助産院 Furaha(ふらは)

出張専門の助産院です。お産は取り扱っておりません。妊娠中から子育てのさまざまな相談に応じます。

今、

2011-03-20 15:57:40 | 日記
東北地方大震災の被災地である岩手県に住んでいながら、何もできずにいる自分にはがゆく悔しい思いで過ごしておりました。

あの日から10日。

ガソリンや灯油、物資の不足など被災地以外にも何らかの支障をきたしています。
それでも日々の生活に近い状態にいられることに、今はただただ感謝しています。


今、私は何をすべきか?


何ができるのか?

被災を免れた者も、毎日、悲しい思い、悔しい思い、どうにもできないやるせなさ、せつなさ、といったいろいろな思いにあります。

そんな中、私が思うこと。
今は、自分の生活を安定させ、いつ何か私の力が必要とされた場合は、いつでも応じる準備をしておくこと。
病院と役場で助産師をしながら、自宅でFuRaHaを営業。その中でベビーマッサージ教室では心を痛めているであろう母子の癒しになればと考えます。
ベビーマッサージ教室での収益は東日本大震災の義援金にさせていただこうと思います。



あの日から

2011-03-18 21:45:42 | 日記
3月11日

東北を中心に甚大な被害をもたらした大震災

あの日から一週間がたちました。

亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りするとともに、被災者の皆様、そのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。


あの日、
午後2時46分

私は実家のある洋野町に向かってました。
途中で軽米町のガソリンスタンドで給油。
その日は朝雪が降りました。高速道路を走行したため、塩カリで真っ白になってしまった車の水洗い洗車が終わるのを待っている時でした。ゆらゆらと静かに揺れ始めました。、揺れ始めてからどれぐらいかわかりませんが、おさまらない揺れに思わず外にでました。
そこからさらに大きな揺れが…
わたしの車も左右に揺れ、思わず何かに掴まりたくなるような揺れ。
おさまらない揺れに不安と恐怖を感じました。
とても、とても長く、どうなるのだろうと思っていました。

既に停電

携帯電話もつながらず。

そこから20分車を走らせ、実家に向かいました。その間も何度か大きな揺れがあり、車を止めながら走りました。

ラジオでは地震速報と津波警報。

まさかこんな惨事になる




Furahaより

癒しの空間FuRaHaは、2013より年5月助産院Furaha(ふらは)として再出発します。出張専門助産院で、お産は取り扱っておりません。妊娠中から子育てのさまざまな相談に応じます。これまで同様、リラクゼーション業務も行い、女性を幅広くサポートしていきたいと思っております。