評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
幸福を計算する数式
かつて、ある雑誌の取材で、幸福を計算する数式を考えて下さい、というテーマのものがあった。
その時に捻り出した数式は、「幸福度」=平方根(「経済力」×「健康」×「人間関係」)であった。もとより、この種のものは正確・厳密なものではないし、言いたいことの幾つかが効果的に表れていればそれでいいものだろう。また、プレゼンテーションとしては、単純なものの方がインパクトがあっていい。
経済力、健康、人間関係の変数は、たとえば0~10の間の正の数字で、主観的に、しかし、相対的に定義する。相対的に定義するという理由は、他人と比較する人が多かろうが、過去の自分の状態とも比較するだろうし、両方を加味する人もいるだろうが、自分で「絶対的な」数字を認識できるほど人間は賢くない、といった幾らか意地悪なメッセージがこもっている。
尚、行動ファイナンスに親しんでいる向きは、何らかの参照点にこだわりを持つ、カーネマンの価値関数のようなポイントの計算方法を考えてもいいかも知れない。たとえば、平均を意識する人は、平均よりも5%プラスの喜びによる加点幅よりも、平均よりも5%マイナスの悔しさによる減点幅の方が2倍以上大きいだろう。まあ、この辺りは、主観的に、好みに応じて、考えてみていただきたい。
それぞれの項目を加重和的な形で集計せずに掛け算にしたのは、たとえば、お金がたっぷりあっても、健康状態がゼロと言えるほど悪ければ、楽しむこともままならないからだ。
また、人間は、自分のことを他人に認めて貰えないと幸福感を感じられない生き物でもある。お金と健康ばかりが恵まれていても、友人もなく、他人に嫌われていれば、幸福ではあるまい。経済が発達した世の中だから、お金があれば、ある程度の人間関係を作ることはできそうだが、お金だけで思う通りになるとは限らない(一例としては、さる週刊誌に「夜のM&A失敗」と報じられた、MファンドのM氏が、女子大生をタケノコ狩りを使ってホテルに込もうとした計画の失敗話などを思い浮かべて下さい)。
健康と人間関係だけ良好というのは、どうか。豊かな自然の下で暮らせば、これで幸せかも知れないが、まあ、現代の生活にあって、お金が無いのは辛い。また、食べ物を取ることが出来る豊かな自然や畑などは「経済力」の一部でもある。
三つの変数を掛け合わせた数字を平方根に放り込んでみた理由は、たとえば、稼ぐお金が2倍になっても、幸福感は、とても2倍まで増えないだろうと思ったからだ。稼ぎが4倍で、幸福感が2倍、というくらいならどうだろうか。もっとも、資産400億円の暮らしが、資産100億円の暮らしより2倍幸せかどうかは、よく分からない。たぶん、それほどでもあるまい。まあ、平方根よりも、対数でも使うともっと実感に合う数式が作れるのかも知れないが、普及品の電卓で計算できる方がいいだろう。
数式を作る時に迷ったのは、「好きなことをしている」とか、「自己実現を果たしている」とか、「正しいことに貢献している」といった、精神的な満足感を入れるかどうかだった。一般的には、これを入れることになるだろうし、人間は自己の目的が大切なのだという立場では、このいわば「価値観」変数の影響が最大でなければならない。先ほどの式に敢えて入れるなら、先ほどの幸福の値に、何らかの絶対値をプラスする形になるのだろう。しかし、これを入れると、数式で計算する面白さが無くなってしまう。また、しょせん計算できるような幸福は、遊びなのだから、単純なものでいいだろう、と考えることにした。
ちなみに、現在の、自分自身の評価は、経済力=6、健康=6、人間関係=8、というくらいの満足度だろうか。何れも改善の余地が、まだまだある。幸福度は約16.97という数字になるが、これが、どれくらい幸せなのか、単独では判断しにくい。もう少し工夫の余地がありそうだ。
皆さんも、お暇なときに考えてみて下さい。
その時に捻り出した数式は、「幸福度」=平方根(「経済力」×「健康」×「人間関係」)であった。もとより、この種のものは正確・厳密なものではないし、言いたいことの幾つかが効果的に表れていればそれでいいものだろう。また、プレゼンテーションとしては、単純なものの方がインパクトがあっていい。
