凄かった。
圧倒されっぱなしの5時間半。
「パルジファル」(ジなのシなの? ドイツ語わかんなーい。今までジ派だったので、とりあえずそう書く)って、
難解というか、正直、内容はよく分からない。
人に「どんなお話?」ときかれても、必ず「うーん、うまく説明できない……」と答えてしまう私です。
そのせいもあって、ワーグナーの作品中、聴いた回数が最も少ない作品。
それでも昨年、今シーズンのラインナップが発表されてからずっと楽しみで楽しみで。
それなのに、前日は就寝が遅くなってしまい、そのうえ頭の中をパルジファルの音楽がぐるぐる回って寝付けず、
当日は完璧に寝不足。
途中で寝てしまい、1年以上待ったこの日を無駄にするのではないかと本気で心配していたが、杞憂だった。
内容とか、思想とか、
そんなこたーどーでもいい。
あの神々しい音楽に身をゆだねるだけで至福。
歌手陣も最強。(たぶん。あんまり知らないから。)
タイトルロールのヨナス・カウフマンは、昨年の「ファウスト」の時よりずいぶん痩せましたね。
おかげでビジュアル的にも二重マルです。
もちろん、歌が素晴らしかったから、こんなことを書いちゃうんですよ。
第2幕のクンドリのキス以降の表現はもう圧巻だった。
グルネマンツのルネ・パーペ、この人はもう素晴らしくて当然みたいなイメージになっているが、
よく考えてみると、全体の半分を一人で歌ってるんじゃと思ってしまうような長大な歌を
破綻なく歌いきってしまうだけでも、ものすごいことなのではないだろうか。
説明的な台詞が多くて動きが少ない役だが、その中に見せる細やかな表現とか、
何度でも聴いて味わいたいと思った。
アンフォルタスのペーター・マッテイ、すみません、初めて聴きました。
有名な歌手だとは知ってたけれど、「今まで聴いたことなかったなんて人生損した!うわー!」と思った。
生じゃないから確実ではないが、声量が他の出演者と比べてとっても豊かなような。
で、私の注目は、クリングゾルのエフゲニー・ニキーチン。
(私は、ニキティンじゃなくて、ニキーチンと書きます。)
上映前、お隣のおばさまがたのおしゃべりが耳に入ったのだが、
「私が注目してるのは、このエフゲニー・ニキティンって人なの」
おお! ここにもファンが!! メジャーになったのね~。
と思ったら、昨年の例の事件のせいでしたよ……ちぇっ。
ま、かえって名前が売れたってこと? ぜんぜん嬉しくないけど。
見て聴いての感想は、クリングゾルってこんなに出番少なかったっけ。
え、もう引っ込んじゃうの! やだー! って歌の感想じゃないな。
いえ、歌も演技も文句のつけどころはないですよ。
でもどうだろう、彼に特に合う役ってわけでもないんじゃないかな。
次はもっとニキーチンらしさ、特に美しい声を堪能できる役で聴きたい!
なぜ彼のインタビューがなかったのだろう。ちょっとがっかり。
やはり例の事件のせいなのか。
クンドリのカタリーナ・ダライマンは、悪くないけど、他の主役陣ほどのインパクトはなかった。
ごめん。
演出は説明過多にならず、比較的シンプルな舞台で好印象。
近未来という設定だそうだが、舞台に無機物があまりないせいか、
そしてもともと抽象的な物語のせいか、違和感がない。
舞台の中央に溝があって、世界を二つに分けているところなど、視覚的に分かりやすい。
一方が聖杯の城に象徴される聖なる領域、
もう一方が邪の領域ということなのだろう。
人々は常にどちらか一方にいて、決してもう一方の世界に足を踏み入れない。
二つの世界を隔てる溝に水が流れているのだが、1幕の途中で水が赤く(血?)変わった?
いつ変わったのか見逃したのが残念。
1幕のラスト、城を追い出されたパルジファルの前で溝が大きく広がって
大きな大地の裂け目となる。その底は血のように真っ赤。
このシーンは何を意味するのかとずっと考えているんですが、どなたか解釈してくれませんか。
第2幕は一面が血の海?
足下が水でびしょびしょの舞台に立つ歌手の皆さん、体が冷えないんだろうか、
風邪でも引いたらどうするんだ、と気になって仕方なかった。
舞台監督のインタビューで、水温調節をしていると知ってほっとした。
大地は荒れ果て流れも枯れていた第3幕。
クンドリは初めて中央の溝を越えて聖なる世界へ足を踏み入れる。
パルジファルは逆に聖なる世界からもう一方の世界へと入り、歩き回る。
ここで聖邪の境界が取り払われたということなのだろう。
パルジファルがクンドリに洗礼を授けると同時に水が再び流れ出すシーンに感動した。
舞台全体が暗いせいか、カメラワークのせいか、
舞台の大きな動き、人々の動きがよく分からないところがあったのが、少し残念だった。
その他、気になったところとしては、
聖杯の騎士たちが音楽に合わせてさまざまな意味ありげなポーズを取るのだが、
仏像みたいなポージングは何だろうか。
騎士の一人の中国人らしいテノールが、眼鏡はないけど胡錦濤にそっくり!
