____に出動した日 本 特 別 掃 海 隊 [ http://www. --- ]
━━━━━━━━━━━━━━━━
1 機雷とその掃海について
~
(2)試行船について
掃海作業の実施において特に重要なことは、掃海を終了して航行の安全を宣言する場合に、もし1個でも機雷が残存していて船舶に危害を加えるようなことがあってはいけないので、未掃面を残さないことが絶対に必要であった。そのために掃海艇は、掃海運動中、六分儀をもって艇の位置を綿密に確認しながら運動して遺漏のないように努めたのである。
更に掃海の成果を確認するために、戦後の掃海において、_海軍から試航船及び試航筏を速やかに準備して就航せしめるように指令してきた。試航船とは掃海終了海面に船として最初に進入し、その海面を満遍なく航過して残存機雷の有無をテストするための船で、もし残存機雷がある場合にはその爆発を自らの船体に受けて被爆船となるための船として計画されたものである。従って、その効果を大きくするために船体に電纜を巻いて強力な電流を通し、地球磁気を撹乱し得る幅、即ち機雷を爆発させるための有効幅を拡大し、又船体内は幾つかの隔壁を設けて被爆してもなるべく沈まないように工夫してあった。_海軍としても磁気機雷の掃海は始めてのことでもあり、こういう着想が浮かんだものであろう。この試航船は機雷の爆発に立ち向かう最初のテスト船であるので、_海軍ではその愛称を「______」(_____)と呼んだ。
戦後の我が国の掃海において試航船は4隻準備され、私もそのうちの1隻であった東亜丸(約1万トン)に乗り組んで約10ヶ月近くの間、試行作業に従事したが、触雷したことは一度もなく、掃海艇による磁気掃海は確実に行われていたのである。
ただし、他の試航船が磁気掃海を終わった区域の試航を実施中、その外側近くを航行して区域外でしかも近距離にあった機雷に影響を与えて爆発させ、そのために船底を破損した例が一回あっただけである。
試航筏は、やはり同じ目的をもって設計され組み立てられて使用されたけれども、その成果が、余り思わしくなかったので、間もなく途中で中止されることになったのである。
(3) 下関における騒然たる出発準備
4日、下関に到着してみると、呉や下関の各航路啓開部の掃海艇が次々と下関市の唐戸桟橋に集結しつつあった。間もなく田村航路啓開本部長以下幕僚の一行も、東京から西下して部隊に合流し、翌5日には予定の掃海艇全部が集合した。
早速、全掃海隊の指揮艇「ゆうちどり」に各艇長以上及び幕僚が集合して、第1回指揮官会議が開かれた。先ず田村航路啓開本部長から説明を受けたところによると、10月6日、__軍命令が__政府に出され、__大臣、_____長官を経て____本部長に命令が伝達されることになった。その内容は「__政府はできるだけ多くの掃海艇を以て新たに掃海部隊を編成し、__海域の現地_海軍指揮官の指揮下に入れよ」というものであった。また、これに先立ち10月4日に___海軍司令部より田村航路啓開本部長に対して「日本掃海部隊は日の丸の代わりに国際信号旗のE旗を掲げること」が指示されたということである。95.66部隊というのは作戦指揮上の_海軍の部隊区分としての呼称である。それを聞いて、各艇長の頭の中に、今回の掃海作業は__海峡の浮流機雷掃海ではなくて、____そのものに参加させられるのではないかという疑問が、不審と不安のうちに閃いたのは当然のことであった。
当時、掃海に関する___海軍司令部との交渉には田村航路啓開本部長が誰も伴うことなく、単独で行うのが習慣となっていたので、田村本部長に対する各艇長からの質問が続出して
「掃海はどこの海面をやるのですか」
「__の現地_海軍指揮官の指揮下にはいるということは、____に参加させられるのではないですか。そうすれば__違反ではないですか」
「_緯__度線を越えるのですか。越えないのですか。越えるとすれば我々は参加できない」
などと議論百出の有様であった。これに対して田村本部長は内々実情を承知していたのではないかと私は推測するけども
「作戦上の危険な場所には入らない。安全な場所だけの掃海であることを___海軍司令部と確約してある」
などと説明しながら極力慰留に努めたが、艇長達はなかなか心から納得しようとはしない。
「もしそうなった時はどうするのですか」
「思わぬ事故が起こった時はどうするのですか」
