江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 高島忠夫さんのこと

2007年10月08日 | 江利チエミ(続編)

連休中のテレ朝の番組/オーラの泉に「妻/寿美花代さん」が出演されました。
そこで過去の触れてほしくはないだろう出来事について自身の口から話をされていましたので、私も封印を解除してこの記事を書き込みます。

>高島忠夫出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高島 忠夫(たかしま ただお、1930年(昭和5年)7月27日- )は、日本のタレント・俳優である。所属事務所は東宝芸能。 兵庫県武庫郡(現神戸市東灘区)出身。旧制第一神戸中学校卒業ののち、同校が新制兵庫県立神戸高等学校と改称後も在籍。のち関西学院高等部に編入し、1951年(昭和26年)に関西学院大学法学部を中退。映画会社新東宝のニューフェイスの第1期生として芸能界入りする。

1952年の映画『恋の応援団長』でデビュー。同年に『チョイト姐さん思い出柳』で初主演し、以後新東宝で主演級のスターとして活躍した後、東宝に移籍。1963年には日本初のブロードウェイミュージカルとして上演された『マイ・フェア・レディ』に出演して評判となる。東宝でも数々の主演作を撮ったが、1970年代からはテレビに進出して、司会業に挑戦して成功する。
料理番組『ごちそうさま』やクイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』など長期に渡る人気番組の司会を担当し、明るいキャラクターと親指を立てて「イェーイ!」という決め台詞と関西弁を操る話術でお茶の間の人気となった。フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』では映画解説も行っていた。

妻は1963年に結婚した女優(元宝塚星組男役トップスター)の寿美花代。寿美とは『ごちそうさま』で長く夫婦で共演していた。長男(道夫)を1964年(昭和39年)8月24日生後5ヶ月で当時十七歳の家政婦によって殺害される悲劇に見舞われた。
その後授かった次男の高嶋政宏、三男の高嶋政伸はともに俳優として活躍。家族でファミリーコンサートを開催し、理想的な家族像と見られることも多かった。ヴァイオリニストの高嶋ちさ子は音楽プロデューサーである弟の娘で、姪にあたるという芸能一族である。
小説家の小松左京は神戸一中時代の同級生で、一緒にバンドを組んでいたこともある仲。高校・大学時代の同級生に作曲家のキダ・タローと俳優の藤岡琢也がいる。
1968年、東映動画のアンデルセン物語では声優をこなし、ミュージカル仕込みの明快なテノールの歌声を披露している。 26年間続けて愛着のある仕事だった『ごちそうさま』の司会交代や母親が入院したことなどから、1998年に重度のうつ病を発症し、レギュラー番組の『ゴールデン洋画劇場』『暴れん坊将軍』など4本を降板して治療にあたる。降板にあたっては糖尿病であると説明していた。翌年に症状が改善したことから仕事復帰し、復帰初仕事のトーク番組『徹子の部屋』の出演の際にうつ病だったことを告白した。しかし無理がたたって再発し、再び療養していたが、2003年ごろから徐々に芸能活動を再開、2007年春から完全復帰して家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っている。

------------------------------------------------♪

日本初演のマイフェアレディは「歴史的な金字塔を立てます」が、出演者には不幸な事件が続きました。
チエミさんには、養子にしようとまで考えていた甥のサトシさんの事故死が起こったのは昭和36年。この公演の話の持ち上がる前なのですが・・・
39年の再演持には、八波むと志さんが突然、交通事故で帰らぬ人になりました。
(この舞台のキャスティングの話は ここ にあります。)
そして・・・
>1964年(昭和39年)8月24日生後5ヶ月で当時十七歳の家政婦によって殺害される悲劇に見舞われた・・・
    この高島さんのあまりに悲しい事件が起こってしまいました。
栄光の陰に「とてつもない不幸」にとり付かれてしまっていた... 
「正負の法則」というのは、どうにもならないものなのでしょうか??
   あまりにも悲しいです。

※事件のこと・・・
-経緯-
昭和39年8月24日午前3時頃、東京都世田谷区の俳優・高島忠夫(当時34歳)の長男・道夫ちゃん(当時、生後5ヶ月)が風呂の浴槽で溺れ死んでいるのを同家のお手伝い・Y子(当時17歳)が発見した。
(オーラの泉では寿美さん自身が発見し、それによって寿美さんが犯人扱いをされた...と語っておられました。)
警察が急行し現場の捜査を開始した。Y子は「工員風の怪しい男を目撃した」と証言するが、現場は荒らされておらず物取りではないこと、Y子の証言が曖昧であることなどから警察は厳しくY子を追及。同日の昼過ぎ、Y子は道夫ちゃんの殺害を自供した。

-動機-
Y子は犯行動機に関して、「道夫ちゃんが生まれる前は、自分は高島夫妻から大変可愛いがられ大事にされた。が、道夫ちゃんが誕生すると道夫ちゃんの面倒を見る看護婦(当時29歳)が高島家に来るようになり、高島夫妻は自分を軽んじているように思い込んだ。そこで、道夫ちゃんが居なくなれば看護婦も高島家に来なくなると思い浴槽に沈めて殺害した」ことを自供した。

犯行当日も高島夫妻は渡米前で、この看護婦に「お土産をどっさり買ってくるからね」と声をかけているのに自分には何も言ってくれなかった。そこで、失地回復への焦りと゛ねたみ゛から犯行におよんだ。Y子は計画的で、偽装工作に怪しい男をデッチ上げ、これまでに数回、近くの交番に警戒の依頼をしていた。高島夫妻のショックと落胆は言うまでも無い。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。