ポジティブ意識の智恵

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名言格言 ・・・名言(8) ニーチェ・信念は固定観念の産物?真の信念とは。

2008-11-18 23:24:47 | 名言・格言


★☆ 名言(8) ☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★
・                                      
・ 信念は嘘よりも危険な真理の敵である

★☆ ・・・・・・・・・・(  フリードリヒ・ニーチェ 1844 -1900 )・・・・・・・・・・・・・☆★

                  < ドイツの哲学者 >
                      
ニーチェの名言だけでなく、今回は信念についてちょっと違った角度から見てみましょう。
一般的にいって、信念を持っている人は、持たない人よりはいいと思うかもしれません。
はたして、それは本当なのか、また信念に変わるものは無いのか、それとも信念は自分を守
るための防具となるのか。
この世で、私たちが普通に使っている言葉、その言葉の意味もパターン化され、何の疑いもな
くそれに反応し、その反応に自分の思考を重ね合わせている人の持つ信念にも問題がある。

信念をすべて説明するとなれば、ニーチェのように少し頭が重くなって来そうです。
信念という言葉の意味を考えていくと何がわかるのでしょうか。
たとえば、意志の弱い人が信念を持てと言われると少し気持ちが萎縮すると思います。
そう言われたとき、その人は「信念」をとっさにどのような意味に解釈するかです。
まず人が言葉に反応し、次の行為、表現に移す意識の土台となるのは固定観念と感情です。

倫理的道徳的に正しい思いで生きようとする人
自分の目的に向かって迷わず進んで行こうと思っている人
人の意見に左右されないで自分を通して行くことの出来る強い人
ちょっとの苦痛や逆境にも負けない自分を持っている人
誰がなんと言っても、自分の信じることを曲げない人
これ以外、いろいろな世界を見ても、それぞれの信念を持って生きている人が多くいます。

言葉だけに焦点を当てれば、信念というのはいい響きがあります。
しかし、この信念が問題になることが多いのです。
この信念に客観的冷静さや柔軟性が加わればまだいいのですが、けっこうそうでない人が多
くいます。
信念という言葉だけに固執して自分をその言葉の感じに縛りあげれば、自分を失ったりふし穴
状態になることもあるのです。

自分の中にある固定観念の中を覗けば、信念という言葉をどれだけ説明出来るでしょうか。
その程度、自分が知った知識の程度が自分の信念の裏づけになっているものです。
あなたも誰かに信念を持てと言われたことがあるでしょう。
そういっている人自体、信念というものが何であるか知っていないかもしれないのです。
二ーチェが言う、「信念は嘘よりも危険な真理の敵」という意味を考えてみたいと思います。

その前に、ニーチェの波動測定の結果を言っておきます。
ニーチェの顔見ると何か感じるかもしれません。  (ウィキペディアで調べました)
私はニーチェのことはまったく知りませんが、見たとおり?の意識波動です。
波動測定で集中していると、私の頭それも前頭部が重くなり、そして軽く痛くなる感じです。
二ーチェは相当深い集中をしていますが、霊的、または調和的波動は感じられません。

哲学者であっても、かなり考え抜くタイプだと思います。
彼は、インスピレーションの得る方法を少し気づいていたのかもしれません。
ただ、彼が求めるインスピレーション、それを受けるための霊的真理をどのくらい深く理解し
ていたかです。 
いくら集中していても、それを受けられる自分を準備していないとダメなんです。
ニーチェの意識に集中していると、自分も深く沈んでいく感じになって行きます。

この波動測定から、ニーチェがいう「真理の敵」の「真理」は、真の霊的意味での真理では
ないと考えています。
それでも哲学ですから、「真理に近い観念」の段階にあって、ある高いレベルまで思考が達
していたのかもしれません。
ニーチェ哲学に詳しい人はわかるでしょう。
ニーチェの言う嘘は、「嘘」ともう一つ「暗示」という意味で捉えてもいいでしょう。

この世的な意味からすれば、自己暗示も信念も同じようなものになるかもしれませんから。
違いはと言えば、思い込む度合いの差、信じる力の差、もっと言えば、その信念を自分自身、
自分のプライドに変えてもいいという強力暗示かどうかになります。
かなり高いレベルの「真理に近い観念」から来る信念と、この世の意味としての信念とでは、
まるで意識レベル、内的意識力のレベルが違うのです。
「真理に近い観念」から来る信念は、それだけネガティブ性は含みません。

一般的に言う信念というものが、どうしてそれが「問題になることもある」かです。
信念という言葉自体、誰もがポジティブ的な感じがすると思っているかもしれません。
しかし、意外にネガティブ性に変わりやすいマイナス面がいつも付きまとっているということも
あります。 仕方ないです、この世の観念からの産物ですから。
ポジティブうつ、
ネガティブうつがあるように、ポジティブ信念、ネガティブ信念もあるのです。

一般的に信念を強く持つということは、柔軟性や広い見方から自分を閉ざし、また自分をその
信念に支配させることまで許します。
そして、その信念に自分の意思すべてを任せ、それによって作られた自分に仮の自信という
力を与えようとします。
何かをやリ遂げようとする時は、こういう自分を作ることも必要ですが、何もなくただ信念という
見せかけに自分をおき、その気になっている人もいるのです。

人は何かするとき、信念かそういった何か自分の芯となるものを作ろうとします。
しかし、それから一時的な信念だとしたら、それを自分の何となく安心として暗示をかけるなら、
おそらく求めている事は失敗に終わるだろうと思います。
それは、目標に向かうための信念ではなく、不安のよりどころ安心させる仮信念だからです。
この世にある言葉の意味で動いてはならない。そこに含まれている意味を知ることです。
この世にある言葉には言霊、真の言葉の意味、意識で納得できる意味が入っていないのです。

信念、イコール間違った固定観念、そんなものを人から押し付けられたらどんなに迷惑か。
社会は人間関係で成り立っています。
会社の上司、周りの先輩方、自分の信念による教育熱心な親、良く注意してみればこの世は
ネガティブ信念を持った人が何と多いことか。
自分で自滅するだけならまだいいが、それを他人の自由な意識にまで影響させようとする。

まだ、嘘ならいつか気づくのも早いと思うが、信念になると、困ったものだとなるでしょう。
頑固な人が信念のある人ではないのです。
実力者に多いと思いますが、間違っていても自分を変えない人が信念の強い人ではない。
そんな人は、つまらない信念に縛られた、それから自分を解放させることも出来ない真理、また
は真理に近い信念から遠くかけ離れた人なんです。

この世の言葉の意味だけでしか物事を考えられない人、ほとんどの人がそうですが、それに自
分を固定してしまえば、年をとったときには固まった観念の自分、間違った信念の塊人間が残る
だけです。
それは知識の塊、自由意識の無い人間、固定観念化された自分、それを自分のプライドにして
いるだけなんです。

全体意識から見れば、固定観念化された知識の集まりで出来た人間、意識の世界も自由も知
らない人間が、いつ、脱皮、自己成長のためのチャンスに気づくでしょうか。
私たちは自分を変えるために、知ること、知らなくてはならないことが多くあるのです。
それでも、簡単な方法を探しまくるのでしょうか。
「簡単な方法はどこかに、必ずある」、こう思って疑わないのも「信念」ですか。

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