経済力、健康、人間関係の変数は、たとえば0~10の間の正の数字で、主観的に、しかし、相対的に定義する。相対的に定義するという理由は、他人と比較する人が多かろうが、過去の自分の状態とも比較するだろうし、両方を加味する人もいるだろうが、自分で「絶対的な」数字を認識できるほど人間は賢くない、といった幾らか意地悪なメッセージがこもっている。
尚、行動ファイナンスに親しんでいる向きは、何らかの参照点にこだわりを持つ、カーネマンの価値関数のようなポイントの計算方法を考えてもいいかも知れない。たとえば、平均を意識する人は、平均よりも5%プラスの喜びによる加点幅よりも、平均よりも5%マイナスの悔しさによる減点幅の方が2倍以上大きいだろう。まあ、この辺りは、主観的に、好みに応じて、考えてみていただきたい。
それぞれの項目を加重和的な形で集計せずに掛け算にしたのは、たとえば、お金がたっぷりあっても、健康状態がゼロと言えるほど悪ければ、楽しむこともままならないからだ。
また、人間は、自分のことを他人に認めて貰えないと幸福感を感じられない生き物でもある。お金と健康ばかりが恵まれていても、友人もなく、他人に嫌われていれば、幸福ではあるまい。経済が発達した世の中だから、お金があれば、ある程度の人間関係を作ることはできそうだが、お金だけで思う通りになるとは限らない(一例としては、さる週刊誌に「夜のM&A失敗」と報じられた、MファンドのM氏が、女子大生をタケノコ狩りを使ってホテルに込もうとした計画の失敗話などを思い浮かべて下さい)。
健康と人間関係だけ良好というのは、どうか。豊かな自然の下で暮らせば、これで幸せかも知れないが、まあ、現代の生活にあって、お金が無いのは辛い。また、食べ物を取ることが出来る豊かな自然や畑などは「経済力」の一部でもある。
三つの変数を掛け合わせた数字を平方根に放り込んでみた理由は、たとえば、稼ぐお金が2倍になっても、幸福感は、とても2倍まで増えないだろうと思ったからだ。稼ぎが4倍で、幸福感が2倍、というくらいならどうだろうか。もっとも、資産400億円の暮らしが、資産100億円の暮らしより2倍幸せかどうかは、よく分からない。たぶん、それほどでもあるまい。まあ、平方根よりも、対数でも使うともっと実感に合う数式が作れるのかも知れないが、普及品の電卓で計算できる方がいいだろう。
数式を作る時に迷ったのは、「好きなことをしている」とか、「自己実現を果たしている」とか、「正しいことに貢献している」といった、精神的な満足感を入れるかどうかだった。一般的には、これを入れることになるだろうし、人間は自己の目的が大切なのだという立場では、このいわば「価値観」変数の影響が最大でなければならない。先ほどの式に敢えて入れるなら、先ほどの幸福の値に、何らかの絶対値をプラスする形になるのだろう。しかし、これを入れると、数式で計算する面白さが無くなってしまう。また、しょせん計算できるような幸福は、遊びなのだから、単純なものでいいだろう、と考えることにした。
ちなみに、現在の、自分自身の評価は、経済力=6、健康=6、人間関係=8、というくらいの満足度だろうか。何れも改善の余地が、まだまだある。幸福度は約16.97という数字になるが、これが、どれくらい幸せなのか、単独では判断しにくい。もう少し工夫の余地がありそうだ。
皆さんも、お暇なときに考えてみて下さい。
コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )
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経済力については座標軸が全く異なるでしょうから、何も申せませんが、人間関係が8とは素晴らしいことです。よき家族・友人・仕事通じた人間関係を勝手に想像致します。
ただ、健康が6とは心配です。
どうぞ、くれぐれもご健康に気を配られましてお過ごしくださいませ。
幸福度を数値で表すのは難しいなあと
思いました。
ご心配いただいて、ありがとうございます。
