極楽のぶ

~全盲に甘んじ安寧を生きる

ちょっと一服

2005年08月31日 | うちのかみさん
うちの最愛のかみさんは、結構おかしい 「きょうはほんとうに、○○、のうが無いことがわかったわ」 新聞を読みながら僕 「へぇ」 かみさん 「わたしとおんなじ」 僕、顔を上げて 「え? あんたも のうが無いの? 珍しいこというね」 かみさん 「そうよ、いやって言えないの」 僕… 「そりゃ、のうがないんじゃなくて、Noと言えないって言うんだよ」 . . . 本文を読む
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母の昭和(6)

2005年08月31日 | 家族の古代史
やがて日本は高度経済成長期に入り、社会はなんとなく裕福になっていった。我が家も、日本人の最後尾を追うようにして少しずつ余裕が出ていったようだ。 母はよく全集ものや百科辞典を買った。うちの壁一面には大全集や続き物が並んでいる。が、母の本を読む姿にはあまり記憶が無い。調べものはあっても、じっくり読んだりしていなかった。そんな時間はなかったのだろう、「準備好き」な彼女のことだ、きっと老後に読みたいとで . . . 本文を読む
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母の昭和(5)

2005年08月31日 | 家族の古代史
父の生徒がうちに遊びに来ると、「ボクんちはおとうさんとおかあさんとどっちが怖い?」とよく聞いた。僕はたいてい「おかあさん」と答えた。いつも小言を言って怒っているのは母だったからだ。 しかし、父親は当時、若手の血気盛んな教師であったから、スパルタというより単に手が早かった。生徒達は、この先生より怖いかあちゃんがいるのか!!??と恐怖して帰ったという。 でも、学校のテストの成績が悪いときなど、父は . . . 本文を読む
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母の昭和(4)

2005年08月30日 | 家族の古代史
母たちの教員時代は、きのうまでの軍国主義を一気に払拭した大転換期で、戦後新採用の教員たちは、戦前との矛盾に苦しむこと無く、活き活きと生徒と接したのだった。先生たちが無心に撮ってくれた白黒写真はその明るさを伝えている。先生たちは、生徒らとあまり年も変わらない、新しい日本人達だった。 一方、ふたりの結婚生活は、質素で貧しいものだった。父は婿として我が家に迎えられた。ブログでも紹介したボロ家の片隅で、 . . . 本文を読む
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母の昭和(3)

2005年08月30日 | 家族の古代史
敗戦の知らせは玉音放送と共にやってきた。雑音で何を言ってるのかさっぱりわからなかった。 …ざぁざぁでね、聞こえやしなかったよ… 町内会のひそひそ話しで真相を知った。米軍が進駐してきたらみんな八つ裂きにされ、女はみんな犯されると噂された。そのときの言い知れぬ恐怖を、一番下の妹(当時7歳)も覚えているという。 しかし、誰も八つ裂きにされることもなく、月日は過ぎ、ジャワに進駐していた電気技師の父が . . . 本文を読む
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母の昭和(2)

2005年08月29日 | 家族の古代史
母が何度も語ってくれた少女時代の思い出に、白糸の滝旅行というのがあった。まだ開戦前のこと、父親(僕にとっては祖父だが)がタクシーを借り切って富士五湖を一周してくれたらしい。 白糸の滝を訪れたとき、そこで食べた菓子がこの世のものとも思えないほど美味しかったのだそうだ。確かタクシーではなくハイヤーと呼んだと思う。昔、上級なタクシーをハイヤーと呼んでいたなぁ。今でもタクシーを借り切って富士五湖一周する . . . 本文を読む
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母の昭和(1)

2005年08月29日 | 家族の古代史
三年前の6月に母は逝った。二年の闘病のあとのことだった。穏やかに流れていた時間が、母の死と共に急にあわただしく流れた。あわてて帰省し、翌々日が通夜と決まった。 ふと、母が病室で、「あたしの葬式は立派なものにしてよ」と言ったのを思い出す。「そんなこと言う人はめずらしいんじゃないかい?、普通は葬式なんか地味でいいぞ、っていうじゃない」。すると彼女は笑わずに「うーん」と首を振り、立派にやって、とまた . . . 本文を読む
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マイ・サクソニア(2)

