アイドル探偵・鬼夢太郎~♪

鬼夢(キム)太郎がアイドルを新旧問わず紹介します!

金田久美子

2009-08-30 23:11:50 | スポーツ
今回は金田久美子を紹介します。
彼女は3歳でゴルフを始め、8歳の時には「世界ジュニア選手権」(10歳以下の部)を制し、タイガー・ウッズに並ぶ記録を作りました。
その後も「日本ジュニア」、「世界ジュニア」、「中部女子アマチュア」などの数々のアマチュアの大会で優勝しました。
プロのトーナメントでは2002年にリゾートトラストレディスで最年少予選通過記録(12歳9ヶ月)を作りました。2004年はゴルフ5レディスで3位タイ、2006年はニチレイPGMレディスで4位タイ、2007年はベルーナレディースで4位タイに入りました。
2008年度はプロテストで1打足りず不合格。年末に行われたクォリファイングトーナメントでトップ通過を果たし、ツアーへの参戦資格を得ました。

福島千里

2009-08-01 10:50:09 | スポーツ
今回は福島千里を紹介します。
彼女は高校卒業後、2007年北海道ハイテクノロジー専門学校(情報システム科)に進学。同校で学びながら陸上競技部(名称:北海道ハイテクノロジー専門学校アスリートクラブ)に籍を置いて選手活動を続けています。2009年に卒業後はそのまま職員となりました。
中学校時代からジュニアオリンピックなど全国大会で活躍し、注目の逸材と目されていたものの、同い年の高橋萌木子の陰に隠れ思うように活躍ができず、中学3年だった2003年から高校3年の2006年までの4年間、全中とインターハイにおいて女子100mでいずれも高橋に敗れていました。彼女が本格的に活躍するのは専門学校に進学した後の2008年以降です。
2009年6月26日、日本陸上競技選手権大会の200mで23秒00で日本記録を出しました。
世界で対等に戦える陸上選手の一人です。

西堀健実

2009-05-23 22:39:53 | スポーツ
今回は西堀健実を紹介します。
彼女は小4年生の時に双子の妹の育実と共にバレーを始め、長野市裾花中の3年生時に全国制覇を果たします。高校はスカウトされた古川商業高校(現・古川学園高校)へ進学。身長はありませんがジャンプ力を生かしたスパイクを打つ健実と、セッター育実は共に主力として活躍し、1999年、第30回春高バレー・インターハイ・国体で優勝し高校三冠を達成しました。その際についたニックネームが「西堀ツインズ」でその名は全国に轟きました。
卒業後は、プレミアリーグのJTマーヴェラスに所属して活躍しますが、自分たちの目指すバレー(スピードバレー)がなかなかできないというギャップに悩み、2003年姉妹共に退社し、ビーチバレーへ転向しました。当初は姉妹でペア(チームニシボリ)を組んで試合に参戦していましたが後に解消。現在は浅尾美和とペアを組んで海外転戦しています。
浅尾美和の影に隠れた存在ですが、彼女がいてこそ、浅尾美和の存在が光ります。

山田いずみ

2009-03-07 20:37:36 | スポーツ
今回は山田いずみを紹介します。
彼女はスキージャンプの選手で、女子ジャンプ競技ではトップクラスの選手です。
彼女は小学1年でジャンプを始め、男子に混ざり活動。
中学1年でノーマルヒル初飛行。
1994年、小樽工業高校へ進学、高校2年でラージヒル初飛行。
1997年、北海道女子短期大学(後の北翔大学)へ進学。1年の時、インカレで史上初の女子ジャンパー(公開飛行)として参加、2年で史上初となる国際シリーズに高校の後輩でもある葛西賀子とともに参戦しました。
卒業後は大学の職員を経て、2002年よりロイズコンフェクトに所属。同社初のジャンプ選手として活躍します。
2007年シーズンをもってロイズスキー部が廃部となったため、同僚の渡瀬あゆみ、渡瀬弥太郎監督とともに新天地を探していましたが、同年8月にアスリートの視力矯正手術を北海道にも広めたい意図のあった神戸クリニックへの所属がこの2人共々正式に決定しました。同チームは8月28日に札幌でフライングガールズというチーム名を発表しました。
ちょっとぽっちゃりした広末涼子という感じでしょうか。

