アメリカ留学~Where there is a will, there is a way~

アメリカの大学に入学前から卒業するまで書き続ける予定。
HipHop,R&Bお勧め曲も飽きがくるまでがんばります!

意味

2020年06月20日 23時34分01秒 | Weblog
意味。
どこにあるのか。
一番近い人とは毎日喧嘩。

あの人とは連絡がつかない。

結局誰からも大切にされていない。結局誰のことも大切にしていないから?

入社して10年が経った。何を得たのか。このまま居続けるのか。

歯車がうまく回っていない。もしかすると結婚以来ずっと?

娘のことは愛している。でもそれがゆえに、つらい。

2019年08月21日 01時44分27秒 | Weblog
娘が生まれてから1年以上が経過した。
幸せだ。幸せすぎると言っても過言ではない。

ただ、夫婦の喧嘩は絶えない。本当によくないと思っている。できればもちろんしたくはない。
こちらにも問題はあるし、あちらにも問題はあるだろう。正直、修復不可能なレベルだと思う部分もある。

お盆休み、妻と嫁が実家に戻って10日ほど経っただろうか。
めちゃくちゃさみしい。娘の動画を何度も見返した。
深夜、リンコスに一人で買い物に行った。その帰り、娘が載っていない自転車の後部座席、進む道もその都度その都度娘と歩いた日を思い返す。

生きていく目的がはっきりと決まった。娘との時間が、家族との時間が最もかけがえのない時間だ。

変な気持ち

2018年06月01日 20時00分00秒 | Weblog
変な気持ち。

6月1日(金)
この日はオンラインの日だった。そして夜からは上海に旅行に行くはずだった。

午前9時、電話がなる。「破水したかもしれない」と。病院にちょうど行くときに限界で破水したようだ。そのまま病院に直行してもらう。

午前の診断の結果、本格的な破水ではなく後期破水だろうという感じだった。

そのまま13時からオンラインへ。

終えて、夕方ごろ、最後検査したところどうやら本格的な破水だと。24時間以内に陣痛が来る可能性が高いようだ。

もうここからはばたばた。

とりあえず局に行き、オンラインの素材をデスクに託す。上海はキャンセル。

20時44分、山形への最終便に乗る。

いまは電車のなか。へんな気分である。

まもなく父になるという人生で味わったことがないイベント直前なのに、頭の中は上海いきたかったなーってことばかり。
でもちょっとだけ緊張もしている。

でもいいひだ。ずっと天気が悪かったのに、きょうは朝から馬鹿みたいに快晴。本当にきれいな空だった。

家で一人で寝ていたけど、あまりn日差しの強さに、それで一度目覚めたほど。

週末は快晴らしい。明るい子になるといいな。

でも賢い子だな。

そろそろ出たいけど、米朝でシンガポール出張もある、今日は金曜日だし、遊びで上海行くぐらい我慢してよね、パパ、
と言われているような気分だ。そういうところ、お母さんに似ているな。

どうか、無事に。

いよいよ

2018年05月14日 02時37分15秒 | Weblog
あっという間に33週。
実は3週間ほど前にある異変が起きた。医者から子宮頸管が短いといわれたのだ。その時は27ミリ。25ミリを切ると危険水域だという。
そこからは絶対安静の日々。自宅の家事はほぼ俺がやり、万が一に備えて都内で出産することも想定し始めた。
翌週の検診では30ミリ。とはいえ油断はできない。

妊娠後、九州に旅行に行ったり、ディズニーにも、USJにも行ったりと、少し無理をし過ぎたのは間違いない。

いまはただ、無事に生まれて来てほしい。それを毎日祈り、願う。

電話

2017年10月22日 01時41分22秒 | Weblog
10月20日、午後5時43分。
職場にいたとき、電話がなった。正確には、電話がなっていると後輩の村井が言いに来てくれた。
画面をみると、まゆ。電話とLINEで2度着信があった。すぐに折り返す。

なにか怒られるのかな・・・

「ねーいま大丈夫?」
すこし息が上がっているのは、電話でも伝わる。

「どうした?」

「私妊娠した・・・いま検査したら反応がでた」


その時の気分、へんな感じだった。
人生で最も重要なイベントのひとつがまさに来たのに、嬉しくないというか、妊活したんだから当然だろって思うような気持ちというか。まゆも「私ちょっと前から体調変だったからわかってたんだ~」とあっけらかんと話していた。

