シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

西欧化は洋服を着ることから?

2009-01-04 09:07:38 | Weblog
 オーストラリアでJCU(ジェームスクックユニバーシティ)に通った‘08.11月、クラスでいわゆるデベートをした。その時に驚いたことがある。韓国の20歳代後半か30歳代前半の論争相手側の学生が「ヨーロッパは日本や韓国(総じてアジア)に比べて幸福でしょ。だから・・・」と発言した。「死刑は廃止すべきか」というデベートのときで、はっきりと脈絡を思い出せないガ、極悪犯罪者を刑務所に入れておくとお金がかかってしょうがないから死刑にする方がよいという論議の時で、「何でお金のことばかり問題なの?」とでも私たちの側が言った時だっただろうか、「ヨーロッパはアジアに比べて幸せ」論が出たと思う。「エーッ!なんで!」と私たちのサイドは、口々に言って驚いた。
 彼は「ヨーロッパは、アジアより経済的に豊かなので幸福である。」ということを言いたかったのかもしれない。

 幸福は経済的なことで得られるものではない。もし一般論で「ヨーロッパはアジアより幸福」などというなら、統計で幸福感調査により、1位ナイジェリア、2位メキシコ、3位オーストラリアという調査があり、経済的なことは問題ではないという風に、いくらでも反論できる材料はある。
 しかし、誰にせよ「ヨーロッパは日本や韓国に比べて幸福でしょ」という大上段なことばがポロッと口をついて出ることに驚かざるを得なかった。これは普段からそういう感覚でいる人が割といるということではないかと私には思われた。「憧れ」といった感情もあろう。しかし、「憧れ」は歴史によっては作られるものではないか。
 
 150年前、西欧は日本をどう見たか。西欧文明の基準で半文明の国(半開国)と見たらしい。文明の段階に「野蛮国」(アジア・アフリカなど)、半開国(日本・中国・トルコなど)、「文明国」(西欧)があるとその頃言われていた。福澤諭吉などもそれが世界の常識と述べていた。福澤は徳川幕府の訪欧使節団に加わったことがある。西欧で言われていることをそのまま説いていたわけだ。日本は、半分文明化されているが、半分は未開であるというわけだ。

半分未開とされたことは何か。例えば、庶民の風俗が槍玉だったそうだ。「日本では、(半裸の)人足・人力車夫といった労働者ばかりか、若い女性までが庭先や路地で昼間から行水」をしたりしている。それは「亜非利加=アフリカの黒奴に異ならず(同じ)」と言っていたという。(『日本の歴史13文明国をめざして』小学館)「文明国への仲間入りを悲願とする日本政府は、(それではならじと)手を打つ。」半裸で働いたり湯屋へ行くのは<一般の風習>だが、<見苦しき風習をこのままにしておくと<御国体><国家の体面>にかかわるので<銘々大なる恥辱と心得よ>と布告した(明治4年、同上)という。この書は、国が国際的な世間体論に走ったと述べている。なるほどである。

同時期、西欧では人前で肌を露出することが極端に嫌われていたという。つまり自分の文化基準で他国をランク付けしていたわけである。当時の日本政府はそのランクの最良の「文明国への仲間入りを悲願」していた。日本の西欧化は、政府が望み、それを国民に教化したといえそうである。元勲自ら西洋の軍服を着、モーニングを着、婦人達は着物を捨てドレスを着て国民にアッピールした。国民を教化する時、政府はしばしば美化する。美化によって憧れが生まれる。鹿鳴館(ろくめいかん=西欧社交ダンスが日夜行なわれた上流階級用の洋館)は、行き過ぎた、その西欧化運動の象徴であった。