埼玉県日高市を歩く!
2013年12月15日、埼玉県日高市にある「高麗神社」と「聖天院」に
行って来ました。
現地(高麗神社)までのアクセスはマイカーです。
※高麗神社~聖天院=徒歩約10分
さいたま市南区の我が家(南浦和駅近く)から車で、約1時間45分です。
※往路=約1時間30分
※帰路=約2時間(夕方の渋滞の巻き込まれたため)
高麗神社は、668年に唐、新羅に滅ぼされて、日本に亡命して日本に帰化し
ていた朝鮮の高句麗の人々を、日本の朝廷はこの地に移住させました。
諸説はありますが、高句麗王族の一人を祀っているということです。
興味深いのは、高麗家の住居が資料として残っていることです。
◆「高麗神社」の正殿
「高麗神社」は、この正殿に上がる前に立派な門がありますが、今回は参拝の
人が多くて、いい写真が撮れませんでした。
◆「高麗神社」の門
なかなか威厳があり、装飾性にも富んだ門であったが、記念撮影の人たちが沢
山で、シャッターチャンスに恵まれなかった!
◆高麗家の住居
素晴らしい枝振りの枝下桜がありました。
桜の時期の訪問がいいですね!
◆高句麗王族末裔の小学校入学記念に築造された庭
高句麗王族の一人として王姓を認められたと伝えられる「高麗若光」の末裔の
小学校入学記念に、この立派な庭が造られたとのこと。
入園禁止。
◆高句麗王族末裔「六一代 高麗暁光 小学校入学記念」の銘がある立て札
1人の子供の小学校入学記念にこのような立派な庭園を造るとは、さすが高句麗
王族の思いが感じられます!
◆「聖天院」への道
「高麗神社」に参詣して道路に向かって歩くと、直ぐに写真の看板がある。
※「高麗神社」を背にして右側の小道。
「聖天院」の正門前の風景。
ここから、丘の中腹まで、かなり登って行く。
◆急な階段を登る手前左側に「高麗王廟」という多重塔の墓がある。
「聖天院」と「勝楽寺」と「高麗王」について
「聖天院」は、正式には、「高麗山聖天院勝楽寺(こまざん しょうでんいん
しょうらくじ)という。
続日本紀によれば、今から1200年前高句麗滅亡によって日本に渡来した高句
麗人のうち甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国に住む高句麗
人1799人を716年に武蔵国に移し、高麗郡を置いた。
現在の日高市は、高麗郡の中心をなした地域と考えられ、1889まで高麗郡で
あった。
「高麗王若光」は高麗郡の長として、広野を開き産業を興し民生を安定し大
いに統治能力をきわめていました。
勝楽寺は若光が亡くなったあと、侍念僧勝楽が若光の菩提を祈る為に751年
に建立しました。
若光の三男「聖雲」と孫の「弘仁」が「勝楽」の遺志を継ぎ、若光の守護仏
聖天尊(歓喜天)を本尊としました。
その後開山以来の法相宗を真言宗に改め、1580には本尊を不動明王にした。
◆「不動明王」の像
急な石段の上に、1対の「不動明王」がにらみを利かせている。
◆「高麗山聖天院勝楽寺」の山門
急な石段を上り詰めると、豪壮な「高麗山」の額が掛かる「高麗山聖天院勝
楽寺」の山門がある。
◆「聖天院」の本堂
広い境内に「聖天院」の本堂があった。
◆「聖天院」の展望台
境内の端に赤い卵管で囲われた「展望台」がある。
◆「展望台」からの眺め
「展望台」から、「聖天院」の下の境内と日高市の里山を俯瞰(ふかん)
出来る。
◆「高麗王若光」の石像
日本に渡来した高句麗人に崇拝された「高麗王若光」の石造があった。
◆「慰霊塔」への近道
「聖天院」の鐘楼の裏手にある細い道を行くと、第二次世界大戦の不幸
な歴史の中で多くの韓国人が亡くなり、無縁仏のまま供養もされずに放
置されて来た人たちの慰霊塔がある。
その「慰霊塔」への近道がこれ!
◆第二次世界大戦の韓国人無縁仏の「慰霊塔」
「聖天院」の更に奥の丘を切り開いて、第二次世界大戦の韓国人無縁仏の
「慰霊塔」がある。
◆「慰霊塔」が聳え立つ
こんな所に!?・・・という場所に立派な「慰霊塔」が建っていた!
「慰霊塔」建立の経緯と、そこに安らかに眠っている慰霊の子を思うと、
この「慰霊塔」の前に立つ人は、自然と手を合わせるに違いない。