吉田えり

2008-12-06 22:36:26 | スポーツ
今回は吉田えりを紹介します。
彼女は兄の影響で横浜市立北山田小学校2年から野球を始めました。横浜市立中川西中学校では軟式野球部に所属し、一塁手のレギュラーでした。3年時に部活を引退した後すぐに硬式野球を始め、父親の勧めで投手に転向します。
中学卒業後は川崎北高校に進学し硬式野球部に一時所属しましたが、3週間で怪我により断念。硬式野球のクラブチーム千葉熱血MAKING,西多摩倶楽部、2008年9月からは女子クラブチームのアサヒトラストでプレーしました。

2008年11月2日から4日まで行われた関西独立リーグの合同トライアウトを元高校球児の兄とともに受験し、兄は1日目の選考で落選したものの、自身は最終の3日目まで残りました。最終日のシート打撃では、1回を無安打1三振無失点に抑えました。
同年11月16日、関西独立リーグのドラフト会議で神戸9クルーズより7位指名(全体27番目)を受け、話題を呼びました。
12月2日、入団発表が行われ、日本女子野球連盟を除くと日本初の女子プロ野球選手が正式に誕生しました。
ルックスも良く、今後の活躍に注目したい女子高校生です。

福岡春菜

2008-09-03 22:25:57 | スポーツ
今回は福岡春菜を紹介します。
彼女は日本卓球女子の代表選手で、福原愛の影に隠れながらも存在感のある活躍で顔が知られるようになりました。
2004年の世界大学選手権・女子シングルスでは優勝、2005年度全日本卓球選手権・混合ダブルス優勝、2005年アジア選手権・混合ダブルス3位、2006年、2008年世界卓球選手権・団体戦3位、2008年北京オリンピック・団体戦では惜しくも4位に終わってしまいました。
世界一王子サーブの種類が多いと言われており(16種類)、福原愛にも伝授した大阪・王子クラブの作馬六郎から学びました。
特殊なプレースタイルで注目されており、サービスエースを奪うことも珍しくはありません。
今後の彼女の活躍に期待したいです。

小林祐梨子

2008-09-02 22:26:41 | スポーツ
今回は小林祐梨子を紹介します。
彼女は須磨学園高等学校在学中の2005年、世界ユース大会に出場し1500mで銀メダルを獲得。 さらにアジア選手権大会にはシニア代表として出場し、1500mで銅メダルを獲得しました。 また同年、スーパー陸上では1500mの高校新記録を樹立、直後には3000mの高校記録も更新しました。 2006年度にはIAAFグランプリ大阪大会にて1500mで日本新記録をマークして、翌年の世界選手権参加B標準記録を突破。全国高校駅伝では2区で20人抜き、区間新記録、3年連続区間賞を達成。同校の3年ぶり2度目の優勝の原動力となりました。
2007年4月豊田自動織機へ入社。社内留学制度を活用して岡山大学マッチングプログラムコースへ入学。社会人選手として実業団登録を申請しましたが、「勤務実態がない」などの規則を理由に却下されたため、日本スポーツ仲裁機構に調停申請を行いました。
2008年6月29日、第92回日本陸上競技選手権大会5000mに出場、福士加代子・渋井陽子・赤羽有紀子といった有力選手を向こうに回し、決勝レースで堂々の優勝を飾りました。この結果、小林は既に金栗四三杯長距離記録会に於いてA標準記録を突破していたため、この種目での北京オリンピック出場を決めました。
同年8月19日の北京オリンピック女子5000m予選では、日本3選手でトップ記録で、1組7着に入ったものの(6着以内に入れば自動的に決勝レース進出決定だった)、わずか0秒75のタイム差で惜しくも予選敗退に終わりました。

久保倉里美

2008-09-01 22:24:46 | スポーツ
今回は久保倉里美を紹介します。
彼女は、北海道旭川北高等学校卒業後、福島大学に進学し卒業。
その後、新潟アルビレックスランニングクラブに所属。400mハードルが専門ですが、100mから800m、100mハードルまでこなすオールラウンダーです。
またレース展開も先行策、後半勝負とさまざまで、ハードルを両足で同じように踏み切れる技術を持っています。
池田久美子、丹野麻美らと並ぶ川本和久監督の秘蔵っ子でもあります。
2008年の北京オリンピック代表に選出され、女子400mハードル、4×400mリレーに出場しました。
女子400mハードルでは準決勝敗退、マイルリレーでは予選敗退に終わってしまいましたが、次回ロンドン大会にも代表として参加してほしいです。

