シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

アボリジニウルル(エアーズロック)の問題点

2008-12-06 13:52:02 | Weblog
 1985年にアボリジニの先住帰属権が認められ、ジュクルパ(ドリームタイム)指針がエアーズロック公園管理指針となった、と述べた。しかし、実際はそうなっていない点が多々ある。
 一番大きな問題がウルル(エアーズロック)登山である。ウルルはアボリジニの人々の聖地である。聖地に登るなどもってのほかと考えられている。これはジュクルパの最も基本的な指針である。しかし、政府の観光政策としては登山を禁止していない。1985年に自ら定めた先住帰属権法違反を政府が犯していることになる。表面上、違反していないことを示すためか、登り口の看板や公園側が出すガイドブックには「エアーズロックに登らないでください。」などと書いてある。なんとはなし、欺瞞を感じる。ことばがことばの意味どおりに実行されていないのである。
 アボリジニの人々が抗議しても違反は止まらない。なぜか。

 ビジネスである。観光客を呼ぶために、エアーズロックのトレッキングができますよ!ということを売りにするのである。アボリジニのジュクルパ精神などおくびにも出さない。
ちなみに、私は、①エアーズロック・サンライズツアーと②サンセットツアーと③アナングツアーの三つに参加してみた。これらのツアーに参加する前に資料を得たいと思って、カルチュラル・センターに先に行った。そこでアナングツアーがあること知った。これに参加しなければこの記事は書けなかった。

 ①②と③の間には、明らかな温度差があった。①②はメジャーな観光客用の一般ツアーみたいなものである。アボリジニ精神など教えはしない。サンライズツアーは日本語ガイド付に参加した。日本からも大勢の観光客が来ていた。これが主に登山ができるというコースになっていた。私一人が登山をしないで帰るコースであった。バスガイドの説明を聞いているとエアーズロックはサンライズでどんなに美しい姿を見せてくれるでしょうかとか、今日は登山ができるでしょうかとかの話ばかりで、アボリジニのアの字も出てこなかった。登る際の注意事項(非常に危険など)は話されていたが、それ以上ではない。日本人は大きな団体旅行で来ることが多いので、まずサンライズツアーに乗る。登山ができるというキャンペーンで来ていると思われるから、アボリジニ精神は教えられなければ誰にも分かるはずはない。生憎の天気でその日は登山禁止になった。雨天や曇天でエアーズロックに雲がかかっている場合、岩山だからつるつるして滑りやすく危険だということで登山禁止にされる。私は最初から登らないコースだったから良いが、みんなも登れなくなってホッとしていたら、何のことはない。明日朝晴れていれば無料で登っても良いと説明されていた。お客サービスでどうしても登らせるのである!そう感じざるを得なかった。

 サンセットツアーは英語ガイドにしてみた。やはり聞き取りの問題で半分しか分からなかった。少しエアーズロックについて既知事項があったので、6割は理解できたかもしれない。これには、カタジュタ(オルガ岩群)ツアーがついていて、登山ではなく岩群の間にある麓の隙間トレッキングがあった。私は1時間のところ、40分で切り上げた。年配の人でバスに残っていた人も居た。このツアーでもサンライズと事情は同じで、昔アボリジニがこのあたりに住んでいたぐらいのアボリジニの説明はあったが、それよりはやはりサンセットの美しさとそれを見ながらワインを楽しみましょう、といった話が多かったように思う。サンセットツアーのときに国立公園のガイドブックがもらえる。英語である。英語圏の人にはそれを読めば、アボリニジの人々がエアーズロック登山を嫌がっているという話が出ている。ガイドブックが配られても読まなければそれまでである。日本人ならそういうものをもらっても読むとは思えない。