ただ、10点満点の6点というのは、私としては、必ずしも低い点数だとは思っていません。正月及び先々月の血液その他の検査の結果は、酒飲みが心配なガンマGTPの34(健康な上限基準値は60)をはじめとして、オールセーフでした。今のところ、数値上の問題は、「軽度の肥満」と出る体重オーバーだけです。スポーツは昔から何もしていませんし、長年飲酒しているのですが、ありがたいことに、親が丈夫に産み育ててくれたらしく、中年にいたるも、まずまずの健康状態です。
ただし、健康に油断の出来ない年齢なので、なるべくよく寝て、カロリーと栄養に気を付けよう、というくらいのことは思っています。
>レベッカさま
幸福の数値化は、本当に難しいですね。私も、時々考え直してみようと思っています。レベッカさんも是非考えてみて下さい。
なお、経済学方面の本では、ブルーノ・S・フライ「幸福の政治経済学」(佐和隆光監訳、ダイヤモンド社)という本があります。直接的に、幸福度・満足度をアンケート調査する方法論ですが、日本人の幸福度合いが、たとえばナイジェリアといった、経済的には日本ほど豊かでない国の人に劣る、といった調査結果が出ています。
ので、日本で最も幸せな人物像は30代、都会暮し、専業主婦という結果でした。
想像通りだったわけですが(私自身はこのイメージに乗り損なってしまいましたが)、興味深いことに、他人の生活水準が気になる人より気にならない人の方が、非喫煙者と喫煙者では非喫煙者の方がいずれも高いということです。これもなんとなく納得できます。
所得について、年収1500万円までは上昇したが1700万円以上になると逆に低下したというのは、ある種のメッセージと捉えました。
悲しいことに、欧米では加齢と共に幸福度が上がるのに比べて私達の祖国日本では逆だった(やっぱり!)という現実です。
私にとって、幸福度に一番影響を与える、言い換えれば心が満たされる必須条件は「(人間関係をはじめとする)関係」です。
そんな私の主観で山崎さんの数値を見ると、人間関係が抜きん出ていたのでホッと安心(?)してしまいました。
幸い私は、ささいなことでも幸福感は得られるようです。
専業主婦・30代・都会暮らし、が幸福なのですか。「代わりたい」とは自分では思いませんが、大きな不満は無いのかも知れませんね。また、最近の経済事情からいえば、「専業主婦」が可能な家庭は恵まれてるのかも知れません。
年収1500万までは幸福感が増えるが、1700万以上になると逆に低下する、というのは、かなり面白い現象ですね。ある程度の年収までは、収入の増加が毎月の生活を豊かにしている実感がありますが、たとえば2000万円くらいから先は、税金が増えることもあり、あまり改善の実感がない、という声も多く聞きます。あるいは、年齢と年収には相関があるので、年収が1700万を超えるような年齢の人は年齢的に立場や健康が難しくなっていて、幸福度が低いのかも知れません。
ちなみに、私の「人間関係」に対する満足度が高いのは、現在、家庭内にストレスが無いことと、転職と「半フリー」的職業生活によって、ほどよい距離の友人がたくさん出来たことが原因です。何れも、結果的な満足であり、自分だけで出来たことではありませんから、ありがたいことです。
>ひと休み中さま
「幸福度」と程度を計測しようとすると、どうしても他人と比較してしまいますね。
かつての日本企業では、他人(同期など)との比較を強調する形でマネジメントがなされていましたが、これは、金銭的な格差が大きく付かなくても嫌な感じのものです。この気分を引きずったまま、経済的な処遇の差を拡げる日本企業式の最近の成果主義を、私は、「陰気な成果主義」と呼んでいます。"稼ぐほど喜んでたくさん払う"(実際には社内に嫉妬もありますが)本来の成果主義である「陽気な成果主義」とは別物だと思っています。
<ひと休み中>とのペンネームなので、たぶんオフィスのPCからのアクセスではないかと想像して、会社の話が思い浮かびました。
お察しの通りオフィスのPCから投稿しました。分室なのでアクセスしやすい環境ではあります(笑)。
益々のご活躍をお祈り致します。
この数式が適用できそうに思います。
・経済力(年収)がアップするので
健康(勤務時間が長く)と
人間関係(予見できない)は耐え忍ぶ。
・経済力(年収)はダウンするが、
健康(勤務時間が短く)が確保でき、
人間関係(今よりはまし)からも
開放される。
など、総合的な数値化を無意識に行って
いるような気がします。
(「経済力」「健康」「人間関係」を
