろ、おりこうさん」にできることではない。云うことは出来ますが(笑)。
また、肝心要のキャンペーン成果に就いて、「全く実効性のないパフォーマンス」だとする根拠を
示さなければ、今の未熟歪政権の“日本固有の領土論”と同じレベルの寝言に終わって仕舞うのでは?
また、出演のタレントやアニメキャラクターには「ギャラは無料にして貰う」ので、秋元某が
「根こそぎにする」べき根っ子が元々無いのですがね。
仮に、私の希望通り秋元某がこの社会貢献キャンペーンに乗り、社会貢献はプロデューサーとしての
看板と「評判を獲得」し、その評判を「自分の利」に変換するなら彼の才覚が高かったというだけの
ことであり、結構なことだと思います。このキャンペーンには≪善き副作用≫が期待できると(笑)。
(※注)仮に「りん」の漢字が「夫」なら、解らなくもない。彼の多くの≪善き部分≫ではなく、
彼の数少ない≪悪しき部分≫が吐かせた意見なのでしょう。
但し、仮に「夫」なら、第三者による無断の修飾が施されている臭いがぷんぷんする。
草々
では、よくないのはなにか、といえば、あれだ、不治の乙牌番長が後輩にいいおもいさせたのがけしくりからん、といじめられているが、わしだけは擁護してやりたい、あの時間のダシガラかデガラシのような糞ニュース番組に数字など求めるのがおかしいし、女子穴として番長は胸同様実に立派、やや冷たい感じで女性ファンがつかない不幸はあるものの、十分に及第点、であつたとわしはメモしておきたい、ただ、今後、不治が扱いにこまるのは想定内で、そうねえ、やめれやめれ、不治などやめちまえ、とまあ、大阪民国の新しいアイドル、オートマチックカラシニコフバッズ、をプロデュースしたい秋元作業員たるわしは思うのである、では、アイドルのみなはんも一緒に、いじめかっこ悪い!
店主が風前の灯火たる民主党をいじってしさびさにヒットを飛ばしているので、わしとしては、朽ち果てゆく自民党をいじってみたいが、自民党にはなんの興味もなく、おいおいおいイシバッチって、元ハシモト派つまり野中チルドレンでしょうに、ぐらいのことしか浮かばないのであるが、そうねえ、大腸壁は薄いが面の皮はたぶん異常にあついアベちゃんが再登板で、今度はいいクスリといいオムツだから悪いオツムでも大丈夫! と宣言している姿に、さて、なんとメモしてよいものか。ま、もう、しとをクソションベンでいじめるのはやめてあげた方がよいと思うし、一応、一国の顔、だもの人間だもの。以後は、もうよくなったオナカのことはいじらずに、よくなるわけがない頭だけいじろうと、そう決意した今日でありますた。しっかし、惜しいなあ、俺たちのイシバッチ、きもかわいい路線なら、人気が出たような気がする、アベちゃんだと、きもいきもいただしたすらきもい路線だものきもい人間だもの。あと、三原じゅん子はまだいけるんじゃないか、とテレビを見ていたオッサンたちが口をそろえ、片山さつきのせいじゃないか、すべては片山さつきのせいだったんじゃないのか、という声も聞こえたと真実をメモしておこう、これでアベあほバカ正露丸内閣がでけたら、官房長官は高市早苗ちゃん、世も末である。
しとをクソションベンでいじめたりする趣味のないわしは、さきほど三百五十円のカレーにサラダバーなどをつけ、週に二回の野菜の食いだめをしてきたのだが、聞くところによるとどこかのアホウが三千五百円もするカツカレーを食ったとか食わない、とか。大阪民国の田舎ものはホテルの物価を知らないだけだ、と、池田信りんが申しておりますた、という話であるとかないのだ、とか。ま、箱根を越えることもなく生活しているうちらのような人間に江戸の物価など分かるはずもなく。