評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
入れ墨は、本人の自由でいいのではないか
故鶴田浩二さんの博打打ちシリーズの一作に「博打打ち 一匹竜」という作品があり、最近WOWOWで観た。入れ墨の彫り師の老名人が登場するストーリーだが、クライマックスに入れ墨品評会のシーンがあり、裸に褌一丁で入れ墨を入れた男が数十人ぞろぞろと登場する。怖いというよりも、笑いがこみ上げて来かねないシーンなのだが、もうこんな映画は撮れないのだろうなあ、という思いで観た。
さる自治体の首長さんが、職員の入れ墨を禁止した上に、さらに入れ墨の有無を調査する意向を示して話題になったが、入れ墨は、それほどに悪いことなのだろうか。
「入れ墨のある人=怖い人」という先入観があるので、温泉の大浴場などで彫り物のある人に会うと緊張することはあるが、たいていの場合は、その人が特に凶暴に振る舞うわけではない。問題は、入れ墨を見る側の心の中にあり、入れ墨自体が悪さをするわけではないし、印象の有利・不利(社会生活には不利が多そうだが)は、入れている本人の問題だ。
はっきり言って本人の自由だろうし、これを規制すべき根拠があるようには思えない。
私は、自分自身が入れ墨を入れたいとは思わない。端的に言って、入れ墨は、私の趣味に合わない。自分に似合う良い絵が思いつかないし、いったん入れ墨を入れてしまうと、自分のカラダがいつまでの同じ漫画の画面が映っているテレビのようになるのは気が進まない。
先般、フロイド・メイウェザーに(一方的に)破れたミゲール・コットのように、外国のスポーツ選手はしばしば入れ墨を入れているが、「これはカッコイイ!」と思うケースは稀だ。
しかし、彼らは、自分のカラダに入れ墨を入れることに何らかの意味を感じているのだろうし、ファッションとしての主張がある場合もあるのだろう。他人がどう思うかは、二次的な問題だ。
日本人でも、たとえば、息子の名前を腕に彫った女性歌手もいる。彼女は、温泉に行っても、「入れ墨のある方はお断り」ということで、大浴場に入浴できないのか。小さい入れ墨はいいけれども、大きな入れ墨はダメ、という区別も奇妙だ。
どう考えても、入れ墨を入れること自体を非難する理由はない。
日本人もそれでいいのではないか。
さる自治体の首長さんが、職員の入れ墨を禁止した上に、さらに入れ墨の有無を調査する意向を示して話題になったが、入れ墨は、それほどに悪いことなのだろうか。
「入れ墨のある人=怖い人」という先入観があるので、温泉の大浴場などで彫り物のある人に会うと緊張することはあるが、たいていの場合は、その人が特に凶暴に振る舞うわけではない。問題は、入れ墨を見る側の心の中にあり、入れ墨自体が悪さをするわけではないし、印象の有利・不利(社会生活には不利が多そうだが)は、入れている本人の問題だ。
はっきり言って本人の自由だろうし、これを規制すべき根拠があるようには思えない。
私は、自分自身が入れ墨を入れたいとは思わない。端的に言って、入れ墨は、私の趣味に合わない。自分に似合う良い絵が思いつかないし、いったん入れ墨を入れてしまうと、自分のカラダがいつまでの同じ漫画の画面が映っているテレビのようになるのは気が進まない。
先般、フロイド・メイウェザーに(一方的に)破れたミゲール・コットのように、外国のスポーツ選手はしばしば入れ墨を入れているが、「これはカッコイイ!」と思うケースは稀だ。
しかし、彼らは、自分のカラダに入れ墨を入れることに何らかの意味を感じているのだろうし、ファッションとしての主張がある場合もあるのだろう。他人がどう思うかは、二次的な問題だ。
日本人でも、たとえば、息子の名前を腕に彫った女性歌手もいる。彼女は、温泉に行っても、「入れ墨のある方はお断り」ということで、大浴場に入浴できないのか。小さい入れ墨はいいけれども、大きな入れ墨はダメ、という区別も奇妙だ。
どう考えても、入れ墨を入れること自体を非難する理由はない。
日本人もそれでいいのではないか。
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刺青に関しては、社会的・文化的背景があるのだと思います。
これは、理性ではなく、感性の話であって、
某地方自治体の首長も、感性の話をしているわけです。
顧客がどう感じるか。
これを、一定の立場のある人がその部下に要求するのはパワハラかもしれませんが、
パワハラとかいう理性の(こじんまりした)価値観を突破する人が、今、受け入れられているんじゃないでしょうかね。
いらっしゃいませ。
価値観を突破する人が受け入れられているとの貴説は、概ねその通りだと思うのですが、「突破」ばかりでなく「(意外な)寛容」を見せることこそが、むしろ効果的だろうと思うのですが、どうでしょうか。
端的にいって、刺青を問題にする価値観は「下らない」と思います。
“タトゥー”なんてしょぼいのではなく本物を。
これは命懸けの仕事をする人間特有の呪術です。
893も同様です。
呪術に頼らなければならないほど勝負勘がいる仕事に就いてもいないのに呪術に頼るそぶりを見せる
これが大阪市職員に対する私の違和感です。
大阪市職員に命のやり取りありましたっけ?