電話は3分とかだったと思う。ちょうど週末に総選挙があり、日々党首インタビュー企画に追われたいた。電話が終わって、すんなりと仕事に戻った。

家に戻る。まゆに会う。よくわからない。どっちかというと、今まで普通にできていたデートや旅行ができなくなる、せっかく始めたテニスもできなくなる、そんな気持ちのほうが大きかったように思う。そういう意味でなんだか急にさみしい気持ちさえ抱いた。

翌日、21日は土曜日だった。
朝、産婦人科に一緒に行った。そこでもまだ実感がない。検査にも立ち会ったが、「妊娠はしてますけど、たぶん、でもまだ見えないですね~」と。あっけらかんとした気分だ。

俺は早く両親に報告したかったけど、もう少し待ってといわれる。
そのまま図書館でマタニティ関連の本を借りてみる。

午後2時ぐらいだろうか。

なぜか、急に来た。ジーーーーーーーーンって。。。
後ろから抱きかかえながら、気づかれないように泣いてしまった。。。。なんなんだ。この時間差は。
急に居ても立っても居られなくなった。ネットで調べて、杉並にある大宮八幡神社に参拝に行った。急にうれしさと責任がこみあげてきた。

夜、ベッドで寝ているまゆに「嬉しい?緊張?」と聞いてみた。
「嬉しい」って答えてくれた。「ちび」って。

また泣けた。

2017年04月03日 02時00分41秒 | Weblog
久しぶりに帰省している。

大変いいことだが、結婚する前は散々優柔不断だったくせに、いざ結婚すると相手のことを心から愛しく思っている。これは実はなんとも意外なことだった。正直自信がなかった部分でもあるが。でもこれはいいこと。


さて、母が病気を患ってから1年が経った。本当に早かった。本当に大変な一年だったと思うが、一方で家族の絆を深く深く考える一年でもあった。
いろいろ父とぶつかることもあったが、雨降って地固まる的なところだ。

31歳にもなって、青春18切符で2800円ぐらいで愛知県まで来たわけだが、今回初めて母が駅に迎えにきた。左足用の特殊な加工をした車で。
本音をいうと、「ここまで回復したかー」と思う気持ちより、「1年経ってもやっぱり元通りにはならないか」という気持ちが勝る。

ゆっくり話す母、ゆっくり歩く母。
たぶん、毎日必ず一度は「なんで私がこんな年で・・・」と思うのだろう。顔に表れている気がする。

夜、母と映画を見に行った。行く途中、テニスコートの側を通った。「いいなぁ・・・」とつぶやいていた。

生命の灯、か細くなったのかもしれない。でも、あの人のことだ。ここからが、強い。明るく、明るくなっていくに違いない。

子供がほしいなぁ。実家の庭を掃除していて強く思った。


結婚式まで2週間

2016年09月29日 15時56分12秒 | Weblog
31歳。
生まれてからもうそんなに経った。
同時に、日本に帰国してから、もうこれだけ経った。

人生、いいこと、悪いこと、いろんなことがあった。思ってもみなかった未来にいま立っているのかもしれない。思ってもみなかった仕事に就いているのかもしれない。

そんな俺が、まもなく結婚するらしい。実感はない。単純に変な気分だ。
こんな人と結婚するのかなって昔思っていたのとは少し違うけど、でもいい人だと思う。あとはもう少し優しく、穏やかになってもらえれば。

日々、忙しい。
あまり先が見えていない仕事。まだやる気とペース感と、いろいろな歯車がうまくかみ合っていない新しい職場。

いま日比谷でこの文書を書いているが、この町で人があわただしく行きかうように、その激しい流れの中で、時間だけがまったくくるうことなく、着々とその時が近づいている。

いつまでも健康だけは願いつつ、健やかに生きていきたい。

自分の中では落ち着いてきた

2016年03月20日 23時51分42秒 | Weblog
やっと、自分の中で整理ができてきた。突き付けられた現実を噛み砕くことができてきたようだ。

ただ、逆に父がいったんのバタバタが終わり、少し弱音を吐く場面が多少がある。今後はそちらの方にもケアしていく必要があるだろう。

結婚について、母はとてもうれしそうだ。指輪はおばあちゃんが持っているとか、そのデザインを変えるのがいいだとか。たぶん、これまで散々俺の友達の結婚の話をママ友から聞いていて、自分の時はどうしようかとずっと考えてたんだろうな。「彼女がやりたいことをなるべくかなえてやって」と強く言っていた。