2005年08月27日 | アート
勝手な、BabyFace 一方的メンバー紹介 テナー!マック:還暦不良おやじ。口ひげ、革ジャン、ハ~レーがトレードマーク。出会った頃は長髪だっけ。 アルト!O(オー)嬢:戦闘機を売ってるおねぇ。頭痛持ちのオトコ殺し!自称キャンディーダルファー… アルト、ときにソプラノ、テナー、家にバリトン!ミヤッチ:痩せた若乃花(ご、ごめん)、いや、日本のデビッド・サンボーン。うちらのリーダー!専門はCCD . . . 本文を読む
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マイ・ピアニシモ(1)

2005年08月27日 | アート
僕は、実はピアノも弾く(爆笑)。 人生の中で三回、ピアノ躁病になったことがある。一回目は30代初めの頃、昔からどうしても弾いてみたかった「引き潮」を練習した。かなりできるようになったが、単調なせいか、弾けてしまうと突然陳腐に思えてきて、そのまま弾かなくなってしまった(まあ陳腐なのは曲ではなく、表現力と技術の故だったのだが、本人は気づかない)。 次のピアノ躁状態は、30代半ばのころ。松任谷由美の . . . 本文を読む
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マイ・サクソニア(1)

2005年08月26日 | アート
アルトサックスはいつから吹きたいと思ったのか、覚えていない。でもどうしてもやってみたい楽器だったので、たしか30代半ばころヤマハの中級機種を買った。 仕事を終えた後、酒の誘いを断って、地下のボイラー室で音出しをした。ぜんぜん鳴らなかった。なにしろ教則本一冊でサックスに挑戦したのである。まんず音にならへんかった。ボイラー室のおじさんが見るに見かねて「なかなかたいへんそうですねぇ」と冷やかした。 . . . 本文を読む
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マイ・ギターラ(3)

2005年08月25日 | アート
歌は、歌詞か、曲かと問われたら、いまでは「それは歌詞だ」と答えられる。 自分で声に出して歌う限り、歌詞は脳にびんびん響いて来る。とりわけ歌詞をソラで覚えているとそう感ずる。歌詞の、ある歴史の情景の中に浸れるのである。どんなに美しいメロディに乗っていても、歌詞に言霊がなければ、再び歌いたくはならない自分に気づく。思えば俳句にも詩にも、メロディはないが、声に出してみるとサウンドになっているもん…な… . . . 本文を読む
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この一枚

2005年08月25日 | アート
台風ですねぇ。 大風に こころ浮き立つ 身の軽さ       ひ、ひどい… ところで、好きなCD、この一枚と言ったらどうですか。 どんな好きなCDもずっと聞いていると飽きますよね。それがこの一枚はすごいです。僕は仕事柄、一日中、ひとと話さなくてはならないことがありました。その間じゅう、二週間くらい、毎日聞いても、耳がだれないCDがあります。 IMEHA  の ALOHA TIME  デビュー . . . 本文を読む
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マイ・ギターラ(2)

2005年08月24日 | アート
最初に手にしたギターは、シナノのクラッシックギターだった。クラッシックギターはネックが太いのでコードは押さえにくかったが、音色が甘くて好きだった。ギター部の子に、いい音色のギターだと褒められて、そうなるとMのようにクラッシックがやりたくなった。柄でもなかったのだが。 大学時代には楽譜まで買ってきて「アルファンブラの思い出」に挑戦し、下宿の娘さん(当時確か受験生)にはずいぶん迷惑を掛けた。何しろ、 . . . 本文を読む
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マイ・ギターラ(1)

2005年08月24日 | アート
僕の4代目のギターは、Ovationです。一般的にはインデアンの太鼓みたいな(蝶のようなデザイン)、トーンホールのないタイプが有名ですが、あえて中央にトーンホール(○穴)のあるタイプを買いました。僕としてはちょっと値の張る、はじめての名器で、こうなると愛情が涌いていつも触ってしまいます。放っておけなくなります。ボディが船底のように丸いのです。 音の響きも気品があっていいの!やっぱり楽器は値段で決 . . . 本文を読む
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生きる支え

2005年08月23日 | マイストーリー
実は、僕は多分、そろそろ視力を失うだろう。これが読める最後の本かと思いながら、読書をしている。 視野が白いので本を読む気にもならない時期がときどきやってくる。しかし、この夏、二冊を読み終えた。きょう、ここに書いておきたい衝動を起こさせたのは二冊目の本だから、そのことを書こう。 東野(とうの)光生(こうせい)という水墨画家の筆による小説だ。 『補陀落(ふだらく)幻影』 …補陀落とは南海の果て . . . 本文を読む
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