江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ かんかんのう・・・ 九連環 さのさ の ルーツ

2011年11月01日 | 江利チエミ(続編)

長崎Webマガジンさんから引用します。

>明・清楽「九連還」の軌跡 文/宮川密義さん

>元亀2年(1570)の開港以来、長崎には外国文化が押し寄せました。
特に中国文化は市民に浸透。
音楽の分野では明清楽(みんしんがく)が伝授され、現在でも長崎明清楽保存会(山野誠之会長)によって、大切に受け継がれています。

 <江戸、大坂で大流行>
>なかでも「九連環(きゅうれんかん)」は明清楽の代表曲として有名になりました。
「九連環」は“九つの環でできた知恵の輪”のことで、次のような中国語の歌詞があります。(中国文のところは省略します。)意味は「見ておくれ、わたしがもらった九連環。九とは九つの連なった環のことよ。両手で解こうとしても解けません。刀で切ろうとしても切れません。ええ、なんとしょう」
「どなたかいませんか、解いてくれる人。その人がいたら夫婦になってもいい。その人はきっと好い男」という意味。

>「九連環」は、次の替え歌「かんかんのう」を生みました。
♪かんかんのう きゅうれんす
  きゅうはきゅうできゅう さんしょならぇ
 さぁいほう しいかんさん
  びんびんたいたい やぁんろ
   めんこがこかくて きゅうれんそ

>意味不明の歌ですが、女性が恋人をほめあげる気持ちを中国風の歌詞で表現しています。
「九連環」の情緒的な歌詞とは似つかぬ卑わいな歌に変わりましたが、これに合わせて踊る「看々(かんかん)踊り」は文化、文政(1804~1830)の頃、江戸、大坂で大流行。
江戸では町奉行が禁止令を出す騒ぎにまで発展しました。


かんかんのう・・・
 サムネイル http://www.youtube.com/watch?v=I9Rm7zYbKCM


<明治から昭和まで替え歌続出>
>「かんかんのう」は明治(1868~1912)になって、さらに「ホーカイ節」(春風に 庭にほころぶ梅の花、鶯(うぐいす)とまれやこの枝に ホーカイ、そちがさえずりゃ 梅がモノ言う心地する ホケキョ ホケキョウ…)や「さのさ節」「むらさき節」「くれ節」「鴨緑江節」「満州節」「とっちりちん」などと形を変えながら、はやり続けます。

※ということで、遠くルーツをたどれば中国...
それが長崎で日本文化と融合して変化し、そして枝分かれをしたひとつが「さのさ」...ということのようです。

>明治には“梅ヶ枝の手水鉢(ちょうずばち) 叩いてお金が出るならば、 若しもお金が出た時は その時ゃ 身受けをそうれ頼む…”の「梅ケ枝節(うめがえぶし)」が生まれ、昭和12年(1937)には“もしも月給が上がったら、私(あたし)はパラソル買いたいわ、僕は帽子と洋服だ…”の「もしも月給が上ったら」(林伊佐緒、新橋みどり・歌)になります。

 もしも月給が上がったら
 サムネイル 
http://www.youtube.com/watch?v=H63yAKSK5Ao

 さのさ節 (市丸)
 サムネイル
http://www.youtube.com/watch?v=E7lumM-Osq4

 むらさき節 (美ち奴)
サムネイル
http://www.youtube.com/watch?v=LZ8G8mLj3tg

 鴨緑江節
 サムネイル
http://www.youtube.com/watch?v=poBrZvRR8nI

 満州節 (美ち奴)
 サムネイル
http://www.youtube.com/watch?v=dmjHJzEVoWU&feature=related



>昭和29年に作られ、宴会での余興に歌い踊られ、お座敷ゲームでも楽しまれた“野球するなら こうゆう具合にしやしゃんせ…”の「野球拳」もこの流れを酌むものです。
 サムネイル
 http://www.youtube.com/watch?v=8JJmxuGz5YY&feature=related


