今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

断捨離講座in金沢・意識編

2011-06-14 21:42:28 | セミナー

幹線道路から1本入って、我が家のある住宅地へと続く並木道。

両サイドにメタセコイヤが繁るけっこう長い道で、広々とした歩道もある。

夏は緑、秋は紅葉、冬は雪景色…と四季折々に大変美しい。

…んだけど、そのメタセコイアの下に、な、なんと

カモシカがいたのだ


山を切り開いた住宅地とはいえ、人家のこんな近くに?

キジもよく歩いているし、たまにクマも出るし、ハクビシンの目撃情報もあるけれど、
まさかカモシカまでいるとは、本当にびっくりだ。

カメラを構えた時には、藪の中に逃げ込んでしまったので、画像はない。

だけど、つぶらな瞳のカモシカと見つめあうことができ、なんか得した気分





さて、断捨離講座・意識編のつづき。


モノそのものに焦点を合わせるのが商品価値。

でも断捨離が重んじるのは、活用価値。

商品価値は、他人が決めた価値だが、活用価値は自分だけに意味のある価値だ。

安かろうが、高かろうが、希少価値があろうが、なかろうが、
私が慈しんで大切にするモノにこそ、価値がある。

自分にとって価値があると認めたモノは、
遠慮なく手に入れればいいし、仕舞いこまずにどんどん使えばいい。


ただ何故だろう、私たちは、自分で自分に制限を加えてしまう。

モノを選ぶ時、1番欲しいと思うモノではなく、2番手を選ぶ傾向がないだろうか?

究極のそれ!…ではなく、わざわざソコソコのモノに手を伸ばしていないだろうか?


こんな高価なモノを買ったら、人はどう思うだろう…。

私には、こんなよいモノは相応しくない…。

慎ましい人だと見られたい…。

そういう他人軸な気持ちこそ、断捨離して然るべきじゃないかな。


ダンシャリアンになったからといって、欲がなくなるわけじゃない。

食欲も物欲も生きる力だ。

ただ厳選に厳選を重ね、自分が本当に欲しいモノだけを手に入れるようになる、それだけのことだ。



後半のテーマは、部分即全体。

見える形で見えない部分を診断する。

つまり、意識層にある事象で、無意識の領域も分析することができるということ。


たとえば、「捨てられない」という人がいる。

これは捨てることを躊躇うという、意識できる領域で起こる現象。

ではこの人の無意識層、いわゆる深層心理には何があるのか?

「捨てられない」と言っているが、本当は「捨てられない」のではなく「捨てたくない」。

それは、自分自身が「捨てられたくない」と思っているから。

根底にあるのは、哀しいかな、無価値感だ。


同じく、「断れない」という人がいる。

この人も、「断れない」のではなく、「断りたくない」。

それは自分が「断られたくない」から。


無価値感は、多少なりとも誰にでもある感情。

無意識の領域にあるので、なかなか表面には現れないが、
自分には価値がない、自分は誰の役にも立たないと思ってしまう感情。


人は自分が誰かの役に立つ存在でありたい。

誰かに「ありがとう」と言ってもらうと、すごく嬉しい気持ちになる。

自分の行為や言葉で、誰かが笑顔になると幸せな気分になる。

報酬や見返りが欲しいのではない。

もはや欲求と言ってもいいかもしれない。


私の心理学の師匠は、
「人は自分が役立たずだと思う場からは、全速力で遠ざかり、
自分が役に立つと思う場には、お金を払ってでも出かけていく」と言う。

つまり無価値感とは、それほどまでに認めたくない、自分を苦しめる感情なのだ。


でも大丈夫。

不要なモノを1個捨てると、無価値感も1個消えるから。


また全ての人は、地球人の1人として全体に繋がっている。

これも部分即全体。

なぜツイている人には、さらにツキが回ってきて、
ツイていない人は、とことんツイていないのか。

それも、部分即全体で説明がつく。

多分企業秘密なので、詳しい説明は割愛するが、
受講生さんのリマインダーとして、図だけアップしておこう。




断捨離は散らかっていること責めるものではなく、
片づいていることを誇るものでもない。

ただただ、無自覚なモノの堆積を憂う。

モノに埋もれている状態は、
重しや足かせでがんじがらめになって、身動きが取れないのと同じ。

不要な障害物は取り除いて、身も心も軽くハッピーになりましょう!




6月16日は、いよいよ最終日。

3回なんて、あっという間だ。

12回連続講座くらいでも、いいのに…と思う。

最終回は、実践編。

さらなるヒートアップをお約束します




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (otayori)
2011-06-15 08:09:46
昨日は食器、一昨日は玄関周りから、いらないものを処分しました。
でもまだ、20数年一度も使っていない食器数個は(趣味ではない)処分できず、残してしまいました。(上等に見えて、きれいであるが、使わない)
認められたい、必要とされたい、、、この思い、強くあります。
必要ないものを一つ手放すと、無価値感も一つなくなる、、、、まずできることは、不必要なものを手放すことのようです。
無価値感 (momo)
2011-06-22 10:08:28
>otayoriさん、
無理やり捨てる必要はありません。
これは私にとって必要ない…と心から納得したら、自然と手放したくなりますから、大丈夫ですよ。
無価値感は、本当に哀しい感情です。
心の底に無価値感が巣食っていたら、いつもごきげんでいることは、なかなか難しいことかもしれません。
目に見える住まいを整えることで、無価値感も手放すことができるのなら、絶対実行したいと思いませんか?
以前の私は無価値感の塊でしたが、今はけっこう自分が好きです

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