続いて悲報ですが
維新の会終了のお知らせです。
http://mid.parfe.jp/gyouji/H24/3-25-oosakahugikaikaikann/top.htm
早くも統一教会人脈が絡み付いております。
ちなみに筋の悪いレイシストも。
中曽千鶴子
という方で動画検索してください。
おもしろいものがいっぱいみられると思いますよ。
それからこれは本当に妄想であってほしいのですが
維新の結成ははこれに呼応した計画の一部ではないのかと・・・・・。
http://kiyomaro.iza.ne.jp/blog/entry/1824794
ジョセフ・ナイ著「対日超党派報告書」
1、東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。
2、そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するであろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。
3、米軍は戦争が進行するに従い、“徐々に戦争から手を引き”、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。
4、日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行う。
5、東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。
6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。
いやあ妄想だったら本当に喜ばしい。
ちなみにこれが偽書だということを指摘していただけたらよく眠れます。
頭髪の長さまで細かいルールを定めている校則の厳しい学校もあれば、
金髪でも許されるような校則の緩い学校もあります。
どのような風紀が正しいか絶対的な基準はなく、
組織の伝統、組織・関係者に及ぼす影響、社会通念・常識 等に照らし合わせて、
トップマネジメントを中心に、適切な基準を各組織で判断すべきだと思います。
大阪市に関して言えば、選挙民に民主的に選ばれた首長が決めた組織のルールなのですから、
憲法や社会通念・常識に反しない範囲で、尊重されるべきです。
あくまで私の主観ですが、メディアや(私の周りを含めた)国民の反応を見る限り
この風紀が憲法や社会通念・常識を逸脱したものとは到底思えません。
橋下氏の主張には同意し難いものもありますが、
思想・信条の自由を笠に、組織のルールに反意を示す公務員は、
選挙民が選んだトップマネジメントの下、国民の税金をもらい
仕事をしているという意識が大分足りていないなと感じます。
個人の主義主張やファッションという次元の問題ではありません。刺青を入れた公務員の中に刺青を恫喝の手段として用いる不届き者が明らかに存在するということです。となれば刃物や銃器が規制されるように、刺青も規制されるべきだと思いませんか?
いれずみ、だめに決まっているでしょ。だめなものはだめですよ。
あたりまえでしょ。
公務員の墨がいかんとならば、国会議員小泉又次郎の墨はどうなんだ、となりますわなあ。まあ、鳶だからよい、わけですけど。あと、ハシシタくんのトリマキなんてのは、おおむね、笹川一家か曾野綾子三浦朱門ご夫妻の運転手、ぐらいが適格、と見ておりますがなえ。
それでは警察が刺青しててもいいんですか?
ただその地方自治体の職員にはふさわしくない、として色々と対処されているだけです。
「刺青したいなら役所じゃなくて民間の受け入れてくれるところで働け」と。
見識不足もいいところですね。
それで評論家だの言ってられるなんて、ボロい商売ですねー(笑)
任侠系首相の懐刀竹中大先生がシノギにしておられる、人貸し、というのは、背中に墨をしょった人間だけが行う非合法なものだったわけですね。それが、歌は世につれ世は歌につれ。大歌手美空ひばりが、オトーチャン! と呼んだ親分さんなどが芸能界に関与できなくなり、その代わり、ではないのでしょうが、人貸し、は誰でもやっていいものになったわけですね。人貸しがオッケーになったように、ファッションタトゥーなどが、ある時期から、社会的に許容される、ということはあるでしょう。
毛沢東やゲバラを彫っている有名人もいますが、大阪の役人さんのなかには、天照大神、と彫っている人もおられるのではないでしょうか、内容ではなく、墨がダメ絶対ダメ、とならば、眉墨もダメで、化粧もダメ、かというと、もちろん、それぐらいはよい、のでしょうから、いずれワンポイントは解禁になるのではないでしょうかね。
行政に携わる人間だという事をきちんと理解していただきたいと思いますね。
今回の件に関して「刺青が自由」と訴えるのが、いかに無意味なのかがわかると思いますよ。
正直刺青なんてどうでもいいんです。
自民党も民主党も誰も解決できなかった大きな問題が、日本(大阪を含めた全都道府県)の闇に潜んでいるってこと。
いつも橋下に反論していた共産党も今回はだんまり。
何でもかんでも橋下に突っかかってないで、今回は後押ししてやればいいのに。
ちょっと視野が狭すぎませんか?
