ポジティブ意識の智恵

あなたの意識が180度変わると何が可能になるか!

真精神世界(6)~ 思考から意識へ、意識から無意識の世界へ!【Ⅰ】

2017-10-15 10:00:00 | 真精神世界
真理・・・無・・・神。
今回は、すぐには理解できない大変難しい内容である。
当然、説明したからといって意識の深い部分など気づけることではないが、それでもこれ
から熱心に意識レベルを高めていこうとする人のために書いておきたいと思った。
意識レベルを上げるということは、本来人が目指す真理、無、神という方向に近づいてい
くことであるが、ほとんどの人はその世界がどうなっているかは気づいていない。

もちろん、これら一つ一つは思考して分かるといったものではないので、理解しようとす
るのではなく、基本的なことからそのイメージを拡大していくしかないのである。
神はさておき、真理にしても無にしても観念的な意味で理解していることは、その世界に
触れるには、ほとんど躓きになるレベルだということを知っておいてほしい。
躓きになることを知らずに、いつまでも真剣に求めているほど辛いことはないだろう。

それでも、一度はそこを通らなければ、理解の段階の気づきや到達への道を切り開けない
かもしれない。
そういう訳で、更に高いレベルのことに気づくための一つとして、自分が求めていること
が、本当はどのような意味なのかをしっかり知っておくことが大切になるのである。
宗教や精神世界には、そのような内容のことがいろいろ書かれたり説明されたりしている
だろう。

しかし、それは理解の焦点の当て方にもよるが、本質的なレベルから見ると、私はほとん
ど違うと思っている。
実際に、自分が求める世界に入っていくためにはどのようなことが必要なのか、その説明
もなくただそのような知識を話していても、そこまでのことである。
人が目指していく意識の方向は、真理なのかそれとも無なのか、又は神になると思うが、
そのどれかであるに違いない。

その目指すところは、瞑想においては無になるが、解脱の道意識向上の道では真理という
ことになるだろう。
その次に、神という世界を意識することになるが、宗教や精神世界では神という言葉がよ
く出てくるが、本当は神の何かを一つでも分かっているのだろうかと思ってしまう。
最初に触れていくことになるが、私が分かりやすく説明しやすいのが神についてである。

神の話が分かりやすく説明できるというと、とんでもない誤解を招く恐れがあるが、実際
は神のことは誰一人全く分からないことだと言いたいだけである。
神がどうのこうのと言っている人もいるが、私は神についてはこれまでほとんど真剣に考
えることはしてこなかった。
何故なら、神については、それこそ神の何か、または神が何であるかは何一つ分からない
からである。

私が意識で触れてきたのは、神ではなく、神の属性や形態的顕現であり、宇宙や霊界の全
てを創造した神という概念だけだった。
当然、神の実態など全く分かるわけもないのだから、無理に考えることもないと今も思っ
ているのである。
神を本当に感じていけるには、私たちの意識そのものを向上させそこで感じ触れていく意
識的感じ以外は、神を知ることなど一切ないのである。

そのようになるレベルは、私は聖者意識レベルからだと思っている。
人が神の属性に触れることができるのは、神の法則というものである。
人や世界のすべては神の法則で縛られているのであるが、それをほとんど無視しているの
が神に一番近い人間であるというのは、何か皮肉的に感じるものである。
神の法則の中に、それこそ必然の全てが含まれているということに気づくべきである。

どこまでも無視すれば、その結果どうなるかのそれも分からず、結局は苦悩の道を歩くこ
とになるということを心底から分かれば、変われるのにと思うのだが・・・。
それも信じられないのだろう。
人が神を意識するときは、恐らく苦しいときの神頼みのときだと思うが、神様仏様と祈っ
ても、ネガティブに満たされている人間の意識に神がどの程度触れられるのだろうか。

それより、神は、この宇宙には入ってきていないのである。
宇宙を創造した神ではあるが、この宇宙、3次元を任せられているのは大聖者である。
だから、私たちは全く接点のない神を見つめるよりも、聖者の意識レベルを目標に自分を
高めていくべきなのである。
今言っている内容は、これまで私がやってきたことで経験から言っているのである。

私は聖者が話す内容の意味を深く理解しようとして意識の勉強をやってきたのである。
だから、聖者の教えの意味を聖者の意識に近いレベルで理解できない限りは、私は神に意
識を向けるつもりはないのである。
この思いはずっと前から、そして今も変わらない。
今を意味のないことに向けるより、無駄な時間にしないように時間を大事にしなければな
らないのである。

神仏を求めることは、宗教や精神世界になるのかもしれない。
しかし、宗教や精神世界は神方向に向かっていくために、どのように自分の意識を高める
かをちゃんと教えているのだろうか。
宗教でいう、祈りや難行苦行や力を込めた集中力などが必要なのであろうか。
また、特殊能力や意識が重くなるくらいの知識を集めることが必要なのだろうか。