冥土の土産に花のお江戸にお上りし、無理して泊まったホテルの入り口にアホみたいに塩がもってあれば、ここはどれだけ幽霊がでるねん金返せ! と叫んでしまうのも、そう、田舎もの故許してやってほしい、のだが、あの塩は幽霊がでるから盛っているのではたぶんないのだと思うのであり、ごくフツーの西の田舎もののわしが探るのであれば、カレーの値段ではなく、あのホテルに関連する、ぶっちゃけエコー塾だけど、あがんな連中とのつながりがまだきれてなーい、のかねあのアホウは、ぐらいの当たり障りのないお話で今日のところはええのではないか、と思った次第である、繰り返すが、あのホテルだけ特別に幽霊が出るのではないと思うぞよ、カレーの値段もわからない俺たちの信りん言うところの関西の田舎もののあほどもえ。
ああ、そういえば今日はやや関西のお話であつた。維新基地外の勢いがいつのまにかしょぼくれてきて、実に残念なのだが、とはいえ、維新というへっぽこテロを企てている連中がわんさといる今日、いったいじぇんたい渡辺錠太郎の娘の渡辺和子はなにをやってるんだ、とも思うのである。父親を維新基地外に蜂の巣にされて、耶蘇に入信し、自分の出た大学の名前に似ているだけのセーシンの学長をやって、長年教育に従事してきた、結果が、維新基地外の量産、なのかね、と言っても、大学は女子大だから知らなーいアーメン、と言われてしまえば、ああそうですかそうですか、二流の私大出のネーチャンはせいぜいクソウヨの土建屋のマダームにでもなって、土曜日のたびにアイサワのイチローちゃんとたぶん千五百円ぐらいのカツカレー食って、セレブをきどっているのですか、ああそうですか南無。などと、ある意味敗北を認めるしかないわけである、私大って、ほぼじぇんぶ、宗教系なのよね、それなりの宗教教育も行ってるのに、その結果が、このニポン、ですわな、つまり、宗教ニュートラル! というのが日本教の奥義だ、などと病的な無神論者のお店で悟りをひらいても、それはそれ場違いなので失敬する。
あ、アベちゃんが高村を選んだのを見ていて、カレーーの値段が分からない関西のアホウは、これはあれだな、俺たちの竹中パソナ下駄蔵先生の選ぶ市場原理主義者と、ふつーに原理系のジジイとそのジュニアが寄り集まって、戦争だーよー、と金万福のようなことを叫び、非正規奴隷労働より戦争の方がましだと呟いた団塊ジュニアが戦地にかり出されるんだなあ、ご愁傷様、と呟いておけばよいのであるねと思ったのだが、いやー、原理ジュニアはまだいいけれど、団塊ジュニアなあ、ジュニアといっても、もう中年で体もポンコツだろうに、バイト頭、として働き今日も世間を呪うちみたちはせいぜい伍長ぐらいのもんだろうに軍における階級はよ、戦闘能力でいえば、若いだけユトリちゃんたちの方に昇進の可能性があるんじゃねーの、年下の兵隊に受けるいじめって、きついぞ、減量ぐらいはしておいた方がいいかもねー、わしもやっているロングブレスダイエットは、体重は簡単に減らないけど、確かに体にはいい、よ。
zakzak「ルネサスの“官民”出資プランに問題!経済合理性欠くhttp://goo.gl/8dcdw 」の
結語“産業革新機構などなくてもいい”
負け戦が続き国がへたれ指揮官も兵隊も戦意を喪っているからと云っても、その原因が石垣や
城など戦闘ツールにある場合もあるが、ツール以外に根因がある場合が多いのではないか。
武田節の“人は石垣、人は城”は、人が肝心なのだという訓えだと。肝心の人が崩れていれば、
石垣や城が精緻に設計され築かれたとしても役目を果たすことは出来ない。
若かりし頃は国家発展に志を燃やした有為な官僚が、時を経て霞が関の崩れた文化に染まり、
国民や事業仕分けなどが繰り出す批判を掻い潜る術を得て、立派な「悪賢いモグラ」に変貌
して仕舞っていれば‥、また
若かりし頃は入社した大企業でビジネスを世界に轟かせるんだ!と志を燃やした有為なビジネス