内藤恵美

2008-08-31 23:04:27 | スポーツ
今回は内藤恵美を紹介します。
彼女は北京オリンピック女子ソフトボール代表候補でしたが、2008年2月に左アキレス腱を断裂。同年6月、代表合宿中に再びアキレス腱を断裂、オリンピック代表の夢は絶たれましたが、「自分の分まで頑張ってほしい」という思いから、彼女はお守りに「世界一」という刺繍を自らが縫い、代表15人に渡しました。
日本代表チームは「内藤もチームの一員」として、代表16番目の選手として彼女のユニフォームを試合の時には必ずベンチに掲げて、彼女と共に試合に挑みました。
金メダルを獲ったときには、選手全員が客席にいた彼女に向かって手を振っていたのが印象的でした。

郭晶晶

2008-08-30 23:02:21 | スポーツ
今回は郭晶晶を紹介します。
彼女は中国の女子飛込み選手です。
2004年、アテネオリンピックの飛込み種目の3m板飛込み、3mシンクロナイズド板飛込みの2種目で金メダルを獲得しました。また美貌でも知られ、陸穀のプロモーションビデオに出演したり、コカコーラや、マクドナルド、東芝などの外資系企業のイメージガールをつとめるなど、活動は多方面に渡っています。
2008年2月26日に北京のワールドカップ後に開かれた記者会見で、飛び込みワールドカップの試合後のインタビューで「北京オリンピックで、ライバルは誰だと思いますか?」と記者の問いにユリア・パハリナと「カナダのデブ」(ブライズ・ハートリー)と答えて批判を浴びました。
また、北京オリンピック・3mシンクロナイズド板飛込みで金メダルを獲りましたが、競技後のインタビューが始まる前のオフレコで、「この(金)メダル、くすんでない?」と問題発言を起こし、世界のマスメディアから批判を浴びました。

香港在住の資産家・実業家の御曹司ケネス・フォク(霍啓剛)と2008年春頃に婚約したと報じられ、5月頃には妊娠説がささやかれ北京オリンピックへ出場しないとの報道が流れましたが、妊娠はしておらず北京オリンピックへ出場しました。なお、北京オリンピックへ出場後に結婚して引退するという説も妊娠説の際にささやかれています。
北京五輪表彰式では、ケネス・フォクの父ティモシー・フォク(霍震霆・香港オリンピック委員会会長)にメダルを渡され、地元・中国だけではなく、全世界から注目を浴びました。
ルックスがいいだけに彼女の行動や言動には注目が集まります。
中国の「お騒がせアスリート」です。

坂井寛子

2008-08-29 21:13:49 | スポーツ
今回は坂井寛子を紹介します。
彼女は1997年に金沢高等学校卒業。高校時代までは速球派として知られていました。同年埼玉県戸田市の戸田中央総合病院に勤務し、同病院ソフトボールチームに所属します。チームではエースとして活躍し、チームの1部昇格に貢献します。
2001年に星野昭・元日本ソフトボール協会女子強化委員長よりシュートを伝授され、以後の決め球となります。
上野由岐子の台頭で速球一本を諦め、シュート等の変化球を習得。ライズボールやチェンジアップ等を用いての縦の変化が主流のソフトボールでは珍しい、横の揺さぶりが持ち味の投球スタイルを取ります。特に彼女の投げるシュートは世界でも殆ど投げる投手のいない球で、打者の膝元に鋭く食い込み、変化が読みにくい球であると言われています。
2004年アテネオリンピック代表に選ばれ、3試合に登板し2完封を含む無失点と活躍しました。五輪終了後に一旦現役を引退し、アメアスポーツジャパン株式会社に入社。販売促進の傍らソフトボールの指導で全国を廻ります。
2006年10月、アテネでバッテリーを組んでいた山路典子・太陽誘電ソフトボールチーム監督の勧めで現役に復帰し、同チームに所属します。
2008年北京オリンピック代表に選ばれ、日本チームの金メダルに大きく貢献しました。
彼女はシュートを含む5種類の変化球を制球良く投げ込む技巧派です。