いや、そんなに似てないか? とにかく出てくるたびに気になってしまった。
花の乙女たちが東洋人ばっかりだったのは、何か意味があるのだろうか。
よく分からないシーンや見逃した動きもあったし、
何より歌手陣がみな素晴らしかったので、是非ともまた見たい聴きたい。
DVD化されたら、どんなに高くても買うぞ!と決心した。
上演中は眠らなかったが、疲労と寝不足のせいで3幕前のインタビューの最中に突然睡魔が。
おかげで演出家のインタビューを逃したのは不覚だった。
圧倒されっぱなしの5時間半。
「パルジファル」(ジなのシなの? ドイツ語わかんなーい。今までジ派だったので、とりあえずそう書く)って、
難解というか、正直、内容はよく分からない。
人に「どんなお話?」ときかれても、必ず「うーん、うまく説明できない……」と答えてしまう私です。
そのせいもあって、ワーグナーの作品中、聴いた回数が最も少ない作品。
それでも昨年、今シーズンのラインナップが発表されてからずっと楽しみで楽しみで。
それなのに、前日は就寝が遅くなってしまい、そのうえ頭の中をパルジファルの音楽がぐるぐる回って寝付けず、
当日は完璧に寝不足。
途中で寝てしまい、1年以上待ったこの日を無駄にするのではないかと本気で心配していたが、杞憂だった。
内容とか、思想とか、
そんなこたーどーでもいい。
あの神々しい音楽に身をゆだねるだけで至福。
歌手陣も最強。(たぶん。あんまり知らないから。)
タイトルロールのヨナス・カウフマンは、昨年の「ファウスト」の時よりずいぶん痩せましたね。
おかげでビジュアル的にも二重マルです。
もちろん、歌が素晴らしかったから、こんなことを書いちゃうんですよ。
第2幕のクンドリのキス以降の表現はもう圧巻だった。
グルネマンツのルネ・パーペ、この人はもう素晴らしくて当然みたいなイメージになっているが、
よく考えてみると、全体の半分を一人で歌ってるんじゃと思ってしまうような長大な歌を
破綻なく歌いきってしまうだけでも、ものすごいことなのではないだろうか。
説明的な台詞が多くて動きが少ない役だが、その中に見せる細やかな表現とか、
何度でも聴いて味わいたいと思った。
アンフォルタスのペーター・マッテイ、すみません、初めて聴きました。
有名な歌手だとは知ってたけれど、「今まで聴いたことなかったなんて人生損した!うわー!」と思った。
生じゃないから確実ではないが、声量が他の出演者と比べてとっても豊かなような。
で、私の注目は、クリングゾルのエフゲニー・ニキーチン。
(私は、ニキティンじゃなくて、ニキーチンと書きます。)
上映前、お隣のおばさまがたのおしゃべりが耳に入ったのだが、
「私が注目してるのは、このエフゲニー・ニキティンって人なの」
おお! ここにもファンが!! メジャーになったのね~。
と思ったら、昨年の例の事件のせいでしたよ……ちぇっ。
ま、かえって名前が売れたってこと? ぜんぜん嬉しくないけど。
見て聴いての感想は、クリングゾルってこんなに出番少なかったっけ。
え、もう引っ込んじゃうの! やだー! って歌の感想じゃないな。
いえ、歌も演技も文句のつけどころはないですよ。
でもどうだろう、彼に特に合う役ってわけでもないんじゃないかな。
次はもっとニキーチンらしさ、特に美しい声を堪能できる役で聴きたい!
なぜ彼のインタビューがなかったのだろう。ちょっとがっかり。
やはり例の事件のせいなのか。
クンドリのカタリーナ・ダライマンは、悪くないけど、他の主役陣ほどのインパクトはなかった。
ごめん。
演出は説明過多にならず、比較的シンプルな舞台で好印象。
近未来という設定だそうだが、舞台に無機物があまりないせいか、
そしてもともと抽象的な物語のせいか、違和感がない。
舞台の中央に溝があって、世界を二つに分けているところなど、視覚的に分かりやすい。
一方が聖杯の城に象徴される聖なる領域、
もう一方が邪の領域ということなのだろう。
人々は常にどちらか一方にいて、決してもう一方の世界に足を踏み入れない。
二つの世界を隔てる溝に水が流れているのだが、1幕の途中で水が赤く(血?)変わった?
いつ変わったのか見逃したのが残念。
1幕のラスト、城を追い出されたパルジファルの前で溝が大きく広がって
大きな大地の裂け目となる。その底は血のように真っ赤。
このシーンは何を意味するのかとずっと考えているんですが、どなたか解釈してくれませんか。
第2幕は一面が血の海?
足下が水でびしょびしょの舞台に立つ歌手の皆さん、体が冷えないんだろうか、
風邪でも引いたらどうするんだ、と気になって仕方なかった。
舞台監督のインタビューで、水温調節をしていると知ってほっとした。
大地は荒れ果て流れも枯れていた第3幕。
クンドリは初めて中央の溝を越えて聖なる世界へ足を踏み入れる。
パルジファルは逆に聖なる世界からもう一方の世界へと入り、歩き回る。
ここで聖邪の境界が取り払われたということなのだろう。
パルジファルがクンドリに洗礼を授けると同時に水が再び流れ出すシーンに感動した。
舞台全体が暗いせいか、カメラワークのせいか、
舞台の大きな動き、人々の動きがよく分からないところがあったのが、少し残念だった。
その他、気になったところとしては、
聖杯の騎士たちが音楽に合わせてさまざまな意味ありげなポーズを取るのだが、
仏像みたいなポージングは何だろうか。
騎士の一人の中国人らしいテノールが、眼鏡はないけど胡錦濤にそっくり!
いや、そんなに似てないか? とにかく出てくるたびに気になってしまった。
花の乙女たちが東洋人ばっかりだったのは、何か意味があるのだろうか。
よく分からないシーンや見逃した動きもあったし、
何より歌手陣がみな素晴らしかったので、是非ともまた見たい聴きたい。
DVD化されたら、どんなに高くても買うぞ!と決心した。
上演中は眠らなかったが、疲労と寝不足のせいで3幕前のインタビューの最中に突然睡魔が。
おかげで演出家のインタビューを逃したのは不覚だった。