ウガンダには多くの歴史的な遺産がある。それらは祈りの対象になっているものも多い。多くの人に知られることなく、訪れる人はごく限られた人々のように思う。日本の歴史的な遺産は観光地として大売出ししているから、そのギャップを感じる。
ウガンダの高校歴史の教科書とBradtという観光ガイドに「Biggo遺跡」について記載があった。なんでも伝説的な人々、Bachwezi人が12世紀に大切な資産の牛などを守る機能を備えたBiggoという城塞のようなものを築いていたらしい。これは行って見なければと思い、友人と一緒にBiggo遺跡に行って来た。
<Biggoへの行き方>
ムベンデ市⇒Kasambya市⇒Kabamba Trading Center(軍の養成学校がある)⇒ntusi Trading Center(センバブレ県)⇒Biggo
未舗装道路でアップダウンの激しい道のため、片道5時間強かかってBiggo遺跡があるという近くの村に到着。そこから住民に案内を請い、歩いて獣道を辿っていくと、大きな家が目の前に出現した。Bachwezi王朝の王の霊が現れるという宮殿らしい。
<Bachwezi人>
語り部兼巫女の女性が待ち構えており、Bachwezi王朝について説明をしてくれる。Bachwezi人はNkore,Bunyoro, Buganda,Busoga人の先祖といわれている伝説的な存在らしい。超人的な能力を持っており、牛を尊んでいたようだ。4つの部族に分かれてからはそれぞれ仲違いをするようになる。
4つの部族それぞれがこのBiggoを先祖の地ということで聖地と思っていると、語り部の女性が話していたが金曜日だったせいか、自分達以外に誰もこの聖地を訪問していなかった。Bachweziを起源にもつ4つの部族が協力関係にあるときは、この聖地にも力が漲っていたらしい。
(かつての井戸も枯れ果てたのは4つの部族が仲違いするようになったからだという)
<牛>
牛を食するのではなく、牛乳を取ったり尿を薬代わりにしたり、皮から敷物を作ったりとしていたとの話だ。伝説的な民族は4つの民族に分かれてしまい、本流だったBunyoro王国も属国の台頭により18,19世紀には力を大幅にそがれてしまった。
(牛を囲う場所。19時半ごろになると、柵の中に牛の霊が見えるらしい。)
<お参り>
今でもBachwezi人を先祖に持つ、一部の人々が御参りに訪れるらしい。
ウガンダのこうした聖地は外国人にも寛容だ。今回も語り部の女性に「何語でもいい、何人でもいい、何か神に祈ることがあれば祈りなさい」と言われる。祈った後に、日本のようにお払いをしてくれた。ウガンダでは神へのお供えは、コーヒー豆やお酒、牛乳が多い。このBachweziの聖地は牛乳をお供え物としているようだった。
<城塞>
外周10キロほどの城塞を時間的にほとんど確認できなかった。堀のようなものの一部は確認できたがほとんど手入れされていなかった。
往復10時間ほどかけて日帰りで、超人的な力を持っていたという、bachwezi人の遺跡(聖地)を訪問した。冒険のような一日で楽しかったし、色々な情報が頭の中で繋がってエキサイティングだった。日本の12世紀だと資料があってどんな事柄があったのか、どんなことを歴史上の人物が考えていたかが分かる手がかりがあるが、ウガンダの12世紀に何があったのかを知る手がかりは資料ではない。語り部の存在が大きいのだろう。伝統的な信仰の対象や語り部という存在はこれからも脈々と続いて欲しいと感じた一日だった。でなければ、歴史から何も学べなくなってしまう。。
ウガンダの高校歴史の教科書とBradtという観光ガイドに「Biggo遺跡」について記載があった。なんでも伝説的な人々、Bachwezi人が12世紀に大切な資産の牛などを守る機能を備えたBiggoという城塞のようなものを築いていたらしい。これは行って見なければと思い、友人と一緒にBiggo遺跡に行って来た。
<Biggoへの行き方>
ムベンデ市⇒Kasambya市⇒Kabamba Trading Center(軍の養成学校がある)⇒ntusi Trading Center(センバブレ県)⇒Biggo
未舗装道路でアップダウンの激しい道のため、片道5時間強かかってBiggo遺跡があるという近くの村に到着。そこから住民に案内を請い、歩いて獣道を辿っていくと、大きな家が目の前に出現した。Bachwezi王朝の王の霊が現れるという宮殿らしい。
<Bachwezi人>
語り部兼巫女の女性が待ち構えており、Bachwezi王朝について説明をしてくれる。Bachwezi人はNkore,Bunyoro, Buganda,Busoga人の先祖といわれている伝説的な存在らしい。超人的な能力を持っており、牛を尊んでいたようだ。4つの部族に分かれてからはそれぞれ仲違いをするようになる。
4つの部族それぞれがこのBiggoを先祖の地ということで聖地と思っていると、語り部の女性が話していたが金曜日だったせいか、自分達以外に誰もこの聖地を訪問していなかった。Bachweziを起源にもつ4つの部族が協力関係にあるときは、この聖地にも力が漲っていたらしい。
(かつての井戸も枯れ果てたのは4つの部族が仲違いするようになったからだという)
<牛>
牛を食するのではなく、牛乳を取ったり尿を薬代わりにしたり、皮から敷物を作ったりとしていたとの話だ。伝説的な民族は4つの民族に分かれてしまい、本流だったBunyoro王国も属国の台頭により18,19世紀には力を大幅にそがれてしまった。
(牛を囲う場所。19時半ごろになると、柵の中に牛の霊が見えるらしい。)
<お参り>
今でもBachwezi人を先祖に持つ、一部の人々が御参りに訪れるらしい。
ウガンダのこうした聖地は外国人にも寛容だ。今回も語り部の女性に「何語でもいい、何人でもいい、何か神に祈ることがあれば祈りなさい」と言われる。祈った後に、日本のようにお払いをしてくれた。ウガンダでは神へのお供えは、コーヒー豆やお酒、牛乳が多い。このBachweziの聖地は牛乳をお供え物としているようだった。
<城塞>
外周10キロほどの城塞を時間的にほとんど確認できなかった。堀のようなものの一部は確認できたがほとんど手入れされていなかった。
往復10時間ほどかけて日帰りで、超人的な力を持っていたという、bachwezi人の遺跡(聖地)を訪問した。冒険のような一日で楽しかったし、色々な情報が頭の中で繋がってエキサイティングだった。日本の12世紀だと資料があってどんな事柄があったのか、どんなことを歴史上の人物が考えていたかが分かる手がかりがあるが、ウガンダの12世紀に何があったのかを知る手がかりは資料ではない。語り部の存在が大きいのだろう。伝統的な信仰の対象や語り部という存在はこれからも脈々と続いて欲しいと感じた一日だった。でなければ、歴史から何も学べなくなってしまう。。