マンも、時を経て内向きで自己保存的な崩れた文化に染まり、角を矯めるられ牙を抜かれた挙句に、
大企業トップに上り詰め満足して仕舞っていれば‥、
如何なる制度も如何なるルールも本来の役割は果たせないのも道理だろうと思います。
人を得てこそ、(経済)合理的な制度もルールも造られ、運用されるのだと思います。
草々
しとには限界などないと説き、時にそこから飛び降りて死ねと命じて、社員を恐れおののかせた、あげく、本当の本当の本当に自社の社員を限界を超えて働かせ、結果、高いところから本当の本当の本当に飛び降りてオネーチャンを死なせたタコ社長。なのであるが、いまさら、当該タコ社長やシンボーの小僧などをいじめても遅い、のであり。あろうことか道着の帯を使って首を吊ってしまった子供を、そう、いまさら町道場に連れていこうにも、なんともかんとも、遅すぎる話なのである、からして、しとまずはしたすら手を合わせるしかないのである、合掌。と、ここまでメモして、あの、アニキの連れの文豪と対談などしていた顔面センターにナニをぶらさげているような顔のタコ社長を使っていたのは、シンボーじゃなくて、徳光だったような気がしてきたのであり、だったら徳光は少しだけいじめてもよいのではないか、と思ってしまたー、ので。徳光の野郎は、本当は野球も巨人も大嫌いな病的な競艇ファンで、ある意味職業巨人ファンの仮面をかぶった蛭子さん、なのである、なんつって。
さて、いじめ、といえば。腹具合の悪い再チャレンジ宰相候補をいじめた、と、いじめがえし、に合っているのが、店主の連れの小倉さんで、実にご愁傷さまである、わしとうどん県でうどん屋をやる予定のナカミーをいじめたことにされ、どうでもええ菊川が数字をもっていないことに足をしっぱられ、いよいよそのヅラ失礼面もフツーに飽きられて番組が風前の灯火。もちろん、わしは特ダネの悪口など言う気はさらさらなく、番組も続いて店主のお姿も画面に再び映し出されることを心から願っているのであり。ここで問題にしているのは、首相ないし首相候補が、「前回は、ピーピーで辞めたんだから、こんどはあれか、ベンピーででも辞めるのかー」、などと同じ党のうどん県の南の県の議員センセにからかわれる、ざまみろ、的なアソビが、いじめなのかどうなのか、同じような病に苦しむしとを揶揄しているのかしていないのか、ということである。が、しとをクソションベンで笑う趣味がないわしは、そのあたり、店主に特ダネに出ていただいてしとこと、触れていただきたい、とお願いするだけの話である、なにかしら、ネタ的なものがたりない、とおっしゃるなら。と、池田信りんが申しておりますた、がらみで、池田が言うには、おいアベちゃん、カツカレーばっか食ってねーで、たまにはイザヤ○ダサンでもよまんかいさ、空気もついでに読むんだぞ、よりによってカツカレーってよ、なんつって。ぐらいならセーフ、なのではないか、もちろん信りん的には迷惑なので、アウトではあるのだが、ま、店主の先輩だから信りんはよかろ。
なにより、維新維新うるせーので、おまいら一人一殺で誰をやるつもりだ? と聞いたらよ、おまいらはさ、昭和基地外維新ではなく、明治維新を念頭においております! って、言ったじゃねーのよ、明治維新だって革命だろうがよ、被差別民をとして組み込んだような、大革命を起こすんじゃねーのかね、尊皇攘夷じゃねーのか、中身がねーから、出自をいじられるんじゃねーの、公務員を冷遇しヤー様ばかり優遇するのは、その筋だからじゃないですかあ、とたぶん佐野は言ってるんでしょう、なんですか、ケツ持ちはマルハンソフトバンクパソナ、って。政商、でしょうが、既得権益そのものじゃないんですかあ? 生長の家はいくら出してるんですかあ? 石原霊友会一家との連携はあるんですかあ? ひょっとして、マイノリチーの解放、つまり革命志向ぷっ、が平成基地外維新だとでも言うのですかあ? だったらいいじゃないですか、マイノリチーを徹底的に監視するのが産経の記者の仕事だとビビルだかアビルだかは言ってるでしょうに、アカヒは無視して天下の産経に監視されながら、差別にあえぐ人々を解放する闘争をしかければいいんじゃないですかあ? 出れば出るほど、寝た子が起きて、問題はいくらか前進するんじゃないでしょうか。
