江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ どうしても書いておきたいこと(5)

2007年01月22日 | 江利チエミ(続編)
元々Yには「虚言癖」があったのでしょう...
彼女の境遇を考えればそれもある意味納得できる部分があります。
自分は本当はシンデレラなんだ...と。

Yは、事件が発覚後、失踪騒ぎや自殺未遂騒動を起こしたり、週刊誌に向けて「江利チエミを誹謗中傷する記事」を発信します。
司法にこの事件が委ねられたあとも...
チエミさんと共演者の仲が怪しかった...
 喉を診てもらっていた先生との仲が怪しかった...などなど、あることないことを供述したりしました。勿論これら虚言の全てが法廷に証拠として取り上げられたわけではありませんでしたが... Yはこの期に及んでまだ<復讐>を続けていたのです。
この復讐は、もちろん「いわれのないもの」であり、おのれの不満のすり替えに過ぎない行為であったのですが...

昭和49年3月11日、東京地方裁判所206号法廷で、斉藤昭裁判長がYに下した判決は懲役3年...執行猶予はつかなかったものの、有価証券偽造、同行使、有印私文書偽造、同行使の罪としては「軽い量刑」でした。
すでに未決囚として600日拘留されていたため刑期はあと「1年半」ほどという判決でした。

チエミさんは控訴せず、一人数億に膨れてしまった借財を返済して行きます。

思えば彼女の人生の歯車が狂いだしたのは、Yの同居から始まってしまったように思えます。
 同居したそばから夫婦仲に水を差し...
  精神的にも追い詰められたことも要因だと思われる「声帯ポリープ」の手術(43年)
   瀬田の邸宅の焼失(45年)...この火災の原因は食堂部分の漏電とマスコミに伝えられていますが、当時の消防署の発表では「放火の可能性もある」という記述も残っています。
広い敷地であったことが幸いし、延焼しなかった為に事件は「漏電の可能性」ということで終結しました。
そして46年離婚... と、まさに常人には耐えられない事態が5年余の短い期間にチエミさんの身に降りかかったのです。

私には火事さえも、あのYの仕業ではなかったのか??という疑念が今も消えません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。