自由は飛び跳ねるが、大多数が構成する社会の秩序はそういう訳には行かぬ。
社会の未来を見通した先見性のある「飛び跳ね」ならば、時間が解決する。
気まま勝手な「飛び跳ね」なら、大人の経験と理性が訓え諭し時に抑え込む必要もある。
過去の日本ではこの「大人の働き」が鈍く弱かったのだと思う。
自動車の教習所で教わった「他人に不安を与える運転をしてはいけない!」が、
此処でも有効だと思います。
多くのご意見ありがとうございます。賑わって、嬉しいことです。
私は、個人的には入れ墨自体も、これまでのところ、入れ墨をいれている方々の多くも好きではありません。しかし、「唐獅子牡丹は大好きだ。でも、絶対に暴力はいけいない。(もちろん、脅してもいけない)」と思っている人がいれば、個人の趣味の問題として許容してもいいのではないかと思っているということです。現実に、入れ墨を入れていると就職にも不利でしょうし、サービス業にも不向きでしょうし、そこは、それでも入れるか入れないか、本人が判断すればいいのではないでしょうか。見かけではなく、勤務態度や行動を厳しく指導すべきでしょう。
「入れ墨上等! そのかわり、うちの役所は厳しいよ」という感じがいいと思うのですが、いけませんかねぇ…。
税金で飯を食う大衆にサービスを行う公務員です。
入れ墨を怖いと思う市民がいる以上、入れ墨がある者は市民と接しない部署に配置替えすべきでしょう。
企業の社長の立場で考えても、人から見える部分に入れ墨がある従業員に営業をまかせますか?会社の風紀が疑われます。
ですから今回の橋下市長の発言は当たり前であり当然ではないでしょうか?
自らの攻撃意思と結果の因果関係をあいまい化するため
出来るだけ大勢の人間を巻き込む
彼がまだ人気はあってもいけ好かない法律漫談家に過ぎなかった頃、光市事件の弁護士の弁護活動を妨害するために用いた手段は、TV番組で大衆に懲戒請求を煽ることでした。視聴者のうち、実際に煽られて踊るバカが1%でもいれば目的は十分果たせます。のちにわが国の最低裁判所が、この手法にオッケーイ!のお墨付きを与えたことは皆様ご記憶に新しいことと思います。
このたびの刺青職員排除うんぬんについても、公務員としての相応不相応などは実は当該萩原誠司もとい橋下大阪府知事職を途中で放り出して現大阪市長にとっての関心事ではないのかもしれません。
何らかの理由で排除したい職員がいるが、それは疚しい動機なのでそのことで公然と放逐するわけにはいかない。そこで身辺を探ってみるとそのじゃまな職員の左前腕部内側には『トメコ命』云々と彫り物が入っていることが判る。本来の疚しい理由ではなく、刺青が入っていることを理由に排除するのであればそれなりに言い訳が立つだろう、ついでに刺青以外は関係のない職員も合わせて馘首すれば、本当は疚しい理由で放逐した当該職員のことも薄まってほとんど問題にされないだろう・・・
その他いろいろ。
まるで橋下の生霊がわが身に取り憑いたかのようですが、残念ながらコレは単なる憶測です。とはいえ、かなりいいところを衝いているという気はしております。
役人は税金でご飯を食べている限り、「本人の自由」よりも市民サービスを第一に考えるべきではないしょうか?
市民も山石さんと同じで、入れ墨を好む人は多くないと思います。
集団の構成員として結束する為の手段が、同じユニフォームを着るとか、バッチを付けるということですから。
ぜひ公僕として一致団結してもらいたいですね。
今回の問題は、大阪市の職員が、
施設の子供に刺青を見せて、
恫喝してたのが問題なのです。
山崎さんの発言だとこういうこともしても良いんですよね?
社民党の福島議員や、札幌市長などは、
山崎さんと同じくこういうことを問題にしないで、
人権だ趣味の問題だと言ってますよね?
