平成29年4月1日現在の会員数
東京弁護士会 8045人
第一東京弁護士会 4983人
第二東京弁護士会 5222人
合計 18250人
愛知県弁護士会 1924人
鹿児島県弁護士会 207人
私が登録した23年前もだいたい
鹿児島県弁護士会の10倍が愛知県弁護士会で、愛知県弁護士会の10倍が東京3会だったと思う。
鹿児島のおよそ100倍の数の弁護士が東京にはいるのだ。
※引用
またもついえた、東京の弁護士会統合の夢
全国で唯一、90年以上にわたって3団体に分裂している東京の弁護士会。今年に入り、合併を求める議論が久々に沸騰した。ベテラン弁護士が「合併推進」を公約に弁護士会の会長選挙に立候補し、注目を浴びたのだ。ところが結果は敗北。敗因を探ると、近年急増する若手弁護士らが抱える、深刻な不満が浮かび上がってきた。
■3会合併を掲げたが…
日本で弁護士として働くためには、必ず「弁護士会」に登録しなくてはならない。弁護士会は全国で52あり、弁護士法で、1つの地方裁判所管内に1つずつと定められている。だが東京だけは例外で、東京地裁管内に「東京弁護士会」「第一東京弁護士会」「第二東京弁護士会」の3つの会がある。戦前の内紛で分裂した名残だ。
2018年初め、第二東京弁護士会の会長選挙で「3弁護士会の合併を進める」との公約を掲げた立候補者が出て注目された。この問題に30年近く取り組んできた、道本幸伸弁護士(66)だ。
道本氏は「人の争いを収めるのが弁護士の仕事なのに、100年近くも内輪もめを解決できないというのは弁護士の信用に関わる」と強調する。選挙では「3会を合併して会の活動の無駄をなくし、現在弁護士が毎月払う弁護士会費も無料にする」などの公約を掲げた。期待したのは、近年、全体の半数近くまで増えた登録10年以内の若手弁護士らの支持だ。「東京だけ3つに分裂しているという不合理さを、しがらみのない若手は理解してくれると思った」という。
ふたを開けると、笠井直人弁護士が1705票を集めて会長に当選。これに対し道本氏は299票しか得られなかった。「なぜか期待にまったく届かなかった」と今も首をかしげる。
道本氏の声は、なぜ若手に響かなかったのか。その答えを探る前に、そもそも東京だけ弁護士会が3つできた経緯を整理しよう。
■戦前からの派閥抗争
各弁護士会の会史などによると、3会の並立は戦前の派閥抗争に端を発する。元は1893年に設立された東京弁護士会だけだったが、会長選挙などを巡るゴタゴタで400人近くが離脱。1923年に第一東京弁護士会を立ち上げた。さらにその後「2つの弁護士会の対立を仲裁する」と主張するグループが登場し、26年に第二東京弁護士会が生まれた。
過去に1度、3会合併の機運が高まったことがあった。東京・霞が関にある現在の弁護士会館の建設計画が持ち上がった80年代末から90年代前半のことだ。それまで建物も別々だった3つの会が新たな1つのビルに同居することになったため、「いっそ会ごと1つにすべきだ」と考える弁護士が現れた。有志が「三会の合併と新会館を考える会」をつくり、当時30歳代の道本氏は「考える会」の事務局長を務めた。
考える会の活動はそれなりの盛り上がりをみせた。1500人以上の弁護士の署名を集め、道本氏が東京弁護士会の会長選挙に立候補して当選候補に肉薄もした。だが決定的な動きにまでは至らず、やがてしぼんでしまう。地上17階建ての立派な弁護士会館は95年に完成し、日本弁護士連合会(日弁連)とともに3会の同居こそ実現したが、図書館や講堂を統合できず、記念式典も3会が別々に開く始末だった。
■若手の意識とのズレ
この挫折から20年以上。その後、第二東京弁護士会に移籍していた道本氏はしばらく合併運動から遠ざかっていたが、「派閥争いをばかばかしいと思う若手も増えたはず」と考え、今回の再挑戦に踏み切ったという。
だが、負けた。道本氏の誤算はどこにあったのか。第二東京弁護士会の30代の男性弁護士は「弁護士会のあり方には不満だが、3会合併と言われてもピンとこない」と話す。「3会がばらばらでも、実務的に困ることはほとんどない」
そもそも弁護士会の活動自体が遠い存在という若手・中堅の弁護士も多い。前出の30代弁護士は「月に4万円近くという弁護士会費は高すぎる。会の活動に無駄が多すぎるのではないか」と愚痴をもらす。別の40代の中堅弁護士も「弁護士会は『死刑廃止』や『原発反対』など特定の思想や政治課題のためのシンポジウムや調査で予算を使っている。個々の弁護士の意見は様々なのに……」と話す。こうした活動には「人権を守るため、弁護士として必要な行動」と肯定する意見もある一方、納得いかない向きも増えているようだ。
■合併どころか4番目の会も?
東京の弁護士会をさらに1つ増やそうと主張する声も出ている(新弁護士会設立を訴える弁護士のツイッター画面)
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東京の弁護士会をさらに1つ増やそうと主張する声も出ている(新弁護士会設立を訴える弁護士のツイッター画面)
東京の3弁護士会の合併どころか、「4番目の会の設立を」という意見すら出てきている。今年1月半ば、ツイッター上に「新弁護士会設立構想」というアカウントが登場。「必要最小限の機能を備えた、新しい弁護士会の設立を」などと主張し、2カ月足らずで300以上のツイートをして注目を集めた。
立ち上げたのは、弁護士登録から10年前後の30歳代の若手弁護士。「弁護士の数が増え、働き方や価値観も多様化している。だが既存の弁護士会は旧態依然とした組織運営で若手などの受け皿になれていないと感じる」と指摘。「弁護士会のあり方や役割を考え直す議論のきっかけになればいいと思い、ツイッターでの発言を始めた」と話す。
90年に1万3800人だった弁護士人口は今年1月に4万人を超え、登録10年以内の若手が約半数を占めるようになった。弁護士会に対する意識も確かに変わった。だがそこに生まれたのは過去の派閥抗争の解消を求める声ではなく、既存の弁護士会そのものへの不信感という、もっと深刻な問題のようだ。
法務インサイド
戦後できた現在の弁護士法は、「弁護士会は地方裁判所に一つずつ」と規定。だが東京の分裂状態は同法の制定時も収まる気配がなかったため、法律の付則で特例規定を盛り込み、3会すべての存続を認める苦肉の策がとられた。衆院法制局で弁護士法の起草などに関わった故・福原忠男弁護士は他の弁護士から92年にインタビューされた際「(3つも弁護士会があるのは)あるべき姿ではないと示すため付則を入れた」と解説している。