ポジティブ意識の智恵

あなたの意識が180度変わると何が可能になるか!

パノラマ意識(3)~ 確かな意識成長に対しての一考として

2016-12-12 18:30:00 | パノラマ意識
霊的な成長を目指すなら宗教の門を叩けばいい、人間や人生を深く探究したければ哲学
を学び探究すればいい、人間心を知りたければ心理学を学べばいい。
大きな分け方でみると、これらの内容に結びつくことは、こんな感じで誰もが思いつくことだ
と思っている。
間違ってはいないが、これで本当にいいのかとなると、私としてはお勧めできない。

ただ、基本的知識を得るという点や思考の訓練や意識を目覚めさせるという点では、基本
的段階として勉強することはいいことである。
この基本的勉強にしても、やはり最低でも5年以上の努力は必要だと思っている。
心理学も、哲学も、宗教も、しっかり勉強し探究していけば、それなりの理解段階には達す
るだろうが、それでもこれらの一つだけを勉強しても限界は見えている。

精神に関係する勉強は、何のためにするのだろうか。
何を目標に、また目的に理解を進めていこうとするのだろうか。
目標も目的意識もなく、ただ興味があるからという人もいるだろう。
そう思ってはいるが、実際その興味の背後にはどんな願望や野心が隠れているのだろうか。
存在のすべての疑問に答えを出せるのは、精神に関係する勉強の探求である。

その探求は、どんな学問より上に位置し、またすべてを包含している。
その結果は到達の域で明確になり、その到達に終止符を打つことで神(霊)の中となる。
答えはある。
答えを知りたければ、この世にその答えを探すな、となる。
この探求、この中を到達まで進んでいくことが意識の勉強である。

その意識の勉強は、すべての意識、精神に関係することすべて、そしてこの世と観念、人
間と神に関係すること、要はすべてを知っていく勉強にしていかなければならない。
大変? これが大変でないと誰が言えるのだろうか。
ただ、この目的意識を持って、できるところまで自分のペースで進めていけばいいだけだ。
この世はこの世だが、自分の意識の中にすばらしい道がありそこを歩いている自分がいる
ということは最高に価値あることだと思えないだろうか。

精神に関係するすべてのことは、自分の生き方そして人生そのものに影響を与えるもので
ある。
心理学や哲学や宗教は、基本的であっても、結果として自分の生き方を左右するようにな
り、良くも悪くも自分の意識を固定させていくものである。
これらのことから将来を見越して考えてみると、個としての自分、その自分という意識形成
に智恵ある計画性を寄り添わせていけるかどうか、それはとても大切なことである。

どんな分野の学問であろうと、その時点での到達段階は自分の理解度の度合いである。
意識の完成度合いで言うと、それがどういうことか分かる人は少ないと思うが、分かりやす
く言えば高いレベルの悟りの段階となる。
精神分野の学問はいろいろあるが、そのすべての勉強は自分の意識の理解から始まって
自分の意識の完成で終わると思っている。

意識の完成という言葉を使っているが、それは自分が心底満足するレベルと考えていい。
心理学や哲学や宗教、また精神世界といったものをいきなり勉強するよりは、本当は自分
の意識を知ることに関連した勉強していく方が、後々必要な勉強の理解度が全く違ってくる。
物事を理解する根本となる自分の意識が何であるか分からずに、何をどう分かっていこう
とするのだろうか。

自分を知って意識成長していくことは拡大意識につながるが、それとは別に知識の蓄積に
よる限界的観念意識を目指すのか、そのどちらで進めるかである。
この世的か、それとも霊的かという方向付けや選択があるが、拡大意識を目指す人はこの
どちらでもなく両方を熟知していかなければならないのである。
意識レベルが上がる段階で必ず出てくるのが、また本当の意味を知っているかどうかだが、
大体どこでも言うのが観念から自由になれということである。

意識レベルを高めていくということは、この世である観念から離れる、距離を取れる意識が
要求されるのは当然なことである。
観念から離れることは、この世を無視したりこの世とは関係のない生き方をしたりすること
ではない。
その意味は、ほとんどの人が悩んでいる人間関係やこの世のあらゆるネガティブから自由
になるということである。

それに反応するのは自分の意識であるから、そのネガティブに反応する意識を救うこと、
そして守ること、さらにもっともっと自分を高めていこうとすることである。
その経過において、意識成長に今必要なことを勉強して強化していけばいいのである。
ただ、その必要なことが、心理学や哲学や宗教、また精神世界と思っている人がほとんど
だが、私はそれとは別な勉強をした方がいいと思っているのである。

何故なら、たとえこれらの一つを勉強し高めても、いずれ自分の意識が息苦しさを感じる
ようになるだろう。
基本的からさらにレベルを上げるということは、どんなレベルになるかを知ればその答え
は自然に出てくるからである。
心理学は物足りない、哲学はもっともだと思うけどどこか腑に落ちない、宗教はどう理解
納得していけばいいか分からない。

精神世界になると、これって非真理による新しい観念世界なのかと迷わせるものもある。
この全部をどう触れて理解していくか、そしてすべてを自分の意識の中に立体的に配置す
るためにはどうするか。
これが意識の勉強である。
自分の意識をポジティブ、真理、霊意識方向に向けて拡大させていく。

ポジティブや真理を理解しながら自己意識を高めていく間、同時にこの世の観念をほとん
ど熟知していくのである。
すべてを含んで、それいてこの世レベルから意識の解脱を計っていく。
意識レベルが上がれば上がるほど、この世レベルから離れ神意識を自覚するようになる。
一つではなく全を把握するように成長していく。

この世は一つ、すべては霊である。
全が意識できるようになれば、個はよく見えてくる。
すべては段階によって分かれているのであるから、それを理解していくしかない。
とにかく、一つ一つ、基本を知って段階を上げていくしかない。
これが、最高の近道なのだが、遠回りが好きな人はけっこう多いかもしれない。

そういう人をフォローしてあげれば、知らないから仕方ないとなるかもしれない。
しかし、それを知ったとしても、それがいかに大事かに反応しない人も多いだろう。
こう考えると、真の意識の勉強は、このあたりから、その世界の大きさを知る全体像に触
れることから始めた方がいいかもしれない。



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