う~ん… とりあえずこれも「おやじの備忘録」かな?
何から書き出そうか?
2016年(平成28年)7月25日 (月) 15時頃…
仕事中、作業を終えて一息「煙の補給」で疲れを癒していたら突然、今まで経験したことのない めまい! 思わず「あれっ…」と声を出して座り込む。同時に吐き気におそわれ這う様にしてトイレへ。
小1時間、休憩してたが症状が改善されず人生初の「救急車」を呼んでもらい病院へ。
病名「熱中症」点滴2パックをハイペースで。奥様と娘2がお迎え。会計へ向かうも真っ直ぐ歩けず、会話は呂律が回らず、まるで「酔っぱらい」。何より気になったのが左腕の激しい痺れ。熱痙攣らしいが…。
翌日、酔っぱらいの症状も治らないし左腕の痺れに加えて左足も「引きずる」感じ。何かがおかしい?と思いながらも奥様にお願いして地元の病院へ。
内科を受診後、念のためMRIへ。撮影後は何故か車椅子?で移動。向かった先は「脳神経外科」。VIPの様に直ぐ診察。結果は…
病名 脳幹梗塞(橋梗塞)
「…。」しばし思考停止。現実逃避。
おやじの中の脳梗塞とは「半身不随の後遺症」の認識。実際ふらつくが歩けるし、左腕も痺れはあるが物を持ったり掴んだりできるゾ。
脳外科の医者もおやじを診てビックリ!
梗塞の場所から「最悪は呼吸困難で死亡。良くて寝たきり植物状態。軽くても半身不随は避けられない。」
おやじの後遺症は「奇跡的」らしい。
ちなみにネットから画像拝借
この部分が詰まっちゃったのね!
脳梗塞は発症から2週間は「急性期」と言うらしく、生活を改善しないとまた直ぐに発症するそうだ。回数を重ねる度に「重篤化」するらしいので、万が一に備えて緊急入院!!
おやじの梗塞は場所からして次は「死」のようだ。
安心を求めて診察に来たのにまさかこんな事になるとは。「心の整理」も出来ないまま人生、初入院!
ナースセンターから一番近い緊急病室。
担当の看護師からは「ベットから降りる時はナースコールをするように」と。
移動はすべて車椅子。
ようやくことの重大さに気ずくおやじ。(このとき正直「次に発症したら死ぬのか…。この先なにをすればいいのか…。」と、死について漠然と考えてしまった。)
幸いにも入院三日目で車椅子での移動制限?は、解除。
さすがにこれは嬉しかった。いい歳したおやじでも、2、30代の女の看護師にトイレの付き添いは恥ずかしい。小も大も個室の中で便座に座るまで付き添いだ。もう少し「人としての配慮」に工夫は出来ないものなのか?
おやじ自身情けなく考えてしまう。
世の中の介護が必要な人達は「羞恥心」をどうしているのだろう?心を閉ざし気持ちを捨てているのだろうか?
また介護をする人達は、相手が同じ人間で「羞恥心のある人」として接してくれているのだろうか?
介護が必要な人達のチョッとした気持ちが少し理解できた気がした。
まあ、車椅子はなくなっても看護師の付き添いは必要。トイレは入口までになった。
同じく三日目から「リハビリ」スタート。奇跡的に軽い後遺症で済んだが「健常」ではない。
まずは言語!
呂律が回らないは、舌の動きが一部麻痺している。いろいろ検査の結果、おやじの場合は「か行」を表現する舌の筋肉が麻痺しているようだ。リハビリの内容はただひたすら発音。アナウンサーが練習に使う教本を音読。
つずいて歩行!
微妙に左足を引きずる。バランス感覚も左側がおかしい。こんな自分の体にショックを感じながらも、現実を受け止めリハビリするしかない。
後遺症も軽かったせいか五日目からは階段の上り下りも一人でOK。ということで病院内、自由に行動できるようになり、リハビリと食事の時以外はウォーキング。ストレス発散をかねて。
これでいつでもトイレに行ける!
この頃には緊急病室から一般病室へ移動。
リハビリも、言語はだいぶ良くなり呂律もスムーズになっていると。自分の中では違和感が有るけど…。運動の方もバランス感覚から「反射力」や「集中力」へ。このリハビリは、いずれぶち当たる壁「運転再開」に大きく関わるので、より真剣に訓練しなくては。
そうそう、ようやくこの日から「シャワー」もOK。さすがに自分が汗臭かった。いくら院内エアコン完備でも…。
あと、ちなみに病院食
入院中、食事制限(カロリーや塩分など)特にナシ!味付けもまあまあ。唯一量が少なかった。あっ、それと間食はダメ。飲み物も水とお茶だけ。
毎食、写メを取り奥様へ送信。おやじが家に戻ってからの食事の参考にするとか。何度か食事前から来ていて「味見」してました。
すべてが順調に進み、経過観察良好!血液検査異常なし!日常生活に問題ナシ!
2016年(平成28年)8月6日(土)
少し早いけど無事「退院」となりました!!
おやじの人生で初の入院生活「11日間」。しなくてよい経験。
担当医から「禁煙は絶対!アルコールは適量で最低でも一日おきに休肝日を!車、バイク、自転車はまだダメ!」
リハビリ担当からは「少なからず左半身に後遺症があることを自覚して日常生活を送ること!」
この度は家族をはじめ、奥様の実家や姉妹、おやじの実家や兄妹、
大変、ご心配お掛けしました。また、ご迷惑お掛けしました。
そして奥様、本当にありがとうございます。言葉に出来ないほど「感謝」してます。
医者に奇跡とまで言われたこの「命」。
拾った命と思い おやじの人生、「第二章 」はじめます。