評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
村上被告の「確実じゃないけど、聞いちゃった」罪
村上世彰被告への東京地裁の判決は、何とも印象的な内容であった。
実質的な効果が大きく、ある意味で画期的と思えたのは、インサイダー取引の「重要事実」に関して、実現性が明らかにゼロでなければ、実現性の高低は問題ではないという、範囲の広い捉え方をしたことだった。これは、1999年の最高裁判決の方向性を踏襲したものでもある。
誰かの「私は5%を超えてこの株を買おう」という話、大株主が取りあえず「こうしようかな・・・」と言う売り買い予定、必ずではないが期待している新製品情報を経営者から聞いた場合、などに、その後で株式を売り買いすると、インサイダー取引だと解釈される可能性が極めて大きい。従って、大株主同士の情報交換はその後の株式の売り買いを不自由にするだろうし、M&Aに関する提案や情報を耳にする事が多い投資ファンド或いは投資銀行は、株式売買の度にインサイダー取引のリスクを考えなければならない。市場のフェアネスの点から考えると、今までが自由すぎたのであろう。どことなくインチキ臭い証券会社の社内のファイアー・ウォールでは、コンプライアンスのリスク管理上不十分で危ないということなのかも知れない。
こうした解釈は、投資家の行動を制約し萎縮させそうに思える一方、大株主が企業関係者や他の大株主と行う情報交換の結果を株式の売買に使いにくくする効果をもたらす点ではフェアネスの向上につながっている。些か窮屈に思えるかも知れないが、投資家の情報へのアクセスをなるべく平等に管理すべきだという意味では、妥当なものなのだろう。
また、将来の収益の「可能性」だけでも、期待リターンには影響を及ぼすはずだから、「実現性が明らかにゼロでなければ、実現性の高低には関係なくインサイダー取引の重要事実だ」という判断は現実に沿っているし、論理的に正しいのだろうと思う。ただ、実現性が1%未満の話でも、あきらかに実現性ゼロでない限りインサイダー情報だ、と言われると、どこかに程度の判断が必要なのかも知れないという気分も否定できない。この点は、控訴審の判断に注目したい。
加えて、今回の判決は、村上被告がライブドアとのミーティング(於、2004年11月8日)で、村上被告が、重要事実を「聞いちゃった」にとどまらず、村上被告がライブドアをそそのかして「言わせた」という所まで踏み込んでいる。村上被告こそが複数の案件の実質的な主役であるという、多く報道の内容に合致する、率直に言って、小気味いい印象のある判決ではあった。
しかし、フジテレビジョンとライブドアを天秤に掛けた村上被告の行動を評して、「利益至上主義に慄然とする」という判決文の表現は、些か情緒過多ではないかと思える。初期の供述と逮捕前の記者会見の内容を「ウソでした」と翻す村上被告への心証が良くないのは自然な感情だと共感するが(どんな事情があっても、ウソを言うと、人間は信用されないし、好かれないというのは、重要な原則だ)、利益の追求自体は犯罪ではないのであり、”拝金主義を断罪する”というようなニュアンスは無い方が、判決に説得力があったと思う。
検察側がほぼ満額回答の判決と評したことからも分かるように、今回の判決では、村上被告が100%大悪人であるように捉えられている。自分に対する心証の悪さを知らずに、「罪を認めて執行猶予を勝ち取る」のではなく「あくまでも無罪」を目指した村上被告と弁護側の法廷戦略は、第一審に関する限り、全く裏目に出た。村上被告も後悔しているかも知れないし、心情的には、村上被告が幾らか可哀想な感じもするくらいの徹底的な嫌われぶりだ。
また、先般の堀江被告への判決と同様に、今回もライブドアの宮内前取締役の証言が重要視された。彼は、この証言内容だけを取ると自分にとっても不利な証言をしているので、この証言は信憑性があるとも思えるが、他方でフェラーリ購入に至った彼の背任的な行為を不起訴にして貰っていることを考えると、後味の悪さがある。
極端な言い方になるが、自分に不利な証言を厭わない証人を複数仕立てることが出来ると、誰でも有罪にすることができる、という感じが無くもない。検察は誰でも罪人にすることができるのか。ともかく、「国策捜査」を敵に回すと決して勝てない、というのが、日本の司法の現状なのかも知れない。
何はともあれ、インサイダー取引の定義が広く取られているので、株式に関わる全ての人は、自分のインサイダー取引リスクを強く意識する必要がある、ということを思わせた今回の東京地裁の判決だった。