名前だけの評論家で、無能なんですよね。
反論あるなら、返信くださいな。
今回の問題は、大阪市の職員が、
子供に刺青見せて、恫喝したので。
上記のコメントにも書いたけど、
評論家なら、どういう経緯になったのかを、
ニュースで見たほうがいいですよ。
無知は、評論家として恥ずかしいですよ。
いいえ是非やって欲しいのですが
是非ここで終わらせずに
“特別職”公務員である議員諸氏と
副市長、諸委員長まで拡大して欲しいですね。
アンダーザブリッジ氏で気になるのは一般職公務員に厳しくあまり特別職に喧嘩を売らないことですね。
やるんだったら是非全方位で草刈機をあっちゃこっちゃに回して欲しいです。
一般職公務員が終わったら
次は議員もなで斬りしていただけるんでしょうか。
私は是非そちらも注目しようと思います。
議員の刺青はもっと気になります。是非うちの街でもやっていただきたいなあ。
これを試みた場合一般職の賛成意見とうって変わって反対を言い出す人間が出るはずです。その屑をとくと観察したいので、またその種の人間が持ち出す理屈をいろいろと吟味したく思います。
特別職公務員の刺青検査を徹底的にやるためにも
一般職の検査もしつこくやるべきですね。
私はここまでこだわる以上必ず特別職までやっていただけると信じております。
まず手始めに中田さんからいかがでしょう。
ご自身が刺青してから言うべきでしょう
これはずるい。
是非ご自分で、タトゥーを入れてみて、それで評論家という生業が成り立つかぜひ実践してみていただきたいです。
その上での主張なら説得力があると思います。
これこそが、正にヤクザの手口ですよ?
言葉で明確に脅したら、一発で逮捕されるでしょう。
入れ墨は最も巧妙かつ悪質な脅しの手段です。
入れ墨なんて個人の自由だ。
公務員が入れていることが問題となってるんだろ。
ヤクザと公務員を一緒にするな。
じゃあ、警察が入れ墨していてもいいのか?
人権を盾に適当なことを言うな。
ですが、する側に制限を加えるのか、目にしていまう側に心理的負担or感じ方の変化を強要するのかは五分五分ですよね。
世界中、なんでビジネスの場ではスーツなのか、なんで全裸で表を歩いちゃだめなのか、等々を考えると、「気にしなければいい」で全てを済ませるのは難しそう。人間が社会的動物に生まれついちゃった以上、どっかで調整が必要になるって事じゃないですかね。
ファッションならシールでも貼っとけ。彫るな。
不安で嫌な気持ちになります。
私たちが納めた税金がこの人のお給料に、と思うと、生理的に受け付けません。
刺青を子供に見せて恫喝などあり得ないと思います。
大阪市と大阪府は、公務員の掃除が終わったら、どうかまじめに暴力団の掃除をしてほしいと思う次第であります。だがしかーし、暴力団排除というのは、右翼排除、と大きく重なってしまうので、ハシシタくんがまずやらなければならないのは、身辺の掃除、つまり自分にたかっているクソウヨの排除、であり、インチキフリードマニアンもついでに切るべきであると思います。経済顧問には、堺屋太一ではなく山崎氏の先輩のモノホンのフリードマニアン池田信りん、がよろしいかと思います、大阪府知事には、言うまでもなく小泉孝太郎いや小泉なんでしたっけ、進次郎、そうです、その先生であります、小泉池田による治世では、たぶん、木っ端役人の入れ墨などなんの問題にもならないと思います、歴史というのはそういうものであります。
橋本氏は、入れ墨を入れること自体を非難しているわけではありませんよ?
