ドゥブロブニク
5月4日 午前8時クロアチア共和国、ドゥブロブニクに接岸。今回のクルーズのなかで期待される寄港地の一つである。
最近の海外旅行の広告では、「煌きのクロアチア」、「歴史を語り継ぐ、アドリア海の真珠」、 「世界遺産の町・ドウブロブニク」などとはやし立てている。一部は誇張にせよ、長きにわたり、ユーゴ・スロバキアの名で独裁者・チトーの支配下に置かれ、1991年にはセルビア軍の砲撃と爆撃で大きな被害を受けたこの国が、世界遺産に指定され中世そのままの外観を(共産圏であるにもかかわらず)見事に復興させた。その「ドゥブロブニク」を見るのだ。旅行会社の宣伝でなくとも興味はある。 それ自体は、城壁に囲まれた、中世の面影を残した小さな街である。爆撃で破壊された街を、中世そのままに、復興した官民一体の努力には頭が下がる。貧しい国がここまで美しい街を復興したのに、一方富めるわが国がてんで纏まりがない醜い街にしか復興できなかったのは、官に将来へのビジョンがないせいか、民の責任か?この国と何が異なるのか、我々は後世に悔いを残すことと思う。
入国審査なし、バスで城壁のドゥブロブニク旧市街に行く。生憎と出国以来初めての雨。寒い。また街は大理石の道、階段ですべる。おまけにカメラのメモリが突然満杯、1枚も撮れなくなった。やむなくビデオに切り替える。雨の中、傘を片手に、狭い路地を撮るのは至難の業。ドミニコ修道院を見る。14世紀建設、15~16世紀に増改築されたロマネスク・ゴシック・ルネサンス様式が混在す る。その後旧総督邸を見学。楽しみにしていた城壁に上るのは雨で断念。昼食は清流のほとり、スラブ風の農家のようなレストランで、サラダと鱒のムニエルを食べる。帰路海沿いのリゾート地で、中世の面影を残す町・ツァバァタットを散策。海の透明度が高く、海底の石や泳ぐ魚も見える。岸壁には無数のウニがへばりついている。日本なら食べつくされているのはと、つまらないことを考える。午後6時出向の予定。二台のバスがまだ戻らない。野次馬がデッキで帰りを待つ。約20分遅れての出港。「クロアチアに栄えあれ」と祈りながらの別れだった。