実質的な効果が大きく、ある意味で画期的と思えたのは、インサイダー取引の「重要事実」に関して、実現性が明らかにゼロでなければ、実現性の高低は問題ではないという、範囲の広い捉え方をしたことだった。これは、1999年の最高裁判決の方向性を踏襲したものでもある。
誰かの「私は5%を超えてこの株を買おう」という話、大株主が取りあえず「こうしようかな・・・」と言う売り買い予定、必ずではないが期待している新製品情報を経営者から聞いた場合、などに、その後で株式を売り買いすると、インサイダー取引だと解釈される可能性が極めて大きい。従って、大株主同士の情報交換はその後の株式の売り買いを不自由にするだろうし、M&Aに関する提案や情報を耳にする事が多い投資ファンド或いは投資銀行は、株式売買の度にインサイダー取引のリスクを考えなければならない。市場のフェアネスの点から考えると、今までが自由すぎたのであろう。どことなくインチキ臭い証券会社の社内のファイアー・ウォールでは、コンプライアンスのリスク管理上不十分で危ないということなのかも知れない。
こうした解釈は、投資家の行動を制約し萎縮させそうに思える一方、大株主が企業関係者や他の大株主と行う情報交換の結果を株式の売買に使いにくくする効果をもたらす点ではフェアネスの向上につながっている。些か窮屈に思えるかも知れないが、投資家の情報へのアクセスをなるべく平等に管理すべきだという意味では、妥当なものなのだろう。
また、将来の収益の「可能性」だけでも、期待リターンには影響を及ぼすはずだから、「実現性が明らかにゼロでなければ、実現性の高低には関係なくインサイダー取引の重要事実だ」という判断は現実に沿っているし、論理的に正しいのだろうと思う。ただ、実現性が1%未満の話でも、あきらかに実現性ゼロでない限りインサイダー情報だ、と言われると、どこかに程度の判断が必要なのかも知れないという気分も否定できない。この点は、控訴審の判断に注目したい。
加えて、今回の判決は、村上被告がライブドアとのミーティング(於、2004年11月8日)で、村上被告が、重要事実を「聞いちゃった」にとどまらず、村上被告がライブドアをそそのかして「言わせた」という所まで踏み込んでいる。村上被告こそが複数の案件の実質的な主役であるという、多く報道の内容に合致する、率直に言って、小気味いい印象のある判決ではあった。
しかし、フジテレビジョンとライブドアを天秤に掛けた村上被告の行動を評して、「利益至上主義に慄然とする」という判決文の表現は、些か情緒過多ではないかと思える。初期の供述と逮捕前の記者会見の内容を「ウソでした」と翻す村上被告への心証が良くないのは自然な感情だと共感するが(どんな事情があっても、ウソを言うと、人間は信用されないし、好かれないというのは、重要な原則だ)、利益の追求自体は犯罪ではないのであり、”拝金主義を断罪する”というようなニュアンスは無い方が、判決に説得力があったと思う。
検察側がほぼ満額回答の判決と評したことからも分かるように、今回の判決では、村上被告が100%大悪人であるように捉えられている。自分に対する心証の悪さを知らずに、「罪を認めて執行猶予を勝ち取る」のではなく「あくまでも無罪」を目指した村上被告と弁護側の法廷戦略は、第一審に関する限り、全く裏目に出た。村上被告も後悔しているかも知れないし、心情的には、村上被告が幾らか可哀想な感じもするくらいの徹底的な嫌われぶりだ。
また、先般の堀江被告への判決と同様に、今回もライブドアの宮内前取締役の証言が重要視された。彼は、この証言内容だけを取ると自分にとっても不利な証言をしているので、この証言は信憑性があるとも思えるが、他方でフェラーリ購入に至った彼の背任的な行為を不起訴にして貰っていることを考えると、後味の悪さがある。
極端な言い方になるが、自分に不利な証言を厭わない証人を複数仕立てることが出来ると、誰でも有罪にすることができる、という感じが無くもない。検察は誰でも罪人にすることができるのか。ともかく、「国策捜査」を敵に回すと決して勝てない、というのが、日本の司法の現状なのかも知れない。
何はともあれ、インサイダー取引の定義が広く取られているので、株式に関わる全ての人は、自分のインサイダー取引リスクを強く意識する必要がある、ということを思わせた今回の東京地裁の判決だった。
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蒸し暑い毎日が続いておりますが、お元気にお過ごしでしょうか?