 読んでもまたそういうことが分かってもなんら関係ないのかというエピソードがある。
 各ツアーは錯綜する。バスが何台も連ねて走る。所々ちょっと小高い場所に写真撮影ポイントが設けられていて、バスから降りてそこまで歩き、写真を撮ってバスに戻る。その道々他ツアーの人の話が聞こえてくる。日本人団体のツアーの人らしい。ガイドの人と自分は1970年代初期にオーストラリアでビジネスで赴任していた。その頃はエアーズロックなんて知られていなかった。だから赴任中来ることはできなかった。こんな年になる前にくるべきだった、などと話している。「今日は昇れなくて残念でしたな。」と登山中止になったことを残念がっていた。「残念ではなくて、幸運だった、と言わなくちゃ」と思っていると「カルチュラルセンターの説明を読んで見ると、アボリニジの人たちは嫌がっているしいですな。この頃は登らない人たちが増えて来ていると書いてありましたな。」と言っているので、「オッ、説明を読んだんだな!感心感心」と思っていると、「明日は登れますかな?登れるといいですな!」と言ったのだ。何のための説明だったのか、と頭を抱えてしまった。説明の内容に「一切あっしには関係ございません。」という態度だった訳だ。
こういう人たちのことを「ただ通り過ぎる人」と皮肉られているわけだ。登ってはいけないと分かっても「ただ通り過ぎる人」な訳だ。ツアーに乗せられてきて、ここで自分だけ登らないというのは嫌なのかもしれない。しかし、カルチュラルセンターの説明には、この説明を読んで登山を止めてくださる方があれば大変嬉しいとも書いてあった。異文化に関わるということと観光とはポジティブなせめぎあいができるのであろうか。疑問がわきあがる旅であった。


2 コメント

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はじめまして (ウルル)
2009-01-03 00:17:41
はじめまして。現在エアーズロックに住み、先住民のアナングの通訳として働いています。突然お邪魔してすみません。
偶然こちらのブログを発見しましたが、全く書かれていらっしゃる通りだと思います。

オーストラリアにとってエアーズロックの観光収入はとても大きく、世界各国から訪れる観光客は登るために来る方がほとんどです。アナングの人たちからしてみれば、
「なぜあんなところに死の危険を冒してまで登るのか?岩の上には動物も植物も水場もなく、学ぶべきこと(ジュクルパ)は何も無い。この土地、岩のことを少しでも知ろうとするならば周りを歩いて自然の声に耳を傾けるべきではないか。あの人たちは大金をはたいてわざわざここまでやってきて、なにも学ばずに写真だけとって帰る。なんてもったいない。」
と、登山は不思議な行為に映るようです。
また、当然自分たちの聖地でケガ人や死者がでることもとても嫌がっています。
アナングからの声とはまた別に、登山による環境の汚染が著しく、やはりウルルの登山は廃止したほうが良いという声が高まって来ています。

登山口が閉まるという話が数年前から出始め、それを聞きつけた一部のツアー会社の広告には
「もうすぐ登山ができなくなるという噂が!登るなら今がチャンス!」
と書かれていました。お金になればなんでもいいのか。観光する側もそこにおどらされていていいのか。残念な気持ちになりました。

観光業界で働くのも初めての私なので、現在はアナングの言葉を英語に訳すだけ(通常のツアーをこなしていく)で精一杯ですが、今後日本語のツアーをつくっていけたらと考えています。正直、登山客のほとんどが日本人観光客なのです。勿論オージーもヨーロッパからら来る人たちも登山はしまが、観光客全体の30~40%が日本人、というこの場所で、90%の日本人観光客が登山を選びます。日本国内の宣伝広告が、エアーズロックは登るもの、という先入観を埋め込んでいるいる様な気がします。
その先入観から脱すれば、岩の麓には面白い見所が沢山あって、珍しい鳥や植物、昆虫があり、その自然と共存してきた人々の知恵や伝説話、その土地の歴史がみえてくると思うのです。

観光は現地の先住民アナングにとっても重要な収入源でもありますし、あの過酷な生活環境の中で3万年近くも自然と共に生きて来たとされるアナングの人々とあの岩(と自然)との関係は非常に興味深く、訪れる価値ある場所です。

異文化に関わるということと観光とのポジティブなせめぎあい、どちらにとってもプラスとなる道は必ずあると信じています。
長々とすみません。

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ガイドさんの本格的なご意見嬉しいです! (worldhiker)
2009-01-04 09:57:17
ウルルさん、Worldhikerです。
ツアーガイドの方の本格的なご意見、とても嬉しく思いました。ありがとうございました。
日本人客が多いとのこと、具体的な数値等示していただいて感謝しています。
日本国内でも観光立国といって、観光に力を入れようとしています。ただお客を集める為だけの観光立国は地元にも人々にも迷惑だと感じます。真の意味でフェアな歴史事実にのっとった形で、観光を通じてその地が後世の人々に知らされる、というなら心から応援したいと思うのです。
ウルルさんのように、地元のことを良心的に考えてくださるガイドさんがいればきっとアナングの方々の信頼も深いことでしょう。どうぞ頑張ってください。
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