などと、店主が口をすべらせたのをいいことに、ハシシタくんをいじめるのはかわいそうなのだし、まだ書き始めたばかりで、連載やめれ、と同業者に言われる佐野はマジかわいそうにすぎるので、連載をうちきられて、飯が食えなくなったときのために、ネタを用意してやろうと思う、詳しくはまず金田ピロシ尊師の取材からであるが、倉敷というところの火消しが、出自を理由に女性にけしくりからんことをし、倉敷市は当該火消しの若い衆を首にしたんだが、裁判で、まあ差別も程度でしょ、と裁判官が言ったのかどうなのかはしらないが、そして倉敷の女市長が、そうねそうね、程度の問題ねー、と言ったのかもしらないが、とにもかくにも、控訴しない、という基地外なる決定をしてけつかっておるわけで、大阪市の同和行政同和教育より倉敷市の方が大問題だし、ハシシタくんは、もともと八尾だろうに、と思うわけで、大型連載が決まったら佐野は原稿料の一部をこっちに回すように。ちなみに、ハシシタ、というのを世間に広めたのは、わしではないぞよ、ずばり、ハイヒール・モモコだ、元暴走族だからケツ持ちでもいるんだろう、何を言っても怖いものなし、ハシシタくんも、モモコを見習ったらどうだ、ちがうか、佐野が、モモコを見習うのか、じゃよ、モモコの目がなじぇあがんに離れているのか、出自をたどってやったらばどうか、ついでに、なじぇ、アホの坂田と鈴木宗男とそっくりなのか、まで、遺伝子レベルの解析をしてほしい、そうすれば、連載中止! とか店主に呟かれないと思うぞ、よ。
この記事に関する真摯な某ツイート:春名風花ちゃんに対する誹謗・中傷が酷い。読むに堪えない罵詈雑言。それも大勢で攻撃している。いじめる子への<理解と愛>を語ったはるかぜちゃんなのだが、それが逆ギレを生んでいるようだ。それにいちいち返事を出す彼女だが、心が折れないか心配だ」
タレントなどに此の種の社会貢献活動を奨励した行き掛かり上、詳細は一切不明のままで、問題解決のための検討課題として投稿いたします。
まあ、重要な課題としては、秋元某ではなくても、「確っりと成熟した大人」が裏方で出演タレント本人を誹謗中傷から守り支え続けることが不可欠なのでしょう。
元々深刻な社会問題を子役タレントが事後の反応などの全てを処理することは明らかに有り得ないのだから。
草々
【加害者対策に腰の重い学校側に対して精神科医に簡単に出来ることは、「いじめ被害による」という原因を明記した診断書や意見書を発行すること。「そういう診断書を書きましょうか」とやんわり提案しただけで事態が動いたこともあるほど、学校側はこの種の文書の存在を忌避しようとする】。
此れは学校関係者(=大人)に対する善い対策の一つですね。慌てふためく姿が目に浮かぶ。
齊藤さんが別途問題提起している「いじめ加害者に味方する世間」には別の対策が必要ですね。
草々
斎藤某の為人は一切未知ながら、こういう問題解決を目指し発想し具体策を提起するご仁には期待したいものです。
彼が発する意識の高さから推察するに、「簡単に出来る」ことでも「簡単にやる」ことはないでしょうね。
全国の医者が【「そういう診断書を書きましょうか」とやんわり提案しただけで】【事態が動いた】ケースが全国に広がれば、いじめの事態は変わるでしょうね。
善し悪しは兎も角、何かをやれば、100%必ず副作用を云う声は挙がる。
人類は様々に「智慧」を生み出し、問題解決の糸口として来たと。
草々