>村上世彰
僕はイヤなヤツだと思います。
>今回の判決では、村上被告が100%大悪人であるように捉えられている。
これで、良いのだと思います。
そして、このような100%大悪人に成長させた、当事者の一族郎党にも大きな責任があると思います。
僕は、当時のマスコミが、「村上ファンド銘柄」として持て囃している会社の株は、危ないのではないかと思い、手を出しませんでした。
それにしても、マネー・プレイヤーに染まるとは、元通産省出身者にしては、非常に志の低いヤツだと思います。
(城山三郎著の「官僚たちの夏」の登場人物たちとは、大きな隔たりを感じます。)
欲にかられた「銭虫」の、哀れな末路だと思いました。
しかし一種の「グレーゾーン」に引っかかる投資家はプロ・アマ問わず大多数の引っかかっているのではないかと思います。(そう思うとこれから仕事がやりにくくなるでしょうね)
ちょっと変わって会社での話、株取引している(始めたばかり)の人からよく「いいとこ教えて」なんて聞かれますが基本的に私が知っている情報は既に株価として折込済ですし、そうでない場合はインサイダーになるかと。もっと投資家の法令順守に関する勉強をしてもらいたいものです。
でも村上被告は全てが悪ではないと思いますがどうでしょう…?
株主の権利を尊重すべしという村上氏の主張は正論でしたし、また、彼の金儲けそのものは責められるべき問題ではないですね(この点、判決の拝金主義批判は過剰に思えます)。
ただ、振り返ると、ライブドアとフジテレビの両方をそそのかした手口は何ともセコかったし(裁判官にまで見破られたし)、記者会見の発言を後からウソでしたと翻す使い分けも嫌~な感じでした。
彼は、自分が儲けたから嫌われていると発言していましたが、それが第一の嫌われる理由ではないことに気付くべきです。セコイ男は嫌われます。これは、仕方がありませんね。
セミナーにご来場いただき、どうもありがとうございました。
さて、私が話した10のテーマのうちの9と10ですが、9のアイオワギャンブリング課題については、坂井克之「前頭葉は脳の社長さん?」(ブルーバックス刊。良い本です)を、10については楽天証券のホームページに私が書いた第33回「行動ファイナンスと市場をつなぐ発想法」(http://www.rakuten-sec.co.jp/ITS/investment/yamazaki/in05_report_yamazaki_20060616.html)を取りあえずご参照下さい。参考にしたアンドリュー・ローの論文もこれに出ています。
何れについても、あらためて、楽天証券のホームページに文章を書くつもりなので、講演で言い足りなかったことは、そちらで補足します。
それにしても、「講演」というのは、なかなか上手くなりませんね。そもそも講演の回数が多くないのがいけないのでしょうが、話しながら、今日は不出来だ、とか、ツマラナイな、とか、自分で思っている有様です。職業柄、もっと講演の話術を磨かないといけませんね。反省しています。
というより、本件でそういった法律上の問題は争点になっていませんよ。
なっていないから、今回の裁判所の法解釈はほぼ文理解釈です。
被告側は、該適用法律自体について争うつもりはなかったようです(判決文参照)。
講演の中で印象に残ったのは「ナンピンはポートフォリオ理論の観点から不合理な行動である」というのは言われてみればそのとおりなんですけど、今まで気が付かなかったです。
後印象に残ったのは『「気持ちとしてはこうしたい」というのは不合理なことが多い』←山崎さんが言われた言葉とはちょっとちがうかもしれませんが印象に残ってます。
>セコイ男は嫌われます。
戦国時代の武将の前田利家は、ソロバンを弾いて金銭管理を厳しく行っていたので、ある程度、セコイ箇所は見受けられたのではないのかと思います。
ですが、そういう所を払拭したのは、利家自身が優れた槍の使い手であった事と、晩年には秀吉との友誼を重んじ、いざとなったら、徳川家康と対決するよう、息子の利長に遺言したところでしょうか。
