ここ最近は、小中、あるいは高校生の自殺がはやっている。(「はやる」という言葉が定かであるかどうかは分からないが)
私は、この自殺は自殺ではなく「自殺事件」だと考えている。何も教育関連の自殺だけをさすわけではないが、あってはならない場においての幾多の自殺・・・自殺という言葉では片付けられない。自殺事件、連続自殺事件である。
教育の場において、偏りは原則許されない。皆平等であって然るべき場で、いじめる・いじめられる側が存在するというのはおかしい。しかしこのおかしな事態は昨今ようやく取沙汰されるようになっただけで昔からあるのだ。
私の父は昔、パン屋の息子はいじめられていた、と言った。昔のパンは現在のものとは違い、匂いが強烈だったらしい。パンにかけて、その息子を「くさい」などと囃し立てていたようだった。しかし、パン屋の息子は言われて終わりじゃなかった、立ち向かってきたのだった。「俺はくさくない」と。
大体次の日にパンを持ってきて分けてやったりでもすると「お前いいやつだな~」などと終始友好ムードだったなどそんな話を聞く限りでは、今ほど陰湿なものではなく、思いつきのからかい・ちょっかいだったようである。
私が小学生だったときのいじめは、聞く限りでは昔とも現在とも違う。体格・性格的なもののいじめが圧倒的だった。私も今思うとあれはいじめられていたのかとも思わないこともないが、多少の心当たりはあるし、逆にあれはいじめだったのではないかと思わない面が全くないわけでもない。ただ、「自殺」を意識するほど深刻に悩んだことなどないどころか、次の日には大概忘れていた。
今はどうか。小学生が恐喝、現金を脅し取る・・・なんだそりゃ?小学生など私から見ればただのガキだ。記憶の限りでは、小学生のときのお小遣いの使い道なんて大体駄菓子屋でどうでもよさそうなものに金を使ったくらいしか思い当たらない。中学生のときもあまり変わってない。たまに映画に行ったりカラオケに行ったりボーリングに行ったりはしたが、所詮はその程度、月に何万円もかかるなんてありえない。
それは私のイメージでは今も大きく変わらないはずだ。逆に問いたい、「小学生よ、何にそんなにお金を使うのだ?」と。少し前のニュースに、小学生が同級生に合計8万円を恐喝したというものがあった。8万円といえば、今1人暮らしの私が一ヶ月生活するのに事欠かないほどの大金だ。小学生は食費0、光熱費0、基本的にはタダなのだ。生活費0円だ。8万円も何に使うのだ?というか大人も子供に万単位の金を持たせるなと私はいいたい。
いじめというものは本来、いじめる側の弱い心が生むのだと私は思う。逆にいじめにたった一人で戦い続けるいじめられてる子のほうが、よっぽど強い芯を持っている。だから言いたい。「負けるな」。死んだら負け、という言い方は妥当ではないが、死んでも何もない。そこに残るのは悲しみだ。遺書をしたためる時間があるなら向かっていけ!それが出来なくてもいい、死ぬ前に一握りの勇気を持って誰かに相談するんだ。いじめに悩むことは格好悪いことじゃない。
実際私の友人の妹は、公立小学校のいじめがいやで、同じ中学に進学したくない一心で猛勉強、名門私立中学に行った。選択肢は死ぬだけじゃない。いくつもある。まだ大学生の私が行ってもあまり説得力がないかもしれないが、小中高校生、君たちの知っている世界はまだまだ狭い。これからがハジマリなんだ。
始まる前にドロップアウトはしないでほしい。勿体ない。自分のためにも自殺はしないでくれ!!
いじめているひと、いじめられているひと、もしこれを呼んだら、足跡を残していってほしい。これ以上命を自ら絶つことだけはしないでほしいと、切に願う。
私は、この自殺は自殺ではなく「自殺事件」だと考えている。何も教育関連の自殺だけをさすわけではないが、あってはならない場においての幾多の自殺・・・自殺という言葉では片付けられない。自殺事件、連続自殺事件である。
教育の場において、偏りは原則許されない。皆平等であって然るべき場で、いじめる・いじめられる側が存在するというのはおかしい。しかしこのおかしな事態は昨今ようやく取沙汰されるようになっただけで昔からあるのだ。
私の父は昔、パン屋の息子はいじめられていた、と言った。昔のパンは現在のものとは違い、匂いが強烈だったらしい。パンにかけて、その息子を「くさい」などと囃し立てていたようだった。しかし、パン屋の息子は言われて終わりじゃなかった、立ち向かってきたのだった。「俺はくさくない」と。
大体次の日にパンを持ってきて分けてやったりでもすると「お前いいやつだな~」などと終始友好ムードだったなどそんな話を聞く限りでは、今ほど陰湿なものではなく、思いつきのからかい・ちょっかいだったようである。
私が小学生だったときのいじめは、聞く限りでは昔とも現在とも違う。体格・性格的なもののいじめが圧倒的だった。私も今思うとあれはいじめられていたのかとも思わないこともないが、多少の心当たりはあるし、逆にあれはいじめだったのではないかと思わない面が全くないわけでもない。ただ、「自殺」を意識するほど深刻に悩んだことなどないどころか、次の日には大概忘れていた。
今はどうか。小学生が恐喝、現金を脅し取る・・・なんだそりゃ?小学生など私から見ればただのガキだ。記憶の限りでは、小学生のときのお小遣いの使い道なんて大体駄菓子屋でどうでもよさそうなものに金を使ったくらいしか思い当たらない。中学生のときもあまり変わってない。たまに映画に行ったりカラオケに行ったりボーリングに行ったりはしたが、所詮はその程度、月に何万円もかかるなんてありえない。
それは私のイメージでは今も大きく変わらないはずだ。逆に問いたい、「小学生よ、何にそんなにお金を使うのだ?」と。少し前のニュースに、小学生が同級生に合計8万円を恐喝したというものがあった。8万円といえば、今1人暮らしの私が一ヶ月生活するのに事欠かないほどの大金だ。小学生は食費0、光熱費0、基本的にはタダなのだ。生活費0円だ。8万円も何に使うのだ?というか大人も子供に万単位の金を持たせるなと私はいいたい。
いじめというものは本来、いじめる側の弱い心が生むのだと私は思う。逆にいじめにたった一人で戦い続けるいじめられてる子のほうが、よっぽど強い芯を持っている。だから言いたい。「負けるな」。死んだら負け、という言い方は妥当ではないが、死んでも何もない。そこに残るのは悲しみだ。遺書をしたためる時間があるなら向かっていけ!それが出来なくてもいい、死ぬ前に一握りの勇気を持って誰かに相談するんだ。いじめに悩むことは格好悪いことじゃない。
実際私の友人の妹は、公立小学校のいじめがいやで、同じ中学に進学したくない一心で猛勉強、名門私立中学に行った。選択肢は死ぬだけじゃない。いくつもある。まだ大学生の私が行ってもあまり説得力がないかもしれないが、小中高校生、君たちの知っている世界はまだまだ狭い。これからがハジマリなんだ。
始まる前にドロップアウトはしないでほしい。勿体ない。自分のためにも自殺はしないでくれ!!
いじめているひと、いじめられているひと、もしこれを呼んだら、足跡を残していってほしい。これ以上命を自ら絶つことだけはしないでほしいと、切に願う。