などと言って興奮している。会議の後も
「何のために____に行って掃海をしなければならないのか。しかも第3国との紛争に対する_軍の作戦行動ではないのか。____の掃海に行くのは、日本掃海隊の任務ではない」
などとお互い息巻いている。中には艇長以下全員、艇を下りようといって騒いでいる掃海艇もある。私は行き先は知らなかったけれども、田村本部長の意図を体して与えられた任務を遂行しようと決心していたので
「いざという時には君たちだけを見殺しにはしない。そういう時には、俺が皆を連れて帰るから安心してついてこい」
と言って説得に努め、また最後の指揮官会議において、田村本部長から
「__度線は越えない」
と明言してから、どうやら各艇長もやや納得して「それでは宜しくお願いします」ということになって、ともかく田村本部長の命令に従って行動することになった。しかし、これらの会議を繰り返している間にも岸壁では掃海艇乗員の家族が来て騒いでいた。掃海隊が__に出動するらしいということを伝え聞いた一部の乗員の家族がこの下関までかけつけてきたのである。下関の唐戸桟橋に横付け中の掃海艇から主人を捜し出して
「アンタ船を下りて!!__には行かないで頂戴、掃海隊を辞めてうちに帰って下さい」
と涙ながらに夫人達が主人に訴えているのである。主人の胸にすがりついて、日本の戦争は終わったのに今更外国の__に参加することはないと掻き口説いているのである。ある夫人の如きは、赤ん坊を抱いて駆けつけてきて、掃海艇が__に行くのなら、あなたはどうしても掃海艇を下りてくれと言ってきかない。
「どうしても行くと言うのなら、この子を海に捨て、私も死にますッ」
と悲痛な声で息巻いて手こずらしている夫人もいた。艇員仲間や艇長達が説得を重ねてようやく夫人達に諦めてもらい、その場を収めたのである。
終戦後だというのにまた外国の__に参加するのか。また命を的に戦うのか。もうそんなことはこれっきり止めてもらいたいということは、家族にとって偽らざる心情であろうと推察すると、家族達の気持がかわいそうでならなかった。
当時、世間では挙げて戦争を嫌い、日本は戦争をやったからこの敗戦の苦しみに喘いでいるのだという風潮に満ちていた。
掃海隊員としても「日本は新しく成立した憲法によって戦争を放棄したのであるから、今更他国の__のために危険な処に生命をさらしに行く理由はない。更には我々はもう軍人ではなく国家公務員であり事務官である。日本再建という使命だけを担って国内の掃海作業に献身的努力を致しているのである。__の掃海をするために__に行くというのは納得致しかねる。しかし___の命令とあれば!!日本政府としてはこれに従わざるを得ないのではないか」というのが全隊員の感情であったようである。
最後の作戦会議で次のように特別掃海隊の編成が行われた。
特別掃海編成
1 各指揮官
総指揮官 元__大佐 ____
第1掃海隊指揮官 元__中佐 _____
第2掃海隊指揮官 元__中佐 ____
MS03 艇長 ____
MS06 艇長 ____
MS14 艇長 ____
MS17 艇長 ____
第3掃海隊指揮官 元__中佐 __ __
(6) 永興湾内に侵入、_掃海艇の触雷沈没
いよいよ10月12日である。私は早朝行動を起こし第2掃海隊4隻を率いて午前7時_掃海艇の近くに集合した。ところが私が見て驚いたことには_掃海艇は在来型の鉄製の掃海艇ではないか。鉄の船体では磁気機雷にかかればひとたまりもなくやられてしまうことは明白である。特に近頃は機雷と言えば磁気機雷が世界的にも常識となっているのではなかろうか。元山港が多数敷設して防御されているということは確実であり、__製の機雷がもしあるとすればどの程度進歩しているかは不明であるとしても、磁気機雷である可能性は多分にあるはずである。私は_掃海艇を見て「これは危ない。きっと敵の機雷にやられるのではなかろうか」と思ったのである。それと同時にあの掃海隊の司令や艇長がそういうことを知らない筈はなかろう。「やられることを覚悟の上で永興湾内に乗り入れようとするあの艇長偉いなあ」と_掃海艇のブリッジを見上げながら私は独りつぶやいたのであった。もし触雷したら予測できた無駄な損害を被ることになりかねないのではないか。ひいては_軍の上陸作戦に重大な齟齬を惹起することになるのではないかと思いつつも、しかしもう命令は出されてこれから出発しようとしているのである。止むを得ないのであろうと気の毒に思ったのであった。あとで知ったのであるが、_軍の掃海艇は日本_領の目的を達成すると共に殆ど総てが_本土に帰還してしまっていて、この方面の作戦に使用し得る_掃海艇は鉄製のこの4隻の旧式掃海艇しかなかったということである。