「銭虫」は、いつの時代でも嫌われると思いました。
おはようございます(いま24日AM3:40頃、超早朝です)
僕は山崎さんとは違う感想を持ちました。
「聞いちゃったから、買ったら、もう駄目」というのはやりすぎではないかと思います。たとえば、その株を買おうとしていた、いろいろ調べたりした、そして
たまたまそこの社員がいたので聞いてみた。そしたら、今度うちはやる気ですといっていた。それで、株を買った。そしたら、株が上がった。
これも、駄目だという判決のような気がします。
論理的には、○か、×かといったら、全く知らなかったら、○でしょうが、それ以外はすこしでもそのニュアンスをつかんでいたら×になる。でも、それに関わろうとしたら少しは裏的な情報も入ってくるのでは?
と思います。現実的には×を駄目といったら、それこそ立ち行かないのではと思います。
僕も村上さんは好きではありませんが、でもこの判決は見せしめ的、国策操作的判決ではないか。マスコミ
の喜ぶ判決ではないか、と思ってしまいます。
鈴木宗雄・佐藤優の「反省」のなかでいっている、ある日突然、犯罪とされてしまう類のものではないか、と。だれが最終判断を下すのか、それを少なくとも行おうとしている裁判(官)。神ではないので限界があるのはしかたないとは思いますが、僕のような意見があってもいいのではないかと思っています。
それでは、また。
意味において)、バランスが悪くなってしまう場合が多い、という意味
で、ある銘柄を購入する方法として必ずしも不合理とはいえないのでは
ないでしょうか?
つまり、良いポートフォリオを持ちなさい、という教え方と、ナンピン
はだめ、というのは質的には別の問題なんじゃないのかな?
ナンピンをすることで、当初意図していたポートフォリオのバランスを
崩してまで購入してしまうことを、人の行動としてやってしまうことが
多いというのはわかりますが。
むしろナンピンの危険性についてわかりやすいのは、自分の予想してい
たトレンドから外れた場合に、それを深追いすることが良くないのだ、と
いう文脈で説明することだと思います。
初心者向けの解説においての話ですけど。
こんにちは。
「合理的」という意味では、ナンピン買いは、「株価の下落によって期待リターンが高まり、その効果が、他の諸条件のマイナスを圧倒するぐらい大きい」というような条件が成立しないと(こういう状況は、めったに無いと思いますが)合理的とは言えません。
また、投資しているという状態はポートフォリオを持っている状態の連続ですから、これと「買い方」を分けて考えるのは、不適当です。
加えて、そもそも、「自分の予想していたトレンド」などというものを中心に考える天動説的な癖を付けてはいけません。
また、同じ銘柄を同じ時に買えば同じリターンですから、株式投資で、初心者とベテランで考え方を変えるべき理由はありません。
このように順々に考えると、「ナンピン買い」の周辺には、株式投資の俗流入門書が陥りやすい非合理性(伝統ファイナンスの合理性から見た非合理性です。「後悔回避」等の”感情”から見ると合理的な面があるともいえます)がたくさんあることが分かります。
結論ははっきりしていますし、わざわざ初心者向けなんて考える必要もありません。
身も蓋もない言い方で、ご不快かも知れませんが、割合大事なポイントなので、敢えてハッキリお答えしておきます。
ということです。
彼(村上氏)の仕込んだ一連の“そそのかし作戦”が上手くワークしなかった場合は、彼の目論見は「未遂」に終わるわけです。
そうした事態のときでも、彼がポジションを取っていた行為そのものは「まずい」ことにかわりがないはずなので、言わば「殺人未遂」のような形での立件は、なされたのかな?と、ふと考えてしまいました。
この手の立件には
「青信号(もしくは黄信号)、でも渡ってみたら、赤信号」
な要素が多分にあるのでは?