一方、母はよく「お父さんが心配」と口にする。そうだな。でも母さんはまずいまは自分のことだけを考えておいてほしい。

自分だけではない。

2016年03月19日 08時32分39秒 | Weblog
自分だけではない

当たり前の話、いま辛いのは自分だけじゃない。
直後はずっと下を向いて歩いていた。ごはんもあまり食べられなかった。
えみおばちゃんは楽観的だった。「すぐによくなるよ。」病室でもずっと母と笑い話をしていたようだ。

誰かと苦しみを共感したくて、えみちゃんに電話した。

「写真みたよ。泣きそうになったじゃん。おばちゃんだって、今日も昼まで仕事してて、突然号泣しちゃってとまんなかったんだから。」

そりゃそうだよな。当たり前だ。

50年間ずっと一緒にいた姉妹だ。俺なんかより苦しいだろう。
父だって、30年以上一緒にいて、そしてこれから30年間また一緒にいる、そしていろんなところに行くつもりだった。間違いなく誰よりも一番辛いはずだ。
そして妹。女の子にとっての母親の存在はたぶん、何よりも勝るだろう。

みんな俺よりも気丈に振舞っていた。俺が落ち込むわけにはいかない。
ちゃんと生きている。意識だってある。それでいいじゃないか。俺だっていまは日本にいる。帰ろうと思ったら1時間半で帰れる距離にいるし、休みも取りやすいポジションにある。不幸中の幸いがこんなに転がっている。
前向くぞ、絶対。

夢で、母さんから普通の声で電話がかかってくる夢をみた。「あんた~」とか言ってたな。絶対正夢にしてやる。

一日経ち

2016年03月17日 22時44分50秒 | Weblog
3月17日
この日も全然寝れなかった。何度も目覚め、5時ぐらいだろうか、いよいよ起きた。またタイミング悪く、邦人テロも起こり、デスクからも電話がある。朝、急きょ東京に戻らなくてはいけなくなった。週末連休で戻るが、いったん戻る。
朝、8時ごろ病院に行った。トイレから戻ってくる母と顔を合わせた。この時間に俺が来たことで多少驚きや喜びの表情を見せてくれると思ったが、驚くほどに無表情。理由はすぐにわかった。昨日から今日にかけて、昨日までできていた動作がまたできなくなったようだ。右手がほとんど上がらない。右足も動かない。認めたくないが、言葉も昨日より出にくくなっている気がする。というか、なっている。会話を途中で諦めてしまうことがある。
本人が一番辛いだろう。間違いない。それが痛いほどわかる。たぶん、その現実にまだ真っ向から向き合えていないのだろう。それは俺も同じ。「悪い夢なら早く覚めてくれ」と心の底から思う。
昨日まで「私のことは気にしないで」と言っていた。きょうは検査に行くとき「俺検査している間に帰るね」というと、「えぇ~」と言っていた。本当に悲しそうな、寂しそうな表情をしていた。
出る前にコンビニ行って、この前の東北旅行の家族写真を印刷してきた。いま思うと、本当にあのタイミングで旅行に行ってよかったと思う。
裏にメッセージを書いた。

母へ
病は気から 負けるなよ
あなたなら乗り越えられると思って、選ばれたんだと思って
ガンバレ
ヘコたれるのは30年早いぞ

結婚のことは「マオに早く言わないと、また私だけ聞いてないとか言って怒るよ」なんて言ってた。よかった。ちゃんとそういうことはまだ言える。
ガンバレよ、絶対に。負けるな。

その日

2016年03月16日 13時13分00秒 | Weblog
3月16日。
自分の人生でこんなタイミングでこんな日が来るなんて、正直思ってもみなかった。

母が倒れた。脳梗塞だ。
午前10時ごろ、病院についた。行く前に神社に寄った。心から母の回復を願った。
病院に着く直前だった。母から家族あてにLINEが来る。

「お母さんは大丈夫です。強いでし。強いです。こんなことでは負けない」

力をふり絞って書いたのだろう。涙があふれる。

病院の人につれられたとき、「家族のみ面会可」という場所に通された。胸を刺すような重いだ。奥の白いカーテンの区切り。対面した途端、母は泣いてしまった。そして自分も。でも、こっちが泣いていては母に悪い。一度後ろを向く。30秒ぐらいだろうか。涙をこらえる。

