昭和27年鹿児島県生まれ
昭和45年渡文㈱入社
伝統工芸士
鹿児島県の高校に在学中、西陣織に魅せられ織職人の道を志す。 卒業後、京都・西陣の渡文㈱に入社。亀岡工場で製織を始める。 以来37年、数々の織物を手がけ、今もその名のとおり絹に触れ続けている。
インタビュー _
・ まず、お名前の由来を教えてください。
わかりません。 強いて言うなら祖父が蚕を飼っていた時期があったからかなぁ。
桑畑だから絹子でええじゃろみたいな感じかなぁ。
・ 織り始めて何年ですか?
37年になるのかなぁ。
・ きっかけは何ですか?
修学旅行で京都に来たときに、手織の実演を見たのがきっかけです。
絶対にやりたいと思ったから、すぐ学校で調べてもらいました。
・ どういうところがそんなに気に入ったんですか?
あの当時、田舎の女の子は、集団就職で出てきて、工場で流れ作業のような
ことをやる人が多かったんだけど、わたしはそれが嫌だったの。 この仕事は、
最後までひとりで作れるところが気に入ったんじゃないかな。
・ 名前も絹子だし?
それは関係ない(笑)。 と、思う(笑)。
・ 織っているときは、何を考えているのですか?
うーん...。 何も考えてないかな。 たぶん。 集中してるから。
・ これは織るのが嫌だなと思う織物はありますか?
ない。 織っているときは、どんな織物でもいつも楽しいのよ。
・ 仕事でこだわっていることはありますか?
軽い帯を織るように心がけています。 締める人のことを考えたら、軽くて締め
やすい方がいいと思うから。
それと、耳付きの部分(帯の端)がでこぼこしないように気を付けています。
・ 一番つらかったことと一番うれしかったことを教えてください。
つらいと思ったことはないです。 入社当時は何もできなくて、たくさん叱られた
こともあったけど、早く一人前になりたくて毎日一生懸命だったから、つらさは
感じなかったなぁ。
プライベートではたくさんあったけどね。これだけ生きてると(笑)。
一番うれしかったのは、自分の織った帯が初めて展示会で展示されているのを
見たときですね。 わたしの織った帯がやっと商品になったんだと思ったとき、
すごくうれしかったのを覚えています。
それと、木屋町のあたりで、わたしの織った帯を締めて歩いてる人を見かけて、
その時は、うれしくて、しばらく後をつけてしまいました(笑)。
・ やめようと思ったことは?
一度もないです。
・ 生まれ変わったらどんな仕事がしたいですか?
また同じ仕事を選ぶと思います。
・ 夢はなんですか?
年をとってもこの仕事を続けていたいです。
そのためにも、西陣織という伝統産業がなくなってしまわないように願っていま
す。 わたしの同期入社は14人でした。 その前の年には20人。 今は、若い
人が入ってくることがほとんどなくなってしまったけど、こんなきれいな織物を自
分の力で織り上げて、誰かを美しく飾るって素敵な仕事だと思いませんか?
いろいろ問題はあるのだろうけれど、また若い人がたくさん戻ってきてくれるこ
と、そして、年をとったわたしも一緒に機を織っている...。それが、わたしの
夢です。
ありがとうございました。
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インタビューの間、何度も 「仕事が好きだから」 という言葉がでてきました。 修学旅行で見
た西陣織を一生の仕事にしようと決め 今まで迷うことなく織り続けてこられたのは、「自分で
決めた好きな仕事」 だからなのでしょう。 少しうらやましく思いました。 (実は桑畑さんはと
ても小柄で、高校の先生に背が低いから機に座るのは無理だろうと反対されたそうですが、
絶対できると押し切ったそうです)
もうひとつ、印象深かったのは、「結ぶ人のために軽い帯を織りたい」 という思いと、「細部の
仕上げを丁寧にしたい」 というこだわりをもっておられるということ。 女性ならではの心くばり
だなと感心しました。 桑畑さんの夢、応援したいです。