中洲通信という雑誌があります。
>情報氾濫の世の中にあって、こんなにも情報のない雑誌があったっていいじゃないか。ただただ、人生を楽しんでいる人たちをとりあげて、ただただ面白がっている雑誌があったっていいじゃないかと思うんです。人の生活にはいっさい役に立たない雑誌。この世になくてもいっこうに構わない雑誌。いわばどうでもいいことを一生懸命雑誌にしようとしているのがこの雑誌の特徴であり、こだわりです。
その先兵役をしているのが、わが発行人兼編集長の藤堂和子です。この藤堂和子そのものが変わっており、九州博多の繁華街・中洲でクラブを経営するママさんなんです。そのママが自分のポケットマネーで雑誌を作っている。実に奇特な方であります。しかもこんなことを20年も続けている。素晴らしいの一言(身内が言ってどうする)。雑誌のコンセプトは「人生を楽しむダントツな人の雑誌」。手にとって、思わずニヤリとしてくれたら最高だと思っています。思想もなければ、啓蒙などさらさらない、われわれ作り手が面白いな、と思う人、事柄をただ追い求めている雑誌が「中洲通信」です。
http://www.two-three.com/
--->2003年1月は「江利チエミ特集」でした。
バックナンバーはまだ入手可能...のようです。興味のある方はぜひ!!
その中でチエミさんの義母(父君の後添え)久保多紀子さん/元博報堂社員で熱狂的ファン・安田憲二さん/ヘアメイクを担当していた仲塚愛子さんの対談より...
●ペコちゃんの秘密...(以下、敬称略)
>安田:僕が名古屋にいた頃、東京から名古屋へ出張してきた(博報堂の)製作の上の立場の人が社員に話をしたことがあるんですよ。仕事中に『ちいさこべ』を観に行ったっていうんですよ。『ちいさこべ』はチエミさんが助演女優賞を撮った映画なんだ。
仲塚:私、その時仕事してた。
安田:ホント(笑)。それで彼がなんて言ったかというと、「あの女の子が可愛いのを、オレは不二家のペコちゃんに生かした」って言ったの。ペコちゃんは時代と共にリメイクしているんだよね。福助足袋の福助が時代と共にちょっとづつ変っていくみたいにね。それでペコちゃんも10年くらいのスパン」で変るんだって。それであるタイミングで不二家が、博報堂が提出した新しいペコちゃん案をみてクライアントからNG食らったんだって。「血が通っていない」って。その時、その人が新しいペコちゃんに血を注ぎ込んで生き生きとさせたのは、実は昼間観てきた映画『ちいさこべ』のチエミさんの顔なんだって。
その後もリモデルを繰り返したペコちゃんではありますが...
江利チエミの面影は確かに残っているようにも思えます。
※画像は不二家最古の現存する建物「伊勢佐木町店(昭和13年完成)」の昭和28年ころのもの。
終戦後、伊勢佐木町は滑走路...等、進駐軍に接収されました。
不二家はEMクラブ--->ヨコハマクラブ...と、長きに渡って建物ごと接収されていました。ひょっとしたら...チエミさんもこのステージで歌ったのでは?...と思われます。
接収が解除されたあとは、ハマっ子の憩いのレストラン&喫茶に...
今2階は中華飯店になっていますが、昔はゴージャスなアーチ状の階段を上がった2階がレストラン、1階はケーキ店&喫茶室でした。
>情報氾濫の世の中にあって、こんなにも情報のない雑誌があったっていいじゃないか。ただただ、人生を楽しんでいる人たちをとりあげて、ただただ面白がっている雑誌があったっていいじゃないかと思うんです。人の生活にはいっさい役に立たない雑誌。この世になくてもいっこうに構わない雑誌。いわばどうでもいいことを一生懸命雑誌にしようとしているのがこの雑誌の特徴であり、こだわりです。
その先兵役をしているのが、わが発行人兼編集長の藤堂和子です。この藤堂和子そのものが変わっており、九州博多の繁華街・中洲でクラブを経営するママさんなんです。そのママが自分のポケットマネーで雑誌を作っている。実に奇特な方であります。しかもこんなことを20年も続けている。素晴らしいの一言(身内が言ってどうする)。雑誌のコンセプトは「人生を楽しむダントツな人の雑誌」。手にとって、思わずニヤリとしてくれたら最高だと思っています。思想もなければ、啓蒙などさらさらない、われわれ作り手が面白いな、と思う人、事柄をただ追い求めている雑誌が「中洲通信」です。
http://www.two-three.com/
--->2003年1月は「江利チエミ特集」でした。
バックナンバーはまだ入手可能...のようです。興味のある方はぜひ!!