~
我々の掃海艇は後部の方の喫水が深くエンジンも後部にあるのでもし触雷するとすれば後部の方が可能性が大きいので触雷した時の被害を最小限に止めるために全乗員は艇の前部に集結させてあった。船橋にある者は皆無言のまま緊張した面持ちで何となく冷え冷えとした感じである。我々も逐次湾内へと進入していく。何事も起こらない。どうやら機雷堰の第1線を突破したようである。何となく内心ホッとする。湾口には機雷が敷設されていないのかも知れないと思った。続いて第2線、第3線の予想される機雷堰を目標にこれらを乗り越えるべく永興湾の中央部へ進入して行った。左側で湾口を形作っている麗島の裏側は丘陵になっているが、人影もなく家もない禿げ山が続いていて何事もなく静かである。右側の玄島は少し小さい島で施設らしい物も何も見えない。いよいよ湾内の中央に進んでくると島や陸地が遙かに遠く広い海面となって何となく安心感が出てくる。
永興湾の中央付近に薪島があって奥の元山港を画している。先頭を進んでいたろ_掃海隊の一番艇が薪島の手前に差しかかった時であった。突如として爆発が起こった。1番艇の後部付近から水柱がマストの高さ位に上った。やった!!ドーンという低い爆発の轟音と共に艇尾が高く持ち上がりまた低く下がったり二三回上下に揺り動いたとみる間に次第に艇首を持ち上げ遂に空高く逆立ちとなったかと思うと真っ逆様のままずぶずぶと海中に没してしまった。眼前におけるアッという間の出来事であった。爆発と同時に薪島の方から敵の砲撃が始まった。
これを見た2番艇は直ちに取り舵に(左側に)転舵横向きとなって薪島に対して砲戦を開始した。と思った途端に今度は2番艇の右横腹でまた爆発が起こり水柱が立ち上った。二三回左右に揺れ動いたかと見る間に右の方へ傾きはじめ遂に横倒しとなって、そのまま波間に沈んで何も見えなくなってしまった。これも瞬間的出来事であった。
3番艇、4番艇はその位置に停止して薪島に対し砲撃を開始した。従って我々も単縦陣のままそこに停止した。まもなく3,4番艇から交通艇が降ろされて遭難者の救助作業が開始された。その内に港外から大発型の機動艇が数隻駆けつけてきて沈没艇の救助に向かって行った。やがて負傷者等の多数の乗員を乗せて湾外に向かって引き上げて行った。3,4番艇はその後砲撃を止めて反転し、我々の横を通り抜けて湾外へと出ていって、今度は湾外の近距離から湾口付近の海岸に対して砲撃を始めたがその付近には人影は見えないようであった。
その頃には救助作業も終わり機動艇等も全部湾外に引き上げて行ったので我々の掃海隊も当初は機械を後進に回して静かに後退していたが、後反転して最後に湾外へと出ていったのである。結局この日の侵攻作戦は_掃海艇を2隻喪ったまま全軍湾外に総退却してしまった形となってしまったのである。
~
(7) 湾内掃海とMS14号の触雷沈没
右作戦計画に基づいて10月17日早朝より先ず行動を起こし、_掃海隊とは別行動となり、第2掃海隊を率いてこれを単縦陣となし再び単独となり永興湾に侵入していったのであった。危険が予想されたので旗流信号と共に各艇に「遠隔操縦を徹底せよ」の手旗信号を送った。先ず湾口の機雷堰予想の線を冷え冷えとした気分で乗り越えて湾内所定の海面、麗島の北西端に到着した。私はMS03、同17を以て第1小隊、MS06、同14を以て第2小隊に区分して先ず磁気掃海を行うこととし、各小隊ごとに各々対艇となって掃海索を海中に入れてこれを曳航しながら第1小隊の左側に第2小隊を置くいつもの隊形をつくりこれを指揮して掃海を開始した。先ず麗島に最も近いところから掃海を開始し、あと逐次西方に掃海区域を拡大していこうと計画したのである。従って、この掃海隊形ではMS14が最も陸地に近く位置することになったわけである。
駆潜特務艇を改造した我々の掃海艇はもともと外洋に出る漁船型に造られているので船体の割に喫水が深く特に後部の方は2.8m位もあるので後部の方が触雷の可能性が高いと考え、各艇共乗員は艇の前部に集結して、もし触雷の際は少しでも被害を少なくするように心掛けていたのである。