>このように、長崎発の明清楽「九連環」は日本流行歌謡の源流の一つとして、最近まで生き続けているわけです。

---------------------------------- これが「さのさ」の起源...であります。


江利チエミさんが結婚で引退を決意し、レコード会社から引退の記念にぜひにもと頼まれ、この曲をレコーディングした昭和33年...あの人も「さのさ」をリリースしていたのです。

さのさ節/縁かいな A-3012 1958/03月発売... これは「美空ひばり」さんのEPです。
また同時期に、こんなEPも発売しています。
  都々逸(酒は涙か溜息か入り)/槍さび A-3011-B 1958/03月発売。

さのさ/五木の子守唄 EB-129 1958/11月発売... これが「江利チエミ」さんのEPです。
LPチエミの民謡集 LKF1011 1958/11月発売から「シングルカット」されたものです。

ジャズ・ポップスはどうしてもマーケットが狭い!売り上げ枚数にはどうしたってハンディがある!...そんなハンデを持っていながらトップスターに上り詰めた江利チエミ。ここで「広く大衆に受け入れられる楽曲」を歌わせたらヒット間違いなし!...キングレコードの思惑が手に取れます!
そしてこの時期は、ふるさとモノがブームになってきていた頃... 美空ひばりさんの「さのさ」の吹き込みにキングは江利チエミで勝負に出た...のではないでしょうか?
そしてチエミの民謡集が発売されるとすぐ、美空ひばりさんも1958(昭和33)年12月
ひばり端唄草紙 25cmLP:AL-123 を発売します。
収録曲: 春雨/深川/奴さん/かっぽれ/さのさ節/都々逸/縁かいな/槍さび
             ...なかなか興味深い展開だったのです。


この年、第9回/紅白歌合戦で二人が歌った楽曲は以下の通り。
江利チエミ:さのさ節(前半7番バッタ-/対戦相手・フランキー堺)
美空ひばり:白いランチで十四ノット(トリ、白組は三橋美智也)

サムネイル 白いランチで十四ノット
http://www.youtube.com/watch?v=WHzWbWY4mPw

江利チエミ さのさ(1979年)
http://www.youtube.com/watch?v=DQUK5iggx_8


 

上の画像が鮮明ではないのですが、宮田輝さん司会NHK「ふるさとの歌まつり」...昭和42年/東京編。
この回は「スタジオ・セット」からの放送だったと思うのですが... 料亭のセットで「さのさ」を歌う、江利チエミさんです。オープニングでは「木遣りくずし」も階段のセットで立ち姿で歌われたか...と記憶しています。
あの頃、チエミで日本調の代名詞といったらスローテンポ=さのさ アップテンポ=木遣りだったと思います。

このときの三味線伴奏は... 画面も鮮明でなくあくまで私の記憶なのですが、三味線豊文師匠ではないか?と思うのですが・・・

※豊文(とよふみ)さんは、三味線豊吉さんのお弟子さん。
豊吉さんをモデルにした江利チエミ主演ドラマ「あの妓ちゃん」では、黒柳徹子さんが一番弟子演じました・・・が豊文さんがモデルではないようにキャラ的に思われます。
このドラマのことは 江利チエミ・ドラマ列伝(3) を参照してください。
三味線豊吉/セントルイスブルース
 サムネイル http://www.youtube.com/watch?v=c-2_2YmEmTQ

 サムネイル 三味線クンパルシータ
   http://www.youtube.com/watch?v=jY1CG0NHX-k

 神楽坂はん子さんのヒット曲集カバー
   http://www.youtube.com/watch?v=24VGn1WLPss&feature=related

豊吉さんは明治のひと...です。驚きです。洋楽は独学で学んだ...
紅白ではチエミさんと同じ昭和28年に初出場していますが、そのときの演目は江利チエミ
さんのカバーで「カモンナ・マイ・ハウス」でありました!!


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