岩国城 (山口県岩国市)

2012年03月18日 | お城めぐり

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岩国城 横山城 桃山南蛮造りの天守 (山口県岩国市)

岩国と言えば「錦帯橋」、このあたりを訪ねるツアーでは錦帯橋、安芸の宮島をメインに倉敷B0101か萩・津和野を組み合わせるものが多く、まず錦帯橋が外されることはない。しかし河原にバスを停めて錦帯橋を渡る。しかし岩国城はふもとから見るだけ、私も3度ほど錦帯橋が入ったツアーに参加したが、岩国城に登ることはなかった。岩国城にはロープウェイに乗るが、錦帯橋でセット券(錦帯橋・ロープウェイ往復と岩国城入場券)を買うと割引にB0105なる。今回は岩国城を目的に新幹線・新岩国からバスで錦帯橋に来た。ロープウェイ山頂駅より天守閣までは山道と整備された楽な道路とあるが、山道(写真下・右)といえどもさほど急阪ではなく風情も良いので、山道をお勧めする。毛利家存続に注力していた吉川広家は、輝元が敗れたため米子から岩国に3万石で移封された。広家が慶長6年(1601)に赴任し、岩国城の築城が始まB0106った。ふもとに平時の居館、横山山頂に戦いのための横山城が建てられた。8年後本丸には3層4階の上に物見を置くという、桃山風南蛮造り天守を竣工した。このような形は小倉城や高松城とともに珍しい造りです。その後幕府の「1国1城令」によりわずか7年で破却の運命に見舞われた。それより後は山下の居館で藩の政は行われた。天守最上階からは右の写真のように岩国が一望できる。戦後天守の再建運動が活発になり、昭和37年(1962)に復原された。ただし再建された場所は、元の天守台(写真左)の南に少しずらされた。これは岩国の街から見上げて城が見える位置までほんの少しずらされたということです。本来の城はふもとから見えませんでしたが、現在のものは錦帯橋から良く見えます。ロープウェイ山頂駅横の公園にはからくり時計(写真右)があって、時間になると童謡が流れて、中央の錦川の鵜飼いの仕掛けが動く。20分おきなので時間調整してぜひ見ることをお勧めします。

 

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香川家長屋門

ロープウェイ山麓駅から錦帯橋まではその昔岩国藩主吉川家の居館跡で現在は公園としてB0201開放されている。いくつか訪ねたい遺跡もあってここに紹介する。香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で、元禄6年(1693)に建てられて、岩国市の建造物としては最も古いものの一つとされている。道路からいつでも自由に見学できるが、中の見学は門が開いているときだけである。門からのぞくだけで内側は現在も個人の住宅であり、庭に立ち入ることは出来ません。

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目加田家住宅

目加田家住宅は中流クラスの武家の屋敷です。江戸時代中期の18世紀中頃に建てられました。岩国の屋敷の多くは錦川の氾濫に備えて二階建てで、この住宅も二階建てですが、表側から見ると大屋根で一見平屋に見えます。これは藩主が通るときに見下ろすことがないようにとの配慮だそうです。入母屋造りのこの建物は当時の武家屋敷の形式をよく伝えており国の重要文化財に指定されている。

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   正面から1階建           裏に回ると2階建           庭

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岩国市立 岩国徴古館

B0301吉川報效会は昭和15年に岩国徴古館の設立を決め、設計は岩国でも学んだ佐藤武夫に依頼し昭和20年(1965)3月に竣工した。戦時中に、しかも20年ということもっとも厳しい時期によく竣工できたものだ。洋式煉瓦壁木造瓦葺、本館の建坪は574㎡。収蔵資料は郷土に関係ある絵画・書籍など4万点を超える。テーマを決めて企画展示もしている。(入場無料)

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岩国史料館

「吉川資料館」(きっかわしりょうかん)は800年もの歴史を持つ吉川家に伝来した歴史資B0401料、美術工芸品を約7000点を収蔵している。中でも吉川家文書・吾妻鏡・太平記など2500点の歴史資料は国の重要文化財に指定されている。それらは年4回の展示替えにより公開している。国宝である太刀、「狐ヶ崎」(青江為次作・鎌倉時代)や国の重要文化財である「�墸箔胴服」(秀吉より拝領の陣羽織・桃山時代)など吉川家に伝来してきたもので、美術的にも工芸的にも高く評価されている。庭園からは城山の椎の原生林と岩国城を借景とした眺めも楽しめる。

昌明館付属屋及び門

寛永5年(1793)、岩国藩第7代藩主・吉川経倫公の隠居所として建築された昌明館に付属する建物の一部で、昌明館は享和3年(1803)経倫公死去後、第8代経忠夫人・喬松院の居所とされ、その後廃藩置県のとき、岩国県庁が置かれ、のちに解体された。残された長屋2棟、門1棟は18世紀末頃の建築様式をよく伝えている。

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二平葺の瓦

昌明館付属屋の屋根瓦は、両袖瓦と平瓦の2種類の瓦で葺いた「二平葺」(にひらふき)と呼B0403ばれるもので、両袖瓦とは、丸瓦、平瓦、丸瓦を一つにまとめた瓦のことである。前述の目加田家住宅の屋根瓦も二平葺で、17世紀中頃に岩国の瓦職人が考案されたと伝えられていて岩国城下町に見られる地方色である。ところは変わるが、高知の大川筋武家屋敷資料館の長屋門には右側半分に「左瓦」が使われていて、この種の瓦は土佐特有と聞いている。岩国の二平瓦は非常に興味深い。

                        

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