私は、入れ墨を入れるようなのとはかかわりたくないですけどね。
ちょっと何言ってるかわからないんですけど。
首長が属僚に踏み込める領域と
亭主がかみさんに踏み込める領域は違うでしょう。
まあ思いっきり山崎さんちがビジネスライクだったらその指摘は当たってますが。
いずれにしても私は徹底的に頂上までやるという条件で賛成です。
あとは統一の半島人脈が気になりますので
その方からおじいさんくらいまでの詳しい戸籍と在留記録の聞き取り調査ですかね、これをお願いしたい。
特に議員さん方です。
正論です、悶々としたモンモン役人が飛田新地で血税で遊ぶしかも本番で、なんてことは生理的に受け付けないでしょう、淑女のみなさまは。同様に、カシーノ、などというただのドバも、生理的に受け付けないのでしょう、淑女さま方は。だがしかーし、公営ギャンブル場、でなら、クリカラモンモン公務員、も、アリ、ではないかと思います、反リバタリアンのサンデル先生なんかは、宝くじもダメ! と生理的におっしゃるわけですが、サンデルのようなコミーはほっといて、ハシシタくん支持のフリードマニアンならば、金儲けは、フツーに、なんでもあり! と言うのが本来の生理というものでしょう、難しくてよくわからないけどなんとなくフリードマニアンのようだがゴリゴリの民族派、というやや分裂気味の人は、カシーノはスロット等を納入するパチンコ系つまり半島系の利権になるので反対! と、おそらく生理的におっしゃるのではないかと思います。私個人は、以下の方が生理的に、いやーん、ですね。
>フザケルナ 羽毛田宮内庁長官 稼いだカネは10億円 ゲンダイ
入れ墨より、こっちの方が異常ではないでしょうか、話題のナマポ問題も、最低賃金の低さが問題、でもあるわけなので、とにもかくにも、アホアホ公務員の給料の算出根拠を、最低賃金(の何倍)、にするのがよいと思います、そうすれば、最低賃金は、必ず上がります、役人の生理とはそういうものなのであります。
自称評論家の山崎元さんあなたのことですよ。
ロバ耳ならぬサル頭のあなたならではの論点の食い違いが見事です。
このスレで未だに、入れ墨の善し悪しや、公務員にふさわしく無いとか、児童に対する暴言や恫喝などを論点にしているのが信じられないです。
まさかとは思いますが、純粋に公務員が入れ墨を入れたことについてのみ、問題視しているのですか?
なぜ「環境局」と「交通局」に集中していたのか、なぜ役人に沢山居たのか調べないのですか?
それとも分かっていて論点を「入れ墨」に集中させるつもりでしょうか?
利権のかかった政党は手出しできないです。
あの橋下が今回珍しくまともなことをするつもりかも(やや不安だが)。
「明確な証拠があるわけではないが」との断り付きながら、冒頭の市議の発言のように、現業職員約1万2千人の中に暴力団関係者がいるのではないか-というのだ。
つまりこういうことですね。
ただその場合手引きする人間がかなり高い地位にいると考えのが自然、
やはり特別職まで手を回すべきだと考えますね。
それでは、本題の生理的に嫌われる墨の話ですが。墨はただの色素でしかないので、意味、ということになれば。皮膚に沈着した当該色素が強烈に意味する人造的な暴力性、が問題になるのであろうかと思います、さらに言えば、現実にそのブツが人造かどうかは実は関係なく、暴力性のある表現行為が問題、いや、暴力性という意味こそが問題、なのであり、場合によっては表現の意志などない「表現」でさえ、たとえばブラマヨ吉田のように顔にブツブツが、という、そのブツが威圧の武器になる、ということもあるのでしょう(ブツブツのある人を差別する意図はありません)。仮に、叶姉妹や店主のお友達の熊田曜子が大阪の公務員である場合、その人造的な雰囲気が市民に生理的な不快感を与える、という理由で配転になる、ということは、あると思います! だからなんだ、と言われれば、だから、エロ詩吟でも虹の刺青でもなんでも、その意味するところ、というのは、基本、受け手の生理の問題ですね、というお話でありました。
ハシシタくんが、まず手下の公務員に俺たちの君が代を使って忠誠を誓わせ、次に、モンモン役人にギョーギすることで、各人に公人としての覚悟を求める、というのは、おそらく、来るべき暴力団との最終決戦にそなえよ、ということであろうかと思います。
モンモン役人やモンモンなまぽ不正受給者を野放しにしてきたのは地方議会であり、その地方議会の議員の多くが保守系おもに片山さつきのような自民党議員であり、その保守系おもに自民党議員の過半数は、土建屋系議員で、土建屋は暴力団と区別がつかないか暴力団そのもの、という組織であります。このヤクザものたる土建屋とつるんできたのが、各地方自治体で、入札予定価格を事前にもらすいわゆる官製談合によってその絆は盃のレベルに保たれてきたわけであります。
俺たちのハシシタくんが、墨の入った肥え汲み役人をしめて、ホンショクとの最終戦争にそなえる、それはそれで、すばらしいことであり、これはいわゆる一つの、破れ窓理論、であります。ただ、破れ窓、ということであるならば、一番破れているのは、大阪府知事で。おまいのような裏口入学疑惑の男に、腕に彫ったオカンの名前だとか腕時計の入れ墨だとか、あるいはただの眉墨だとかをどうこう言われたくない、という若い衆も多いかとは思います。
どなたかが、役人全員に墨を、とメモされておりましたが、それは来るべき暴力団との最終戦争においては必要なことかもしれません、なるべく目立たないところおそらく陰部が最適ですが、個体識別用の「トメコ命」や「テメコ命」、を彫ることは許してもよいでしょう、ちなみに鳴海清氏は天女だったそうで、陰部はあれだったそうです、私は大阪の役人にはなれそうもありません。
さらに、入れ墨を懲罰的に使う、ということも、ひょっとしたら大阪民国では始まるのかもしれませんね。ワタミのように労働基準法違反をやらかすと、一回目で、横棒、四回で、タコ社長の額に、犬、という文字が完成するというような条例もハシシタくんなら作れると思います、自国民よりもさきにアメリカに情報を流す宗主国の忠犬たるニポンの役人の額には、採用の時点で、犬、と入れてしまうのもよいかと思います、とにもかくにも、ここの一見さんもヅラケンジのみんなの党も含め、みんなで結束し、ハシシタくんを応援して、大飯原発の再稼働に反対しましょう、団結ガンバロー!
