4月19日(土)14:30分より「船橋市民文化ホール」にて法政大学の新総長になられた田中優子氏の講演会が開かれます。
「今こそ戦争への流れを止めよう」
主催:9条の会千葉県、9条の会議員ネット
田中優子氏はリベラルな週刊誌「週刊金曜日」や「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人になられ護憲派の代表とも
言えます。女性で初めて六大学の学長(総長)になられたリベラルな方の講演会です。
(プロフィル)
清泉女学院中学高等学校を経て、1974年3月、法政大学文学部日本文学科卒業。1977年3月、法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了、
1980年3月、法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。広末保に師事した。1980年4月、法政大学第一教養部専任講師、
同助教授、教授を経て、社会学部教授。2012年4月、同学部長に就任。2014年4月、法政大学総長就任。
1986年、最初の単著『江戸の想像力』により芸術選奨文部大臣新人賞受賞。それまで主に「暗く陰惨な時代」とされていた江戸時代をもっと
明るい時代と考える「江戸ブーム」の一翼を担ったが、本人は、そのつもりはなかったと言っている[1]。以来、江戸時代の社会・文化などの紹介を行っている。
2000年『江戸百夢』でサントリー学芸賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞
2005年、紫綬褒章受章。
2009年1月には、前年に逝去した筑紫哲也の後任として『週刊金曜日』編集委員に就任した。
『サンデーモーニング』(TBSテレビ)不定期のコメンテーター。(和装で出演している)
一方で田中優子氏が総長に就任された法政大学では今とんでもないことが行われています。
(学生を一方的に管理抑圧する法政大学の現状)
法政大学はかつて学生運動が盛んな大学の一つでした。
ところが現在は学内で学生が学内集会やチラシをまいたり、訴えたりすることが禁止されている
状況にあります(届け出制で大学を批判することは認めない。学内にはいたるところに監視カメラが配備され、各所に警備員が待機し
少しでもおかしな行動をする学生がいると排除したり無許可でビデオ撮影をしたりしています。しかも大学に抗議する学生をここ数年で
百数十名も警察を呼んで逮捕させています。
有名な「大原労働問題研究所」もあるリベラルな法政大学がなぜこのような状況になってしまったのでしょうか。
少子化の中で大学は生き残りのためイメージを上げるべく管理の強化を目指しました。2006年に法大当局はビラまき、立て看板禁止の通達をだし、
これに抗議する学生に対して約200名の公安警察を学内に導入させ29人を逮捕したことが発端でした。
その後大学の意に反するサークルは解散させるか学外に追放しました。
このころから大学が雇った警備員が我が物顔で学内を徘徊するようになり、マークした女子学生をトイレまでつけてビデオ撮影をしたり、抗議する学生
を取り囲んで暴力をふるうことが日常的に行われることになりました。
(下記写真はチラシをまこうとする学生を取り囲んで暴力をふるう大学に雇われた正体不明の暴力警備員・・ジャパンタイムスにも掲載され世界に配信)
これに抗議して多くの学生が立ち上がりましたが大学当局は中心的な学生を次々と退学や無期停学処分(実質退学)にして学外に放り出しました。
つい最近では原発を擁護する御用学者の学内講演に抗議する学生を暴力的に排除して無期停学処分にしています。
大学当局は常時警察を待機させ、門前や学内で次々と逮捕させその数は累計で百二十数人に上りました。無理やり罪をでっち上げて逮捕した学生数人が裁判で
無罪も確定しました。
(田中優子新総長も編集委員を務める週刊金曜日3/14記事)
大学は謝罪するどころか開き直る始末です。そればかりか大学に抗議する学生と話したり付き合うと、付け回したり嫌がらせをしたりしています。
これが本来開かれた大学のすることでしょうか。
昨年からは学園祭で完全飲酒禁止が開始され、学内では無論のこと少しでも酒気を帯びている学生が入校しようとするとつまみ出しを行っています。
今回「週刊金曜日」の編集委員を務め、「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人である田中裕子氏が法政大学総長に就任したことにより、
大学を開放的な民主的な形に戻すべきではないでしょうか。
そうあるべきではないでしょうか。もし田中新総長も同じく学生に対する管理抑圧体制を改めないなら失望することになるかもしれません。
それどころか「憲法9条を守ろう」「戦争反対」との言葉と裏腹のことをやるのであれば、護憲派は口先だけの空虚なものとなるかもしれません。
それこそ今回の講演の表題にある「今こそ戦争への流れを止めよう!」と相反するものです。
抗議している学生の一部は党派に関係しているといわれています。
しかしかつての大学は様々な党派(共産党系、新左翼系問わず)に属している学生が多々いるのは当たり前でした。
大学は様々な意見や議論を行う開かれた場ではないでしょうか。一部の学生だからと言って排除することはやがて自身に跳ね返ってくるのではないでしょうか。
かつてナチスが戦争への道を進んでいったときの「マルティン・ニーメラー牧師」の次の言葉が思い出されます。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを
攻撃したとき、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
既に法政大学は上記二ーメラ-氏の言う最終段階に入りつつあるのではないでしょうか。
監視カメラ、集会・ビラまき禁止、暴力ガードマンが我が物顔で徘徊。
