Somewhere Before

人目気にせず何でも書こう

マラソン

2006-02-27 22:32:20 | 映画の感想


製作:2005年 韓国
監督:チョン・ユンチョル
主演:チョ・スンウ/キム・ミスク
芦屋ルナ・ホール名画劇場にて鑑賞


ある特定の人物を掘り下げ、物語っていくことで、人間の普遍的なものとつながっていくのが、人間を描くことに成功していると定義するならば、まさにそういう映画である。

自閉症の青年という設定は、特殊な人物を描いているようであるが、心の通じることの難しさや、親であっても子供の心が見えずに霧の中を手探りで歩くようなあの心細さは、障害の有る無しとは関わらず、全ての親の抱える問題であると思う。
映画の中で母親が子供との関わりを作っていくうえで苦労するシーンは、幼児の育児中である私には非常にリアルな痛みが伝わってくる。
言葉の無力さや、自分の限界や、崩れ落ちてはまた積み上げようとする孤独。
言葉が通じれば時に便利ではあるが、それが相互理解とイコールかというと、そうではない点では、チョウォンの育児も私の育児も大変さにおいてはそう変りがないんではないかという気さえするのである。


ストーリーを簡潔に言おうとすれば、親の力によって「走らされていた」自閉症の青年チョウォンが、「自分で走る」ようになるまでを描いている。

自閉症の息子を、自分の運命として引き受け、彼に意思の強さを授けようとマラソンをさせて一緒にがんばっているうちに、いつしかそれが「本人のため」というよりも、母親自身の自己実現に成り代わっていたりというのは、よく聞く話である。

子供というのは、親にとって盲点になる部分をついてくるというか、思わぬアンチテーゼを発信してくるんであるが、チョウォンの場合は一般的な「反抗」という形がとれない。
この物語の中で、そのアンチテーゼの働きをしているのが、呑んだくれの、元マラソン選手のコーチだ。
このコーチがいい。
私の「呑んだくれコーチ名鑑」に加えたい。(それはなんや?)

フルマラソンを完走させたいんです、という母親の願いに対して、コーチは言う。

「マラソンは立派でしょう?人間の勝利って感じがするでしょう?」

おそらく、栄光とその影、両方知っているからこそ、多くの人々が送るマラソンへの賛美にうんざりしてしまったこのコーチは、母性原理だけで育てられたチョウォンの母の育児の弱点をついてくるわけである。

「息子さんが一人で生きていけないんじゃない。アンタが手を離せないんだ」

韓国は日本より強い母系社会である気がするが、この監督も、相当に親との葛藤があったであろうと思わせる人物造形が良い。

最後のクライマックスのチュンチョンのマラソンのシーンは特に素晴らしい。
「行くな」という母親の手、握られたチョウォンの手がほどかれて、走り出していく。ああ、子供というのは、どんなに強く手を握っていても、こういう風に、走り出して、人ごみの中にいつか、消えていくものなんだな・・と、これだけで涙がどっと出てきてしまった。

途中の行程で苦しくなって、道に座り込んでしまうチョウォン。

道行く誰かから手渡されたチョコ・パイ。
その時、風の中に聞こえる母親の声。

彼が再び立ち上がって走り出すんであるが、これが彼が、今まで走っていたスタイルとは違う。
「自分で走り出す」素敵なシーンだ。

今までは、母親を喜ばすためであったり、メダルがもらえたり、何だかよくわからないけど、走っていた彼が、自分のために、自分の意思で走り出す。

この時強く感じたのは、チョウウォンの心の中に、しっかり母親の存在感が宿っているからこそ、彼が再び走り出せた、ということである。
そばにいて「ほら!走りなさい!」とせっつかれるのではなく、そばにいないけれど、心の中にしっかりといて、自分を励ましてくれる。
それは、母がこれまで彼にしっかり寄り添い、きちんと依存をはかった上で得られる自立である。そのどっぷりとした依存があるからこそ、彼は自力で走り出すことが出来たわけで、最初からこの絆の部分が薄ければ、チョウォンは再び走り出すことは出来なかったのではないかと思われる。
自立は、しっかりした依存が裏付けられてこそなされるものなのである。

彼は走る。チュンチョンの風景の中を、街の中を、地下鉄のホームを、人々の歓声に見送られて。そして、ついには、大好きなサバンナをシマウマと駆け抜ける。
この彼の心象風景の描写には本当に胸が打たれてしまった。
現実の世の中ははこれほどは優しくはないだろう。
がしかし、彼の心の壁が崩れ、外の世界に開かれ、世界がもはや自分と無関係な冷たい世界ではないという、彼の心の中の「瞬間の真実」を描き出していて素晴らしい。
まさしく映画にだけに出来る表現だ。
「オアシス」の時も感じたが、徹底的にリアリティを積み上げた上で、こういうファンタジーの味付けで心の中を見せる、という技が私はとても好きだ。

雨の中の壁の中にシマウマの姿が浮かび上がるタイトルのシーンから最後まで、見事な映画を見せてもらえた。
大満足だ。


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