ここをお読みの一見の国会議員の方々には。どうか、片山さつきの脇の下の脇毛入れ墨疑惑、の追求を国会で行っていただきたい、と末筆ですがお願い申し上げます、隗より始めよ、であります。
市長の調査は現段階では目視可能なチャラいタトゥーを先行させてますね。
背中とか上腕部に施してある人間の探索まで至るのかちょっと判断しかねます。
対象を絞った段階で更に深く掘り下げる必要を市長は考えているのか。
つまり今の調査では舎弟かどうかは分からない。
チャラチャラしてるほうのノイズが多すぎて標的まで潜行できない。
http://hidoiha.iza.ne.jp/blog/entry/2698595/
刺青をするのは暴力団との関係を誇示するためでしょう。
舎弟は常に見えるところにはいれません。
必要な時にちらりと見えるのがいいのです。この辺は最近のボディアート(タトゥー)とは一緒にできません。目的が違うからです。
市長の考えの全貌が分かりません。
本職を狙う、そのついでにチャラチャラした奴らも始末するということでいいのか
あるいは本職だけが狙いでチャラチャラした奴らはどうでもいい、あわよくばこれで首根っこを掴んであとで脅しの材料に使うのか
あるいは本職を狩る意図など毛頭無くチャラい奴をチクチク虐めただけで仕事やってます。闘ってます。というアリバイ作りマスコミを庁内に常駐させるためのえさ撒きなのか
どれなんでしょう。
たしか浅野ゆう子って
まだ年端もいかないのに体も顔もあまりにも大人びていて気持ちが悪いという理由で女性と女性誌からかなり叩かれたんですよね。
生まれてなかったので詳しい事情は分かりませんが。
叶姉妹の場合は浜村淳さんが素性をばらしましたので
造作以外の理由でやられると思いますが。
同じ公務員なので、山崎さんの理屈であれば、別によいのではないかと言うことになろうかと思います。
ぜひご意見を伺いたいです。
①裸にひん剥く
②密告を待つ
密告と相互監視の奨励、そうする事への慣れと常態化、そのテストケースとして刺青狩りは機能します。ハジシタ前大坂府知事(途中逃げ)は伊達にハシストと呼ばれている訳ではないのです。
ハジシタ前大坂府知事(途中逃げ)が、暴力団と対決することなんてありませんよ。ファンタジーやメルヘンじゃないんですから。
私立ですが、どうでしょう。仮に、墨が入ってても、似合ってる、のではないでしょうか、ファッション、でしょうか。
しかしその入れ墨が「迷惑」をかけているなら「社会」の問題で、議論の余地があるかと思います。本来なら「入れ墨」そのものをチェックするのではなく、いかがわしい素行や勤務態度、また暴力団との金銭的なつながりをチェックするべきなのでしょう。
橋下氏が「入れ墨」をチェックする、というのは、「入れ墨」をもって恫喝するような社員が当然として存在するような、大阪市役所の異常性を広く社会に対して知らしめるための一つのパフォーマンスであったと理解することにします。
また一方、山崎さんの「入れ墨」許容論(仮にそう呼ぶ)は、社会の「多様性」に対して過大な管理思想を持ち込まない立場であると理解し、その許容性を私は支持したいと思います。
ただ、こんなにコメント花盛りとは、人気あるんだなあ、と素直に感動しました。大阪ローカルのタレントとしか思ってなかったんで。まあ、寛容さのなさ、を器の小ささとみないで、イケてる攻撃性(シンクロ?)、とみなす世代が増えてるのは気持ち悪いですね。
さてハジシタ前大阪府知事(途中逃げ)に十戒石盤を与えたら、第何戒目の項目で自らに雷が落ちるでしょうか。
ネットの世界では、気にくわない対象に、レッテル貼りして、思考停止して、叩くというパターンがあふれています。生活保護を例にすると、支給金をパチンコに使い込む人がいるという一例をあげつらって、生活保護受給者全体や生活保護というシステムそのものを叩いてみたり。
以下余談。今回の例に限らず、橋下市長には寛容さとか妥協といったものがありません。国歌斉唱で起立しない教師の問題ですが、別に大声を上げて式典を妨害しているわけではないのですから、そっとしておけば、お互いに共存できるはずなのに、3回違反で懲戒免職ときましたよ。国歌斉唱で起立しないというのが教師生命を断つほどの問題行為なんでしょうか。個人の思想の自由に踏み込んでます。おそらく、本音では左翼にかぶれた教師とけんかしたいのだと思われますが、その目的のために条例を弄んでるとしたら、法律家の所業とは思われません。