わざわざお答えいただきありがとうございました。
>身も蓋もない言い方で、ご不快かも知れませんが、
いえいえ、間違った思い込みをきちんと指摘してくださるのは
助かります。
(完全なシステムトレードでもない限り)個人が行う株の売買
というのは感情との戦いの部分が大きいですね(私だけ?)。
ナンピンしかり、トレンド反転を待つことしかり、良く失敗しま
す(助かることもあるのがやめられない理由なんでしょうけど)。
ジム・クレーマーの本ではありませんが、リスクを限定して、あ
る一定量は純粋なギャンブルとして行った方が精神的にも安定?
するような気がします。
本体の方で致命的な損失をこうむらないように、そちらで感情的
な部分は満足させてやる、みたいな。
それこそ非合理的ですけど・・・。
確かに、村上被告が「後から目を付けられた」感じは、今回の捜査・判決には存在します。
今回、ライブドアの宮内元取締役の証言が重要な役割を果たしていますが、彼のような証人を二、三人仕立てることができれば、誰でも有罪にできてしまいそうな怖さはあります。
とはいえ、村上被告の振る舞いは、いわゆる仕手筋が表に出て説教までして投資に利用している、といった趣でしたから、これをよく見て取ったという意味で、今回の判決は、幾つか行きすぎがあるものの(アクティビスト活動と投資の分離を求めた部分と、拝金主義批判は、行きすぎがあったと思います)、大筋として正義を実現しているような気がします。
ただ、誰から得たどの程度の情報がインサイダー取引の「重要事実」に当たるかの線引きは、もう少しはっきりしたものが欲しいところです。
これまでの常識では、単に対象会社の社員から聞いた、という程度の話の多くは大丈夫でしたが、「実現性がゼロでなければ、その高低を問わない」という今回の判決を厳密に取ると、心配な感じが出てきます。控訴審で、すっきりした基準が出ることを期待したいですね。
「今までOKだったものが、いつの間にか重罪になっていることがある、堀江も村上もその罠にはまった」
みたいな事が書かれていた。
今回の判決で検察と裁判所がダッグを組めば、本当に誰でも罪人にしたてあげることができる、証券取引法などあってないようなものなんだという印象をもった。
白黒の明確なラインはなく、その時々のお上の意向で
黒になったり白になったり。
要するにお上に睨まれたら終わりってことなんでしょうかね。
仰るとおり、法律にも、手続きにも、曖昧な部分があるので、「お上に睨まれたら終わり」という面は、相当程度あると思います。しかし、国策捜査風のものを一緒くたに論じない方がいいとも思います。
ムラカミさんの場合は、やり口があまりにもセコかったので、彼自身は、堀江氏などよりはよほど、リーガルリスクに気を付けていたつもりでしょうが、今回の裁判官くらいの人にじっくりと調べられると、彼が「クロ」という判断は仕方がないところでしょう。
拝金主義批判だの、村上ファンドの組織論だの、余計な内容がなければ、今回の判決は、セコイ仕手筋のインサイダー取引を適切に見抜いて適切に罰した、いい判決だったと、私は思います。このこと自体は、「国策捜査」への疑問や反感とは別に評価すべき問題です。
それにしても、ムラカミさんは、徹底的に嫌われたものだなァ、という印象は持ちましたが・・・。
田中森一氏は東京地検特捜部に起訴され,実刑判決を受け上告中という立場ですので,自己保身的な意味合いもあると思いますが,大阪・東京地検の各特捜部で相当の活躍をし,退官後は多数の事件で特捜部と対峙した同氏の「検察は所詮国の行政機関の一部であり,その点による捜査の限界や,捜査の恣意性は確実に存在する」旨の指摘は,納得できるものがありました。
時間があれば,ぜひ一読をお勧めします。
郷原信郎なんかは「法令順守が日本を滅ぼす」の著書の中で村上は明らかに無罪と言ってますがね。
インサイダーとはとてもいえないと。