「秘密保護法反対」「反原発」「9条改憲反対」を掲げるリベラル派の田中優子新総長がそのようにならないことを期待します。
「今こそ戦争への流れを止めよう」
主催:9条の会千葉県、9条の会議員ネット
田中優子氏はリベラルな週刊誌「週刊金曜日」や「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人になられ護憲派の代表とも
言えます。女性で初めて六大学の学長(総長)になられたリベラルな方の講演会です。
(プロフィル)
清泉女学院中学高等学校を経て、1974年3月、法政大学文学部日本文学科卒業。1977年3月、法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了、
1980年3月、法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。広末保に師事した。1980年4月、法政大学第一教養部専任講師、
同助教授、教授を経て、社会学部教授。2012年4月、同学部長に就任。2014年4月、法政大学総長就任。
1986年、最初の単著『江戸の想像力』により芸術選奨文部大臣新人賞受賞。それまで主に「暗く陰惨な時代」とされていた江戸時代をもっと
明るい時代と考える「江戸ブーム」の一翼を担ったが、本人は、そのつもりはなかったと言っている[1]。以来、江戸時代の社会・文化などの紹介を行っている。
2000年『江戸百夢』でサントリー学芸賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞
2005年、紫綬褒章受章。
2009年1月には、前年に逝去した筑紫哲也の後任として『週刊金曜日』編集委員に就任した。
『サンデーモーニング』(TBSテレビ)不定期のコメンテーター。(和装で出演している)
一方で田中優子氏が総長に就任された法政大学では今とんでもないことが行われています。
(学生を一方的に管理抑圧する法政大学の現状)
法政大学はかつて学生運動が盛んな大学の一つでした。
ところが現在は学内で学生が学内集会やチラシをまいたり、訴えたりすることが禁止されている
状況にあります(届け出制で大学を批判することは認めない。学内にはいたるところに監視カメラが配備され、各所に警備員が待機し
少しでもおかしな行動をする学生がいると排除したり無許可でビデオ撮影をしたりしています。しかも大学に抗議する学生をここ数年で
百数十名も警察を呼んで逮捕させています。
有名な「大原労働問題研究所」もあるリベラルな法政大学がなぜこのような状況になってしまったのでしょうか。
少子化の中で大学は生き残りのためイメージを上げるべく管理の強化を目指しました。2006年に法大当局はビラまき、立て看板禁止の通達をだし、
これに抗議する学生に対して約200名の公安警察を学内に導入させ29人を逮捕したことが発端でした。
その後大学の意に反するサークルは解散させるか学外に追放しました。
このころから大学が雇った警備員が我が物顔で学内を徘徊するようになり、マークした女子学生をトイレまでつけてビデオ撮影をしたり、抗議する学生
を取り囲んで暴力をふるうことが日常的に行われることになりました。
(下記写真はチラシをまこうとする学生を取り囲んで暴力をふるう大学に雇われた正体不明の暴力警備員・・ジャパンタイムスにも掲載され世界に配信)
これに抗議して多くの学生が立ち上がりましたが大学当局は中心的な学生を次々と退学や無期停学処分(実質退学)にして学外に放り出しました。
つい最近では原発を擁護する御用学者の学内講演に抗議する学生を暴力的に排除して無期停学処分にしています。
大学当局は常時警察を待機させ、門前や学内で次々と逮捕させその数は累計で百二十数人に上りました。無理やり罪をでっち上げて逮捕した学生数人が裁判で
無罪も確定しました。
(田中優子新総長も編集委員を務める週刊金曜日3/14記事)
大学は謝罪するどころか開き直る始末です。そればかりか大学に抗議する学生と話したり付き合うと、付け回したり嫌がらせをしたりしています。
これが本来開かれた大学のすることでしょうか。
昨年からは学園祭で完全飲酒禁止が開始され、学内では無論のこと少しでも酒気を帯びている学生が入校しようとするとつまみ出しを行っています。
今回「週刊金曜日」の編集委員を務め、「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人である田中裕子氏が法政大学総長に就任したことにより、
大学を開放的な民主的な形に戻すべきではないでしょうか。
そうあるべきではないでしょうか。もし田中新総長も同じく学生に対する管理抑圧体制を改めないなら失望することになるかもしれません。
それどころか「憲法9条を守ろう」「戦争反対」との言葉と裏腹のことをやるのであれば、護憲派は口先だけの空虚なものとなるかもしれません。
それこそ今回の講演の表題にある「今こそ戦争への流れを止めよう!」と相反するものです。
抗議している学生の一部は党派に関係しているといわれています。
しかしかつての大学は様々な党派(共産党系、新左翼系問わず)に属している学生が多々いるのは当たり前でした。
大学は様々な意見や議論を行う開かれた場ではないでしょうか。一部の学生だからと言って排除することはやがて自身に跳ね返ってくるのではないでしょうか。
かつてナチスが戦争への道を進んでいったときの「マルティン・ニーメラー牧師」の次の言葉が思い出されます。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを
攻撃したとき、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
既に法政大学は上記二ーメラ-氏の言う最終段階に入りつつあるのではないでしょうか。
監視カメラ、集会・ビラまき禁止、暴力ガードマンが我が物顔で徘徊。
「秘密保護法反対」「反原発」「9条改憲反対」を掲げるリベラル派の田中優子新総長がそのようにならないことを期待します。