ハシシタくんは、法律家なので、遡及できる部分とできない部分は分かっていると思います。こないだまでは、「だからあなたも、生きぬいてくれさえすれば、墨なんて小さいこと」、というのが、世界のタンツボ大阪民国のスタンダードだったわけです。だいたい、大阪民国のオバハンが、肥え汲み役人の袖からのぞくスジ彫りごときにビビルわけないでしょう、あんたはショーネがないんやな~、とギョーギされてケツをゴリゴリされるに決まっています。
夜回り先生がギョーギして回っていたシマウチには、組事務所が七つありました。夜回り水谷修の講演におけるつかみはこうです。「ほら、私の指は、十本あるでしょう。これは奇跡です。私は夜の人間です。指が十本もあっては、本当はいけないのです」。とりあえず夜回り水谷先生の背中に墨が入っていたり指が欠損していたりしても、まあ、よしとせんか、というのが大人の対応でしょう。
次に、元ヤンキー現クソウヨ先生の義家氏ですが。義家先生が大阪民国に赴任したらば、おそらく史上最強の大阪のオバハンは、こう言って、ギョーギするでしょう。「さすが、親をメリケンサックでしばく仁義を知らない元ヤンキー、スジ彫りしとつないんやなあ、あんたは、脇毛の入れ墨疑惑の片山さつき大先生と同じクソウヨ国会議員ぐらいが、お似合いやで」。
大人げないが大人気のハシシタくんは、大戦略家なので。赤狩りで動員したクソウヨの若い衆に、一人一殺一死多生七生報大阪民国トンチャン大好き、という維新基地外養成教育を施し、浮沈空母関西電力に突撃させるつもりなのでしょう。そういう反原発維新基地外国士を育てるためのテキストには、だからあなたも生き抜いて、はふさわしくないわけで、ふさわしいのは、昔教科書にも載った名作「雲の墓標」が代表作であるクソウヨ作家の娘のイカズゴケとして生き抜く阿川佐和子も推薦する今は亡きつくる会の教科書でしょう、武田泰淳の「ひかりごけ」もよろしく。
ただ、心配もあります、なにせ今時の平成の大阪民国の若い衆のやることですから、ポンも食わせず墨も入れさせず強制連行した慰安婦もあてがわず、なんてゆるいことでは、オモニーでもオカアチャンでもいいですが、んなこと叫んで関パイに突撃するはずが、祖国といえば祖国の北朝鮮あたりに逃げてしまうのではないでしょうか、よど号か! ちなみに、よど号のよどは淀川のよどだそうです。浮沈原子力空母関パイとの最終戦争における、突撃前の若い衆には、飛田新地でぬいてきて、と囁いてやりたいですが、それはたぶん生理的に受け入れられないと思います。
問題を起こしたら、その時に対策すればいいじゃん。
卒業式で君が代を歌いたくない。起立もしたくない。
大きな声で反対しなきゃいいじゃん。
座ったままの反対くらい許せよ。
生徒のこと?知らないよ。個人の思想信条が最優先。
そんなことで首にするなんて許せなーい。
世の中には自分の価値観を、周りが犠牲になって受け入れるべきだというガキばかりですな。
『民主主義とは個々の構成員が少しは損をするが、社会は最大の福利を受けるシステムである』とはけだし名言です。
自分が最大の福利を受けることばかりの人間は訓練されていない動物同然ですな。
因みに私は役人が入墨をチラつかせていたら、怖いし腹が立ちます。役人だけじゃなく、飲食店や小売等でも同様です。
やっぱり威圧感を感じます。悪気があろうがなかろうが、刺青をみて非常に嫌な感じを受ける人は多いのではないでしょうか?刺青を好きで入れた人は温泉も気質の仕事も、覚悟すべきだとおもいますが。
ビートたけしが以前、未成年の女の子とエッチした件で問題になったことがあったのですが、その時、連発していたジョークが「先っぽだけ入れただけ」という物たった記憶がある。
先っぽだけ入れただけだから、入れたうちに入らない。という言い訳はもちろんジョークなのだけど、山崎さんの言う刺青をすこし入れただけというのはこれに近い。
まあ、ジョークで今回のブログを書いたなら問題ないけど。そうでないから少し気を付けたほうが良いと思います。頭大丈夫?