その中でチエミさんの義母(父君の後添え)久保多紀子さん/元博報堂社員で熱狂的ファン・安田憲二さん/ヘアメイクを担当していた仲塚愛子さんの対談より...
●ペコちゃんの秘密...(以下、敬称略)
>安田:僕が名古屋にいた頃、東京から名古屋へ出張してきた(博報堂の)製作の上の立場の人が社員に話をしたことがあるんですよ。仕事中に『ちいさこべ』を観に行ったっていうんですよ。『ちいさこべ』はチエミさんが助演女優賞を撮った映画なんだ。
仲塚:私、その時仕事してた。
安田:ホント(笑)。それで彼がなんて言ったかというと、「あの女の子が可愛いのを、オレは不二家のペコちゃんに生かした」って言ったの。ペコちゃんは時代と共にリメイクしているんだよね。福助足袋の福助が時代と共にちょっとづつ変っていくみたいにね。それでペコちゃんも10年くらいのスパン」で変るんだって。それであるタイミングで不二家が、博報堂が提出した新しいペコちゃん案をみてクライアントからNG食らったんだって。「血が通っていない」って。その時、その人が新しいペコちゃんに血を注ぎ込んで生き生きとさせたのは、実は昼間観てきた映画『ちいさこべ』のチエミさんの顔なんだって。
その後もリモデルを繰り返したペコちゃんではありますが...
江利チエミの面影は確かに残っているようにも思えます。
※画像は不二家最古の現存する建物「伊勢佐木町店(昭和13年完成)」の昭和28年ころのもの。
終戦後、伊勢佐木町は滑走路...等、進駐軍に接収されました。
不二家はEMクラブ--->ヨコハマクラブ...と、長きに渡って建物ごと接収されていました。ひょっとしたら...チエミさんもこのステージで歌ったのでは?...と思われます。
接収が解除されたあとは、ハマっ子の憩いのレストラン&喫茶に...
今2階は中華飯店になっていますが、昔はゴージャスなアーチ状の階段を上がった2階がレストラン、1階はケーキ店&喫茶室でした。
高校を卒業した頃、EMクラブによく遊びに行ってましたよ。
汐入の駅・ドブ板通り・ニューサンタナ・・
不二家は銀座が馴染み深いです。
学校が京急沿線でしたので、ドブ板---->さいかやの裏の細い路地の立ち食いの焼き鳥屋で腹ごなしして---->三笠公園でノンビリ... なんてよく授業の合間(?)にやったもんです。
行動範囲...近いかもしれませんね?!
不二家の跡地--->不二家の建物がそのまんま米軍に接収されたのです。
不二家の建物、野澤屋、松屋...横浜大空襲ではおそらく計画的に標的を外したのでしょうね。
デパートはPX、不二家は将校クラブに使う...って計画の通りに焼夷弾を落としたのでしょうね。
これは銀座界隈...などもそうでしょうし、前掲の「九段会館」「東京宝塚」...等、無傷の建物もおそらくそうなのでしょうし、鉄路も壊滅的なダメージは幹線路線にはない...のもそのせいなのでしょう。
EMクラブで遊んでそのあと朝までニューサンタナで
踊ってました(笑
あ~、三笠公園ねぇ。
黒人のネイビー達とたむろしてました。
よくMPに追っかけられたな。