母が話す。言葉になかなかならない。あんなにおしゃべりだった人から言葉が出てこない。でも笑い方は同じだった。それに意識ははっきりしている。よかった。
ただ、やはり大きなショックを受けていることは、明らかだった。
14時から医者の話を聞く。「手術」という文字が出てきた。左にいた母の横顔。なにも自分からは聞かず、ただただ話を聞いていた。

夜、母と二人きりで話した。あんなに長い時間、母と二人きりで話すのはいつぶりだろうか。俺は本当に馬鹿だ。なんでこんなふうになる前に、自分の人生で何が大切か、気づくことができないんだろうか。

「週末、山形に行って、彼女の親に挨拶してきた」と切り出した。「結婚する許可をもらった」と。そして本当は今週末でこっちに戻り、こちらにも挨拶しようと思っていたと。
母はまた泣き出す。俺も泣いてしまう。でも母ははっきりと「よかった。うれしい。本当によかった」と言ってくれた。この道で間違いないんだと確信持った初めての瞬間だったかもしれない。
母は同時に自分がこのタイミングで病になったことを申し訳ないという気持ちになったのだろう。「なんでいつもお母さんなのかな。ばちがあたったのかなぁ」と言った。「お父さんにも申し訳ない。せっかく自分が好きなことできるようになったのに」と。
全然、そんな風に思ってほしくなんてないんだよ、母さん。いまは我がまま言っていい。自分優先で考えてくれ。母さんほどタフな母はいない。あなたなら乗り越えられると思ったから、母さんが選ばれたんだよ。俺の子供をかわいがってくれよ。遊んでくれよ。あと最低でも30年ぐらい生きてくれ。ここからそう思った。

正直、きのうもきょうも寝れない。きょうは本当に何年振りだろうか、ショックによって、晩御飯が食べれなかった。まだこういう風になってしまったという事実を自分の中で消化できていない。

いろんな人から電話があった。母の友人から。本当にいろんな愛されているのだとわかった。そしていろんな人を愛しているのだとわかった。携帯の暗証番号は1593だそうだ。ひこくみ。泣けてくる。
いろんな人から励まされた。いろんな人から「久美さんには感謝しきれないほどお世話に会った。なにかあれば助けにいく」と言われた。みな口をそろえて「あんなに元気な人なのに。あんなに糖尿病の検査してたのに」と。そして「絶対久美さんならこんなんに負ける人じゃない」とも。

夜、父と1時間ぐらい話した。多少俺よりは冷静に受け止めているのかもしれない。それは年齢なのか、ばあちゃんのことがあったからなのかはわからない。でもこれからやっと好きなことがお互いできるようになるのにと強調していた。
ただ俺の気持ちが整理できていないのを見ると
「悩んで解決することはとことん悩め 悩んでもしょうがないことは悩むな」と言われた。それはそうだな。でもさ、そんなに大人じゃないよ。
あと結婚のことも話した。喜んでいた。

母が。

2016年03月16日 08時53分53秒 | Weblog
2016年3月15日。

会社の班かいを終え、家ですき焼きを食べかけたまさにその時だった。携帯がなり、見ると父の名前が。一瞬ご飯食べてからにしようかと思ったが、一応でた。
「お母さんが脳こうそくで入院することになった」
父の説明は落ち着いてはいたがまどろっこしい。要するにいまどういう容態なのか。時計を見ると20時すぎ。まだ今晩中にも帰れる時間だった。
電話の内容を伝えると彼女は泣いてしまった。やめてくれよ、縁起でもない。
ただ、その後恵美おばちゃんの話を聞くと、一刻を争う事態ではないと。ただ、「外人みたいな話し方」と聞いた。一方、無理をしていたのかもしれないが、恵美おばちゃんの話を聞いて少し安心した。
しかし、あれほど話すことが好きな母。もし「そんなこと」になったら、今後どうやっていくのか。嫌な想像が頭をよぎる。翌日、会社を休むことにした。
その晩、さすがに寝つきが悪い。夜中一度何かの声のようなもので目が覚めた。母からだったのか。朝も5時すぎには目覚ましもなく起きた。
夜寝る前、母にラインをした。母からの返信をあんなに心から待つことなんてこれまであっただろうか。朝起きると既読にはなっていたが、返信はない。複雑だ。
ありきたりな言い方だが、親なんて今後30年ぐらいはいると理由もなく思っていた。スローペースで人生歩んでしまった。いま思うと、母はその一瞬一瞬に常に全力投球していた。そして常に人に感謝していた。あんな人はいない。聞くと、5日前から違和感を感じながらも、おばあちゃんを見る人がいないということで病院に行くのをためらっていたようだ。