もっと言えば、神との一体化の思いや思い込み集中などが必要なのだろうか。
私は、これまで難行苦行や思い込み集中といったことは一度もしたことがないのである。
私がやってきたのは、意識の理解と意識訓練である。
意識訓練というのは、自分が自分の意識を知りそれで意識の世界を動くための訓練である。
そうならなければ、聖者の世界や神秘霊的世界に触れられないと思ったからである。

聖者は、霊意識の世界にいる方であるから、誰もが自分から近づくしかないのである。
その理解のために、それに触れるために、私は聖者方の教えを理解するために、聖者の言
葉が載っている本を選んで勉強してきたのである。
私は、意識勉強の最初から聖者の本しか触れてこなかったのである。
いろいろなことを知るためには、参考として精神世界系や知識的な本も少しは読んだこと
もあったが、そこから得ることで大事なものはほとんどなかった。

しかし、いきなり聖者方が言っている言葉の意味を理解しようとするのは無理である。
また、聖者方が言っている言葉をたくさん知って集めたとしても、それだけではそれほど
大きな意識成長にも結びつかないのである。
聖者方の言っていることを覚えその知識がたくさんあるからといって、本当に何が分かっ
ているのだろうか、できるのだろうか。

それで、自分を救い守り高めることができるのだろうか。
本当に自分を救い守り高めるには、言葉の真の意味を理解することが必要なのであるが、
言葉の真の意味ということも分からないかもしれない。
その勉強、その方向が真理である。
言葉の真の意味というのは、観念的言葉の意味から離れた真理側だけで通用する意味であ
り、言霊的な分野にも入るだろう。

意識の勉強の方向又はそのやり方、そういうことを全く知らずに勉強していると、聖者の
本を読むのもただ読書になり、ただ知識を集めることで次が見えなくなるかもしれない。
結局、そのうちだんだん迷いと疑いが強くなり、自分自身がどうしていいか分からなくな
るものである。
このようなことは、誰もが体験していることではないだろうか。

そうなってしまうのは何が悪いのだろうか、何が原因なのだろうか。
もう一度しっかり見つめてみれば分かることであるが、このことについてはこのブログで
随分説明してきたことである。
その大きな原因の幾つかは、一番に自分に素直でない、次に焦って基本をないがしろにす
る、人やこの世を見過ぎる、そして理解の順序、進め方に重点を置かない、となるが、出
せばその他にもたくさんある。

過去の宗教の歴史を見ても、何一つその世界の理解の方法や進め方の順序などは、はっき
りと伝えられていないのである。
仏教経典を読むだけでは、真に真理、無、神を意識する気づきや目覚めは来ないだろう。
やはり大事なことは、自分の意識をどうやって高めていくかの順序の理解と勉強方法を知
るしかないのである。

すべては意識なのである。
最終的には、人は自分の中、自分の意識に入っていかなければならないのである。
まず知識、そしてそれから意識の理解といった順である。
その意識レベルを上げていくこと、それが真理の方向である。
これが唯一神の道であり、それ以外に何が必要だろうか。

それとも、この道だけを歩くことはつまらないという気持ちになるのだろうか。
その思いは輪廻転生の道を歩かされるだけで、そこを歩いている誰もがいつか絶対的な選
択を迫られるときが来るだけである。
その間の道のりは、ただの今の延長であり、興味本位に惑わされている我の意識との一体
化という人生なのである。

真理に入るまでは、順序としてまずポジティブを目指していくしかないのである。
ポジティブの次が真理である。
ポジティブになるまでには、自分のネガティブを何とか外していくことをしなくてはなら
ないのである。
そのネガティブが何であるか、その本質的な意味をどんどん知っていくことで、ネガティ
ブから離れていけるのである。

そうなって、初めて人の意識はポジティブの良さに気づき、自由という意識に喜びを感じ
ていけるのである。
ネガティブを無視して、ポジティブになることを目指すのではないのである。
ネガティブにしても、ネガティブを捨てることも消すことでもないのである。
ネガティブの低級性、無意味さ、無価値を知って、それが完全理解に進むことによって自
然に自分のポジティブ性が上るという仕組みが神の法則である。

それをどのように見ていくか、どのように分析していくか、どのように真理方向に入って
いくか、それが意識の勉強の道である。
このようなことは、私がここで説明していても分かることでも信じられることでもないか
もしれない。
何故なら、あなたの中には数多くの輪廻転生を繰り返してきたネガティブが無意識に深く
蓄積されているからである。

真理霊意識から見ると、人間意識のすべては限界の中にあるものだから、本当はほとんど
の意識は理解できるものである。
だからといって、全ての意識を理解するために頑張る必要もないのである。
自分のネガティブ、自分の意識を高めていくだけ、そして神の世界に入っていけばいいの
である。

神の世界に入ることは、とんでもないくらい難しくも無理なことでもないのである。
どんな人にも言える第一のことは、自分のネガティブをポジティブに変え、そして神の世
界に入ることを目指すのである。
これが一人ひとりに与えられた第一の霊的使命である。
個人的には、それ以外の使命はないのである。

次回に続く。

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