問題は、刺青ではなく、その人が悪い(あるいは凶暴)かないかでしょう。たとえば、外国のスポーツ番組を見ていると、刺青を入れたアスリートが多数登場します。明らかに、刺青を入れていても「いい人」はいるし、「そうでない人」もいる。ただそれだけなのに、「刺青あり=悪い人」と判断するのは、人の見方としてつまらない。決めつけるとするなら、見る方がバカです。
もっとも、そういう環境で刺青をいれることの現実的な損は、入れた本人が負うしかない。また、刺青が似合う人も居れば、そうでない人もいますが、それは本人の問題です。
結局のところ、その人は、悪い人なのか否か。悪いことをするのかどうかを見極めるのは、「半分以上は」見る人の問題です(たぶん、子供を刺青で脅すのは悪いが、気の小さいヒステリー気味の大人にまで気を遣う必要はない…)。刺青があることだけにヒステリックに反応するのは恥ずかしい。
もちろん、刺青で印象が悪化する人はいるでしょうが、それは、その人の問題です。本人以外のだれかが、それがいいとか悪いとか、他人に対して、とやかく言うことに対してそう優れた論拠があるようには思えません。
われわわれは、つまらないことに対してうるさすぎるのではないか、という気がしてきました。
①【われわれは、つまらないことに対してうるさすぎるのではないか】
山崎さんのこの仮名ばかりが目立つご主張は何を意図されたのかな?と(笑)。
「本来、意味ある論点」が、多数の頓珍漢な主張で混雑して仕舞うと、
「詰まらないもの」に堕落を余儀なくされるのは、屡々ある現実話ですね。
物事を突き詰めることは重要なことだと確信していますが、物事は須らく
「突き詰め過ぎる」と詰まらないものになり五月蠅いものになると思います。
嘗ての「瞬間湯沸かし器」の狭浅短は、何も価値あるものは生み出さないと。
②【その責任の少なくとも半分は自分にある。誤解していた場合に、悪いのは私の
方でしょう】=山崎さんが深い意図を持たずに使われた(多分)“半分”について。
このご主張は一般論としては正しいと思いますが、個別具体的な入れ墨論には
強い違和感を感じます。詐欺の例を当て嵌めれば、明確になるかと。
プロスポーツマンなど一部の特殊な例外を除けば(例外を切り離さず、多くの事象
とごちゃまぜで論じれば、全ての議論は詰まらなくなり五月蠅いだけになる)、
一般の多くの入れ墨者本人は、「入れ墨が周囲の人達に不安と恐さを与える」と
解っている(筈)。(この認識のない入れ墨者は上質な議論の箸にも棒にも掛かるまい。)
不安は兎も角、周囲に恐さを感じさせ自分が上座に座れると誤解して、入れ墨を
施しているかも知れない。
そのような入れ墨者の意図に乗って、意図通りに【恐いと思う】責任の“半分”を
背負うことは、私には「寛容が過ぎる」と観える。
山崎さんが背負うべき責任は、“半分”の半分(1/4)、状況に依っては更に半分(1/8)
でしかないだろう。断じてゼロではないが、“半分”では断じてないと。
次の喩えが適切を欠くのは承知で云えば、「詐欺であると承知で行われた詐欺行為で、
被害者の責任は断じてゼロではないが、“半分”でもない」と。
草々
前々からブログは拝見しておりましたが、「冴え」が感じられなくなり(ごめんなさい)、ご無沙汰しておりました。首相になる前の菅さん、長妻さん、原口さん等の人物評価は、それ自体が難しい面があることは承知しますが、軽く口に出されることに「のり」かなと思いながらも引いてしまいます。
さて、今回のエントリーの件ですが、関西に来ますと、他県と違う事情が多々あります。「いれずみ」に象徴されることは、ただ単なるファッション感覚で語られるものではないようです。、暴力団、市政の癒着・・・。そうそうマスコミではとりあげにくいので表層部分のみが目立ってしまいます。そこのところに触れずに、「つまらないことにこだわりすぎる」との言は浅はかだと思います。
「入れ墨があると生命保険金は絶対に支払われない」
ということです。
それを承知で入れるのなら自己責任だし、むしろ潔いかと。