掃海電纜によって処分される機雷の爆発或いは触雷による掃海艇自体の爆発が何時起こるともわからないので、皆緊張した面持ちに包まれていた。上陸阻止用の機雷といえば何も磁気機雷に限らない。深度を浅くして上陸用舟艇に対する普通の係維機雷もあるかもわからない。臨時に作製した手製の機雷でも有効である。
湾内の静かな海面を掃海しながら航進し午後もそのまま作業を継続して、左側の麗島の前面を通過し終わろうとした時、ちょうど午後3時21分海岸に最も近い位置にあったMS14号が突然爆発した。
ドーン!!という低い轟音と共に私がハッと思って振り向いた時には煙とも水煙ともわからない薄黒いものが瞬間的に広がって、辺り一面の海面上を覆って何も見えない。少し時間が経ってその煙がようやく消えて付近が少し見えるようになった時には既にMS14の姿はなかった。遠くから見ると木片か人の頭かわからない黒い物が点々として海面に浮かんでいるだけであった。全く瞬間的出来事でMS14は木端微塵となって霧散し轟沈したものと私は思った。
私は轟音を聞いて「しまった!!」と思い、直ちに「掃海中止、掃海索を揚げ救助せよ」と各艇に指令した。MS03においては、私から掃海索を揚げたら搭載している小さい伝馬船を降ろして救助に向かうよう艇長に指令したけれども、掃海電纜を揚収するには時間がかかるのである。ようやく掃海電纜を揚収し終わる頃には_軍の機動艇が数隻駆けつけてきて救助に当たってくれたので、伝馬船を降ろすことを止め掃海艇3隻を率いて、我々の掃海した湾内に入泊していた総指揮艇「ゆうちどり」に帰投横付けして田村総指揮官に詳細報告したのであった。
~
(8) 掃海を中止、下関に帰投
~
ようやく夕闇が迫ろうとしている頃、永興湾の山々を遙か右手に眺めながら寂寞とした気持で航行している時、突然湾内の方に黒煙が高く上るのが見えた。確かに昨日我々が掃海した海域の方向である。その黒煙の上り方を見て、これは何かの船が触雷したのではないかと咄嗟にそう思ったのである。後日帰国した後に、ちょうどその頃__の掃海艇か砲艦が1隻触雷沈没したということを聞いて、あの時の煙は、その時の煙に相違ないと今でもそう思っている。
~
(9) 特別掃海隊の結末
元山においては、掃海、その他の準備を完了して_陸軍が元山に上陸したのは、10月26日であった。上陸の時期があまりにも遅れたために_軍の作戦としては全く意味がなくなってしまったのである。掃海作戦が予定通り進捗しなかったために、あの大部隊の上陸作戦が何ら意味なく終わったことは作戦計画上大いに反省しなければならないことである。
__西岸の仁川方面に向かった山上指揮官の第1掃海隊は、潮の干満差の大きいことで有名な仁川方面各地の掃海を現地_海軍の指揮の下で、次々に完了していった。
その後、この特別掃海隊は数次にわたって掃海隊を編成しては__に派遣され、元山、仁川の他、海州、群山、鎮南浦等の掃海に従事したが、何れも国連軍が占領した後の__各地域の掃海であったために、何れも順調に掃海作業を終了して日本に帰投し、任務を終了して12月15日、その編成を解かれたのであった。
その後は掃海艇は再び日本沿岸の掃海作業に復帰したのである。旧海軍将校の公職追放の件は、その後幾たびか延期されているうちに日米講和条約が成立して我が国が独立したために自然消滅となり、海上自衛隊が創設されると共にその中に編入されて掃海業務は今なお継続されているのである。
~
[ 記事 END ]
[ FORM ]
己がよく視聴します、主な地上波TV放送局 & BSデジタル放送局様
NHK Eテレ 日本テレビ テレビ朝日 TBSテレビ テレビ東京 フジテレビ ..左記、良い番組の提供、ありがとうございます。
BS1 BSプレミアム BS日テレ BS朝日 BS-TBS BSテレ東 BSフジ BS11 BS12 同上であります。
関東圏、放送局様 地上波 1/2 関東圏、放送局様 地上波 2/2 BSデジタル放送局様 代表一覧
――――――――――――――――――――――
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/d/20160207
ハーフ、クォーター... 骨格、体型。 肌、髪、瞳の色、等々。
北方、南方系、海外、大陸との交わり。 時代が下るにつれ...