日経新聞にも不当判決だとするどこかの教授の談話がのってましたよ。
インサイダーの成立要件を急に広げて無理やり有罪に
した感じですね。
まさに「変化する罪」
国策捜査まがいの事件が多いけど、日本はどういう方向へ走ってるんでしょうかね。
漠然と不安というか嫌な感じですね。
山崎さんなど村上事件は他人事だと思ってらっしゃるかもしれませんが、ある日突然他人事じゃなくなるかもしれません。
「変化する罪」なんて怖いじゃないですか。
通常業務を行っていると思っていたのに、知らない間に犯罪者になっていたとかね。
証券業界の人はひそかに戦々恐々としてるのではないか。(笑)
証拠が無くても、それらしい証人が複数居れば(あるいは、仕立てると)、誰でも十分有罪に出来る、というのが実情でしょうね。これは、文字通り、誰でも、ということなのでしょう。
もっとも、時と場所が違えば、「消される」こともあるし、完全なシロ、完全な安全、というものは求めても仕方がないと諦めるしかないのでしょう。もちろん、気持ち悪くはありますが。
但し、村上氏の場合は、裁判官の見立てにそう大きなまちがいは無かったと思います。ライブドアをそそのかしている過程で株を買ってしまったのは、彼のミスでしょう。「ライブドア社の機関決定までは大丈夫」と判断したのは、彼の判断ミスではないでしょうか(1999年に最高裁判決が出ているわけですし)。
それに、状況を作り出して持ち株を有利に売ろう、という彼のやり口がフェアな投資とはとても思えません。発言のひっくり返し方のせこさも含めて、同情は湧きませんねぇ。六本木ヒルズでは、かつて村上ファンドは20階にあり、楽天証券は21階にあるので、近所の人ではあったのですが・・・(私はお会いしたことがありませんが)。
多少の同情という意味では、堀江氏とライブドア株主の方に、それを感じます。
相手は楽天か したたかに売り抜け
村上ファンドが、買い集めた東京放送(TBS)株の売却で、2005年10月に200億円もの利益を上げていた 略 7%以上保有していたTBS株を10月11、12日のわずか2日間でほとんど売却して巨額の利益を得た。楽天は同11、12日にTBS株を買い増し、保有比率を約15%に高めたと発表しており、市場では村上ファンドが楽天にTBS株を売ったとの見方が多い。資料は売却先が楽天とは明記していない。(2007年7月20日読売)
ただの近所やなかろう。
>村上は明らかに無罪
もし、明らかに無罪なのに、実刑だったら、袴田事件なので、再審請求もどきをやらないといけないと思います。わしは、有罪だと思いますが。執行猶予がつく可能性もゼロではないでしょう。猶予ぐらいが落とし所かもしれませんな、ひょっとして明らかに無罪、であるならば。
今日の日経の株式欄のコラム十字路でも「東京地裁の
経済観に疑問」と言うタイトルでかなり厳しい論評
が繰り広げられていました。
「村上の利益至上主義には慄然とする」とのたまった地裁の判決文は経済を知らないあまり不見識である、
またインサイダーの解釈にも疑問呈していましたね。
車の免許を持っていない裁判官が道交法について判断する、という裁判の現状を知っていないから、行き過ぎた裁判所批判になるんやろね。あくまで、「裁判所の判断」が問われとるんやなかろうか。今問題になっている少年の殺人事件についても、下されるのは「裁判所の判断」やからなあ。法曹の八割は無期。死刑にしろと言っているのが産経に脱税を疑われた橋下くんで、死刑廃止グループに参戦したのが人権派でもなんでもない安田のおっさんアンド戦争と罪責の野田そして死体を語らせてしまうあの先生。
裁判所はたぶん、村上をプロ中のプロ、と見たのではなく、「インサイダー中のインサイダー」と見たのやね。素人中の素人のわしの判断と同じや。檻宮内や銀福井などとのつながりまで含めて、村上というのは許してはおけぬインサイダーの悪党だという判断やろう。それに加えて、「聞いちゃって、儲けちゃった」と下呂ってから、しらーっと発言を翻しても、自白をでっちあげるための代用監獄で有名な我が警察司法手続きをやね、なめたらあかん。
