行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

山吹

2017-04-16 23:21:35 | Weblog
 今年の神奈川の桜は、開花が少し遅れ、入学式に間に合った。
昨日今日で、かなり散ってしまったが、また来年、期待したい。

 桜を見に行った際、山吹が咲き乱れているのを見つけ、思わず写真に収めた。

山吹の花を見ると、「七重八重 花は咲けども 山吹の 蓑一つだに 無きぞ悲しき」を思い出す。
太田道灌が山の中で雨に降られ、立ち寄った家で蓑を借りようと申し出た際、その家の女性が先の歌を詠んで返したという。
始め、何の事だか分らなかった道灌は蓑が借りられず、屋敷に戻ると、その歌の意味を家臣が解説し、大いに恥じたという。
それ以降、和歌にも嗜み、文武両道の名将として今日にも名を残している。

 太田道灌の家紋は桔梗だった事と、先週見た信玄公祭りの山県昌景、他に明智光秀、楠木正成、加藤清正ら桔梗の家紋を用いた武将を思い出した。


信玄公祭り

2017-04-16 22:31:07 | Weblog
 先週、4月8日(土)は信玄公祭りを見るため、甲府へ出掛けた。途中、塩山を通過する際、山々に囲まれた街並みがとても映えていた。
甲府では、夕方5時過ぎから24将の出陣が始まり、7時頃までの約2時間、武者行列は圧巻だった。
甲府駅前には信玄の銅像が鎮座し、その正面に向かって進んでいくのは、御屋形様の露払いの様な感じだった。
武田神社は反対方向で、各武将の屋敷跡が点在している。

 24将のうち、殆どが戦死、斬首、切腹。病没だったのは真田幸隆、高坂昌信、小幡虎盛、小幡昌盛。
長篠の戦で多くが戦死していることから、一方的な敗戦だった事が伺える。
信玄存命なら、敗けるにしてもこれほどの敗け方はしないと、思ってしまう。
 山に囲まれ、当時は、農作物の収穫高は見込めない土地柄にも関わらず、戦国時代最強と言われた騎馬軍団、
家臣団を作り上げたのは信玄の手腕によるところが大きい。
今日でも、「信玄公祭り」として、身近に感じることができる場所に羨ましさを感じた。
 「人は城、人は石垣、人は堀」人材の育成と家臣団の統率の高さに魅力を感じる。

 山梨では、「信玄公」と呼ばなければならないらしい。それほど、郷土の英雄として、今日も君臨している。