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/d/20160824
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/e/ 〔151226〕
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/e/ 〔160826〕
( https://www.google.co.jp/search?q=鳥居 )
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/e/ 〔160826〕
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/e/ 〔160919〕
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/e/ 〔160921〕
http://blog.goo.ne.jp/mission_y/e/ 〔160921〕
http://www.rosetta.jp/fu-un/041116.html
〈 " 禁足地、入るべからず " 〉
http://web.archive.org/web/20130410010329/http://youkey.hanagasumi.net/zatudan/zatudanpage/z-09.html
http://www.wa.commufa.jp/~anknak/kyoukun222.htm
https://blog.goo.ne.jp/whitsunday_third/e/〔090127〕
、依り代になる肉体たちを消滅、あるいは壊してシマッタ。
https://blog.goo.ne.jp/mission_w/e/〔121005〕
( https://ejje.weblio.jp/content/crisis )
〉
「 こういう人たちが精神病として扱われた場合は悲惨です。 大ゲサにいえば、キリストをはりつけにするような愚かな行為といえるかもしれません。 」
「 今の社会システムはこのような規格はずれの人を否定するメカニズムが働いているようです。 現在、世界を支配している精神は、このような高次の意識の目覚めを望んでいません。 」
キリストをはりつけにするような愚かな行為...
https://www.google.co.jp/search?q=磔
https://www.google.co.jp/search?q=Christ Crucifixion
https://blog.goo.ne.jp/mission_s/d/20110216
〉 ぐうぜんにも操作NO指がスベッテシマイ。 ..マタデスカ
...http://www.youtube.com/watch?v=sFXGrTng0gQ
https://blog.goo.ne.jp/mission_s/d/20110302
〉 Laputa でましたので プロモ
...http://video.ultra-zone.net/w/8Ma65PO4kiA [ 公開日 1984年3月11日 ]
..[ 大.海嘯 ] [ 風の谷のナウシカ#あらすじ ]
[ https://ja.wikipedia.org/wiki/東北地方太平洋沖地震 ]
https://blog.goo.ne.jp/mission_y/d/20200228
―――――――――――――――――――――――――
https://www.google.co.jp/search?q=観音信仰 御利益
https://www.google.co.jp/search?q=観音 観る
https://www.google.co.jp/search?q=抜苦与楽 南無観世音菩薩
https://www.google.co.jp/search?q=心経奉讃文
―――――――――――――――――――――――――
https://www.google.co.jp/search?q=神社 ライブカメラ
地元 鎮守 〔..挿絵....(..postcard..)...〕
[ 菅原神社 拝殿 / 画 上田博昭 様 ] ( 筆者 若干 arrange )
[ 同. 鳥居 桜 / ペン画 上田博昭 様 ]
201112 16:09