同率ではなく、ウエイト付けする人も
いるかもしれませんが)
私の場合は世の中でたった一人でもいい、私を愛し、また私も愛する存在がいればこの「人間関係」における幸福感は限りなく10に近いというものです。昨年102才になる祖父を天に送ったのですが、その2、3ヶ月前、いつものようにケアホームに向かう途上で心の底から実感したことがありました。「私って何て幸せなんだろう、こんな素敵な人と40年もの間、心を通わせ生活を共にすることが出来たなんて!」もちろん良い友人達にも恵まれ感謝していますが、この日以来、人間関係に対する「幸福度」には多少の変化があっても「幸福感」は不変です。(最期は幼子のごとく柔らかい素直な心に戻っていった祖父にも聞いてみたかったな~)
たぶん、これも男女の相違があって、さきのアンケート結果にもあるように女性の方が感受性が強い(特に人間関係に対して)ことと関係しているのかも知れません。
幸福度は数値で表しイメージ化されても、ひと休みさんの言われる「幸福感」はそれに同意しているとは限らないところが人間の心の複雑さなのでしょう。
さて、山崎さんの考えた式を見て思ったのですが、この式だと、例えば「経済力」「健康」「人間関係」すべてが6の人の場合14.70になります。すべて10の場合が31.62ですから、すべてが6の人でも一番良い場合の数字の半分にもならず、幸せを感じにくい感じがします。
ある程度幸せでも、何だか「負け組」のような感じがしてしまう式で、あまり好きになれません。
これは、ルートの中に変数を2つでなく、3つ掛けているせいで、山崎さんも書いているように対数などを使うとよいのでしょうが、普及品の電卓でという条件で私も考えてみました。
バランスが取れている人がより幸福度が高いという山崎さんの式の考えをあまり損なわないようにし、また、見やすくするため10が最高になるようにしました。
一つ目は
平方根{(「経済力」×「健康」+「経済力」×「人間関係」+「人間関係」×「健康」)/3}
これだと、10が最高で、全部が6の人は6になります。
また、もう一つ新たな変数(例えば「自由に使える時間」がどれくらいあるかなど)を加えて、平方根を2回使い、
平方根{平方根(「経済力」×「健康」×「人間関係」×「新たな変数」)}
というのもわかりやすいのではないかと思います(単なる相乗平均ですが)。
どうでしょうか?
きっと、本当に素敵なお祖父さまだったのでしょうね。そのような出会いと人間関係は一生の財産だと思います。
尚、私は、人間関係について、「不満がない」レベルでは、8点は付けません。ここには書きにくい好ましい事情があるのですが、もし、お会いすることでもあれば、詳細をご説明します。
>中百舌鳥の住人さま
私の表現したかった意図に関して、明らかに私が考えた式を改善していると思います。感謝と共に、脱帽します!
この言葉にインスピレーションを受けました。自分は財産家でもあったのですね!それも他と比較できないほど巨額(priceless)の。
ある理由から経済を専門とする人の思考回路(?)や人となりについていろいろと疑問があったのですが、山崎さんをsample(good sampleですよ)として学ばせていただいています。
一 big fanより
訳ありて(後日種明かしします)ここに再訪しています。
ブルーノ・S・フライ「幸福の政治経済学」(佐和隆光監訳、ダイヤモンド社)を今度読んで見ます。
ナイジェリアとは仕事上の関係がありますが幸福感が日本より上と言うことのインパクトがキッカケです。経済学を学生時代にもっと勉強しておけば良かったと感じています(尤も35年も前の経済学と現在のそれとでは大変な進歩があったのでしょうし、自分自身にも様々な変化があり受け取り方も違うのでしょうが、面白い学問そうですね)。
可笑しいですし、客観ではなく主観なものと
して捕らえなくては、何も生まれないと思い
ます。
いらっしゃいませ。
幸福感を無理矢理数値化しようとしているように思われたかも知れませんが、もちろん、無理を承知で、「気分」を数式で表してみようか、という「遊び」です。「遊び」だからといって、不真面目なわけではありませんが、オトナが腹を立てる価値があるほど「真面目」なものではありません。
幸福感が不足されていますか?