本当にその通りだと思います。
新聞を読んだ気になっておりましたが、ここまで読まなきゃダメですね。
参考になりますm(_ _ )m
郷原さんの本の村上ファンド部分と、ご指摘の「十字路」(日経26日夕刊)を読んでみました。
「利益市場主義に慄然」という判決文がおかしいのは、十字路の指摘の通りですし、ファンドやアクティビスト活動自体が悪いかのような言い方(判決そのものよりも、メディアの伝え方に問題有りと思えますが)が「経済常識を欠く」のは、その通りでしょう。(来週のJMM、週刊現代、などには、そのように書いておきました)
尚、郷原さんの本にも頷ける点がありますが、今回の村上ファンドの行為と、「通常のプロの行為」とには、重要事実への接し方と村上ファンド側の情報判断力(今回に関する)を考えると、線引きが可能だと思います。今判決の規定でいいかという問題はありますが(たぶん不十分ではありましょうが)、インサイダー取引の範囲を広く規定するのは、良いことだと思います。
投資の問題として考えると、絶対確実でなくても、十分可能性がある、ということで、期待リターンは変わるので、これがインサイダー取引とすることが妥当だと私は思います。間違いなく、「重要情報」ですし、勧誘した村上氏はその実現性の程度を判断できる状況にあり、後付の解釈で取り締まられる怖さは、あるとしても、今回は、インサイダー取引の考え方としては、悪くない方向性だと思います。
もっとも、今回の判決のように事実が認定されるのなら、インサイダー取引よりも、自分が儲かるように仕組んだ罪(証取法157条の包括規定)を問う方が、量刑も重く、筋が良かったかも知れません。これは、判決翌日の日経の社説に出ている考え方です。
正直なところ、違和感の多々ある判決でしたが、単純に「良い!」とも「ダメ!」とも言い切れない、是々非々で評価すべき(この程度の読まれ方では、裁判官は不満でしょうが)判決のように思います。
「村上は悪人だから、ともかく罰してやれ」というのも、「あれは国策捜査であり、全てダメ」というのも、当たっていないように思います。
上記は、なかなか男前の板倉雄一郎氏の一行解説だ。詳しくは、氏のブログをどうぞ。簡単に儲からんから、物言う、わけね。お見事な解説だ。
政治評論は結構読んできたが、経済評論ましてや株の話など、ここで遊ばせてもらってからちまちま読み始めた。ら、とんでも、ばっかりじゃないか。昔は結構な男前だったのに、すっかりガメちゃった蟹瀬氏でさえ、6パーで国民の資産を回せばいいんだ、とまでしか言ってないのに、おい、ポンちゃん、君の好きな大前研一なあ、このくそ暑いのにむさ苦しいサピオで、
「国民全員、10パーの利回り!」
てなこと、言うとるがな。選挙どころやなかろう。人望が全くない大前って、元原発屋のふかしこき、やろ。こんなえーかげんな人間ばっかで原子力なんぞいじったら、あかん。今すぐ、原発全基ストップじゃ! エコでロハスな三丁目の夕日生活でもせんかいな。わしゃ、すでにしとる。
ジェニの本など立ち読みしてみて、二つのことがわかった。ひとつは、金貸し人貸し株屋は、命よりジェニが大事。もうひとつは、こいつらはみんな、下駄顔の平蔵が好き。
全国の下流にチンコロだが。首相よりえらーいあの地上波とそれ以外で言うことが全く違う田原聡一朗が、満面の笑みでこう叫んでおったぞ、かの女子穴を排出した私物波で。
「ネットカフェ難民は、恵まれた人たちだ!」
おい、大野、護摩の用意じゃ。おまえら、何もせなんだら、ほんまに殺されるぞ。
命落とすな! ○○を落とせ! 息させろ! ぼぼぼぼくはきききたきゅうしゅうにきて おおおおおむすびが食べたい!