上野由岐子

2008-08-28 22:23:01 | スポーツ
今回は上野由岐子を紹介します。
彼女は小学校3年生からソフトボールを始め、ピッチャーとして活躍。国内大会での活躍が日本代表へと導きます。シドニーオリンピックではエースとして期待されました。しかし、腰椎の骨折でシドニー行きを断念。2001年にルネサス高崎女子ソフトボール部に入部。最高時速119kmのストレートは、野球での体感速度160~170kmに匹敵するといわれています。ただし、野球とソフトボールではマウンドとホームベースの距離が異なるうえ、投球フォームの問題もあり、一概には比較できませんが・・・。
アテネオリンピックでは金メダルが期待されたが、銅メダルに終わる。2006年に北京で開催された世界選手権では準決勝で世界一のアメリカを封じ込めたものの決勝では逆にKOされ、銀メダルに終わった。 北京オリンピックでは二日間で行われた決勝トーナメント三試合すべてに先発し、400球を超える熱投の末宿敵アメリカを破り、金メダルを獲得した。
2008年、第29回夏季オリンピック北京大会、準決勝のアメリカ戦、決勝進出チーム決定戦の豪州戦と二試合続けて登板、いずれも延長戦となり318球を投げ完投し、そしてアメリカとの決勝戦も先発し、7回完投勝利で日本の金メダルに大きく貢献しました。
二日間3試合、450球を投げきりました。

早狩実紀

2008-08-27 21:31:18 | スポーツ
今回は早狩実紀を紹介します。
彼女は陸上女子3000m障害のパイオニアとして知られ、3000m障害日本記録のレコードホルダーです。
全国都道府県対抗女子駅伝には高校1年生だった1989年から2007年まで19年連続で京都府代表で出場しました。
2005年、2005年世界陸上選手権で日本人女子としてはじめて3000m障害に出場。決勝に進出し、12位に入る健闘を見せました。
2007年、3000m障害で2007年世界陸上選手権に出場。予選のラスト一周で、障害の枕木に膝を強打、背中からトラックにたたきつけられ、脳震盪を起こし意識を失いました。レースは途中棄権となり、早狩は担架で運ばれる苦汁を味わいました。
2008年、3000m障害で日本選手権3連覇を果たし、35歳にして自身初のオリンピック代表をつかみました。
北京オリンピックでは残念ながら予選落ちしてしまいましたが、レース後のインタビューでは清々しい笑顔を見せていたのが印象的でした。

丹野麻美

2008-08-26 22:22:43 | スポーツ
今回は丹野麻美を紹介します。
彼女は中学校入学直後はバスケットボール部に入部しましたが、人間関係のもつれから陸上競技部に入部しました。2000年、3年生で長崎県で開催された全日本中学校選手権に出場しました。
2001年、福島県立郡山東高等学校に進学。2003年、3年生で再び長崎の地を踏み、インターハイで200m・400mの二冠を達成。2004年、郡山東高卒業後は地元の福島大学教育学部に進学しました。
福島大ではもちろん陸上部に属し、川本和久の指導と、アイドルジャンパー池田久美子、日本一早い先生・松本真理子、久保倉里美(現在新潟アルビレックス)、木田真有(現在サトウスポーツプラザ)、坂水千恵(現在ナチュリル)ら日本を代表するトップアスリート達にもまれて急成長します。400mでミズノの柿沼和恵が保持していた日本記録を更新しました。日本人女子としてはじめて52秒の壁を破った人物としても有名です。
日本学生陸上競技対校選手権大会では、1年生のときから女子200m・400m・1600mリレーで3連覇を達成しています。2007年、4年生のとき、女子400mを大会新で制し、同種目初の4連覇を果たしました。また200m・1600mリレーも制して大会史上初「3種目での4連覇」を達成しました。
2008年、福島大学を卒業し、川本和久が監督を務め坂水も属するナチュリルに入社。この年の日本選手権では、北京オリンピック派遣標準記録Aを突破することができず、代表獲得はなりませんでしたが、その後国際陸上競技連盟から日本が4×400mリレーの出場権を獲得した旨伝えられたことから、急遽同僚の木田真有らとともにそのメンバーとして選ばれました。
北京オリンピックでは、400mに出場しましたが、予選4位で惜しくも準決勝へ進むことができませんでした。
海外でも圧倒的な人気を誇るアイドルスプリンターです。

伊調馨

2008-08-25 22:30:01 | スポーツ
回は伊調馨(かおり)を紹介します。
彼女は兄と姉の影響から青森県の八戸クラブでレスリングを始め、愛知県の中京女大付高校(現・至学館高等学校)から女子アマレスの強豪校として知られる中京女子大学へと進学。56kg級時代はライバルの吉田沙保里に苦戦しましたが、63kg級に階級を上げてからは無敵の存在となりました。
アテネオリンピックでは金メダル確実といわれ、姉の千春が決勝戦で敗れ惜しくも銀メダルとなりましたが「千春のためにも必ず勝つ」と奮起し、見事金メダルを獲得しました。
そして2008年北京オリンピックでは、姉・千春は銀メダルを獲得。馨自身は連覇し、二大会連続で姉妹同時メダルの快挙を成し遂げました。