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東京都八王子市 【 国史跡 八王子城跡 】
小田原に本拠をおいた後北条氏の三代目、氏康の次男、
北条氏照が築いた山城。
築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、
氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584)から天正15年(1587)
の間とする説が有力です。
天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、
前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城。
この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた
小田原城は開城、北条氏は滅亡し、氏照はこの時、小田原に籠城中で、
開城後、兄の氏政とともに城下で切腹した。
八王子城は、関東屈指の山城です。
氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成の状態であった
と考えられています。
と言うのが、( ̄ε ̄〃)b歴史上での八王子城跡。
ここより先は、【東京郊外最強メジャースポット】としての
【八王子城跡】をご案内σ( ̄∇ ̄o) コッチ
「八王子城跡」当時の城主は北条氏照。
時は1590年(天正18年)に天下統一をもくろむ
豊臣秀吉がこの城を襲った。
一方の八王子城側は城主である氏照は不在。
主力兵の殆どを小田原城へ集め、秀吉との決戦に備えていた為
八王子城の戦力は無いに等しい。
早急に農民やらが集められるも、
主力がいないのだから戦の行方は目に見えていた。
「多勢に無勢」とは正にこの事であり、実際5時間程度で落城。
この戦ではかなりの犠牲者を出したと言います。
しかも「女、子供」も亡くなったと言う話。
この城跡の付近にある「ご主殿の滝」では
女性達が己の喉元を短刀で刺し、身を投げたと言います。
その後、この滝周辺の水面は死体から流れる血で
3日3晩「真っ赤」に染められていた。
そのため現在でも
「突然、滝の水が真っ赤に染まった」とか
「水面に着物を着た女性が見え隠れする」
などと言った報告があります。
その他にも「武者の亡霊」を目撃したと言う報告は多い。
また、落城の日には馬の嘶き、兵士の叫びや女性の叫び声が
聞こえるらしく、その日は誰も山に入らないと言われています。
血塗られたその土地には、未だ成仏出来ない霊達がさまよっているようです。
東京で、もっとも危険な場所と言っても決して過言ではないでしょう。
夏場になると【東京郊外肝試し定番スポット】と化している為、
若者やらカップルやらがウジャウジャいて怖さは半減~(m~-~)ノ ~(((怨
しかし、その【雰囲気】は、100点満点 m( --)m(/;゜ロ゜)/
出る感満点です。