村上被告の地裁判決には少し批判があるが,少し思おうところを書かせていただきたい。
7月20日の日本経済新聞が報じる判決要旨によれば,「『ファンドなのだから,安ければ買うし,高ければ売る』という徹底した利益至上主義には,りつ然とする。」と「悪質な情状」のなかでは述べられている。ただ,この文章の前には,被告がフジテレビとライブドア(以下,「LD」という。)を天秤にかけ,しかも保有するニッポン放送株の半分をLDに高値で引き取らせて利益を確定する一方,LDの大量買付け公表し株価が高騰した後に,残りの大部分を市場で売却したという利益獲得の手法を評して,「悪質な情状」の項としたのであって,その中の文章とすれば,司法の立場として,取り立てておかしなものではない。村上被告の地裁判決は今のところインターネットでは手に入らないが,判決要旨からみると以上のように考えることができる。
「毎日アタル」というのでコーラを飲んであたって購入した,中村中の「友達の詩」をipodで聴きながら,本屋さんで「世界経済史」という本を立ち読みした。そうしたら,著者の苗字も「中村」だった。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8F%B2-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E5%8B%9D%E5%B7%B1/dp/4061591223/ref=sr_1_1/249-9350404-1713110?ie=UTF8&s=books&qid=1186197367&sr=8-1
この本の最後に著者が,次のようなことを言っている。
日本経済は欧米型の「自由経済」と「市場経済」には見られない特有のパーリア原理-手段を選ばぬ営利追求-という特徴をもつ。
このパーリア原理(手段を選ばぬ営利追求)こそ,日本のバブルとその崩壊を特徴づける。
勤労民衆(labouring poor)を尊重し,その繁栄の上にしか自らの繁栄はあり得ず,経済成長もあり得ないものだと意識しているのが市民社会の企業である。
大企業と政治家と官僚とが癒着して,自らの母胎であるはずの勤労民衆をむしりとるような行動に出る社会では,どんな政策もよい果実を結ばないが,これこそが「市民共同体の(Commonwealth,コモンウェルス)の論理」である。
コモンウェルスに対して牙をむくような反社会的行動(“Wealth against Commonwealth”)は,自己破壊の途をひらく。
“Wealth against Commonwealth”を記憶せよ。
つまり,“Wealth against Commonwealth”は,「どんだけー」なのである。
この著者の意見を聞いた後なら,「『ファンドなのだから,安ければ買うし,高ければ売る』という徹底した利益至上主義には,りつ然とする。」との言葉に,それほど「違和感」も持たない。
アメリカでは,ずいぶん前に,巨大な石油会社が市場を独占して,一般市民を困らせた。巨大な石油会社は“Wealth against Commonwealth”であって,そこからアメリカ人は,“Liberty produces wealth, and wealth destroys liberty.”(自由は富を作り,富は自由を壊す。)ということを学んだ。
私たちは,まさに「十字路」に立っている。右にいくも左に行くも一向にかまわないが,門徒であればオクダエリカを乗せて一人静かに歩みたい気持ちだ。
またまた長文失礼。(もし,なにか山崎さんに迷惑をかけるようであれば,削除しちゃってください。)