息子を保育園に送った後、都立広尾病院に向かう。
のみ続けている薬が来月の手術前にはなくなってしまいそうなので、主治医の先生に電話して、突然だけど処方していただくことにしたのだ。
それにしても、ここは縁がありすぎる病院だ。
妻は、それぞれ全くちがう理由だが、3度ここに入院している。深夜のERにタクシーで駆けつけたこともあるし、救急車で集中治療室に運ばれたこともある。最後を迎えたのもここだ。あまりにも頻繁に来ていたから、逆に今もそれほど「特別な場所」とは感じなくて済んでいるのかもしれない。
それでも、通院しているとやはり色々と思い出して、胸がしめつけられるような気持ちになることはある。
今でも、一緒に歩いた街角とか、よく行ったレストランとか、彼女の好きなブランドショップとか、そうした場所を通るとき、ふいに涙があふれてくることがある。何かの発作のように。
おそらく、その時そこに彼女が確かに存在したという映像的な記憶が、日常生活の中でやりすごしている彼女の不在を、瞬間的につきつけてくるためではないかと思う。
病院の、明治通りを隔てた向かい側には、公園がある。
息子が生まれてからは、妻の通院の帰りは3人でここに立ち寄ることが多かった。砂場、すべり台、ぶらんこ、鉄棒。ひととおり遊具のそろった、比較的大きな公園なのだ。
彼女が最後に入院していた頃も、ここにはよく来た。検査などで病室を出なければならない時は、たいがいこの公園で息子を遊ばせて時間をつぶした。しばらくたって病室に戻ると、彼女はちょっと安心したような、うれしそうな顔で、ぼくたちを迎える。
明治通りのバス停で渋谷に帰るバスを待っていると、向かい側にその公園が見えて、そんなことを思い出してしまった。