世界一周クルーズ (第43章) BY 芝原 稔
一度は通ってみたかったパナマ運河
大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河、その長さ約82km。両洋の段差23mをロック(水のエレベータ閘門)で、船は約9時間で通過する。人類の知恵と技術の結晶、過酷な自然との戦 い、携わった3万人の建設作業者の中、2万人がマラリアと黄熱病で死亡したと聞いた。自然との戦跡がみられる感激の一日。今日の食事も臨戦態勢、いずれもビュフェ・スタイルだ。
- 7時~9時 朝食はダイニングルーム
- 9時~11時半 プロムナードでアメリカン・ビュフェ
- 11時半~13時半 昼食はダイニング
運河の通過状況次第で、好みに合わせて食べられる。いずれも洋食・和食コーナー、それにサラダバー・フルーツバーなどがある。早々に朝食を済ませて11階の船首へ、既に椅子が並べられほとんど満席状態。写真左はキャプテン、パイロット(赤いシャツ)そして通過状況を撮影しているBS放送のカメラマン。
今日は幸いにも曇天状況。停泊していたクリストバル港から水路に進入。船首の前をワニが一匹泳いで横切る。幸先が良い。隣の経験者が、“運河はアマゾンのジャングルより深く、ワニはうじゃうじゃ、ペリカンの大群も見られる”と話してくれて期待したが、ワニの出現はこれが初めてで最後。やがて船はガトゥン閘門で三段階にわたって26m上昇、広大なガトゥン湖へ。閘門(ロック)を通過するとき、両側に 施設された線路を6台の電気機関車(写真・左)が牽引する。船は自力で推進、船を中央に保持するために電気機関車が活躍する。実は40数年前、現役の時、電気機関車の制御部品を納入した記憶がある。台車は三菱重工、動力・その他は東洋電機製造が担当した。当時はアメリカ陸軍の管轄下、米軍の厳しい規格(ML規格)で95%の湿度に耐えられる防錆・ 防湿・?Gかの耐衝撃性・対振動性が要求された。約60車両分。それが今でも健在に目の前では約50両が活躍している。残念な がら車両の中は見えない。米国陸軍管轄下のため、三菱重工製の表示もマークもない。前の閘門は先発のコンテナ船、隣も巨大なコンテナ船で手が届きそうな近さ。閘門と船の間は殆ど余裕が無い。残念ながら日本船と客船を見ることは出来なかった。
ガトゥン湖は大小の島々が浮かび、椰子その他の木々で覆われている。ピンク色や黄色の花の樹木も茂っている。残念ながら花の名前は分からない。12時、ここで1時間ほど繋留、食事に行く。曇天とはいえ約4時間、左舷から右舷へ、船首から船尾へ、8階から11階へと走り回り疲労気味。午後の活躍に備え食事を十二分に摂った。ガトゥン湖からは両側からジャングルが迫る。大陸分水嶺を横断、運河 の最高峰・海抜179mのゴールドヒルを左に見ながら航行、ヒルの頂上で手を振る人たちを見た。我々の船を撮影するカメラマンの一行だ。再びペテロミゲルとミラフローレスの閘門で下り、アメリカ橋(写真・左)をくぐると目の前に太平洋が広がっていた。そして夕闇が迫る頃、左手にビルが立ち並ぶ美しいパナマ市の明かりが見えた。船からはパイロットを含め、約30人の作業員たちがボートに乗 り移り運河に帰るのが見えた。スエズ運河の場合はやや狭い海路を航行するのみ、乗り込んだエジプト人はデッキで露店を開いてアルバイト。このパナマではみんな懸命に働いていた。またスエズの周囲は平坦な灼熱の砂漠のみ。方やパナマは生い茂るジャングルの中、相対的な違いを見せ付けられた。もう一度通航する機会が与えられるなら、断然パナマ運河を選ぶ。最後にペリカンが二羽とぐんかんどりを見ることが出来た。夜は11階の展望風呂からパナマ市の明かりを眺め手足を伸ばした。ぐったりと疲れたが本当に充実した一日だった。