明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

伊集院光のラジオ番組で、五木寛之がゲストに来て親鸞を語る

2016-05-25 20:00:19 | 旅行
たまたま免許更新でトラブルがあって新百合ケ丘から多摩急行に乗った時のこと、Radikoの番組で伊集院光が五木寛之をゲストに時間つぶしのしょうもない話をするのかなと思って聞き流していたら、ちょっとゲストの本音に近い話だったので小耳に聞きかじった。親鸞は浄土真宗の開祖で、本人は浄土宗の開祖・法然を師と仰ぎ終生変わらぬ尊敬をもっていた記憶していたが、浄土宗が法然没後に乱れたのを正す意味で「真宗」と称したと言うのが私の解釈。しかしその理論はなかなか理解しがたく、特に「悪人正機説」と言われる理論は難解だ。だって善人が救われるなら悪人はなおさら救われねばならないというんだから、素人や凡人は全く歯が立たないのである。学校で歎異抄は習ったが、全然頭には入らなかった。

で、伊集院がストレートに「わかんないんですよね」と投げかけると、五木寛之は考え考え「インフルエンザを治療してたら、交通事故で重体の患者が搬送されてきた。あなたなら、どっちを先に治療する?」と問いかけた。これには「上手い例えだ」とリスナー全員は思ったが、一瞬騙されたような気にもなった。散々悪事を働いて他人を不幸のどん底に陥れた大悪人と、貧しいながらも真面目に生きてきた善人と、救うべきはどちらなのか、自明である。交通事故で重体の患者はインフルエンザの疑いのある人と、善悪の違いがあるわけではない。では、ストーカー殺人犯が何の罪もない女性を殺し警官と銃撃戦の末に自分も重傷を負い、そのストーカー殺人犯を逮捕して自身も怪我をした警察官とが同じ病院に担ぎ込まれたとしたら、果たしてどちらを優先すべきだろうか。手術のできる医師は1人しかいない。さぁ、どうする?

考えるまでもなく警官を手当てするべきではないか。怪我の状態がどうこうではないと思うし、それが人の道である。まさかストーカー殺人犯を後回ししたからといって、人権どうこうと騒ぐ団体もいないだろう(どうせ死刑になるのだから、というのは民意である)。ではなぜ親鸞は「それでも悪人正機説にこだわるか」。五木寛之はこの例え話を言って次の話題に移っていったが、私はしばらく考えていて、ハッと気がついた。「そうか、親鸞も気がついていたんだ!」。つまり、善人は症状が軽いが、悪人は重症である。だから救ってあげなければいけないと五木寛之は言う。

結論、人間には魂と身体とがあり、魂は清らかで澄んでいるが、身体は煩悩にまみれ欲得に溺れて悪の道に迷い込む。そういう存在だから、身体を包んでいる煩悩から仏道修行によって解脱することで、魂本来の清らかで澄んだ姿=仏となることがてきる。人間は皆元々は美しい存在なのだ。・・・これが親鸞の仏教解釈である。性善説ではなく、強いて言えば「本体=魂が、人間という殻を被って」歩き回っている、となる。親鸞は、人間の本質を腸であるとする私の理論と、ピタリ一致したのだ。

精進や修行がどれほど過酷で厳しいものであろうと、人間の身体の部分を煩悩から解き放つことはできない。身体は所詮は生きていくために殺生をせざるを得ない「自然の食物連鎖の中に組み込まれた闘争者」である。だから解脱する時は、死ぬ時である。それで仏教は、人生を解脱成仏のための助走期間と位置付ける。世に言う六道輪廻を彷徨う恐怖の地獄体験は、実は仏教の教えでは割と新しいのである。この世で善行を積んだ有徳の士は死後の極楽を楽しむことが出来るというような勧善懲悪の作り話は、仏話ではポピュラーだが近年の科学ではイマイチ説得力がない。しかし無碍に「そんなのウソです」と言って、もし本当にあったら最悪である。ウソの説を流布した罪は仏の世界に限らず一番重い罪であるから、地獄の最下層の、さらに最下層で永遠の非業な苦しみに沈むことになり、不信心の者は一抹の不安を胸に抱いたまま死出の旅路に向かうのである。

法然は南無阿弥陀と唱えれば救われるといい、親鸞は人間を本体と殻とに分けることで本体を救う道を示した。科学の時代に彼らが生きていたら、きっと私と同じ理論に到達したに違いない。そうこうするうちに、小田急永山に着いた。これから京王永山に乗り換えて調布まで行き、バスで試験場前に行くつもりなので忙しい。上手く免許更新の試験が通ればいいけど、病院の先生の診断書が「オススメしない」だったので気になる。全く、医者というのは患者の都合など考えずに「オススメしない」何て事を簡単に書くからこんな面倒なことになった。だいたい熱心じゃない先生だから困ったもんなのだ。だが病気をしてからは、全てをありのままに受け入れる事にした。ダメだったら免許更新は諦めよう。運転免許経歴証明でもいいや。障害者は障害者らしく!だね。明るい障害者、いいんじゃない?

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