いまは名古屋に向かう新幹線の車内。落ち着こう。

泣きそうになるもんなんだな

2016年03月12日 23時06分52秒 | Weblog
2016年、3月12日。

きょう彼女の親に結婚の許しを求めに行った。

車で5時間かけて彼女の実家山形県まで向かっていった。道中、前日飲みすぎた彼女は後部座席でずっと寝ている。そうすると、どうにもこうにもいろんなことを考えてしまう。引き返そうとまでは思わなかった一方で、何か起きて延期になることに少しだけ期待していた。
この人、と決めた。。。はずだった。
で、やっぱりこの人なんだろうと思うし、思い込ませていた。そんなもんよくわらかいですよ、実際。馬鹿になって、100%の力でこの人以上の人はこの世にいないなんて言いきれる人っているのかな。

そうこうしているうちに実家についた。さすがに緊張する。
開口一番、切り出そうと思ったが、着々と料理が出され、まず食べることに。

30分後ぐらいだろうか、彼女の兄夫妻も来た。妻は初めて会う。俺のひとつ下のようだ。
正直、人生における数少ない「ここ」という場面を、会ったばっかりの人の前でやるのは恥ずかしい。ただ、それはしょうがない。

「きょうは結婚のお許しをいただきたくあがりました。」と切り出した。
母の表情は特に変わることはなかった。「いや、私は許可するとか、しないとかそういうことは言いませんので。」と。

正直、むしろ自分の方があふれそうになる涙を堪えていた。母は「尻にしかれないように、がんばってください。意外とそういうところありますので。」と。

お兄さんからは「どうぞ、ぜひもらってやってください」と言われた。
その横にいた妻からは「おめでとうございます」と。

それから3時間後のいま、蔵王の近くの温泉旅館にいる。

率直にいうと、気持ち悪い。よくわからない。
「血がつながっていない人と家族になる」というのはこういう感覚なのだろうか。

彼女はもう数年付き合っているので、家族になりつつあるし、それは自然に入ってくる。
しかし、会うのが2回目のお兄さん、そして初めて会うその妻、そして母親。ちょっと出会ったばかりの人と、この先何十年もいろんな場面で顔を合わせることになる。親戚となる。なんだこれ。。。

正解、不正解なんてもちろんなく、誰に言われるものでもなく、自分でどう思うか。
現時点で「これでよかった。最善の選択だ」と自信を持っては言えないし、それは素直に受け入れることにする。後から振り返って、そう思えるようになればいいのだから。

なんか、疲れた。あー、悲しいぐらい、年とった。
結婚が人生最良の日ってのは、ちょっと違うね。

ブログ

2010年04月05日 00時16分30秒 | Weblog
http://ameblo.jp/arequipa-7/

学生から社会人になったので、新しいブログつくりました。
よかったらどうぞ。

喉が・・・

2010年03月31日 07時37分34秒 | Weblog
昨日上京しました。
母さんと、そしてなぜか父さんまでも有給とってついてきた。
まぁ今までアメリカだったから、こんなんが嬉しいんだろうねぇ。

しかし俺の体調最悪。
昨日の朝一で地元の内科いって薬もらってきたんだけど、あまり効果がなく。
とにかく喉が痛いんです。
明日入社式だからどうにか治したいんだが、うーーん。。。

ガスやら電気に電話しなきゃいけんかったんやけど、どうにも声を出すことが痛いので、母さんに全部電話してもらった。24歳なのにね。

今日は区役所に転入届だしたり、ベッドとか机を買い揃えなきゃいけない。母さんとレンタカー借りて色々回る予定なんだが、今朝起きてもまだ調子悪い。

部屋は天王洲アイルにある。局の保有するスタジオの上にある。11階に住んでるんだけど、目の前にいい感じでフジテレビが見える。まぁあとはJALとかJTBの本社がある。

早く風邪治そう。。。